Back Seat

Original text:引き気味


19

アスカの唇に老人の舌が深く差し込まれている。
くちゃくちゃと卑猥に絡む音。涎が密着し合った口の端から糸を引いて垂れる。
はじめ嫌がるそぶりを残していたアスカも、何度か粘つくアーチが唇同士に結ばれ、そしてキスと呼ぶにはあまりに淫らがましい繋がり合いを繰り返させられる内、『う、うんン……』と官能的な鼻息を漏らして応え始めたようだった。
それはアスカの諦めだったが、シンジの目には少女の慣れた所作だけが目立って映っていたのだ。

(ああ……アスカ……)

シンジは成す術なく見詰めているしか出来ない。

病室の天井ばかりを眺めて暮らしている内、日ごと募る苦痛が晴れない霞みを掛けてしまっていた目。
それがこんな時ばかり嘘の様にクリアになって、LCLのプールに浮かぶ弐号機の首を前に、アスカの桟橋の上で絡まりあった男女の姿を捉えている。
アスカは嫌がっていない。嫌がってはいないのだと、そう見えた。
強張っていた体からも力が抜けて、大人しく老人の与えるディープキスを受け入れている。
ふぅんと甘えて、揉まれている胸も自分から手のひらにいやらしく擦り付けはじめて、そして彼女のあそこも――
老人が縦にそろりそろりとなぞってやっているのを迎え入れるかの如く、艶かしいピンク色をした内側から綻んで、指先を突っ込まれると小さな穴をきゅっと収縮させ、蜜を零れさせる。
それが、はっきり見えてしまった。

目が眩む。
視界を貧血に似た暗闇が覆う。
胸にどうしようもない敗北感が満ちていた。

信じたくは無いが、アスカはきっと……もうずっと、あの老人と。
だからもう何もかも終わりなのだと、そうシンジは思い込んだ。
血の引いていく寒さと共に、今更のように壊れかけた全身の痛みが蘇った。

(うっ、ううっ……。痛い、痛いよ……)

そんな状態であっても、今の自分の脚には一跳びで老人からアスカを奪い取る跳躍を果たす力が、その拳には打ち込めば一撃で老人の頭蓋をトマトの様に砕く力が、嫉妬と憎悪を込めて老人のかたちを破壊し尽くせる―― それは何者にだろうと遮られることは無い―― 荒ぶる威力が宿っているのだと、シンジは誰に教えられることも無く理解してはいた。

しかし、それが何になろう?

(もう……アスカは……)

僕に振り返ってはくれない。
この恋は破れたのだ。

(もう良い……疲れた……)

脳髄を這い上がる暗闇に抗う気力も無い。
せめてアスカの老人に飼い慣らされた姿だを見せ付けられるのだけは嫌だと、目を閉じようとした。

元より、碇シンジというこの年端もいかぬ少年の心は強靭になど出来てはいない。
エヴァを駆って戦場にあった時も、ある時は怒りに任せ、或いは耐え切れずに意識を手放しエヴァに宿る荒魂に頼って、そうして苦難をすり抜けてきた。
それが全てではなかったが、今、肩を並べる戦友も無くただ一人、勇気を振り絞るには、向かい合う眺めがあまりの絶望の具現なのだ。
精神の糸を過酷に引き千切ろうとする責め苦に、真正面から耐え続けることにも慣れてはいない。

だからお前が悪いのだ等とは、誰にも責めることの出来ない罪無い弱さではあったけれども。
その勁さを持っていなければ乗り越えることの出来ない逆境をばかり宿命付けられたかの如き人生に、結局シンジは勝利者になれなかったのだ。

―― そしてアスカもまた、悲しみに暮れつつ精神の死に至ろうとする少年から目を背ける。

自分を救いに来てくれたシンジは、苦しみの日々の中に夢想した白馬の王子そのものだった。
あの血塗れの全身。間違いなく、死に近づく何かを引き換えにしつつやって来てくれたのに、他ならぬ自分こそが彼に致命の一撃を与えてしまった。

