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▼ 2002.12



2002-12-01

『エド・ウッド』

Ed Wood (1994)
★★★★

「史上最低の映画監督」エド・ウッドの生涯をもとにした、ティム・バートン監督による伝記映画。これまで観たバートン作品のなかで個人的にはいちばん良かった。『シザーハンズ』や『バットマン・リターンズ』の人気が高いのもわかるのだけど、この映画には、ファンタジーの枠組みから離れてもこれだけ立派な作品を撮れることを実証してみせた頼もしさを感じる。(ウディ・アレンの駄目男ものに近づいている気もしないではないけれど)

主人公エド・ウッド(ジョニー・デップ)をきちんと「困った人物」として描きながら(彼の撮ろうとする映画は本当につまらなそうだ)、その人間的な魅力も伝わるようになっているのに感心する。映画史に残る「天才」オーソン・ウェルズを引き合いに出しているのも、後々まで絡んできて巧い。

時代に取り残された老優ベラ・ルゴシの悲哀を描いているのは『サンセット大通り』を思い出させる趣向。作中のエド・ウッドがベラ・ルゴシに似た風貌の人物を起用して「遺作」をでっちあげてみせたように、ティム・バートンもこの映画で俳優にベラ・ルゴシを演じさせて彼への鎮魂歌を完成させたのだ、ということになるだろうか。このあたりのメタフィクション的な布石も周到。

パトリシア・アークェットの演じる妻キャシー・オハラは、映画おたくの考える理想の女を具現化したような感じで(清楚な美人なのに男のしょうもない趣味に理解を示して見守ってくれる)、ここまで臆面もなく描かれるとつい「良いなあ」という気になってしまう。

2002-12-02

  • 映画監督ドン・シーゲル。自伝を翻訳する試みが進行中。プロの人じゃないので訳文が硬いけれど、ジョン・ヒューストンやハワード・ホークスらの名前もぽんぽん出てきて興味深そう。
『愛すれど心さびしく』

The Heart is a Lonely Hunter (1968)
★★★★

なかなか観られない「幻の名作」のひとつかと思っていたら、地元の図書館にあっさりビデオが置いてあったのでさっそく視聴。

アラン・アーキンの演じる善良な聾唖者が町の人々とふれ合っていく話。米国南部の保守的な田舎を舞台にして、黒人差別の問題を絡めているところは『アラバマ物語』の延長にあるような感じもする。

一見ありがちな「障害者もの」のようだけれど、聾唖者の主人公の描かれかたがとても丁寧で惹きつけられる。彼は耳が聞こえないので、視界の外で喋る人物の言葉を知ることはできず、劇中の物音や音楽を聞くこともできない。つまりほとんどの観客は、彼とは世界の認識にずれが生じるので、彼が何を知覚してどんなことを感じているかを想像しなければならないことになる(しかも当然喋らないから手がかりが少ない)。これが映画に良い意味での緊張感をもたらしていて、さらに主人公の内面を観客さえも完全に知ることができない、彼が果てしなく孤独な存在であることが、映画全体の主題と密接に結びついている。

アラン・アーキンとその親友(こちらも聾唖者)のやりとりが、まるでサイレント映画の登場人物のように見える。サイレント映画の住人がひとりで音のある外界へ出てきたら、きっとものすごく寂しいのではないだろうか? これはそういう話なのかもしれない。

主人公が下宿する家の娘を演じているソンドラ・ロックが良い(面長の顔と平らな胸がシャルロット・ゲンズブールみたい)。彼女がアラン・アーキンに何とかして自分の好きな音楽を伝えようとする場面は、神々しい美しさと切なさに満ちている。忘れがたい名場面。

2002-12-03

『クビシメロマンチスト』

西尾維新/講談社ノベルス(2002.05)
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★★

『クビキリサイクル』でメフィスト賞を受賞した作者の第二作らしい(前作は未読)。若い主人公の一人称叙述で「僕の人生哲学」が延々と語られ、人付き合いを避けているのに女の子が寄ってくる。出来損ないの村上春樹みたいで読むのがきつかった(これなら本家を読んだほうがだいぶまし)。今年読んだ本では乙一『GOTH リストカット事件』や本多孝好『MOMENT』など、巧拙の差はあるにしても似通った印象で、そんなに「僕語り」を書きたい/読みたい需給関係があるのだろうか。

シリーズもののためか、何人かのキャラクターが説明抜きで登場してきて、この作品内でほとんど見せ場のないまま終わる。二作目から読んでいるこちらも悪いのだろうけど、未整理で配慮に欠ける印象を与える。

学生の狭い仲間内で起きる殺人事件、というのは特に目新しい題材ではなくて、例えば鮎川哲也の『りら荘事件』なんて人間関係の点を抜き出してみれば本書とさしたる違いはなかったおぼえがある。

2002-12-04

『教授と美女』

Ball of Fire (1941)
★★★

ハワード・ホークス監督のロマンティック・コメディ。脚本はビリー・ワイルダー。

世間知らずの英文法学者(ゲイリー・クーパー) が姐御肌のバーバラ・スタンウィックに翻弄される話。「辞典を編纂する」という浮世離れした設定が馬鹿馬鹿しくて良いけれど、スタンウィックをヒロインにした映画では同年の『レディ・イヴ』が素晴らしかったので少し見劣りする感じ。

