BEAUTIFUL PARTY

第10話



著者.ナーグル

















 翌日、朝早くにシンジはナディアを連れてアスカ達と別れた。
 彼女達にとっても意外なことに、お互い別れの言葉は少なく、シンジとよりもむしろ苦楽を共にしたナディアと別れることをアスカ達は惜しんでいるようだった。

 シンジと別々の道を進むアスカ達は奪われた荷物を回収し、忌まわしき洞窟の入り口を封じた後、言葉少なに『ゴブリン退治』の依頼元である村へ戻っていった。
 感謝する村長達からの報酬を固辞し、アスカ達はそこから徒歩で3週間ほどの位置にある街 ――― 彼女達が拠点としている街 ――― に戻った。数ヶ月分宿賃を前払いしている宿屋で、傷と疲労の回復のために1週間ほど休息していた。
 いつもだったら冒険の成功を祝い、大いに語らう憩いの時間のはずなのに、5人は終始無言で必要がなければこそとも声を立てなかった。
 そして体力が回復し、オークの子供を妊っていないと完全に判明した数日後。

「……………先に行くわ」

 そっけなく、それだけ言うと荷物をまとめてレイは旅立っていった。吟遊詩人らしくない巡礼者のような服を着て、どこに行くか誰にも話さず再会の約束もないまま、だが誰にも止められることなくレイは宿屋から姿を消した。

「それじゃあ、私達も行くから」
「アスカさん達も元気で」

 レイが旅立って2日後、今度はヒカリとマナが旅立った。レイに比べれば幾分多く仲間達と語らい再会を約束したけれど、でもいつどこで会うのかを約束しないまま、二人は姿を消した。暗殺者と聖女、不思議な組み合わせの二人もいずれどこかで道が別れるだろう。言葉にはしなかったけれど、残された二人にはそれがわかっていた。

「また、会えますよね」

 そして翌日、身支度を調えたマユミが旅立った。
 他三人と比べて彼女は残された者 ――― アスカに親切丁寧にハンカチはどこに、宿代は支払い済みだ、食事は〜と色々注意をしていた。彼女も場所や時期は告げなかったけど、再会を願っていた。そして、名残惜しげに宿の主人に挨拶をした後、黒衣の魔法使いもまたどこかに旅立っていった。

 それから三日。
 アスカはまだ宿屋に滞在していた。上着も着ず、肌も露わな下着姿で部屋にこもり続けていた。
 何かしなくてはと思うけど、何もする気が起きない。
 その気になれば、一生宿屋に滞在し続けるだけの金は持っているが、だからといってこの地で腐り果てるつもりはなかった。
 二間しかなくて狭いと思っていた宿が、今は無性に広く感じた。脊梁とした空気に戸惑いながら、部屋の隅にまとめてある荷物を一瞥する。
 バックパックとベルトポーチに全て収まるくらい少ない荷物。
 三日分の保存食、皮の水入れ、火口箱や釘などツールセット、ランタン、油壺、薬入れと包帯、携帯用毛布数枚、綺麗な布、ロープなど基本装備を一式。
 脇に無造作に置いてあるハーフプレートの鎧、方形盾、ロングソードとダガーを一振りずつ、短弓と矢を10本。

「……私って、これだけだったんだ」

 寂しいような。むなしいような。
 がむしゃらに頑張ってきたのは何のためだったのか、漠然とした物に縋り、走り、遂に転んで気づいた空虚な現実。
 ちらっと脳裏にシンジの姿が浮かぶ。だが、奇妙に輪郭がぼやけてはっきりしない。

「今の私じゃ、ダメ…よね」

 ベッドに横たわったまま、右手を掲げてじっと指先を見つめる。
 細くしなやかだけど筋肉の付いた鍛えられた右腕だ。力を込めれば筋肉が隆起するたくましい腕でもある。
 青い瞳が不安と悲しみで揺らいだ。
 仲間達とは、たぶん、二度と会えないだろう。寂しさと喪失感が胸を締め付ける。

