深宴

第3話



著者.ナーグル

















 目を覚ました時、アスカは自分が柱に縛り付けられていることに気がついた。体中が崖から転がり落ちた時のように痛む。

「あはふ、はうっは?」

 わたし、なにが? そう言ったつもりだったが口から出たのはくぐもった呻き声。
 妙に口の中が粘つき、そのくせ唾液がたまっていた。

(……………?)

 すぐにざらざらしつつも固い物が口一杯に押し込められていて、それが歯に食い込み、噛みきることも吐き出すことも出来ないことに気がついた。

(猿ぐつわを、噛まされてる…)

 まだ薬でぼやけた意識のまま適当に手足を揺すってみると、ジャラジャラと固い物が擦れあう音が聞こえた。不揃いな鎖で縛り上げられていることをぼんやりと悟るが、とりあえず自由になれそうな感じはしない。後ろ手に縛られた手首が疼く。爪先に足を乗せるための出っ張りがあるため、鎖に吊られて痛むことはないが、窮屈であることは変わりない。手の平に触れるざらざらと冷たい感触から、自分が縛り付けられているのが木や石ではなく、ビル建築の基礎に使うコンクリートの柱だということがわかった。

(でも、ここはどこ)

 唯一自由になる目を動かして周囲を見渡すが、灯りがか細いこともあってあまり大したことはわからない。灯り…そう言えば、背後からごくごく弱い揺らめくような光、恐らく松明の光がぼんやりと照らしているのを感じる。
 とりあえず、自分がいるのはそれなりに広い円形の空間であることと、地面がすり鉢状になっていることがわかった。

(石、コンクリート? あ、これって、そうだわ。あれよ、ギリシアの円形劇場…)

 そう、本物は音がよく響く特別な石材を敷き詰めた物だが、ここはそれらしく地面を掘り、段になるように建材を並べただけではあるが、直径が20メートルほどある円形劇場だ。狭いし縄文土器のように形も整っていないが、そもそも音響効果など考えてもいないんだろう。こんな地下深くに劇場をつくるなんてファウストをたぶらかした悪魔メフィストだって思いつかない悪い冗談だ。
 そして自分はギリシア悲劇の生け贄の乙女よろしく、中心から少し離れたところにステージの方を向かされて縛り付けられている。

(第三新東京市の地下に、こんな空間があっただなんて)

 ジオフロントとは違う、別の地下空洞…。だが、明らかにこれはジオフロントのようにネルフなどが関わったものではない。地下鉄工事などのどさくさに紛れて、あるいはもっと以前から存在していただろう、建築途中だったが使徒との戦いなどで放棄された物、小規模な地下洞窟や戦中の防空壕などを繋げて、更に拡張した物ではないだろうか。
 あの白い怪物は、いつからか知らないがずっとこの闇に潜んでいたのか。
 籠もった空気の中にもかかわらず、じわりと背筋が冷たくなるのを感じる。
 ふと、目が慣れたのか闇の奥で揺れているものに気がついた。

(あっ、あれは?)

 闇の中で多くの、恐らく20人ほどの人影が好き勝手に座席に座りぼそぼそと何かを囁きあっている。目をこらしてよく見れば、酔漢を襲った人間離れした怪物は10人程度しかおらず、それ以外は薄汚れているがどうも普通の…と呼ぶことに抵抗はあるが…人間のように見えた。首が完全に自由にならないので、目にはいるのは円形劇場のおよそ半分なのだが、死角からもざわめく気配がする。恐らくそれに倍する人数がこの空間にいるだろう。そして彼らの近くに侍るように蹲る大型獣。いや、違う、あれは獣ではない…。

(人? それも、女の人だわ)

 その柔らかな動きから女性だろう。よくわからないが、座席に座る人影のおよそ半分、10人ほどの女性が確認できた。

(こいつら、何をしてるの? うそ、アレって…)

 女性達は銘々が怪物、人の区別なく、その側に蹲っていたり、しなだれかかっていたり、あるいは広げた股間に顔を埋めて、なにやら忙しなく首を上下させて悩ましげな音を奏でていたりしている。中にはあろうことか正面から向き合って抱き合うように影にしがみつき、体を揺すりながら途切れ途切れの喘ぎ声を漏らしている者もいる。

(こ、この人達、なんて破廉恥なことを…!)