バーバラ・スタンウィックはこの映画でも脚を見せて男を魅了する。ビリー・ワイルダー監督『深夜の告白』(1944)での悪女役はこの役柄の延長上にあるのだろうか。

2002-12-05

『暗闇にひと突き』

ローレンス・ブロック/田口俊樹訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
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A Stub in the Dark - by Lawrence Block (1981)
★★★★

探偵マット・スカダー・シリーズの四作目。個人的にはこのころの「都会の孤独」を体現した病的なスカダーが好きで、後の『倒錯の舞踏』あたりを読むと健全で仲間が多すぎるように感じてしまう。特にこの作品は、探偵の内的な精神不安と外的な犯罪捜査の展開が緊密に呼応し合っていて完成度が高い。世評の高い次作『八百万の死にざま』(1982)よりもむしろ出来が良いのではないかと思う(本の厚さも『八百万の死にざま』の半分程度にまとまっている)。

シリーズ四作目にして、(A)主人公の深刻化するアルコール中毒、(B)(新聞記事や街角の光景を通してつきつけられる)大都会の無数の報われない死、という独自の主題が前面に出てきている。これらは、(A)フィクションに描かれる私立探偵はリアリズム世界においてただの病的な世捨て人にすぎないかもしれない、(B)数えきれない人が毎日意味のない死を遂げている現実のもとで、探偵が個別の殺人事件を解明しようとすることにどれだけの意味があるのだろうか、という「探偵」そのものの存在を危うくしかねない問いを孕んでいて、きわめて先鋭的。

登場人物たちの背景に「夫婦の仲の終わり」という(ロス・マクドナルド的な)物語が通低音のように流れていて、終盤に明かされる犯人のおそろしく空虚な殺人動機(これは忘れられない)とともに、見知らぬ人物どうしが隣り合ってそれぞれ孤独な営みを送る大都会ニューヨークの寂寥感と響き合う。

2002-12-06

『八百万の死にざま』

ローレンス・ブロック/田口俊樹訳/ハヤカワ・ミステリ文庫
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Eight Million Ways to Die - by Lawrence Block (1982)
★★★

『暗闇にひと突き』に続く探偵マット・スカダー・シリーズの五作目。前作で描かれた主人公のアルコール中毒をめぐる葛藤と(題名に象徴される)大都会の無数の報われない死、という主題はさらに盛り上がりを見せて劇的な展開を迎える。ただ、主人公の内的葛藤を描くことが最優先になっているため、殺人事件の真相は投げやりに放り出されていて(作者も興味を失ってしまったのではないだろうか)、『暗闇にひと突き』のように事件の展開と主人公の内面的な問題が共鳴している感じがほとんどしない。結果として、そもそもミステリという物語形式をとる必然性があったのか、疑問を感じざるをえない内容になっている。その迷走ぶりにこそ魅力があるのだと言われればそれまでだけど、何かこれが代表的な傑作として宣伝されたことで「ハードボイルドは人物とドラマを情感豊かに描けば事件の解決などどうでも良い」という認識が広まってしまったような気がする。決してそういう作品ばかりじゃないんだけどね。

とはいえ、批評的な読みどころも少なくないし、さんざん引っ張ったすえに語られる幕切れの一言はさすがに感動的。

2002-12-07

『アバウト・ア・ボーイ』

ニック・ホーンビィ/森田義信訳/新潮文庫
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About a Boy - by Nick Hornby (1998)
★★★★

『ハイ・フィデリティ』の作者の第三作。

三十代なのに無職でぷらぷらしている自由人、ウィル・フリーマンは、恋人を選ぶなら狙い目はシングル・マザーだという結論に達する。なぜならシングル・マザーは、(a).こぶつきの不利があるので格上の女でも落としやすい、(b).これまでの男運が悪いので普通にしていれば尊重される、(c).そして後腐れなく別れられる、からだ。そこで彼は架空の息子の話をでっちあげて、シングル・ペアレントの会にまぎれ込むことにするのだが……という導入部からしてさすがに快調。

最初の『ぼくのプレミア・ライフ』は自伝的エッセイで、次の『ハイ・フィデリティ』は作者自身に近い中年男の一人称語り。そしてこの第三作では、得意の身勝手なモラトリアム中年男といじめられっ子の少年をかわるがわる視点人物にした三人称叙述の小説になっている。そのため『ハイ・フィデリティ』のような赤裸々さは薄れているかもしれないけれど、徐々に内容が作者自身から離れて、フィクション作家としての才能が発揮されてきているように感じる(次の作品は女性主人公の一人称小説らしい)。

『ハイ・フィデリティ』もそうだったけれど、ニック・ホーンビィの小説は、世間に適応できない(orしないできた)男が、何か他人との出会いをきっかけに考えを改めて世間の基準との折り合いをつけようと譲歩していく過程をきわめて説得的に描いている(これを例えばものすごくファンタジックに描写すると、エドワード・ケアリー『望楼館追想』のようになるのかもしれない)。ただし、その心境の変化を一方的に理想化せず、仕方なしに大事な何かを捨てる「人生の妥協策」としても描いている、つまり価値判断の単純な押し付けをしていないところが魅力的だ。