「仕方ないじゃない。強くなるしかなかったんだもん」

 ひとしきり愚痴るとのろのろと起きあがり、何日も行水一つしなかったためにべとべとする髪を掻き分け頭を掻いた。
 落ち込むのもここまでにしておかないと、本気でダメになる。

「…………私も行かないと」

 もう宿の主人には明日旅立つことを告げている。旅立つ前に身体を拭いて髪を洗っておこう。
 せめて今だけは綺麗にしておきたい。

「行くわよ、アスカ」

 どこに?
 そう、まずは…。

「ル・アーブルって言ってたわよね」
























「なんであんた達までいるのよ!?」
























 その年の終わり。
 闇の大魔法使い ――― 正体は異次元から来たアベレーション ――― スペースブラックゴッドは全世界に向けて宣戦を布告した。
 空飛ぶ要塞『空中戦艦』と何体もの巨大な怪物『使徒』を使役し、大地を蹂躙していく恐るべき敵に世界は滅亡寸前にまで追い込まれていく。数多の犠牲を払い空中戦艦の一隻を撃破したと思えば、スペースブラックゴッドはさらなる秘密兵器『円盤形使徒レッドノア』を繰り出し、文字通り世界を焦熱地獄に変えていく。
 万策尽きた諸王国連合軍は奇想天外な作戦を立案し、実行するしかなかった。
 発狂しているとちまたで噂の錬金術師の言に従い中身が空洞の巨大な砲弾を作り、中に腕利きの戦士達を詰めて空中戦艦へ射出し、内部から破壊していく。
 何人もの人間が無駄に死んでいく無謀な計画だった。そしてそれは事実だった。

 この無謀な計画に1200余の勇者達が集まり、ある物は名誉、ある物は復讐、ある者は出世のために砲弾に入り、死地の旅に出る。
 届かなかった砲弾、途中で爆発した砲弾、届いたが文字通り砲弾となってしまった者達。
 かろうじて戦う力を失わなかった500人の勇者達だったが、戦艦というよりも城・要塞であるそこは幾千ものゴブリンやオーガなどの怪物が彷徨き、死の罠が無数に存在していて、ゆっくりと戦士達の血を吸い込んでいく。

 七日七夜が過ぎ…ついに悪逆非道な怪物、スペースブラックゴッドの元にたどり着いた者達がいた。
 分身の指輪の力で顔を五つに増やし、怪物『イツツバンバラ』の姿に変身したスペースブラックゴッドは猛然と冒険者達に襲いかかる。五つの顔から火を吹き、強力な呪文を同時に唱えるイツツバンバラと力の差は歴然としていた。勝てるはずのない戦い。だが、冒険者達は奇跡を起こし怪物スペースブラックゴッドを倒したのだった。

 1200の勇者達、13人の生還者、6人の英雄。

 人々は叙事詩をつくり、英雄を、生者を、死者達を讃えた。

 特にスペースブラックゴッドを倒した6人の英雄達は別格の扱いだ。
 サムライの式波アスカ・ラングレー、ダンジョンメイドの綾波レイ、大魔導師の山岸マユミ、銃使いの霧島マナ、修道士の洞木ヒカリ、名前のわからない聖騎士の青年。
 彼女達は各国から絶賛されると共に仕官を要請されたが、意外なことに彼女達の要求は非常に慎ましい物だった。

 旧ネルフとタルテソス王国に跨る地域…かつては肥沃だったが今はすっかり荒れ果て、深い森の奥には魔獣がうろつく危険地帯を領地として貰い受け、そこにかつての領民達と共に暮らし、開拓していくこと。
 飼い殺せる仕官ならともかくアスカから旧領の回復を言われるのではと、内心戦々恐々としていた貴族達は二つ返事で彼女達の要望を受け入れた。
 ネルフとタルテソスの領有を目論んでいた各国だったが、想像以上に荒れ果て怪物の彷徨く世界となっていたそこにすっかり恐れをなし、むしろお荷物と考えていたのだった。