「はぁん、あぁぁ…。良い、いいぃ」
「んぶ、ちゅぶ、じゅぶ、ぶちゅちゅっ」
「あん、あん、あん、ああっ




 それが何を意味するかなんて、考えるまでもなくわかる。
 一瞬、状況がわからないまま女性達に対する怒りがわき起こった。しかし、すぐにその怒りは冷凍庫に収めたように冷えていく。女性達はほぼ例外なく首から伸びている紐、いや飼育用の鎖が結びつけられていることに気がついたからだ。彼女たちは、決して自ら望んでこんな状況にいるわけではない。
 犬のように拘束され、四つん這いにされ、奉仕することを強制されている。


「たすけ、て…。いや、こんなの、もう、ああ…」
「ヒヒヒ」
「ま、ママ。まま、ママぁ…」



 注視していた自分に気づいて顔を背ける。初めて見る集団レイプの現場を魅入ってしまったことを恥、同時に哀れな彼女たちの願いを聞き届けることが出来ない自分をアスカは恥じた。

(そうだわ、マユミ達は!?)

 あの中にいるのだろうか…。己の想像に背筋が凍り付いた。

(いないわよね。いないわよね!?)

 目に入る限りでは、見慣れたプラチナブロンドもブルネットもブラックの髪は見あたらない。

(あの中にはいないみたい…。だけど、じゃあ、どこに)

 自分と同じようにどこかに縛られているのか。それとも既に、正体不明の怪物達に何かされているのかもしれない。あの哀れな酔漢のように、それとも眼前の女性達のように発情期の犬もかくやと言う淫らな行いを強いられているのかも。

(マユミ、マナ。……………レイ)











 突然、明かりが灯った。

 円形ステージの奥に、巨大な松明の炎が魔女のごとく踊る。炎の中でこんな所には場違いな物体の影が揺らぐ。いや、それにしても趣味が悪い舞台だ。そこかしこにぼろ布が敷き詰められ、中心には古びたスピーカーと大きな直方体をしたもの、何年も前に生産が停止されたはずの大型ブラウン管テレビが置いてある。テレビとケーブルで繋がってるのは、どこかから払い下げられた物なのか業務用のテレビカメラだ。

「光、あれ」

 その時になってアスカはステージ上に誰かがいたことに気がついた。
 最初からいたのか、それとも魔術師よろしくいつの間にか現れたのか。
 地の底の住人には似つかわしくない、飾り気のないローブを纏った4人の人間がそこにいた。
 うち3人は、昔は文字通りの純白だったのだろう灰色のローブを着ていて、奇妙に虚ろな…まるで痴呆症の老人のような目をしている。あまりに汚れているのですぐにはわからなかったが、実際彼らの年齢は初老かその手前ぐらいだろう。だが、いくらなんでもまだ痴呆が始まる年齢ではない。
 一人は顔から首筋、さらには胸一面にある疥癬を血が滲むまで掻きながら薄ら笑いを浮かべ、また一人は白く濁った眼で虚空を見つめながら涎を垂らし、そして一人はおそらくは梅毒で溶け落ちた鼻から笑い声を出している。
 そして、その三人を従者よろしく後ろに控えさせた残る一人は他と様子が違っていた。

「今宵も宴に集った呪われし子供達よ」

 明らかに洗濯がされているらしい清潔なローブを纏い、大きく手を広げて周囲の観衆達にアピールするように胸を反らしていた。なにより、他と違って明らかに、正気かどうかは別として知性を感じさせる眼差しをしている。普通にしていればそれなりに魅力のある顔立ちなのかも知れないが、そのふくよかな顔に浮かべる邪な笑みが全てを台無しにしていた。

(なによ、あいつら…)

 ドンファンの純愛宣言だって、ここまで怪しくはない。こいつがこの奇怪な事件の黒幕なのか。ゴクリ、とからからのはずの喉が鳴る。
 アスカの視線に気がついたのか、男はアスカの方に顔を向けると口元を歪めながらウィンクをした。蜂に刺されたようにアスカが体を強ばらせて目を見開くのを、男は遊園地のカルーセルに乗る子供みたいに見ていた。真性のサディストか、と心の中で唾を吐く。やがて男は手に持っていた一見古めかしい古書のように見えるが、実際はつい最近造られた物らしい本を開く。学芸会の小道具の方がまだ気が利いている。しかし、そんなのでも聖典、なのだろう。アスカには100円程度で売られている付箋紙が、やたらと場違いに思えた。