2002-12-08

『殺し屋』

ローレンス・ブロック/田口俊樹訳/二見文庫
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Hitman - by Lawrence Block (1998)
★★★★

プロの殺し屋、ケラーの生活と仕事を淡々と描いた連作短篇集。

ローレンス・ブロックは作品を読むかぎりだと、ニューヨークから一歩も出ない作家のような印象があるけれど、実を言えば旅行好きで各地を飛びまわっている人なのだそうだ。そんな彼はたぶん、自身の看板になっているニューヨークを舞台にしたシリーズ作品(泥棒バーニイものと探偵マット・スカダーもの)の縛りにある種の窮屈さを感じていたのではないだろうか。この「殺し屋ケラー」ものはその反動から生まれているように思える。ケラーの住まいはニューヨークにあるものの、彼は殺しの任務を受けると全米各地におもむき、そのたびに架空の名前と身分になりすます。そして職業上法律に縛られない彼は、元警官のマット・スカダーや毎回警察に疑われるバーニイと異なり、自在に他人への裁きを下し、命を奪うことができる。(また、ケラーは他人の口にする比喩表現をまったく解さない。これも「気の利いた会話」が売りの既存のシリーズとは趣きが異なる印象をもたらしている)

個別の短篇では、ケラーが倫理的な葛藤の局面を迎える作品がおもしろい。なかでも「ケラーの責任」が白眉で、短篇ミステリのお手本のような秀作。

2002-12-09

『このミステリーがすごい! 2003年版』

『このミステリーがすごい! 2003年版』(宝島社)[amazon] [bk1]が店頭に並んでいたので購入。年々「このミス」で得票の集まる作品とは好みの乖離を感じているのだけど、今年は国内編1位の『半落ち』、2位の『GOTH』とも全然感心しなかった作品で、もう修復不可能のような感じがする。海外編も上位の『飛蝗の農場』『わが名はレッド』『第四の扉』など、過大評価としか思えない作品が多い。今年は作品の出来から見て、ジャン・ヴォートラン『グルーム』とダニエル・ペナック『散文売りの少女』のフランス勢が結構上位に来るかも、と踏んでいたのだけれど、後者なんてほとんど黙殺状態みたいで残念。

座談会(?)や作家の「隠し玉」など、惰性で続いているような企画ばかりなのも何だかなあ。

早めに手をつけておこうと思った読み残し作品は、打海文三『ハルビン・カフェ』、山口雅也『奇偶』、小川勝己『撓田村事件』、エリザベス・レッドファーン『天球の調べ』あたり。

2002-12-10

船橋駅前の書店

記事の本題よりも、たまに行く書店なので茶木則雄氏が店長だったらしいことに驚いた(昨日『このミス』を購入したのはこの店だったりする)。船橋駅の近辺でよく利用するのは東武の旭屋書店だけど(Web持ちの書店員さんがいることでも有名?)、こちらのときわ書房は駅前で夜遅くまで開いているので便利。

2002-12-11

『浪漫的な行軍の記録』

奥泉光/講談社(2002.11)
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★★★

奥泉光の新作(「群像」2002年8月号に掲載された作品を単行本化)。老いた探偵小説作家が第二次世界大戦中の南方戦線での思い出を語る、というのがとりあえずの叙述形式なのだけど、時間の流れを無視して語られる書法が特徴的で(ある時間と別の時間が並行的に存在して何かの拍子に混線してしまう感じ)、そこから「死者の声」を拾い集めてくるような趣向になっていく。個人的には、従来の日本の戦記文学だとかを読んでいないせいか、こういう『グランド・ミステリー』系の使命感に満ちた路線はさほど興味が湧かないなあという感想。ほとんど内容がなく、肩の力を抜いて語りの魅力だけを追究した『鳥類学者のファンタジア』の素晴らしさを思うと、そんなに堅苦しく書かなくても良いんじゃないかという気がしてくる。

2002-12-12

『家蠅とカナリア』

ヘレン・マクロイ/深町真理子訳/創元推理文庫
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Cue for Murder - by Heren McCloy (1942)
★★★

劇場で舞台の上演中に起きた殺人事件をめぐる推理もの。演劇とミステリの絡めかたやドライな人物描写は連城三紀彦や東野圭吾みたいで悪くなかったものの、肝心の謎解きにあまり感心しなかった。この話は犯人捜しなどよりも、いくつかの特徴的な手がかりを事件に結びつける説明の技巧を愉しむ趣向なのだろうけど、その鍵となるところがいずれも「心理学」的なこじつけや普通の読者の知らない医学的な知識を前提にしたもので、いかにも強引で美しくない印象を与える。以前の『ひとりで歩く女』も評判ほど良いとは思わなかったので、どうもヘレン・マクロイのパズラー路線の作品とは合わないみたい。