 かくして5人のリーダーであるアスカは小さな開拓地の領主すなわち最も新しい侯爵となり、レイは彼女の秘書のような立場になり、マユミは開拓地そばの森に塔を作り、マナは治安維持する警察となり裏では元くノ一として闇に目を光らせ、改宗したヒカリは大地母神の司祭として結婚など各行事に勤めている。
 英雄達の最後の一人、彼女達とたまたま空中戦艦内で出会ったという聖騎士は戦いの後に姿を消し、何処へ行ったのかは誰も知らない。











 そんなこんなで更に1年ほど時が過ぎ…。
 領主の館…というと聞こえが良いが、大きめの宿屋にしか見えない木造の建物の中で真希波マリ・イラストリアスは途方に暮れていた。
 全部で4人いるメイドの一人である彼女は住み込みであり、屋根裏に用意された個室のベッドの上に両足を投げ出すようにして横たわっていた。なにか思い悩んでいるのか、寝ころんだままあまり荷物のない部屋の中で唸り続けている。体調が悪いとかさぼっているわけではない。
 癖のない栗色の長い髪を左右のお下げにし、眼鏡の下の目は猫のようにつり上がって青く、長身でほっそりとした身体と豊満な胸とくびれた腰を持つ彼女は、猫のような印象そっくりに「にゃあにゃあ」と語尾につけて独り言を呟き続けている。

「あ〜もう、どうすっかにゃぁ」

 住み込みのメイドとして数ヶ月前から雇われている彼女だが、その正体は実のところ間諜である。目的は領主の弱みを見つけること。
 しかし、いまだ雇い主が期待しているような領主、つまりはアスカの弱みを掴むことは出来ないでいた。

(と言うか隙がなさ過ぎなんだなぁ)

 むしろ、名前も知らない雇い主 ――― たぶん、半年前にアスカに振られたというどっかの公爵の三男坊 ――― が無謀なんだと思う。領地ほしさに予想に反して領地経営が上手く行っているアスカにモーションをかけたと聞いている。さぞや見物だったろうと思う。プライドばかり高い40半ばの無駄飯ぐらいが二十歳のうら若き乙女に求婚する…。それで丁寧に拒絶されるや、彼女に逆恨みしてスパイや忍者を雇って情報収集とは…。

「引き受けた私が言う事じゃないんだろうけど」

 まあ、アスカ達に興味がなかった訳じゃない。実のところ、英雄にこそなり損ねたが13人の生存者の一人である彼女はずっとアスカ達に興味を持っていた。
 そういうわけで潜入してアスカ達の調査を開始したわけだが、幸先良くアスカの義姉のお付きとなり順調に調査が進む…かと思いきやほとんど何もわからない。
 国そのものが貧乏だからと石造りの城はおろか邸宅すら新築しようともしない。領主としての仕事はマリ達が住み込んでいるのと同じ屋敷で行い、その裏の小さな一間の小屋に仲直りした義姉と一緒に住んでいる。端から見て微笑ましいくらい仲が良く、実は姉妹で禁断の関係じゃないかと疑うくらい…勿論、そんなことはなかったが。
 アスカの他人に知られたくないだろう事なんて、精々風呂に入ってるときに歌う歌がどうしようもなく音痴で「好き好き大好き♪好き好き大好き♪ 愛してるって言わないと殺すわよぉ!」と物騒なことくらいか。
 また、調査が進まないのはアスカの生活が品行方正なことだけじゃなく、要所要所で用事を言いつけるレイが邪魔だったり、ふと視線を感じて調査を躊躇することがあったりといったことにも理由がある。
 時折感じる視線はたぶん元くノ一であるマナの物だろうが、いつも無表情なレイからは自分を疑っているのかそれすらもわからずどうにも仕事がやりにくい。