(ごめんなさい、シンジ。……せめてもう少し、アタシが強くいられたら……)

もしも現れたシンジを、淫虐の日々に見せ続けられていたあの幻だと見間違えたりせず、醜態を晒さずにいられたならと、悔いが後から後からの涙となって溢れ出す。

それももう全ては終わり。
何も知らぬ愚かな少女の頃、選ばれたエリートの中のエリートとして勝利の人生を歩むつもりでいた自分もまた、結局は敗者となって踏みにじられて終わるのだと。希望も最後の一片まで打ち砕かれ、未来を見喪った。

「あっ、くぅっ!」

まさぐる手に感じてしまうこの愉悦に、あえて否定しようと戦いを挑む必要ももうどこにも無い。

だからアスカは目を閉じて、溺れようとしていたから、

「……!? な―― !!」

嗄れた驚愕が耳元に響いた一瞬で、自分の体が優しく宝物の様に抱き上げられていたその事態が、理解できなかった。



◆ ◆ ◆

シンジが見ている前だというのに、すりすりと刺激されるクリトリス下に次々と愛撫の指を飲まされ、美少女はしっとり汗ばんだ内腿を更にヌルヌルにしてしまう。
他愛も無く、上擦った喘ぎで恍惚へと崩されてゆく様を演じさせ、どれほど彼女に抱かれ癖が付いてしまっているかの理解を強いる、悪辣なパフォーマンス。
その呪わしい特等席と化していた扉前、膝付き崩れ折れていた少年が俯いた顔を起き上がらせたかと思った刹那―― 、その半ば固まりつつあった血を黒くまといつかせた人影は、獣じみた瞬発力の塊と化していた。

『ダン!』と爆発めいて、暗がりから跳んだそれが床を蹴った音はただ一度。一瞬でもう老人の目の前まで飛来していたのは、それが耳に届くよりも早かったのではあるまいか。
突如、闘争心を奮い立たせたかの様な襲撃は、歳老いた知覚で到底追い付けるものではなかった。
不意打ちであった以上に人間の反応を超えている。
胸に捕えていたアスカが偶然の盾になっていなければ、そこでもう胸を大穴に抉られ、老人は終わっていた。

「ぬぅぐ、があぁぁっ!?」

唸りを立てて頬肉を剥ぎ取っていったのは、少女の身を奪い取ったのとは反対の腕だったか。視認すら覚束ぬ、神速。
痛みよりも、カッと灼熱が顔の半分を飲みこんだ―― それさえも恐らくは僥倖だ。

(何だというのだ、一体……!)

馬鹿なと、転がされた床で体勢を取り直す。
制服の懐に肌身離さず収めていた銃を探ると、既に顔を上げた先、小柄な背中は少女を安全圏にまで運びおおせていた。
人ひとり抱えてよくも跳んだものよと、ケイジ上層のキャットウォークに向けて抜き構える。

躊躇は無かった。
こうなってはもう、少年の存在は危険以外の何者でもない。
少女を縛る足枷に使うのも、ネルフの権勢を磐石にするための研究サンプルとして扱うのも、看過ならぬ力の萌芽を見せた今、全ては後回し。
何より、久方ぶりの激痛を味わされて、老人は昔モグリの医師をしながら荒事に身近に暮らしていた時代に気分を戻らせていた。
舐めた真似をしてくれたからには、生かしてはおけぬ。

(やつはエヴァとの繰り返した融合がもたらしたハイブリットだ。内蔵したS2器官が稼動を始めぬ前に、息の根を止めておかねば……!)