2002-12-13

『イリーガル・エイリアン』

ロバート・J・ソウヤー/内田昌之訳/ハヤカワ文庫SF
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Illegal Alien - by Robert J. Sawyer (1997)
★★

ロバート・J・ソウヤーは最初に読んだ『ターミナル・エクスペリメント』がつまらなかったので、その後敬遠していた。久しぶりに読んだこの作品は、ファースト・コンタクトSFとリーガル・サスペンスを組み合わせる無茶な趣向なのだけど、発想がTVドラマ的な安直さで乗り切れない。裁判劇の進行に伴ってしだいに「宇宙人」の特性が明かされる構成になっているので、読者の予期しない前提条件が思いつきで提示されるだけのような印象を与えるし、その宇宙人の設定も地球人の行動様式とほとんど違いがわからない程度で面白味に欠ける。地球人の法律で地球人以外の者を告発しうるのか、という根本的な疑問をあえて無視して通るのは確信犯なのでかまわないとしても、SF的な設定が謎解きと有機的に絡んでいるとはあまり思えなかった。

まあ、アイザック・アシモフに近い作風といえばそうなのかもしれない(特にこの作品の状況は『鋼鉄都市』あたりを思い出させる)。同時に古くさいということでもあると思うんだけど。

2002-12-15

『マイノリティ・リポート』

Minority Report (2002)
★★★

今日はたまたま、アメリカの超有名俳優が主演するミステリ映画を2本続けて観てしまった。どちらも捜査官(→元捜査官)が主人公で、「意外な犯人」が出てきて、狂った(空虚な)動機で人を殺してしまう。こちらはその1本めで、スティーヴン・スピルバーグ監督/トム・クルーズ主演/フィリップ・K・ディック原作作品。

予知能力者の幻視をもとに殺人を犯そうとする人物を逮捕して犯罪を未然に防ぐ、という犯罪予防システムが実現化しつつある近未来社会を舞台にしたSFスリラー映画。主人公(トム・クルーズ)はその「犯罪予防局」の捜査官として登場する。未来の幻視映像を現実が後追いして意味付けする趣向になっているので、『ギフト』などと同じような意味でそれなりのパズル性がある。(そんなに厳密な感じではないけれど)

ハリウッドでSFの企画が重宝されるのは、とりあえず近未来社会のビジョンを緻密に再現してみせるだけである程度画面を持たせられるからなのだろうな。前の『A.I.』もそうだったけれど、スピルバーグの描くSFビジョンには意味のない悪趣味さが過剰に盛り込まれていて、これを良しとするかどうかで評価が分かれそうな気がする。この作品は『A.I.』ほど空回りではなくて個人的には許容範囲内だったものの、やはりそこに物語的な意味がないというところがちょっと気にならないでもない。

トム・クルーズは例によって美味しいところを持って行きすぎなのが白けるし、そもそも彼はディック的な実存不安を抱えた主人公には見えないのが難だろうか(といっても、彼の前作『バニラ・スカイ』(未見)はリメイク元の『オープン・ユア・アイズ』を観るかぎりディック風の内容のはずなので、決して無縁ではないのだけれど)。

『ブラッド・ワーク』

Blood Work (2002)
★★★

こちらはクリント・イーストウッド監督・主演作品。マイクル・コナリー『わが心臓の痛み』の映画化。原作を読んでいないのでどの程度筋を変更しているのかわからないけれど、犯人の設定などがこちらで予想した範囲の展開に収まってしまってちょっと物足りなかった。法月綸太郎は『わが心臓の痛み』に関してジェフリー・ディーヴァーの『ボーン・コレクター』との類似を指摘していたけれど(週刊書評第41回)、確かにどちらもサイコキラーが特定の捜査官を狙ってわざわざ挑戦してくる話。個人的には『ボーン・コレクター』(原作)も評判ほど感心しなかった作品で、この手の荒唐無稽な自作自演の筋書きなら、リアルな設定でやるよりも『アンブレイカブル』くらいファンタジックな路線のほうがむしろふさわしいのではないかと思う。

クリント・イーストウッドが同情の余地のない純粋な快楽殺人者と対決するのは、30年前の傑作『ダーティハリー』と同じ展開で(クライマックスの「処刑」場面などはほとんどそのまま)、これを喜ぶ人もいるのだろうけど、何か過去にイーストウッドが演じた役柄の栄光を着ているだけのような気がしてしまう。この作品を賞賛するのに「あまりにもイーストウッドでイーストウッドだ」みたいな、僕などからすると空疎にしか思えない言説が目立つのはそのためではないだろうか。正直なところ、御老体の回春イベントに付き合わされたような感想は否めなかった。

引退した捜査官の話では『プレッジ』のほうが好きかな。

2002-12-17

『ダーティハリー』

Dirty Harry (1971)
★★★★

以前に観ていたのだけど感想を書きそびれていた。ドン・シーゲル監督、クリント・イーストウッド主演の刑事スリラー。これはもう「現代の神話」なのでしょうね。切れ味の良いスピーディーな展開、立体的な都市の描写、そして清濁を併せ呑む魅力的なヒーロー像の合わさった傑作。