「子達に伝える。記念すべき日に祝福があったことを。ついに救いが見いだされた」

 周囲の人間達の間にどよめきが走る。トロンボーンのような深い響きと女達の喘ぎ声、奇声が混じり合った異様などよめきだ。乱痴気騒ぎの魔女のサバトはこんな感じなのかも知れない。
 そのどよめきがおさまるのをたっぷりと待ってから、男は…いや、狂人達の教祖は言葉を続けた。

「昔、神はアダとイバ一組の男女を造った。やがて2人の間に子が生まれた。その子は蛭のように骨がなく、すぐ死んだ。
 神は憐れみ、その亡骸に川辺の葦をつめてなおし、もう一人の男を作った。ヒニダと言った。
 ヒニダはよくアダと取って代わろうとよく諍いを起こした。だから神に嫌われ、アダとイバが知恵の実を喰って神の庭から追放された時、共に地上におとされた」


 アスカの目に戸惑いが浮かぶ。
 こいつは何を言っているのだろう? こんな出来損ないの創世記みたいなことを…。

「地におちたアダとイバは共に暮らしたがヒニダは一人だった。寂しくなったヒニダはイバをさらい、リスをさらい、縄で繋いで妻にした。やがてリスとの間に子生まれる。その行為に、神は怒る。神はヒニダとその子らに呪いをかけた。ヒニダは獣に変え、子らは太陽に当たると松明になる。だから二度と日の下に出てくるな、と。
 そして日の光も届かない、地の底深く、いんへるのへ、ここに堕とした。
 以後、ずっとその子達は闇の奥で暮らす。茸と蛞蝓を常食に、兄と妹で、姉と弟で、父と娘で、母と息子で子をつくる。時折、いんへるのにアダとイバの子ら迷い込む。男なら食らい、女なら娶る。そして病に苦しみ、飢えて死ぬ。
 ヒニダは知恵の実喰わず。ゆえに生まれし子らは知恵足りず。リスは命の実を食せど、ヒニダは喰わず。ゆえに傷つき苦しみやすい脆い体で長生きする。この苦しみ永劫尽きざるなり」


 食らい、娶る…。胃の腑に冷たい石を押し込まれたような恐怖が溢れる。

「キトがうまれくるまで、苦しみ、終わらざるなり」

 キトとはキリストの事を言ってるのだろう。
 アダムとイブの子孫を救う救世主がキリスト、となるとヒニダとイバの子孫である彼らを救う別の救世主がいると言うことか。

(馬鹿じゃないのこいつら)

 あまりにもナンセンスだ。敬虔なとはいえないが、それでも信者であるアスカを激怒させる馬鹿話だ。たとえ使徒と呼ばれる生物兵器が闊歩した世界だとしても、彼らが言うような荒唐無稽な物語が成立するわけがない。第一、こんな穴だらけの子供だまし、誰が信じるというのか。
 もちろん頭がおかしい奴らなら信じるかも知れない。
 たとえば周囲にいる白痴の怪。

 怪物…。だが、でたらめだとしたらこの怪物達と痴呆の人間達は、一体、なんなんだろう。
 明確な答えなんてではしない。
 おかしいのはこいつらではなく、自分…?

 いや、違う。アスカはかぶりをふる。
 一番おかしいのは、明らかに知性がある、しかも確実に上の世界を知っているこの男だ。このにわか教祖が心の底からこの予言を信じているらしいことが何よりおかしい。自分で付いた嘘を信じ込む、そんな類なのだろうか。なんにしろ、それが彼女たちにとって大変に危険なことであることは確かだ。

「キトはヒニダとイバとの間に生まれると神は言った。そしてヒニダは見つかった。
 でもイバはずっといなかった。でも、今日、見つかった」

 みゃあみゃあぺちゃくちゃとざわめきが大きくなる

「今宵、イバが見つかった。イバとその巫女が3人、供物が一つここに来た!」

 教祖は大きく両腕を広げた。それを合図に松明が激しく燃え上がる。

「じゅわんたち、ぽろへしゃすよりイバを祭壇の上へ」

 三人の狂人の内、2人がアスカの死海の外に消え、一人がステージ脇にあった大きな巻き上げ車を回し始める。車輪は綱を巻き上げ、それに伴いステージの一角に大きな口が開いていく。じっと見ていると、その穴の奥から、徐々に何かがせり上がってきた。
 奈落から姿を見せたのは、姿を消した狂人の内2人だ。
 共に両手に何かキラキラと光る長い物…。重く太い、大型犬を結ぶような鎖を手にしている。
 そして2人の間に挟まれている人影があった。