少女を置いて立ち上がった白い背中は銃口にあまりに無防備で、いっそ自分を馬鹿にしているようにさえ見えて、

「……ッ、愚か者め……!」

ガン! ガン! ガン! と、撃ち放った銃弾が容易く狙った頭部を破壊する筈だった。
が、しかし、

「馬鹿な……!?」

キン―― と、宙に煌く黄金色の光波紋。
使徒か、そして同一の存在たるエヴァが背負うなら何の不思議も無いATフィールドの輝きが、老人の重ね撃った第二撃、第三撃をも、完璧に防いで見せていたのだ。

「し、シンジ……?」

呆然とアスカもその背中を見詰める。
老人は再び馬鹿なと零した。

「信じられん……。いや、……はっ、はははっ……そうだ、そうだな」

動揺しながらも、老人も特務機関ネルフを指揮する身として天使達の襲来を戦い抜いた以上、やはり只者では有り得ない。
一度撃ちつくした弾を無意識にも篭め直し、眼光は鋭く、フル回転で分析を続ける頭蓋の中身に情報を送り込み続ける。
程なくして、戦意を取り戻すだけの回答は弾き出していた。

「だからどうしたというのだ、半端者め」

所詮は使徒にもなり切れぬ脆弱な肉体。死に掛けを無理やりに生かしてやっていたのは誰だったかと。

「ATフィールドを張るだけの出力が出せたとは驚きだったが……、いつまで持つ!」

いつかはS2器官の稼動に耐え切れず、肉体の方が崩壊するだろう。

「ふん、逆転にもならなかったな。残念だったなぁ……アスカ君。そして碇の息子。茶番はここまでだ!!」

自滅せよと、老人はひたすらに銃撃を重ねた。
そんな今この時だけの儚い抵抗など、すぐに潰えて地べたに這うが良いと。
だのに、黄金の光に照り返りを受ける少年の背は、老人の前に一向に癪な余裕を崩しては見せなかった。
何発打ち込まれても意に介さず、キャットウォークを端へと向かう。
その先は行き止まりで何もありはしない。見下ろすことの出来る弐号機にしても、動力を断たれ、そしてセカンドチルドレンならぬシンジに起動はさせられまいに。そう、嘲笑う。

「どうした……、今更どこへ向かう。逃げ切れる気なのかね?」
「……愚かな」
「……なに?」

ぽつりと一言。

「愚か者はどちらなのでしょうね?」

やっと立ち止まった赤い目は、肩越しに老人を蔑んでいた。

私たち...のこの身体をエヴァに変えたのは、誰だったかしら……?」
「な、に……?」

少年の口が放ったその言葉の違和感にまさかと気付いた時、老人が悟ったもう一つは、逆転は確かに成っていたのだと、そしてそれは最早、老人に挽回など望めぬ絶対の逆襲だったのだという、蒼白の驚愕だった。

「おのれ!」

叫びはとうに悲鳴。ネルフの絶対君臨者としての威厳も無く、

「“端末”にしていたのか! 惣流キョウコ!!」

歩みながらの冷たい視線を寄越す小柄なシルエットと、それを迎えようという弐号機。合わせた六つの眼の全てが、一つの復讐心を宿して老人を見下ろしていた。

そして弾け跳ぶ弐号機の顎部拘束。
人造巨人の紫の舌が大きく覗き、生々しい歯列が開いた喉奥へと、

「止せっ! 止めろ、止めるんだ……!!」

娘を穢された怒りを行使出来ぬでいた巨人の下へと、唯一つ欠けていた生命の実が補完され――



◆ ◆ ◆

キャットウォークの床が波打ち、そこらの壁も天井もどこもが亀裂と共にミシミシと破滅的な音を立てて揺れている。
高い天井からは鉄骨やコンクリート片、金属板といった構造材の類が雨あられと降り撒かれはじめていた。
次々とケイジ全体を占めるLCLプールに赤い水柱を上げさせるその一つにでも当たってしまえば、アスカもそこでお陀仏だ。

(シンジ……!)

目の前で弐号機に喰われてしまった―― それも自分から進んで! ―― 名前を呼ぶのは、神頼みよりも尚心許ない行為だろうが、事ここに至ってアスカには他に縋るものが無かった。

(助けて、シンジ。助けて、助けて……助けて! 助けてよ、シンジぃ!)