ミステリ小説的な文脈でいえば、影響関係の有無は別として、エド・マクベインの「87分署」ものとミッキー・スピレインのマイク・ハマーものを合わせるとこれに近くなるのかなと思った(公開当時は「ファシストの夢物語」と批判されたこともあるそうだし)。1980年代以降のハードボイルド系小説の傾向として、体制から外れたはみ出し刑事がサイコキラーと対決する、あるいは探偵が同情の余地のない殺人犯に直面して自警団的な行動に出る、という流れがあるのだけど、その有力なモデルがこの『ダーティハリー』ということになるだろう。本編の魅力はいま観ても全然色褪せておらず、歴史的な影響力の大きさも見逃せない。これが名作ということなんだろうな。

2002-12-20

『8人の女たち』

8 femmes (2002)

フランソワ・オゾン監督。実は体調不良のせいか不覚にも前半少し眠りこけてしまったので点数などはつけられない。

アガサ・クリスティ風の「雪の山荘」殺人事件ものなので、『ゴスフォード・パーク』とはいろいろ共通点がある(殺される屋敷の主人の女癖の悪さなど)。ただし『ゴスフォード・パーク』が比較的リアル志向の群像劇だったのと較べると、こちらはもっと人工的な空間で繰り広げられる舞台劇風の映画で、人物描写も戯画的。

有名女優を集めたアンサンブル劇なのだけど、正直なところ歳を取った女優が多く、例えばカトリーヌ・ドヌーヴの役どころなどはあと10歳若くないと話にならない(ドヌーヴだから多分何とかなるだろう、という見込みだったのかもしれないけど)。そんな中で唯一妙齢の、長女役のヴィルジニ・ルドワイヤンが目立って綺麗。この人は他の作品も観てみたいと思った。

同性愛描写がいささかしつこめで、何かこだわりがあるのだろうか。

2002-12-21

『ギャング・オブ・ニューヨーク』

Gangs of New York (2002)
★★★

南北戦争時代の動乱のニューヨークを舞台にした歴史劇。主役たちの愛憎劇はとりあえず物語の体裁を整えるための狂言廻し的な役割にすぎなくて、その背景にあるニューヨークとアメリカの歴史の断面をパノラマ的に見せるところに主眼があったらしい(『タイタニック』などもそんな感じだったけれど)。ダニエル・デイ=ルイスの演じる人物が首領の移民排斥派「ネイティヴ・アメリカンズ」が、レオナルド・ディカプリオらのアイルランド系移民の勢力拡大に押し流されていく様子が描かれる。

やはり大作だけあって画面が豪華なので長丁場も退屈はしないものの、登場人物が完全に話を進めるための駒になってしまっている感じで(ダニエル・デイ=ルイスは確かに格好良いけれど)ドラマ的な整合性には乏しい。ディカプリオの役柄なんてほとんど何を考えて行動しているのかよくわからず、正直なところ、この役柄で演技がどうこう言われるのは気の毒な気がする。とはいえ、アメリカ映画の大作につきもののつぎはぎ感に目をつぶれば、壮麗な見世物としてそれなりに愉しめる内容だろうと思うけれど。

映画の前半はほとんど銃の出てこない中世みたいな戦闘場面になっており、恋愛劇風の宣伝に騙されて観に行くと凄惨な流血場面に青ざめる人が結構出るんじゃないかと他人事ながら心配。

2002-12-22

『チャイナタウン』

Chinatown (1974)
★★★

ロマン・ポランスキー監督、ジャック・ニコルソン主演のハードボイルド探偵映画。1930年代のLAを舞台にしていることからも明らかなように、過去のフィルム・ノワールの意匠を精巧に再現した内容で、まったりとした退廃的な雰囲気もよく出ているけれど、いま観ると後ろ向きで独自の味には乏しい感じがする。個人的には『俺はレッド・ダイヤモンド』とか『エンゼル・ハート』などのように、思いきり私立探偵ものの枠組みを相対化してしまっている作品のほうが馴染みやすい。ヒロインのフェイ・ダナウェイも翌年の『コンドル』(1975)のほうが綺麗。

事件の背後にはLA全体を巻き込んだ壮大な陰謀が絡んでおり、ほとんどジェイムズ・エルロイの小説みたい。

この1970年代前半といえば、ヴェトナム戦争と学生運動への反動で「過去に戻りたい」もしくは「秩序を取り戻したい」という時代の空気があったのか、探偵ものや刑事ものの有名作品が多い気がする。(『フレンチ・コネクション』(1971)、『ダーティハリー』(1971)、『ロング・グッドバイ』(1973)など)

『フレンチ・コネクション』

The French Connection (1971)
★★★★

これは確かに傑作。ウィリアム・フリードキン監督、ジーン・ハックマン主演の刑事スリラー。精神的に壊れ気味のヒーロー刑事を主役にしている点で、同年の『ダーティハリー』と共通するけれど、こちらのほうが映画の手法としては格段にとんがっている。全編、ほとんど状況説明のないままドキュメンタリー的な撮影で行動と出来事だけを提示する実験的な描写が貫かれていて、最近の作品でいえば『ブラックホーク・ダウン』がこれに近いかもしれない(実話をもとにしているのも同じか)。『ブラックホーク・ダウン』と同じく、迫真性に感心するものの娯楽映画として愉しいかというと微妙なところなのも確かなのだけど。『フレンチ・コネクション』は批評家受けする映画で、『ダーティハリー』は大衆受けする映画ということになるだろうか(どちらが上というのではなく)。

