ボクのヒミツたいけん


Scene.34
Original text:引き気味


ただの同居人。子供だてらに仕事持ちの自分達、その関係での同僚、仲間―― 戦友と言っても良い。
それから? と、そこで説明を終わりにされてしまうことにいつしかアスカが腹立たしさを覚えるようになっていた、同い年の男の子。
では、今現在の関係はどう説明するべきだろう。

恋人ではない。
ふがいない限りの保護者役の不在がちを、二人きりの互いが最低限の重しすら取れたと放埓に解釈するようになって随分になっていてもだ。
寧ろ、他人同士の筈の男の子と女の子でどう間を持たせれば良いのか、分かりあぐねて喧嘩にばかり繋がっていた頃の方が、まだしもそう説明してみせる余地があった。
今から振り返って思うならば、希望があったとも言い換えられると、明確に自分の心の志向するところを把握したアスカには苦く理解できている。

「……これ、ヒカリの髪の毛よね」

こそこそと隠れるようにしてアスカの親友である洞木ヒカリとの密会を重ねているシンジだった。
シンジにとっては、やはり親友である鈴原トウジの彼女でもある洞木ヒカリ。
しかしであるが、四人の間柄はまっすぐに渡されたわけではない感情と欲望の糸によって複雑に絡み合っている。
不実を口にすればお互いが唇の寒い思いをする羽目になるとは分かりきっていたから、家の中では知らぬ振りでいるのが、アスカとシンジの暗黙のルールのようになってはいた。

けれども、珍しく二人きりでムードのある夜を迎えられそうな、そんなシンジの腕にぶら下がるようにして運ばれてきた自室の枕元、男が自分を横たえようとしたそこに、こともあろうに他の女の痕跡を見付けてしまえば、アスカはやはり怒りに煮え滾るのだ。

―― 翌朝、アスカは今か今かと登校を待ち構えていたヒカリを、鞄も置かせずに教室の隅へ引っ張っていた。
半眼でジト……と睨み付けてどういうことかと問えば、『あなただって私の鈴原と……』『四人で一緒にスルのも、二人ずつでそれぞれに分かれてシちゃうのも結局は同じじゃない』『アスカのベッドを使っちゃったのは謝るわよ』とひとしきり他のクラスメートには聞かせられぬ悶着の末、最後に『だって……』と観念したように、そして頬を染めて、

「……鈴原じゃ、その、ちょっと物足りないんだもん」

ちらちらと、頬に赤いモミジ印を付けたままのシンジを横目に言ったヒカリである。

唖然として見た友人の顔は、この頃のアスカの中で急成長を見せていた、あの薄ら恐ろしいまでのおんなの印象からはかけ離れていた。
まさかと不意打ちのように羞じらってみせて、それじゃまるで、いつかの夕暮れのベンチで恋心を打ち明けてみせたときのようじゃないのと。
『優しい……ところ』と打ち明けたその時とは、告白の内に上らせた興味はまた真逆の性質を帯びてはいたが、それでもだ。
親友の自分も気付かぬ内に初体験を済ませた挙句、『あなたとこうしてみたいと思っていたの』と嘯いて、恋人となったトウジと二人でポルノムービーのサディスティン女優がするような熾烈な性開発を施してきた―― その彼女が今更にしてみせるのは反則じゃないと、憤慨もしたくなった。

(……そりゃあ、最近妙に上手くなったとは思っていたけどさ……)

しかし、夢見るように反芻されてしまうとは、いったいどんなプレイをしているのだろうか?
はじまった授業もまるで耳に入らない。

当のシンジはと言えば、課題の表示された端末と顰めっ面で睨めっこをしている。
アスカやヒカリ、そして綾波レイの三人と交互にするようにして年齢不相応の夜を過ごしていても、とてもそうは見えないトボけた表情だ。
ヒカリだって真面目に授業を受けている。
その様子はやはり「委員長」と渾名されるに相応しくて、他のまともな生徒達にはこの二人の関係など、想像も出来ないに違いない。



◆ ◆ ◆



ネルフに予定のある放課後は、ヒカリだけが道を分かれることになる。
トウジも、専用機を与えられたチルドレンであった一時期程ではないにせよ、やはりアスカやシンジ、レイと同じジオフロントへのモノレールに乗る日があるのだ。

アスカは知っている。
最近のヒカリは『頑張ってね、鈴原』と手を振りながら、最後の目線は、少しだけずらしてシンジの方に寄越すようになっている。
そしてトウジは、恋人を一人だけで寂しく帰らせることに申し訳なさそうな顔をしてみせるものの、並んで乗り込む時には、いつの間にか決まったようにそうなっていたアスカの隣に立つ。