「い、い、いぶ。連れて、きた」
「ぜ、ぜず、さま。へへへ。結婚首輪、つけさせた」

 鎖に引きずられた見知った人影が松明の元に晒される。
 予想通りの展開に、アスカは血が出るほど強く唇を噛みしめ、そして顔を背けた。

(ああ、なんてことなの)

 生け贄のアンドロメダ姫よろしく鎖に囚われているのは、彼女のライバルにして腐れ縁、兼、最良の友である綾波レイだった。










「白い肌! どこまでも白い肌! ヒニダの子、おまえ達と同じ色のない肌!
 おまえ達の赤い眼と同じ赤い眼! 銀色の髪!
 イバだ、イバの証だ!」


 泡を飛ばす教祖を心中でアスカは罵る。一方的で、勝手なこの言葉はかつて彼女をエヴァパイロットになることに駆り立てた身勝手な大人と全く同じだ。

(違う、全然違う! レイの肌は雪とか白百合の白よ。あんた達みたいな死人の白じゃない。目だってそう。あんたらは犬の下血の赤で、レイはルビーの朱よ)

 どうして、こんなにもライバルのレイを持ち上げるんだろう。でも、声を出すことも出来ない今のアスカには、そうやってレイを誉めることが、彼らのする行為その他に対する抵抗なのだ。それとも、あるいは…。

(…レイ)

 悔しさに顔を伏せたレイの姿に、アスカは自分があそこに晒されているように感じた。

 レイが今夜の、いや昨夜のパーティで選んだのは親代わりのユイが彼女のために親身になって考え選んでくれたドレスと聞いた。とても嬉しそうだった。彼女の気持ちをよく知っているユイが、「きっとあの子もあなたの姿に見とれるわ」そう太鼓判を押した衣装のはず。

 彼女の雪よりも白い肌に生える濃いネイビーカラーのパーティードレス。
 コルセットで整形してるかと誤解するほど細い腰、そしてたわわに実った果実が瑞々しい上半身をベルベットで胸の下半分を覆いつつ、肩から胸元にかけてはうっすらと透けて見えるジョーゼットの組み合わせでボディラインをくっきりに包み込む。
 スカートの裾は斜めにカットされ、洗練されたセンスにくわえて気品と色気を共に醸し出す。ちらりとのぞく足はうっすらと透けるオーバー・ニー・ソックスで包み、背が5センチは高く見えるハイヒールを履いて、悔しいが同性のアスカから見ても自然なノーブルの雰囲気を纏ったレディだった。

 ユイの薫陶よろしく多くの事を学び、ただ美しいだけでなく聡明で、その知性とセンスに裏打ちされる気品を身につけた淑女。自分と同じく、地に足をつけることを忘れた白鳥…。

 そのレイが、屈辱に身を震わせながら、囚人が使うような金属のパイプベッドの上で犬のように這い蹲っている。
 あってはならない、そんなこと、あって良いはずがない。

「ふぇいぃ…」
「アスカ…」

 呻き声に顔を上げたレイはすぐにアスカの姿に気づき、辛そうに顔を背ける。互いの姿を見ることも見られることも、どれも耐えられない。
 お願いだから見ないで…。そう呟きが聞こえた。でも、それはどちらの呟きなのだろう。

「まずは聖油とわが教皇杖からあふれる聖水でイバを清める」

 狂人が鎖を引っ張るとレイは苦しみに顔をしかませて抵抗する。だが無理矢理つけさせられた大型犬用の首輪は容赦なく彼女の細首に食い込み、咳き込んだ彼女をその場に引き倒した。安いベッドのスプリングがぎぃぎぃと下手くそなチェロの演奏のように軋む。
 その間に淫祠邪教の教祖はレイの眼前にせまっていた。ニタニタと笑いながらおもむろに股間を露出させる。

(!!)