鉄道の高架下をひたすら突進する有名なカーアクション場面は、本当に一般道で自動車を走らせて撮影したものらしい。恐ろしい国だ……。

2002-12-23

『鳩の翼』

The Wings of the Dove (1997)
★★★

ヘンリー・ジェイムズの同名小説を映画化した作品。イアン・ソフトリー監督。

英国の上流階級の人物を中心にしたロマンス映画で、冒頭から目を見張るようなものすごく流麗な映像場面が連発される。ほとんど絵画を眺めているような感じ(『バリー・リンドン』みたい、といえば近いだろうか)。主演のヘレナ・ボナム・カーター(青がイメージカラーになっている)は、その絵画的な情景のなかで見事に映えていて素晴らしい。何気ない日常会話の入れ方などの演出も良かった。ただし、三角関係のプロットは先が見え透いていて興味に欠けるし、ヘレナ・ボナム・カーターの存在感に対してそれ以外のキャスティングは印象が薄いので、彼女が脇に回る後半になると画面の強度が大幅に落ちる。とはいえ、映像と画面構図はとても綺麗なので(序盤の出来映えは本当にただごとではないと思わせる)、特にヨーロッパの貴族の優雅さに憧れを持っている人にはお薦めできる。ヴェネツィア観光の予習としても良いかも。

『めぐり逢う大地』

The Claim (2000)
★★★

マイケル・ウィンターボトム監督。『日蔭のふたり』(1996)に続く、トマス・ハーディの小説の映画化らしい。西部開拓時代の山中の鉱山町を舞台にした歴史もの。雪に閉ざされた山村を訳ありの母娘(ナスターシャ・キンスキーとサラ・ポーリー)が訪れ、過去の因縁を仄めかしながら人間関係が動き出していく一方、鉄道会社から測量技師団(そのリーダーがウェス・ベントレー)が派遣されて、町の運命を左右する鉄道敷設計画が進んで行く。

雪山でのダイナマイト爆破など、かなり気合の入った撮影が行われたとおぼしき壮観の場面が結構あって感心したものの、話は結論の見えてしまうものでひねりに欠ける(劇中でドラマが発生している感じがあまりしない)。同じくサラ・ポーリーの出演している雪の田舎町の映画『スウィート・ヒアアフター』(傑作)と較べるとだいぶ弱い。米国の歴史の一断面を見る、という意味ではそれなりの興味があった。

サラ・ポーリーは『スウィート・ヒアアフター』と似たような、運命に翻弄されながら道を切り開く意志の強い少女の役で、さすがに良い。ウェス・ベントレーは、本人のせいではないけど『アメリカン・ビューティー』のイメージが強くてこういう時代ものには合わない気がする。おたく青年なのか結構野性的な役柄なのか、どうも人物像をつかみにくかった。

2002-12-24

『エレファント・マン』

Elephant Man (1980)
★★★

デヴィッド・リンチ監督作品。前半は良いのだけれど、やはり特殊メイクの「エレファント・マン」を画面に登場させてから1時間以上持たせるのはきつい気がする。作劇的にも後半は落としどころを見失った感じで、単なる悪役扱いで片付けられる人物が多いのも気になった。とはいえ、ジョン・メリックが医師の妻や有名女優と面会して感激するあたりは、真摯な対話とどこまでが本気なのかわからない居心地の悪さが同居していて、その独特の複雑な気分がとても心に残る。

トッド・ブラウニング監督の有名な映画『フリークス』は当然参考にしているのだろう。映画の観客の立場を作中のフリークショーの客の好奇の視線と重ね合わせる批評性は『フリークス』と似ている。

『イレイザーヘッド』の舞台だったフィラデルフィアの工業地帯の荒涼とした薄暗い感じは、この映画のヴィクトリア朝ロンドンの背景描写にも生かされていると思う。

2002-12-25

2002-12-26

『箱のなかのユダヤ人』

トマス・モラン/小林理子訳/創元コンテンポラリ
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The Man in the Box - by Thomas Moran (1996)
★★★★

第二次世界大戦下、オーストリアの田舎の村を舞台にした小説。父親が旧知のユダヤ人医師を強制収容所行きから救うため、納屋の狭い「箱」に彼をこっそり匿って食事の世話をさせる。その当時の二年間の出来事を息子の少年の視点から語るという内容。きわめて非日常的な「戦時の寓話」と、『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』みたいな少年の思春期もの(性の目覚めが話の前面に出ている)の日常的な話法が違和感なく同居していて、なかなかおもしろかった。村の外の世界を知っているユダヤ人医師との「箱」ごしの対話と、主人公の幼馴染である全盲の少女とのやりとり。ふたりの主要人物との会話が視覚を制限したかたちで行われることが、小説の表現形式(小説の読者は当然、登場人物の姿を見ることができない)と巧く合って想像を喚起するような趣向になっていたと思う。良い印象を残す小品。