 それならばと、直接アスカから情報を集めるのではなく周囲からと思ってみても、これまた上手く回らない。
 アスカの義姉は身体が弱いらしく閉じこもりがちな事にくわえて非常におっとりとした性格で、なにげない会話だけでも時間が掛かるしたいしたことは知らずにいる。
 マリのメイド仲間である洞木ノゾミ…ヒカリの妹で髪をサイドで結んだツーテールにしている活発な性格の16歳の女の子からは『アスカさん凄いです。お姉ちゃん大好き』みたいなことしか聞けず、ノゾミとヒカリの姉で街唯一の酒場兼食堂を経営している洞木コダマ…豪放磊落で野生馬のように奔放な性格の一児の母で未亡人のコダマは『妹の親友でからかいがいのある玩具、あ、時々領主』などと敬意の欠片もないコメントしか得られない。あげく、『うちの子ちょっと見てて。飲んでくるから』とかポニーテールを振りながら言われて子守り押しつけられたこともある。
 ならばならばと危険を冒してレイやマユミなどアスカの親友達に機会をつくってそれとなく『領主様ってどんな人なのかな?』と聞いてみた。秘書兼メイド長であるレイは少し首をかしげて考えた後、紅茶を一口二口啜り、『たぶん、好き』と全然期待した答えと違うことを口にする。マユミは『見たままだと思いますよ。元気で明るく寂しがりですね』と微妙に期待外れなことを言い、ヒカリは『素直になれないところが可愛いわよね』と首をかしげるようなことを宣う。あげくマナに到っては『…首を突っ込まない方が良いわよ』と露骨に疑った眼差しを向ける始末だ。

(結局、何もわかってないって事なんだよな〜)

 ぼちぼち、復興が進むにつれて離散していた住民が戻ってきたりしている。人が増えればアスカの仕事も増え、また一介のメイドである彼女が接触できる機会も減っていく。つい先日にも元ネルフ王国の貴族だったとかで、美人なのにやたら高慢で面倒な性格のマリイ・ビンセンスって名前の女性が越してきた。殊勝なことに雑貨屋を営むつもりのようだけど、あの性格では客が来ないんじゃなかろうか。
 とまれ、潮時かもしれないな、とマリは思う。
 しかし一方で、手がかり…かもしれないことにも気が付いていた。

(やっぱり、あのワンコっぽい人に会ってみるべきなのかにゃ)

 森の奥に一人で狩人が住んでいる。
 マンティコアやオーガー、コカトリス、グリフォンなど怪物揃いの森の中に住むだけでなく、それらを街に寄せ付けない凄腕という噂だ。定期的に彼が狩った熊やイノシシ、ウサギや鹿などが貴重な食材として街の肉屋に並んでいる。熊の脾臓や薬草なども持ち込む彼は、よくよく見れば可愛らしい顔をしていて無口で愛想のない性格ながら割と人気者だ。
 アスカ達も彼を特別視しているのは、目端の利いた物なら簡単にわかることだ。努めて、彼の存在を無視しようとしているのが証拠だ。普通に接することが出来ないと言うことは、特別扱いしたいけど、立場上特別扱いできないことの裏返しでもある。
 実のところ、マリは彼こそが名前のわからない英雄の最後の一人であり、実はアスカの恋人なんじゃないかとまで思っている。
 そして、あの日あの時、ボロボロになった彼女を助けてくれた人なのかも…と。もしそうなら…いや、今はそれはどうでも良い話だ。
 侯爵とまでなった女性の恋人がただの狩人…ちょっとしたスキャンダルかもしれないが、醜聞とまでは行かない。あるいは噂も含めればネタは揃っているのだから、醜聞をでっち上げるか。

「…自分の目的に他人を巻き込むのは気が進まないなぁ」

 アスカ達のことを好きになっている。計画を練るたびに感じる誤魔化しようのない罪悪感が如実に語っていた。
 だが、失敗するのはともかくとして仕事を中途半端に終わらせるのも気が進まない。

「ワンコくんの正体を調べるくらいはやっといた方が良いみたいだね。私の仕事はそこでお終い」

 そう決心すると随分気が楽になった。
 あとの仕事は後任にやってもらおう。誰が何をしようと、アスカを失脚させたり弱みを握って好き放題したりとかは出来そうにないと思うけれど。



 目を閉じ、数分間身動き一つしないでいたマリだが唐突に目を見開くと、これまた唐突に呟いた。

「んーとりあえず、お義姉さんにつきあってみますかにゃ」

 アスカの義姉に狩人さんにお礼を届けたいからと言われている。なんでも、たまたま彼が街に着たときヤマブドウや木イチゴがたくさん実っている場所を教えてもらったばかりか、届けてもらったお礼をしたいとのことだった。