ネルフでのスケジュールが終われば、シンジは決まったようにレイと連れ立ち、アスカに聞きもしないまま先に帰ってしまうのである。
そしてアスカを待っているのは、いやらしい期待で一杯といったニヤけ面で小鼻をヒクつかせるトウジだ。
アスカが着替える時間をどうずらしたとしても、まずそうなる。
四人の内三人がそのつもりでいるのだから、どうにもならない。
いつもいつも、『ほな、あぶれ者同士仲良うしようやないか』と声を掛けた後は確認もとらずに身を翻し、後に付いてくるのが当然のような態度で先を行くその男。
アスカは苦々しく眉根を顰めつつも―― それでも続くことを選ぶのだった。

時計の針が中学生には厳しい時間を指す頃までたっぷり経って、残滓の熱を気だるく下腹部に抱えて家に帰れば、待つ者とていない家のドアを自分で開け、明かりを点けることになる。
シンジが先に帰っていることなどまずありえない。
名目だけの家主が偶に帰ってくると告げた日くらいのものだ。
アスカはもう一度シャワーを浴び直し、自宅の浴室に揃えさせているお気に入りのボディシャンプーをふんだんに使った後、おやすみなさいの挨拶を口にすることなくベッドに寝転がり、目を閉じる。
疲れは躯に染み込んでいても、一人だけの静かな気配に満ちた中、細かな物音さえ耳に届くような暗闇はアスカを中々眠らせてはくれない。

偶に―― あくまでアスカが気になってるいる限りでは、偶にの日。そんな翌朝にまだ誰も家に帰ってきた気配が無くて、そしてそのまま一人で学校に向かえば、授業に遅れてきたシンジの慌てぶりが妙に違和感にとなって引っ掛かるときがある。
綾波レイはそんなシンジとは無関係に昼頃になってから顔を見せるか、アスカと一緒になってシンジの席の方を見ているか。
そしてそんな時には、クラスの朝の号令を掛けるべき人物もそこに居ないのである。
大概の場合は、出席を取る段になってから老いた担任の教師が『洞木さんは今日は風邪で休みです』と告げる。
そうして振り向くと、アスカは二回に一回はレイと目が合うことになる。

休み時間を待って、アスカは電話を掛ける。
心配したわ、大丈夫なの? と空々しく。
そうして電話の相手がどう返そうかと言葉を探している、その数瞬の息遣いに耳を澄ませるのだ。



◆ ◆ ◆



(バカシンジなんかに溺れてる? ……まさかね)

およそそれはヒカリらしくもない。
逆ならばありうるけれどもと、そう邪推を組み立て直そうとしてみても、この頃のヒカリはアスカへの言い訳を探してみせるのすらどこか二の次になってしまっていると映るのは、きっと事実だ。
学校にはまだこれまでの真面目なイメージが効いているが、それがなければと思うといかにも適当になり過ぎている。
それほどまでして、必死にシンジとの時間を掠め取ろうしているのかと考え、アスカは動揺した。

(……掠め取る?)

ハッ、と自分を哂う。
掠め取られていると不満を言えるのは、綾波レイの権利だろう。
惣流・アスカ・ラングレーは、綾波レイに負けた女だ。
碇シンジを手に入れようとして、勝負の仕方を間違えたまま戦う機会すら手に出来ず、挫けた勇気も立て直せず、敗れた女だった。

では自分はどうあるべきなのか。負けたからと、仕方ないと思っているだけなのか。
問われたとすれば、とてもそうだとは答えたくない。
このまま負けていたくなんかないと、それははっきりしている。
自分と同じくらい放って置かれている癖に、気付きもしないのか―― ヘラヘラといやらしく笑ってばかりいて、気掛かりな風の一つも見せない トウジのようにはいられない。
却って都合が良いとばかりに浮気に精を出している、その単細胞馬鹿の性欲を相手してやっているのは自分だが、それを知っているのだろうシンジにまで、都合が良いと思われていたなら……どうしてやろうか?

シンジを溺れさせるつもりでいて、逆に溺れた。
溺れさせる前に、自分がセックスに溺れた。
それも、まるでその気は無かったこのトウジという男相手に。親友だった筈のヒカリ相手に、女同士で。そんな異常なセックスに。

本末転倒もいいところだろう。
相変わらずこの身は鈴原トウジに組み敷かれれば、気持ちなどそっちのけで狂い出す。
だが、こうやって鬱々と溜め込んできた思いは、胸の芯の方に汗みどろのセックスにも熔かされない昏い沁みを残していたのか、ふぅふぅと息を荒くして腰を振っている男の顔を見上げながら、偶に酷く醒めてしまっている自分を見付けることがあるのだ。

「どうやっ? エエやろっ? なっ、惣流ぅっ!」

女を、男そのものの部分で思うさま串刺しにし泣かせている誇らしさが滲んだ声。
いつから敷きっ放しになっているのやら分かったものではない湿った布団にオレンジの髪を擦りたくって悶え暴れている女は、応えてヒィヒィと抽送の具合良さを叫び返す。

だが、醒めたアスカは遠い視線で他人事のように眺め、罵るのだ。
そんな程度、と。
そんな程度の牡だから、あの子はあんたに溺れてないのよと。

―― そうよ。アンタがもっとしっかり……ヒカリを捕まえていれば!)