現実問題として、いかにナチス政権下とはいえユダヤ人医師を四六時中厳重に閉じ込めておく必然性はなさそうにも思えるし(これと強制収容所はどちらがましなんだろう……)、この状態で果たして二年間も人間がきちんと生きていられるのか、などの疑問も湧いてこないではないのだけど、まあそこはあくまでも少年の視点で語られる寓話ということで。

2002-12-28

『SWEET SIXTEEN』

Sweet Sixteen (2002)
★★★

ケン・ローチ監督。英国の労働者階級の貧困を背景に、家を購入して家族の絆を取り戻すため麻薬売買に手を染める少年を描いた、丁寧な社会派リアリズム映画。何だか結局「母親が駄目なら子供がいくら頑張っても駄目」という、結論の見えた話に終始したような気がする。アーヴィン・ウェルシュの小説に出てくるような荒廃した集合住宅などの風景がそのまま映されていて、その点は興味深かった。

2002-12-29

『世界の果ての庭』

西崎憲/新潮社(2002.12)
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★★★

内容の紹介は、第14回日本ファンタジーノベル大賞の井上ひさしの選評に詳しい(予断を持ちたくない人は読まないほうが無難)。

複数の挿話の断片がシャッフルされて、モザイク的に配置される構成の小説。これをどうまとめるつもりなんだろうか、という興味で読ませるのだけど、結局それは「作者の意図を読む」というメタ次元の興味にしかならなくて、この構成を採る物語的な必然性を読み取れなかった。

『リヴァイアサン』

ポール・オースター/柴田元幸訳/新潮文庫
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Leviathan - by Paul Auster (1992)
★★★★

ポール・オースターの1992年の作品。前作『偶然の音楽』(1990)はいまひとつ散漫な気がしたけれど、これは結構良かった。主人公の作家が謎の死を遂げたかつての親友ベンジャミン・サックス(こちらも作家)の思い出を順々に語っていくという大枠を予め設定したことで、奇妙なエピソードと登場人物たちを自在に積み重ねる書法が成功している。ある作家の人生を超越的に語るという趣向から、『エドウィン・マルハウス』のような分身的「偽伝記」ものの面白味もある。

前半と後半で語りの構造が変わる。前半部は語り手がドラマの当事者として関係するのだけど、後半部になると、語り手とベンジャミン・サックスの交流が途切れ、後にサックスから知らされた伝聞の物語をそのまま書き記す形式になってしまう。ここでは語り手のフィルターの入る余地がほとんどないので、結果的に散漫な叙述に終始している感じがした。前半はパトリック・マグラアの『閉鎖病棟』のような「信頼できない」恣意的な語り手になりそうでならないところが結構スリリングで良かったのだけど。

2002-12-30

『アイ・アム・サム』

I Am Sam (2001)
★★

知的障害者の父親(ショーン・ペン)が愛する娘(ダコタ・ファニング)の養育権を取り上げられそうになるという、『クレイマー、クレイマー』+『レインマン』みたいな話。『クレイマー、クレイマー』は実際に作中で参照が明示されている。主人公(ダスティン・ホフマン)の「新しい父親」としての覚醒が映像のレベルでも魅力的に提示されていた『クレイマー、クレイマー』と比較すると、この作品の父子関係の描写は物足りなくて、結果的に「知的障害者は心が清らか」というステレオタイプと、子役のダコタ・ファニングの圧倒的な可愛らしさに寄りかかったものになっている。加えてショーン・ペンの側に何も内面的な変化が起こらないままに終始するので、物語のためにむりやり「悲劇」を捏造している感じが強かった。あくまで、ミシェル・ファイファーの演じる仕事と育児に疲れた女弁護士が「癒される」ことに主眼があったのだろうか(その意味で、女性の支持率が高いのは納得するけれど)。

落ち着きのない手持ちカメラ撮影と場面ごとの作為的な色調変更は『トラフィック』みたいで(本作の撮影は過去にソダーバーグと組んでいるエリオット・デイヴィス)、この作品に関しては必然性の少ない感じがした。ビートルズ・ナンバーの連発はいくらなんでも押し付けがましい気がして乗れず。

2002-12-31

今年読んだ小説:10選

2002年中に読んだ小説で特に良かったものを10冊挙げておきます。一作家につき一冊、基本的に新刊本と初読の作家を優先。(読了順)

  • ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫)

今年はなぜか、妄想と現実が交錯して主人公の精神が崩壊する、という構成の小説に縁があった気がする。その嚆矢となったのがこれ。

  • パトリック・マグラア『グロテスク』(河出書房)

この作家を知ることができたのは今年の収穫。英国風のひねくれた叙述が素晴らしい。語れば語るほど叙述の信頼性、そして現実と妄想の境目が疑わしくなっていくという感じを見事に体現した秀作。

  • スティーヴン・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』(福武書店)