 目をそらすことも出来ないまま、アスカは息を呑んだ。

(な、なんて醜い…)

 まだ勃起しきっていない状態だというのに、太さは3センチ、長さは10センチを越えている。そのくせ全体の皮が芋虫の体節のようにぼってりだぶだぶで、亀頭部分だけが着色料で染めたタラコのように赤剥けている。

「ひっ…」

 使徒との戦いも冷静な精神でくぐり抜けたレイも、さすがに突きつけられた性器に小さな悲鳴を漏らしてしまう。

「これは、なに? 何を、する気?」
「イバよ、汝の愛らしい口で我が股間の教皇杖を慰めるのだ」
「…っ!! 何を言うのよ」

 侮辱に凍り付いていたレイの顔が紅潮し、眉間に皺を寄せて怒りの炎を吐き捨てる。文字通り、彼女の赤眼が炎に燃えた。
 プラチナブロンドのシャギーボブが、まるで光を纏っているように強く、まぶしく目を貫いた。

「う、あ、くっ」

 第一印象から、レイがそんな感情的な顔や言葉を口にするとは思わなかったのだろうか。まるで自分こそが惨めな負け犬で、彼女が圧倒的な高みから命令を出しているかのような。教祖は驚いた顔をするが、すぐに有利なのは自分であることを
思い出して絞り出すように言葉を漏らした。

「おお、イバは聞き分けがない」
「私はイバじゃない。誰に造られたのでもないわ。私は人間、綾波レイ。碇君が、そう、言ってくれたもの」

(そうよ!! レイがあんたなんかの言うこと聞くわけないでしょうが!)

 大仰に頭を振る教祖に向かって、アスカは心の中で毒づいた。
 しかし、悲しいことだがやはりこの場で上位にいるのはこの男達なのだ。教祖は顎に手を当てしばし思案すると、そっとレイの耳元に口を寄せた。
 見ているアスカの方がなぜか吹きかけられる教祖の呼気を感じたように、怖気を感じる。
 わからないけど、教祖が何をしようとしているのか、言おうとしているのかアスカはリアルに感じ取れる…。時間が遅く感じる。1秒が1時間になったみたいに、息苦しく、胃がよじれたように痛む。喉の奥に酸味を帯びた臭いとえぐみがあった。

(き、汚い、真似を! 最低、信じられない!)

 レイは目を見開き、そして狼狽えた。

「な、そんな、だめっ」
「ならば我が言いを聞き届けたまえ」
「…でも、そんな、こと。碇君以外の人と、そんなこと、出来ない…もの。私が触れたいのは、碇君だけ」
「さんじゅわん、巫女を…」

 歎息してレイに背を向けると、教祖は脇に控える狂人達に目配せをする。何を言おうとしているのか、詳細はわからないけど、それがろくでもないことは、見ているアスカにだってわかった。いやわかるというより予想がついた。

(ああ、レイ…。お願い、ダメ。口にしちゃダメ。私なら、耐えられるから。だから、私たちのために、自分を犠牲にしないで。戦ってよ、私のことを気にしたりしたらダメだから!)

 でも、きっと自分もレイと同じ選択をしたと思う。それが無性に悲しかった。

「待って…。いえ、待って、くだ、さい」

 苦渋という毒を飲み込みながら、レイが教祖の裾に縋る。裾を掴むレイの指先は緊張から力が入らず痙攣するように震え、常になく蒼白になった顔が悲しみと屈辱に曇った。後にも先にも、アスカはレイの泣きそうな顔なんて見たことがない。

「き、清めるわ。わたしが、口で、あなたの…それを」
「教皇杖だイバ」
「うう…。あなたの」
「愛しい教皇猊下」

 昔の彼女ならそう言ったことも顔色を変えずに言えたかも知れない。使徒を倒すためだけに育てられた、目的のためなら手段も何も選ばない彼女なら。だが、シンジ達と知り合い、暮らし、絆を育みあってきた今の彼女には、とてもそんなことは口に出来なかった。

「どうして、そんなことを言わせるの?」
「質問は愚かな行為だ。はやくその可愛らしい唇で言いたまえ」

 言ってはいけない。でも、きっとレイは…。
 痛いほどアスカには彼女の気持ちがわかる。
 自分もレイと同じだったから。
 だからこそ、どんなに耐え難くとも、辛くても、