泣きじゃくる幼子も同然に震え、求める。
実際にもう、こぼれる嗚咽は止まらなくなっていた。
いかに常識を越えた存在との殺戮を戦ったエヴァパイロットのアスカだとて、振動の中、必死で手摺を握る手の皮一枚を掠め、トラック程もあるコンクリート塊が落ちて行けば、恐怖に打ちのめされもする。竦み上がりもする。
強くあらねばと自らに言い聞かせてきた継ぎ接ぎ仕立ての様な精神の鎧は、シンジが死の匂いを濃厚にまとって現れた時から―― その眼前で痴態を演じさせられた時から、二重三重に打ちのめされ、崩壊していた。
剥き出しになった心の持ち主は、まだほんの15歳の少女なのだ。

そして最後に目撃したのは、他ならぬそのシンジを飲み込んで閉じた、弐号機の顎であった。
待ってと自分の伸ばした手は遂に届くことなく、強く救おうと願った少年をまた一つの大切な存在に「喰われ」、これ以上を受け止められるわけがない。
意識の表層は既に飽和していた。
だからひたすらにアスカは助けを呼び、その名前は母のものではなかった。

―― 咆哮。

轟かせたそれだけでケイジ全体をも揺るがせて、弐号機が全身の拘束を引き千切り、自由の身を揺り動かしたのである。
異変はケイジの眺めも変容させて、一杯に満たされていたLCLが大きな渦を巻いて水位を下げていた。
エヴァンゲリオン・ケイジとは、より大きく建設された地下の空間を、エヴァを肩の内側のラインで囲う形に四方から覆った拘束具一体の仕切り壁でもって小部屋に仕立てているものだ。
その仕切りに弐号機の軽い身じろぎがヒビを入れて、外の施設へとLCLは流れ出ているのだろう。
封印領域たるこのネルフ最下層だが、騒動は既に老人が最高機密のヴェールで覆い隠せる範囲を越えていた。
間を置かず、まずMAGIが非常権限を得て監視機構を開放する。
そこで発令所詰めの司令部連が耳にするのだ。
今や一体の生命体として何一つ欠けるところの無い、完全な覚醒を遂げたエヴァンゲリオンが上げる、鬨の声を。
碇ゲンドウも、赤木リツコとて居ないとはいえ、本部技術部には無限の力を得て復活した弐号機が示す意味を正しく理解することが出来る人間はまだ残っている。
彼らはパニックに陥るだろう。自分達へと向けられる、惣流キョウコの怒りを容易く想起出来ようから。
同時に、あらゆる保身の無意味さを知らしめるその地の底からの大音声が、断罪される身を絶望の内に捕えることになるのである。

「私を殺すのか……」

ネルフ全体へ波及しつつある惨禍の中心で、老人は、猛獣に鋭い爪の下にまで追い詰められた者の顔をして呻いていた。
見上げる赤い兜の面当ては上下に割れて開放されており、サイズこそ違え紛れも無いヒトの目が四つ、彼を睨む。

「いや、殺さずには収まらんだろうな、キョウコ君。可能性が無いとは考えないでもなかったが、君という魂がまだその中で生き延び続けていたとは……まさに奇跡か」

呟きとも付かず漏らし、難儀そうに血を吐いた噎せ込み。
敗地にまみれた姿はアスカが今はじめて驚いたほど痩せっぽちで、崩れ落ちて来た鉄骨に片腕、片足、半身を挟まれて藻掻いていた。
少し離れた傍らには、頭部を庇いながら蹲る洞木ヒカリが。
老人の権威の印でもあった檜皮色の制服には血の赤がじわじわと広がりだしていたが、一見してヒカリの裸身は無傷で済んでいる。

(ヒカリ……良かった……)
(アスカ……)