(本当にそれだけなのかな)

 パイや菓子を焼き、飲み物をいそいそと用意する彼女の様子を思い返すと、それだけじゃないような気がする。
 だいたい諸王国会議に出席するためアスカとその護衛としてマナが街にいない時を狙ったようにお礼を届けに行くなんて。やっぱりマリが見たとおりアスカは狩人に惚れているのかもしれない。そして、そのことに義姉も気づいている。だから余計な気を回さないようにアスカがいない時を選んだのかそれとも、実は彼女もまた狩人のことが好きなのかもしれない。
 なにしろ『お姉ちゃん大好きー』と言って憚らないアスカは、義姉を掌中の玉よろしくとても大事にしている。自然、彼女が会う男性は限られてくるわけで、その少ない男性に狩人さんは含まれている。
 貴族になった妹と同じ男を取り合う姉…それがエスカレートして骨肉の争いになったら醜聞かもしれない。

(まあ、そうだったとしてもお菓子を届けに行くくらいなら問題ないか)

 変なことになりそうだったら、荷物持ちとしてついていく自分が止めるつもりでいる。

(あれぇ? 醜聞になってもらった方が都合良いのに。やっぱりこの仕事、潮時なのかもしれないなぁ)

 トントンと階段を上ってくる音がする。ノゾミが呼びに来たのだろう。

「はいはい、今行きますにゃ〜」






 十数分後、アスカの義姉、ノゾミ、マリ達はたまたまハーブ採取をしていたコダマ、『あら奇遇ですわね。一緒に散歩してもよろしいですわよ』とか言ってくるマリイと出会い、5人でぺちゃくちゃとお喋りしながら、森の小道を通って…名前もわからない狩人さんの家に向かっていた。なんとも予想以上の大所帯だ。途中二またに分かれた分岐路を左に進めばマユミの住む塔で、右に進めば狩人の小屋まで一直線。
 色々話している内に、話題は自然に狩人さんのことになっていた。

 名前はなんて言うんだろう? 年齢は? どうして森に独りで住んでいるのか? 怖くないのか? などなど…。
 予想外に何日掛けてもわからなかった情報がマリの頭に入っていく。

 アスカの義姉によれば狩人の名前は『六分儀シンジ』らしいこと、そしてどうやらアスカが好意を持っていること。
 ノゾミが姉のヒカリから聞いた話によると彼はアスカやマリ達と同い年で、どうもヒカリも彼に好意を持っていること。
 コダマによれば彼は子供が苦手だけど子供好きで、運悪く街に来た彼に子守りを押しつけたら渋りながらも親身になって子供の相手をしてくれたこと、そしてアスカとヒカリだけでなく、レイにマナ、そしてたぶんマユミも彼に好意を持っているらしいこと。
 マリイが言うにはその狩人さんが消息不明の自分の許嫁の可能性がある、鏃の素材を買いに店に来たとき彼が見せた物憂げな横顔が似てたと鼻息荒い。

(ストイックな風に見えたけど、意外にプレイボーイなのかしらん)

 そしてマリも気づいたことがある。狩人のことを話すとき、周囲の女性陣も微かに声が上ずり震えを帯びていることを。
 シンジとアスカの立場が逆なら英雄達を肉欲で弄ぶ色事師とかなんとかなって、文句なしの醜聞なのになぁ。と、ゴシップ情報に俄然元気になるマリだったが、ふと妙なことに気がついた。

(なんだか、森が静かだ)

 今夜は満月。
 むしろ多少は騒がしくなってもおかしくないのに。そう、満月と言えば思い出したことがある。
 ちょうど同じ事に思い至ったのか、コダマとノゾミが話し合っているのが聞こえた。