 レイは悲しみに濡れた瞳で見上げる…。だが教祖は口元を閉ざしたまま、促すように肩をすくめる。小馬鹿にするような態度が、どれだけレイやアスカの心を逆なでするか、そう言ったことも含めて計算しているような仕草だった。
 ほんのわずかに頬を緊張で奮わせながら、だが表情を凍らせてレイは言葉を捻り出す。

「……愛しい、教皇猊下の、教皇杖を、私の口で」
「アダとヒニダの魔羅をくわえた淫らな口を」
「なんのこと…なの。あなたは何を、言ってるの、私は綾波レイ」
「黙って続けたまえ」

 ゲンドウが言うように、こんな強い口調で命令されるのは好きじゃない。と言うより、苦手だ。マユミのように脅えてと言うわけではないが、強く命令されると、どうしても従ってしまう癖でもあるのだろうか、こんな時にレイは考える。

「はう、あ、アダ…と、ヒニダの、魔羅を、くわえた、淫らな口を」
「清めて下さいませ」

 飛んでる蠅を追うように、レイの視線が少し動いた。そのまま目を固く閉じ、小さく呻いた。

「どうして…」 レイはしばらく身じろぎも支那方。口にした時、とても大切な物を無くしてしまうことを本能的に悟っているから。しかし目を閉じていても男の動きはわかる。

「もう、ダメなのね…」

 ゆっくりと目を開けると、レイはとても小さな、だが確かに笑みをアスカに向けた。
 私のことを、友達と思っているなら。これから、どんなことがあっても…。

(レイ、だめ! 言っちゃ、ダメよぉ――っ)

「清めて、清めて下さい…」

 それだけ、最後は早口で言い切るとレイはガクリとうなだれた。
 閉ざした瞼に、小さな涙の滴が浮かぶ。それは屈服の証。











「そこまで請われては是非もない。さぁイバ…。口を開けよ」
「っ。碇君、ごめんなさい。……………………は、ぁ」

 もう私は私じゃなくなった。LCLに漂っている時に感じるあの不思議な遊離…。もう私だけど、私じゃなくなる。他人が私を支配する。

「…碇、くん」

 わずかに怒張したペニスが改めてレイの眼前に突きつけられる。間近に感じる熱と異臭に、顔を背けかけるが、レイは目を閉じたままその可愛らしい口を半分開けた。

「ほれ、いくぞ」

 総毛立ち、血の気のないレイの頬を両手で押さえて少し上を向かせる。『ほふふ』と奇妙に笑うと、待ちこがれていた教祖は緩く開いた唇の間に、ペニスの先端を押し込んだ。

「ふぶっ」

 唇に触れた瞬間、レイの体は釣り上げられた魚のように大きく跳ねた。
 衝動的に起こる吐き気にぐぅ、と腹の奥から野太い呻き声を漏らし、挿入される肉の塊を舌で押し返そうと藻掻く。

「うぶ、うふぶ、ううっ。…んうぅ、ううぅっ」

 やはり覚悟はしていてもこの仕打ちはきつすぎたのか、涙目になったレイは息を吸うことも忘れ、ただひたすらにえぐみとすえた臭いを吐き出そうとする。しかし、それでも呻き声が少ないのは無口な彼女らしい。

「イバ、暴れるな。おまえの巫女が代わりになるぞ」
「ひゅぶ。ふひゅ、うううっ。うく…」
「落ち着け。まず鼻で息を吸え。そうだ、そう。よし、落ち着いたか」
「うう…」

 頬を撫でていた右腕が、親が子に、いや学生時代、時折シンジがレイにして上げた時のように優しくレイの頭を撫でる。

「落ち着いて鼻で息をしろ。よし、よし。だいぶ落ち着いたな」

 確かに、レイの顔は最初の息苦しさからは解放されて、紅潮がだいぶ収まっている。しかしながら口腔に溢れる唾液は相変わらずで、そしてそれをのみこむことが出来ないレイは、だらだらと口の端から粘つく唾液をこぼしていた。口元から首筋、さらにドレスのジョーゼット生地を濡らして胸元に張り付かせる。
 苦しさ故に、意図せず教祖を見上げるレイの瞳はうっすらと潤み、その姿は見ているアスカが一瞬息を呑むほどイヤらしく、心をざわめかせた。