天井の崩落は続いている最中であったが、ほぼ同時に友人の無事を見付け出せたことは二人に幾らかの安堵を与えた。
そこに差し挟んで『おお、そういえば―― 』と。
互い視線を合わせたヒカリの顔の向きを追ったのか、弐号機の圧迫を浴びせられていた老人までも再度アスカに意識を向けたようだった。

「フィフスの少年が言っておったな。同じ身体で出来ていれば、そして魂さえ無ければ同化出来ると」

偽神の巨躯を得た鬼子母神の目線は高見からで、大量の失血が急速にもたらす不自由を押して首傾けたアスカの姿もまた、キャットウォーク上に見上げる位置にある。
彼女..とも、彼女の娘とも、ヒエラルヒーの三角形が鋭い頂点を向けていた上下は入れ替わったのだと端的に示す構図。
無慈悲に踏み躙られるべき立場にあるのは、最早、今日までを靴裏に踏み敷かれてきた彼女達ではない。
―― であっても、『とんだ失敗だったわ』と不敵に嘯いてみせてさえ。
顔色は紙の様に白く、眼窩を敗北に隈取られていて尚、笑みを浮かべるその老人の、アスカには堪らなく不快な倣岸。

「便利な木偶人形にしてやろうとしたところが、まさか君らの為の道具にせっせと仕上げてやっていただけだとはね」
「何を……言って、いるのよ……」
「おや、もう淑女の言葉遣いを忘れてしまったのかね? 折角、ワシが仕込んでやったのになぁ」
―― ッ!」

激発に反応してギシリと、母親がもう胸まで水位の下がった中から拳を振り上げる。

「ま、待って、ママ! ヒカリが居るのよ!!」

巻き込んでしまわないでという叫び寸前で届き、叩き付けられこそしなかったものの、巨大な腕のその動作だけでケイジの構造は致命的な破壊を受けてしまったらしかった。
老人と、そしてヒカリが安全を求めて立ち上がることさえ出来ずにいる桟橋も含め、揺れはいよいよ酷くなるばかりだ。
壁に亀裂が広がる不吉な軋みも、落下の続く轟音に負けず激しくなってきている。
その隙間へ次から次へと、瓦礫を勢いに巻き込んだLCLが奔流となって更にぶつかる先を求め、流れ込んでいく。
やがて天井は潰れるのだろう。
母娘と、そしてもう一人の少女にとって恥辱の舞台であり、檻であった空間が終焉を迎えようとしているのは明らかだった。

弐号機の手が娘へと差し伸べられた。
手のひらの上にアスカが乗り移ると、もう片手が屋根を作って大切に保護する。

「ヒカリも……!」

母親が首の後ろに入り口を開けたエントリープラグに乗り移れと持ち上げるのを制して、アスカは呼び掛けた。

「でも……。無理、無理だよ。アスカ」
「何言ってるのよヒカリ! 逃げるの! 早く……!」

ヒカリは、飛び移れと手を伸ばすアスカと自分のいる桟橋の間を見下ろして、下までの目もくらむ高さに竦んでしまった様子だった。
LCLが流出し、そこには高層ビルにも匹敵する吹き抜けの空間が口を開けている。
照明も無く、あまり下は見えずにただ黒々とだけ。
風が巻いて、前髪を強く煽られる。
加えて、降り注ぐ危険な礫片が彼女たちの間を距離以上に遠くヒカリに見せていた。

「……ママ!」

ATフィールドで―― 。保護を頼むアスカに弐号機は何の応答も示さず、強引な運びでプラグへ急げと娘を背に回した。

「だったら!」

シートに身を滑り込ませたアスカは随分と久し振りな感触のレバーを握り、親友の少女を傘で守るイメージを送り込んだ。
それで―― あの老人にまでも加護をもたらすのは遺憾な事だが―― ヒカリを救うことが出来る。
しかし、不可視の力を振るう、あの馴染んだ感覚はアスカに返っては来なかった。

「ATフィールドが張れない!? どうして……!!」

手元の表示に目を走らせる。
充分な出力が出ていないのだ。
S2機関を得たと言う今の弐号機が何故と考えを巡らせて、アスカはとても嫌な想像を浮かべてしまった。

消化..が終わってないから―― 進んでないからだ、だなんて。アタシは何でっ!)