「そういえば、満月の夜には絶対に森に近づくなとか言われてなかった?」
「確かにそうだけど、でもまだ昼だし」
「そういえばそうね」

 満月の夜には亡霊が荒れ、魔獣達も活発になるので絶対に森に近づくな。できるなら家に籠もっていろ、というのがアスカ達から言い渡された数少ない絶対の布告だ。ギリギリかもしれないが、まだ昼間だから心配のしすぎかもしれない。いや、むしろこれはカモフラージュじゃないかとマリは考えている。
 人目を出来る限り少なくして、狩人さんとアスカが忍び会っているんじゃないだろうか…。
 仮にそうだとしたら、いつまでも隠し通せる物じゃない。どう決着をつけるんだろうとマリは不思議に思う。いや、そもそもおかしいのだ。今は英雄とはいえ、元はと言えば冒険者だったアスカだ。恋人が何者だろうと周囲からとやかく言われる筋合いはないはず。狩人だったとしても隠す必要はないはずなのに、なぜかアスカは隠している。

(ここら辺が鍵なのかな)

 とりあえず、噂の狩人さんにあって色々と話をしてみなくては…。











 さて、マリ達が森の小道を歩いている頃、ヒカリの住居兼教会である建物の一室にて。
 ロングブラウスにフリルエプロンをつけ、さらにフリルカチューシャを付けたどこからどう見てもメイドにしか見えない…実際に迷宮内で仲間達のために様々な雑用をしたりお茶会で疲労回復し、時に戦う職業であるダンジョンメイドにクラスチェンジしたレイは香りを楽しみながらヒカリの煎れた紅茶を嗜んでいた。彼女曰く「碇君より美味しいわ」らしいから喜ぶべきなのかもしれない。
 休憩時間なので法衣を脱ぎ ――― 地味な上着とスカート姿で ――― ヒカリは苦笑する。椅子をレイに取られているのでベッドに腰掛け、砂糖を多めに入れた紅茶を飲んでいた。

「あの、綾波さん…」
「なに?」
「仕事さぼっていて大丈夫なの?」

 ちょっとだけ眉を上げ、小さくレイは頷いた。上品で儚くて、一つ一つの仕草がとても優美だとヒカリは思った。
 僧正から戦闘職である修道士…徒手戦闘の達人であるモンクに転職したヒカリには筋肉の動き一つ一つが目に見える。さすがに元吟遊詩人だけあり優美とか優雅とか、そう言う言葉では追いつかないなと思った。

「問題ないわ。今アスカと霧島さんは帝都にいるから、こっちでする仕事はほとんどないわ。臨時のお休み。
 他の人にも適当に休むように言ってるくらいだもの」
「ふーん、そうなんだ。山岸さんは?」

 ヒカリの私室にあるもう一つの椅子には、遊びに来たマユミが座ってこれまたティーカップを手にしていた。
 魔法使いと召喚術師、錬金術師を合わせて更に強化したクラスである大魔導師にクラスチェンジしたマユミ曰く、脳が糖分を欲しているんだとか。
 ヒカリよりも更に一つ多く黒砂糖を入れ、随分と甘くなった紅茶だが猫舌なのか随分と手こずりながらちびちびと飲んでいた。

「私は…当面調べたいことはありませんから。魔導師ギルドに在籍してると言っても形だけですし」

 黒い長袖のローブを着たマユミは、意を決して一口のみ干したが、やっぱり熱かったのかカップを持つ手が小刻みに震えている。

「………………呪いについては、何かわかった?」

 ピンク色の唇を舐めながら舌を冷ますマユミをじっと見つめていたレイが、唐突にぽつりと呟いた。
 ハッとした顔でマユミは目を見開き、申し訳なさそうに項垂れる。

「やっぱり、以前と同じです。呪いは強くなっています。いずれ満月の日だけでなくってしまいます。
 いえ、もう兆候は現れてる。満月が近づくと気が荒くなって、いつもの彼なら絶対に…しないようなこと、要求、してきて…」
「絶滅の呪い…」
「仕方なかったわよ。あんなことになるなんて、私達にわかるわけがないじゃない。でも、他に方法なかったのかな…って」

 マユミ達に問いかけた訳じゃない、答えのないヒカリの言葉にレイとマユミは頭を振る。正しい訳がない。でも他に方法がなかった。
 何度も何度も話し合ってシンジすらも交えて話して答えが出ない問いだった。