「ふむふむ、どうだ。落ち着けばそんなに苦しくなかろう。よし、落ち着いたなら亀頭に舌を這わせるのだ」
「あむぅ。ちゅぶ、うぅ」
「おお、情熱的だ。も、もっと感情を込めてカリ首を舌先でこそぐように、聖水が出るところも忘れるな」
「んんんっ、くちゅ。ん、ふぁ、はぁ…ん。わ、わかった、わ」
「こら、口を離すな」
「…ごめんなさい。……あふ、ちゅ、んんんっ」

 教祖の言葉に殊更惨めな気持ちを駆り立てられたのだろう。だらだらと口の端から涎がこぼれ落ち、閉ざされた両の瞼から涙が止めどなく溢れ落ちる。

(涙…。また、涙…。悲しい、涙を流して。わたし、泣いているのね)

 泣きながらレイは考えていた。どうして、こんなに悲しいのだろう。悔しい理由、怒りの理由はわかる。でも、どうして悲しい。昔の自分なら、悲しいなんて考えることもなかったはずなのに。

「うっ、うっ、うっ、ううっ。ひゅぶ、んちゅ、ふびゅ」

 言われるがままにますます堅さと大きさを増し、口一杯に広がる亀頭を舐めながら、ああ、そうだったわね。…とレイは思った。
 柱に縛り付けられたアスカとレイの視線が絡み合う。
 レイの瞳は言っていた。

 あなたに出会ったから。あなた達と碇君、みんなと出会って、心を持ったから。楽しいこと、悲しいこと、嫌なこと、大切なこと、守りたいこと、愛すると言うこと。そう言ったことを知ってしまったから。

(そう、そうなのね。レイ、あなた、だから)

 2人の葛藤や想いなど知るよしもない教祖は、レイの後頭部に手を回すとこねくり回すように押しつける。ボーリングのピンのような形状をした教祖の生殖器は、いかにもくわえるには苦しそうだ。

「おお、もっと、もっと奥にくわえるのだ。口全体で、全部のみこむように」
「んんうっ。うっ、ううっ。うう……んん。ふぁ、ぶっ」

 教祖は感極まったように剥き出しの尻を揺り動かし、それにあわせてレイの口がもごもごと内側から動く。丁寧に舌先でカリ首にたまった恥垢をこそぎ、尿道口の周辺を特に丁寧に舐める。
 ゲスだ。この男、どうしようもない下衆、いや下種だ。食いしばる歯の痛みすら感じない怒りにアスカは囚われた。

(やめろ、やめろ! やめて、やめなさいよ! ううっ。レイ、レイ! あなたは、あなたは幸せにならないといけないのに)

「もっと心を込めろ。でないと、他の奴らに…」
「んあ、や、やめ…へ。はっ、んん。ちゅば、ちゅっ、んちゅ、ねちゅ、ちゅ、ぴちゅ、くちゅ、んんっ」

 意を決したレイは一定のリズムで亀頭を口腔上部に擦りつける。彼女には似合わない淫らな水音だ。マイクで拾われたその音はスピーカーで空間一体にビリビリと響く。奥に芯のあるゴムのような亀頭と触れあうと、そこが性感帯ではないはずなのに、奇妙に熱を帯びるのを感じる。

(暑い…違う、熱いの。息をするたび、体の奥が…)

 頭を振ってるから、息がしづらいから。無理矢理自分を納得させる。

「んんっ、ちゅく、ちゅっ、んちゅ、ちゅ、ぷあっ。ああ、はっ、はぁ。あ、熱い…。
 はぁ、ん、ちゅぷ、ちゅ、ちゅぷ、ねちゅ、ひゅぶ、ちゅ、ちゅちゅっ」

 乱れた前髪が眼に当たり、まともに開けていられない。無意識の仕草で前髪を書き分け、そのまま手は教祖のペニスに添えられる。手で支えられることでより安定したペニスは凌辱の勢いを増す。
 ただ舐めるだけでなく、右手は半熟卵を扱うように竿部分を優しくつまんで前後にしごき、左腕は皺の寄った脳みそみたいな玉袋を、じょりじょりとはえた陰毛を掻き分けながらマッサージする。

「うう、いい…」
「んっ、んっ、んっ、んっ、んっ、んんっ。ちゅぷ、んあ…。はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。はっ、んちゅっ、うんっ」