物語・文章・構造のすべてが完璧に決まった、奇蹟のような傑作。誰もが忘れていた幼い頃の感覚を思い出させてくれる「子供の世界」小説の決定版にして、怪しすぎる語りとひねくれた趣向が炸裂する「偽伝記」小説の到達点。こういう本といつか出会えるかもしれないから、懲りずに小説を読み続けているのだと思う。現在絶版なのは本当に残念。

  • 歌野晶午『世界の終わり、あるいは始まり』(角川書店)

日本作家の新作ミステリが少ないのでこれを。重松清みたいな父子ものの筋書きを、バークリー的な多重解決趣向であさっての方向へ迷走させる不敵な作品。『ナイフ』とかってなんか嘘臭い気がして乗れないんだよね、という読者は、こちらのほうが共感できたりする。

  • アーヴィン・ウェルシュ『マラボゥストーク』(スリーエーネットワーク)

『グロテスク』の構造で語られる『時計じかけのオレンジ』というか。妄想と悪夢のフラッシュバック。アーヴィン・ウェルシュは『トレインスポッティング』『フィルス』と、孤独な屑野郎の内面描写が抜群に巧い。ジム・トンプスンの後継者はこの人ではないかと思う。

  • ダニエル・ペナック『散文売りの少女』(白水社)

実はこれが読みたくて第一作の『人喰い鬼のお愉しみ』から順番に手をつけたのだった。きわめて快調なフランス版コージー・ミステリ。奇矯な登場人物たちの造型はジャン・ヴォートランにも共通するけれど、こちらは絶望と閉塞感に溢れてはおらず、あくまでお気楽な内容。この第三作はミステリ的にもこなれてきている。

  • 佐藤哲也『イラハイ』(新潮文庫)

論理的に導かれるとぼけた不条理。『キャッチ=22』を好きな者としては、これも好きにならずにいられない。

  • エドワード・ケアリー『望楼館追想』(文藝春秋)

幻想的なひきこもり小説、というのも今年読んだ本の傾向だったろうか。映画『アメリ』などにも通じるのだけど、現実世界の法則を踏み外さずに歪んだ幻想世界を構築してみせる、個性的な道具立てのセンスが心に残る。

  • グラディス・ミッチェル『ソルトマーシュの殺人』(国書刊行会)

そもそもミステリ小説が少ないのでこの作品でも。あらゆるところで田園ミステリの定型を外しまくる知的でひねくれた作品。「裏クリスティ」なのかもしれない。

  • ニコルソン・ベイカー『中二階』(白水Uブックス)

日常生活の些末事を果てしなく緻密に語り続けたらどんな小説ができあがるか、という実験作。まったく日常世界から離れないにもかかわらず、久々に小説らしい小説を読んだという気にさせてくれる。

年間を通してみると、スティーヴン・ミルハウザーやパトリック・マグラアなど、これまでフォローしていなかった純文学畑で好みの作家を何人か発掘できたのが収穫だった。これは年の初めに風間賢二のブックガイド『ダンスする文学』を読んだ影響が大きかったと思う。来年もこんな幸運な出会いがあると良いのだけど。

今年観た映画

劇場公開で観た新作映画で、良かったものを6本ほど挙げるとこんな感じ。(鑑賞日順)

  • 『マルホランド・ドライブ』
  • 『ブラックホーク・ダウン』
  • 『バーバー』
  • 『スパイダーマン』
  • 『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』
  • 『ゴスフォード・パーク』

すでに有名な監督、もしくは前評判の高かった作品ばかりになってしまった。こちらの作品選定の問題もあるのだろうけど、総じて新しい発見の少なかった年。メジャー公開の映画で良い印象が残っているのは『ブラックホーク・ダウン』と『スパイダーマン』。ただ、昨年は『アンブレイカブル』と『トラフィック』みたいに刺激的な作品が出ていたのと較べると落ちる気がする。見逃した作品で気になっているのは、『アバウト・ア・ボーイ』『イン・ザ・ベッドルーム』『まぼろし』『暗い日曜日』など。

ついでに旧作で特に良かったもの10本。

  • 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』
  • 『スローターハウス5』
  • 『地獄の黙示録』
  • 『エンゼル・ハート』
  • 『素晴らしき哉、人生!』
  • 『レディ・イヴ』
  • 『希望の街』
  • 『ブレックファスト・クラブ』
  • 『フィアレス』
  • 『ダーティハリー』

それぞれ、何らかの分野で「これ以上のものはないだろう」という到達点を示したように思える作品。結局、知名度の高い作品が多くなってしまった。比較的知名度の低そうな作品についてだけ補足しておくと、『希望の街』(ジョン・セイルズ監督)は、架空の町にアメリカ社会の諸問題をまとめて詰め込んでみせた、社会派群像劇のお手本のような密度の高い傑作。『トラフィック』が良かった人にお薦め。『ブレックファスト・クラブ』(ジョン・ヒューズ監督)は高校生活の各「階級」を集約する類型化モデルを提示した青春映画。その後に大きな影響を与えているように思う。『フィアレス』(ピーター・ウィアー監督)は、不可解な言動を取り続ける主人公を、何の説明も入れないままひたすら淡々と描写する。感情移入のできないクールな手法を貫いているのがとても格好良い。

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