「絶滅の呪いなんて、そんなものがあるなんて…」
「悔やんでも仕方がないわ。悔やむより、何が出来るか考えないといけない。碇君を、悲しませないために」











 後悔と共に思い出すのはスペースブラックゴッドとの最後の戦いの日。
 たまたま空中要塞内でアスカ達は旧友と出会った。二度と会えないと思っていた六分儀…もとい碇シンジに。そしてどちらから言うでもなく、6人パーティを組んだ一行は要塞内部で思ってもいなかった怪物に遭遇した。虐待を受けていたのだろうか、見る影もないくらいに憔悴したピンク色のヒューマノイド達、すなわちピンクオークの一団にだ。
 彼らは一人の女性を犯しており、すっかり油断しきっていたため容易く屠られた。そして眼鏡を掛けた女冒険者は救出され、アスカ達には不本意だが、シンジはグラマー美女な彼女を抱いてオークの汚れを払った。
 問題なのは胎児未満の受精卵だったとはいえ、シンジが文字通りこの世に残った最後のピンクオークを殺してしまったことだ。その瞬間、種族絶滅という痛恨時にのみ発動する呪いがシンジを襲った。過去にもある種の鳥や魚が絶滅したとき、この呪いを受けた人間がいた。だが彼らはその呪いに抵抗していた。しかし、シンジは運悪く抵抗できなかった。

 このまま絶滅したくない、消えたくないという強烈な思いが作用し、呪われた人間は性欲絶倫で始終女を求め襲う狂人となるか、はたまた限界まで無理を犯して心臓発作で死亡するかだ。
 地上に降りてから呪いに気づいたシンジは恐怖すると共に、呪いを解く方法を探し求めたが手がかりも掴めないまま時ばかりが過ぎていく。そして限界に達したことに気がついたシンジは最後の手段として、狼男にわざと噛まれ呪いを上書きすることを選んだ。

 満月が来るたびにシンジは凶暴化し、森の奥に分け入ると血のたぎりを沈めるため獣となって暴れ狂う。
 満月限定ながらシンジは魔獣達のボスとして君臨していた。そして彼が魔獣達に街に近づくことを禁じているから、街は不思議と襲撃を受けずに拡張を続けていられるのだ。
 だが、所詮運動で性欲を発散させて誤魔化しているだけだ。いずれは限界が来ることは目に見えている。マナ曰く、「抜いてさっぱりさせないと根本的に解決しないよね。目標をセンターに入れてスイッチ♪」  そう言って、銃使いにクラスチェンジしたマナは、左手の親指と人差し指で作った輪に右手の人差し指を抜き差しする仕草をして、即座にアスカに頭を叩かれた。

 そこで考えられた対処法が、絶滅の呪いの力を弱めていくことだ。
 具体的には満月の度にシンジは凶暴化するが同時に肉欲の化身となる。そうなったシンジの肉欲を解消させていけばいい。今も毎夜日替わりでシンジの所を訪ねて肌身を重ねている5人だが、贅沢なことにそれでも呪いの力は強くなっていく。休憩日があるとはいえ毎晩毎晩、腰が抜けて気絶寸前になるまでシンジに抱かれてるのに、彼の内の呪いは満足できないでいるらしい。というか、満月以外は関係ないのでは? というマユミのもっともな助言は無視された。
 ならば人を増やせば良いかというとそういうわけでもない。そもそも秘密を知る人間をこれ以上増やしたくない。これこそアスカの失脚を願う貴族が狙うスキャンダルなのだから。
 第一、今だって週1でしかシンジを独り占めできずもどかしいのに、これが10日に1回とかになったらいやいや。

「そう、満月の日じゃないとダメなのね」
「ええと、まあ、そうです。でもご存じの通り満月のシンジさんはケダモノですから…」
「あ…(やだ、思い出したら。わ、わたし、不潔よぉ)」

 三者三様、期待を込めて満月の日にシンジの元を訪ねて、そして受けた歓待を思い出す。
 満月のシンジの荒々しさ、狂気の中に残る優しさ、ピンクオークの尽きぬ獣欲により気絶もできないほどの快感が朝まで続く。
 なにより、取り戻した親の形見である『分身の指輪』を使いこなすようになり、シンクロ率400%だか1600%だかで分身したシンジ達による激しい責めがもたらすめくるめく一時。