 いつの間にか、レイとグロテスクな肉の塊のオーラルセックスはカメラに捕らえられ、テレビに映し出されていた。周囲の怪物や痴呆の狂人たちはその表情や献身的な奉仕に感嘆の溜息を漏らし、轟くような歓声を上げる。
 赤く染まった顔、紅を塗ったように赤い唇、流れる汗とほつれた髪、涎の後、飛び散る汗の滴、切なげに閉ざされた瞼…。とても見ていられない、そのはずなのにアスカも目をそらすことが出来ない。

「うん、うん、ううっ、うっ、うっ、ううっ。うぶぅ、ぶっ、くぅっ。
 ……はぁっ。はっ、はっ、はっ、くるし…。んあ、待って。お願い、もっとゆっくり」
「口を離すなっ!」
「っ!? うううぅ――――っ」

 肩で息をしているところで再びくわえさせられる。呼吸困難にえずきながらも、鼻で息をして健気にレイは口腔奉仕を再開する。息苦しい、ゴムのような亀頭が口腔内に擦りつけられると、ビリッと痺れたような感覚が広がる。それが少し心地良い。心地良いから無意識のうちに、それを重点的に行いだし、いつしかレイは言われてもいないことは始めていた。首を前後させて全体を舌で舐めるやり方から、口をすぼめてチュウチュウと吸い付く。

「んんっ。うふぅ、ちゅぶ、ずちゅ、ちゅ、ちゅっ、ずちゅっ、ちゅっ」
「おお、そ、そうだ。それだ…ううっ。経験でも、あるのか」
「なひわ…。んちゅ、んちゅ、ちゅ、ちゅぷ」

 だらしなく顔を歪める教祖を意識から締め出し、ひたすらにレイは愛撫を続ける。彼女自身、それはかなり無理をしているのだが、それでもこのまま為すがままにされるよりは、よほどマシだ。

「ちゅ、ちゅ、ちゅっ」
「おお、ああ、このままでは。おおおっ、うぉおおおっ、いいいっ」

 教祖が大きく吠えた。
 レイの口中にじんわりと苦みが広がっていく。
 ぶるっ、と教祖の腰が震え、同時に口中に溢れる生臭さと乾きかけた糊のような粘りにレイは瞳を見開いた。
 風邪をひいた時、リツコに渡された苦い薬に似た、だがそれとはまるで違う嫌悪ばかりの苦みを彼女の体は全力で否定する。体が折れ曲がる。胃が唸る。涙が溢れる。苦しそうに眉根がより、レイは呻いた。

「あううっ、ううっ、ううぅ……ん」

 ごびゅっ。そんな鈍い音を立てて口の端から涎混じりの白濁の泡がふき出した。

「吐いてはならんぞ。おお、そうだ、そのまま舌で先っちょを舐めながら、こそぐように全部全部吸い出せ…。
 飲め、飲むのだ」

 諦めの混じった眼差しでレイは男の顔を見上げるが、射精の余韻に浸っている男は無言のままレイの顔を股間に押しつけた。

(だめ、なのね)

「…………………うっ、ごく。くちゅ、ちゅぷ、れろ。ぐっ、ごく、んっ」

 たっぷりと時間をかけてレイはペニスをしゃぶり、粘り一つ残さないように全てを舐め取り、のみこんだ。そのことを直に感じ取ってから、もったいぶるように教祖はペニスを引き抜いた。引き抜かれたペニスは猛々しいまでにいきり立ち、レイの口中で茹だったように赤くなっている。
 唇とペニスの間に、ねっとりと糸がひき、切れるところがテレビにアップで大写しにされる。

「う、ぐぅぅ。……あっ、はぁ。はぁ、はぁ」

 腐った海産物のような精液の臭いが、胃、食道を通って口と鼻からゲップとなって逆流する。
 恥ずかしさ、それに口と内臓を犯された屈辱にレイは体を震わせた。アスカ達が、自分の身代わりにこの男達に凌辱されたら、きっとシンジは悲しむ。それが嫌だから、嫌だから嫌だけど男のペニスに奉仕した。自分で望んだこと、選んだことのはずなのに。

(なのにどうしてこんなに悲しいの?)

 頬を流れる涙をレイはやけに熱く感じた。






初出2005/11/19

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