そんな酷いことを考えてしまったのか。ぶんぶんと頭を振って泣きそうになる。
それに、とても動きが鈍いのだ。

「これじゃ、ヒカリを助けられない……!!」

シンクロ率で言えば、例えばとても実戦には出られないような数値だろうという、そんな感覚。
母、キョウコが弐号機の意識として自我を取り戻している所為なのか、単純にブランクが開き過ぎてしまっていたアスカ側の問題なのか。
何れにせよ、手元が狂う恐れもあまりに高く、アスカには打つ手が見付からない。

『……いいよ、アスカ』
「そんな、厭よヒカリ! いつかこんなところから一緒にって、言ったじゃない!!」
『いいから。ね? 私はもう良いから』
「だってヒカリ!!」
『アスカも知ってるでしょう? 私はどうせ……』

ぽつりと零される声を弐号機のマイクが拾う。

『ここから逃げられたって、もう何処にも行くところなんかないもの』

それは父親にさえ見捨てられた己が境遇をぶつけた恨み言のようでもあり、

『……ね、アスカ』

これでもう最後になると滲ませた響き。
行ってと薄い微笑みを口元に作って、彼女はアスカに背を向けた。

『アスカは……碇くんが助けに来てくれたでしょう?』
「やだっ、ちょっと……やだ、待ってママ! こんなの嫌よ。ヒカリも一緒じゃなきゃ―― 。ねえ、ヒカリっ! ヒカリぃ……!」

それは、大人にもなり切らぬ内に疲れ切らざるを得なかった諦めのようにも響いて、寧ろ友に向けた羨望と、そして励ましの綯い交ぜになったもののようでもあった。

「うっうっ、ううっ……。いやよ、アタシだけじゃっ……いやなのよぉ……! ヒカリ、シンジぃ……」

ゆっくりと弐号機が背を翻し、それに連れてヒカリの姿もモニターの脇の方へ流れて、消える。
ガチャガチャとアスカが何度レバーを引こうとも、発令所の方向を見定めて進みだした足取りが止まることは無かった。
もうこれはアスカの弐号機ではなく、母なのだ。



◆ ◆ ◆

次第に遠退いてゆく巨人の足音は、尚、ヒカリの耳に力強く聞こえていた。

あれが、アスカの母。
錯乱などではなく確かにそう呼んでいたし、間違いではないのだと感じ取れるものがあった。

(……良かったわね、アスカ)

それにと思う。
彼は、アスカという少女が夢想した通りに救いに来てくれたのだ。
力が及ばなかったとはいえ、実際に届いた助けの手は母のものだったとしても。
少なくとも、助け出そうと死力を尽くしてはくれたではないかと。
それで充分素敵じゃないのと思うのだ。
そして、アスカを地獄の様な場所から開放しようとしているこの事の成り行きを導いたのは、紛れも無くシンジの行動だ。

(ぎりぎりだけど、白馬の王子様、合格で良いじゃない)

だから、そのシンジの意思を無駄にしないように、アスカには幸せを取り戻して欲しかった。

私は―― と、立ち尽くすヒカリの前には苦悶の表情の老人がいる。

「……ぉじ……さ……」
「むぅぅ、ヒカリ……君?」

裁きも下さずに去ってゆく赤い後姿に戸惑ったように瞬きをして、次にこちらを見上げ、いやらしい薄笑いを過ぎらせた。
傍らのヒカリにその理由を見出したようだった。
出血は激しい。が、非常ライトがけたたましくがなり立てながら寄越す赤い光源の下では、老人の顔を濡らす液体の種類が何かなど、ヒカリには判然として見えはしなかった。
屍蝋じみてつやを失った口元に、唇だけが生々しい。
何度も何度も、ヒカリの肌を啜った唇だ。ヒルのようなその感触をよく覚えている。