形振り構わぬ勢いで、綾波レイからシンジとの時間を奪い取ろうとしているヒカリ。
それは本来、惣流アスカが挑まなければならなかった立場ではないのか。
なのに自分は何をやっている……?

何のことは無い。身代わりのようにトウジのセックスの相手となり、性欲まみれでサカるこの邪魔者の眼を引き付ける、オトリ役だ。
無様と自嘲するより他は無かった。



◆ ◆ ◆



したたかに注がれ、浴びせられ、飲まされた程には満たされない虚を抱えて、今を暮らす家に帰る。
シャワーも浴びずに。
時間はまだ、普段はと看做されているよりもずっと早い。

「ああっ、あああっ! 碇君!!」

玄関に入れば早々に流れ聞こえてきた友の声だった。
靴を脱ぎもせず、放り投げた鞄でキッチンの床を鳴らし、リビングから続くシンジの部屋への最後の数歩分は、そのまま引き戸に勢いを叩き付けた。

「シンジ!!」

アンタは! と、熱が覆い始めた瞳を怒らせて、叫んだ。

「どうして―― どうしてアタシにはっ! ……アタシがどんなに悔しいのか、全然考えもしないくせに……!!」

ベッドで、抱え込んだヒカリのお尻を下にしたままシンジが顔を上げ、汗がポタポタと落ちる前髪の間からアスカの名前を呟いた。
ヒカリは枕に噛り付く格好で息を切らしている。
『……いやだ……』とアスカを見て漏らしたが、嬉しいの形で固まったままのような表情は、激情を浴びせられてもたじろいだ様子は無い。
どろりと交情の淀みを帯びた目は、最中の闖入への困惑にだけ揺れていた。

「アタシは……悔しかったわよ。なのに、なのにアンタはどうなのよ! ええ、シンジ!? アンタはその間アタシが……、アタシがアイツなんかと寝てるって知ってた癖に、それなのに何にも……なんにもっ!!」

もう一度、『何にも……なの?』と繰り返す頃には、声の勢いは失われていた。
情けなさをそのまま噛み締めた歯の隙間から漏らすようにして、俯く。
繋がったままのヒカリの息遣いが、ただ電話口に聞いたようにアスカを窺っていた。

「……ッハ、はっ、は……ぁ、アスカ……?」

存分に男を奥に受け止めるために、そのために肘を張って握り締めていた枕の詰め物をギシと鳴らし、問い掛けようとしてきた響きは気遣うものに聞こえなくて、

「アタシも―― !!」

アスカはもう一度、俯きに隠した顔を見せないまま、叫んでいた。
ヒカリが何かを言おうとしたのを、聞きたくないと、肩を震わせて。

「アタシも……溺れさせてみせなさいよ! アンタっ、男なんでしょ!? バカで、スケベで、セックス出来れば誰だって良いって顔でチ×ポおっ勃ててる、牡なんじゃない!!」
「……アスカ」
「じゃあ、何よ? アタシにはその価値も無いって言うの? ファーストやヒカリは抱いてるくせに、アタシは欲しくないの!? アタシは……アンタにとってモノにしたいと思いもしないような、そんな程度の女だって言うわけ!!」

叫びながら、リボンとブラウスを引きむしるように胸をはだけた。
スカートも乱暴に掴み上げ、下着を見せ付けて―― グラビア写真の女がしているような、そんなさんざんに教え込まれた誘い方は今こそなのに、どこかに投げ捨てて―― 止まらぬ感情のままに。

そうだ、いっそ溺れてしまえば良い。
溺れさせてくれれば良い。

ここまで来てもまだ変われず、意地を張ったままでプライドから逃げられない自分は……そう出来ないのを悔しいと思っていたように、見栄も外聞も無く男を誘おうとするような、そんなみっともない女にだってなってしまえば良いのだ。
きっと楽になれる。

「……溺れさせてよ。アタシも。……ねぇっ」

―― そうしてくれれば、嬉しいから。溺れさせてくれるのは、アンタシンジが良いから。

とうとう抑え切れなかった嗚咽を聞かせるその距離を、自分から詰める勇気を出せないまま、座り込んでしまって。
でも、慰めの声がきっとすぐに。戸惑ったような、困り果てたような、そんな声できっとと信じて――



Menu