 あまりにも激しすぎ、苦痛以外の何物でもなかった。

 5人全員で行ったこともあるが、10人に分身したシンジ達と気絶するほど身体を重ね、分身と合わせて何十回となく射精させたのにシンジ達を満足させることが出来なかった。
 もっと人数を増やせば…とはアスカ達も思ったことだが、はいそうですかと人員を増やせるわけではない。
 贅沢なものでシンジは誰でも良いわけではなく、アスカ達…少なくともアスカ達くらいの美女でないと食指がうごかないようだ。一度だけ、娼婦を何人も雇ってシンジの相手をしてもらったことがあるが、満月で狂乱したシンジは彼女達には目もくれず、ひたすらにマナだけを犯し続けたことがあった。

 マユミの計算によれば最低10人。

 ただ美しいだけでなく、むしろ器量がどうこうよりもシンジが心を許せる相手をあと5人。くわえてアスカ達の事情を知った上で味方してくれる口の硬い人でないといけない。

「そういう、運命共同体になってくれる人たちって…都合良くどこかにいない物でしょうか?」
「いないわ」
「綾波さん、相変わらず身も蓋もないのね。あ、山岸さん、泣いちゃダメよ。頑張って…!」

 そういう運命共同体になってくれる人たちが、満月前夜の昼だから大丈夫とシンジの家の近くまで来ていることを、神ならぬマユミ達は、帝都で諸侯会議に出席しているアスカ達が知るよしもなかった。








「おーい、狩人さーん。いますかにゃ?」












 数年後。ネルフとタルテソスを合わせた領土のほぼ全てを併合した侯爵から公爵になったアスカが治める公国は、突然の布令を国内のみならず諸外国に通達した。
 死亡していたと思われていたネルフの王子が見つかった。
 彼が本物である証拠に『真の後継者が帰還するまで彷徨う』と言われたネルフ王国の亡霊達は、彼の言葉を聞いた瞬間成仏して姿を消した。
 また、彼こそが名前のわからなかった最後の英雄の一人であること。
 そして自分たちは彼と結婚し、ネルフを再興すると最後に宣言したのだった。

「というわけで、私達はネルフの王と結婚し、女王として一緒に新生ネルフ王国を統治するわ!」

 当然諸国の有力者や諸侯は異議を唱えたが面と向かってアスカ達に敵対できるわけでもなく、彼が本物である証拠は山のように出てきたため、やっかみながらも彼が…碇シンジが王となるのを受け入れるしかなかった。暗殺騒ぎも裏で起こったと言われるが、全ては闇の底に消えていった。
 当初は王になることを渋っていた彼だったが、10人の后達との共同統治は予想外に上手くいった。
 時折、国境の小競り合いや魔物の襲撃があったが、マスターレベルの冒険者であったアスカ達はその全てを解決した。
 新王による統治は30年続き、ネルフ王国はかつて以上の繁栄を取り戻した。

 10人の美しい后がいるにもかかわらず、不思議と子供が生まれなかったため、やがて王は后の一人の連れ子…実の子同然に溺愛していた義理の娘を新女王として指名すると共にその数年前に婿入りした彼女の夫を、万一泣かせたら地獄からでも殺しに来るぞとたっぷり脅した後、前々からの計画通り立憲君主制への移行を宣言した。議会の設立など後に近代国家の礎となる施策・法律の基礎を作った彼らは、そこでもう大丈夫と判断したからだろうか。
 唐突に歴史の表舞台から姿を消した。
 50代にもかかわらず20歳そこそこにしか見えないその理由など、多くの人が知りたかった秘密を秘密のままに残して。

 時は移ろい、国は形を変えなて分裂・統合などを繰り返し、やがては歴史という潮流の中に消えていく。
 しかし、人の歴史は残り続ける。





 彼と彼女達の生きた証は物語となり、そして神話になった。




GOOD END








初出2011/06/11

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