「……おじいさま」

頬で皺が深くなり、口元に乱杭歯が顔を覗かせた。

「くくっ、ご覧の様だよ。すまんが……ああ、君の細腕では退けて貰うのは無理だな。人を呼んできてはくれんかね?」
「……失礼します。お洋服を」
「おお、そうだな。さすがに恥ずかしいか」

上着に手を掛け前を開いていくに合わせ下向きに震える少女の乳房。横目に向ける年寄りの瞳は、もう好色を浮かべている。

「んん? ……どうした。何故またベルトを……いや、ヒカリ君。ズボンまでは要らんだろう」

次に声は怪訝に潜められて、それでも服を剥いでいこうとするヒカリ。

「ヒカリ君? ……何をしているっ!?」
「アスカは行ってしまいました。……でも寂しくはありませんわ」

ヒカリは老人の下半身に重く覆い被さった鉄骨との隙間に顔を潜り込ませる。
ちろと覗いた小さな舌が上唇、下唇と湿らせて、ファスナーの隙間から丁重に取り出された老人をうっとりと、少女性奴隷として仕込まれた通りの作法で柔らかく舐め上げた。

「ばかな、……っぐ、ううっ……ま、周りが見えていないのかね」

止さぬかと、老人が動けぬ代わりに声を厳しく叩き付けるのも耳に入らぬ様子で、口唇の奉仕に没入しようとする。
すり寄せるしなやかな幼?から立ち昇る若い牝臭。

「ふふふ、おじいさまを独り占め……。んっ、んんっ」

赤く濡れた舌で、薔薇色の唇で、ほっそりとした指で、小さな手で。れろと絡めて、あむと含んで、ちゅると啜って。
萎えた部分にたちまち獣の血を集めてしまう執拗さでしゃぶり回して。
きらきらと蜜液を輝かせはじめた可憐な肉の狭間を貫く硬さを早く取り戻して下さいと
くぅんと喉奥で啼きながら、熱っぽく上目遣いで願う。

「んっ、ふぅン……あぁむ、ちゅっ、ちゅっ、ああぁンんむ……おじいさまぁ」

それは、こんなあどけない少女が知っているには早過ぎる―― ましてや決して、こんな祖父のような歳の男に向かって期待してしまって良い種類のおねだりではない。
ヒカリが顔を前後させる度、いかにも楚々としたお下げ髪が儚く揺れる。
鼻先を老人の股ぐらに深く埋め、ねばっこくキスを捧げて淫音を奏でる胸もお尻もむき出しの15歳少女の姿はあまりに無残だった。

「んちゅっ、ちゅっ……おじいさまをお慰めできるのは、もうヒカリだけなんです」
「何をっ……は、早くっ、君も死ぬぞ! だから早く……!!」

全てはこの老人が、冬月自身が、ヒカリに強制した在り方だ。
ついこの間まで中学生だった純朴な少女を捕えて徹底的に辱め、泣き咽ぶ悲鳴も枯れ果てるほど調教し、変貌させた。
強いられるよりも進んで欲しがるように。辛いと泣く涙を随喜のそれに錯誤するまでに。隷従の愛欲を幸福とする精神に。
そう、清らかだった心と躯を作り変えてしまったのである。

少女に、誰の穢れにも踏み荒らされてはいなかった無垢の頃はもう二度と戻らない。
豊かで輝かしい青春が咲かせる筈だった花は、縄打たれて延びる先を歪められた枝に間違って蕾を付けてしまった。
それでも咲く花は、鉢植えの花。
せめて、枯れるまでは愛でてよと、そう咲く他を知りはしないのだ。

「ああぁ、ン……切ないんです。心を込めて御奉仕致しますから、どうか私を、ヒカリを、どこまでも愛して――
「がっ、うぁっ……ぁ、止さぬかぁっ!」

嗄れた悲鳴が響いて、そして崩落の音に紛れた。


Fin. ("The Back Seat" Normal-End route)



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