6年ぶりにフィルムで撮影した

現像済みのフィルムを広げる瞬間は楽しい

 1月に買ったフィルムの撮影が4月半ば過ぎに終わったので、現像に出した。フィルム自体は過去に撮ったものを広げることもあるので、スリーブを広げるのは何年ぶりということはないが、新しく撮ったものを見るのは6年と数カ月ぶりである。主な被写体は、家の梅、近所の桜、家のヒラドツツジである。
 「やっぱりフィルムはいいねえ、またちょこちょこフィルムで写真を撮りたい」――とはならなかった。デジタルになってたくさんシャッターを切るようになったので、同じように撮ると「36枚」はあっという間に終わってしまう。フィルム交換の手間もあるが、フィルム本体と現像代を足すと3000円を超えるので、シャッターボタンが重く感じる。その分じっくり考えて1枚1枚を撮るようになるのではないか?という意見もあるだろう。現実にデジタルに切り替える前はそういう考えも私の中にあった。しかし今回改めて分かったことがある。シャッターを切って、撮ったものを確認して、その場で“反省”して、すぐに次の1枚にトライする……という工程を繰り返すことができるのがデジタル。「1枚をじっくり考えて撮る」ことに掛けてはフィルムの方が向いているかもしれないが、頭の中でああでもないこうでもないと考えることに果たしてどの程度意味があるのか。机上の空論を繰り返すよりも、トライアンドエラーを繰り返す方が写真は上達するだろうし、何よりシャッターを切った方が撮影が楽しい。撮影する段階は完全にデジタルがフィルムの楽しみを上回っているのではないだろうか。
 一方で、撮ったものを展開する瞬間はフィルムの方が楽しい。これは上手く言葉にできないが、パソコンモニター上に表示されるサムネイルよりも、広げたスリーブから目に飛び込んで来る光が心地よいと感じる。五感に訴える、というやつかもしれないし、ただのノスタルジーかもしれない。あと、久しぶりにOM-3Tiで撮影できたのも良かった。いろいろと忘れていないかと心配したけど、OM-3Tiには忘れるほどたくさんの機能は搭載されていない。昔の感覚で、昔のリズムでシャッターを切ることができた。現像してみてピントもまあまあしっかり合っていたし、露出の大外れもなかった(OM-3Tiはフルマニュアル機)。OM-3Tiという存在もデジタルでは楽しめない要素だ。
 とまあそういうわけだけど、「久しぶりのフィルム撮影」は基本的に「デジタルの利便性と楽しさ」を再確認する結果となった。OM-3Tiを触りたくなったらまたフィルムを買ってくるかもしれないが、次の機会がいつになるかはちょっと分からない。その頃までフィルムが残ってくれていたらいいのだが……むしろ次はフィルムの生産中止のタイミングになるかもしれない???

(2022.05.06)