Requiem fur Schicksalskinder

第6話



著者.しあえが










(これが碇君の望んでいたこと?)

 違う。

 そんなわけない。

 だから。

 再び、他人というATフィールドで彼が傷つくことになっても。

 他人を傷つけることが、何よりも辛いと感じる彼にとって、この分岐は前よりも辛い選択をさせることになるかもしれない。

(でも、もう一度会いたいと、碇君は言うと思うから)

 何度目になるだろう?
 もっといろんな情報、技術、知識を持っていたらとその度に思う。
 やり直すと言っても、正確には本当にやり直しているわけではない。意思を、思いを送り出す。なんどもなんども繰り返す。

 THRICE UPON A TIME

 すでに三度どころではない繰り返し。
 過去にほんのわずかな情報を飛ばす。今度こそとの願いを込めて。
 それで世界の流れが変わる―――かもしれない。
 起きるはずの物事が起きなかったり、会えるはずの人に会えなかったり。これが正しい選択なのかわからない。いや、正解なんてそもそも無いのかもしれない。自分ではない自分が生きて死んだ世界には、エヴァのない世界や、皆が笑顔に包まれた世界もあった気がする。ないはずがない。

 たぶん、世界や運命というのはそういうものなんだと思う。
 自由意思をもって、量子の不確実な世界も、じつは書かれた筋書きをたどる本の様なものなのだ。
 今回は失敗したけど、でも、次はきっと。

 いつか、きっと。

 そして光が、瞬いて……。











(あれが、使徒?)

 モニターに映る、漆黒のエヴァンゲリオン。

 心と体を繋いだ未来の伴侶が乗っているはずの、エヴァンゲリオン3号機。
 LCLごと唾をごくりと飲み込む。不安と緊張で手足が震える。歯がカチカチと音を手て、胃の中身をLCLの中にぶちまけてしまいそうだった。

 目の前に光景を否定するように、瞳が何度も瞬きを繰り返す。
 何かの間違いだと思いたかった。
 だが、安否不明のミサトに代わって作戦指揮を執る父親は感情を感じさせない声で「アレは使徒だ。目標だ」と繰り返している。黙れ、うるさい、喋るな。聞きたくない。

「何言ってるんだよ。何言ってるんだ、父さん」

 手足が痺れたように小刻みに震え、それが初号機に伝わっているのか全身が揺れて落ち着かない。
 シンジが注目すると、瞳孔の動きを感知して自動的にカメラがズームされる。猫背気味に歩く3号機の背中が拡大される。エントリープラグが青い粘液状の物に包まれているのが見えた。

(アスカ、まだ、あの中に……)

 と思った瞬間、唸り声をあげて3号機がとびかかってくる。だがシンジは反応することもできず、呆然と、身動き一つできずに蹴りが叩きつけられるのだった。











「シンジ、なぜ戦わない」
『アスカを、傷つけたくない!』
「このままではお前が死ぬぞ」
『良いよ! アスカを殺すよりは良い!』

 初号機は一方的な攻撃に押さえ込まれ、叩きつけられた地面は抉れて土砂をまき散らしている。
 4本の腕で首を締め上げられ、呼吸困難で生死の境にいるにも関わらず、シンジは戦うことも逃れることもできないまま、泣き言を漏らし続けていた。殺されてもアスカを傷つけたくない、それは逆方向にあっぱれな覚悟かもしれない、だが、その頑なな想いは害悪でしかなかった。

 ガキの我儘に構っている暇はない。
 無気力で無責任な息子の言葉に、鉄面皮の下で煮え湯の様な苛立ちが沸き起こる。情けなさすぎる言葉も苛立たしいが、なにより、彼の無気力すぎる行動の結果で初号機を失いかねない。それがなにより腹立たしかった。初号機は彼のモノではない。

(なにをやってるんだシンジは)

 月並みな言い方をすれば、愛する女性を傷つけることはできないから、戦うことができない? ふざけるな、と心の中で唾を吐く。

 レイ渾身のお食事会で多少は関係が改善されたと言っても、所詮、人と人とが本当に分かりあうことはない。というのが碇ゲンドウのスタンスだ。第一、ゲンドウは理解していたと思っていたシンジを理解できくなり、内心では軽い恐怖を覚えている。あれだけ突き放し、嫌われているはずなのに歩み寄ろうとしてくるシンジが恐ろしくて仕方がなかった。彼の理解者はユイだけだったユイだけいれば良かったはずなのに、ある意味ユイにとって代わろうとするシンジと、それを是非もなしと受け入れようとし始めている自分が理解できない。いや、理解したくなかった。ユイが唯一無二の存在ではないと、わかりたくなかった。
 シンジが第2の少女と相思相愛になったという事も恐怖の理由の一つだ。

(なぜレイではなく、あの娘を選んだ?)

 相思相愛どころか、中学生にも拘らず深い関係になったという報告も得ている。

(第2の少女は所詮、ゼーレの息のかかった作り物の人形なのだぞ)

 ユーロネルフから肝いりで送られてきた天才少女。だが、その正体とユーロネルフ……つまりはゼーレの思惑も勿論把握済みだ。
 式波シリーズと呼称される戦クローン人間。生殖能力もなく、ただ戦う事だけを目的に作られたデザイナーヒューマン。いや、厳密には人間と呼べないかもしれない人の業が生み出した罪の証だ。
 上官からの命令はどれほど理不尽な物であっても、絶対順守する忠誠心を持つ一方で強い情動……感情をもち、まるで生きた本物の人間の様に考え、行動する。希薄な感情しか持たないレイと違い、自己保存や異性への興味など様々な欲求を持つ不合理な存在。

 そんな彼女がシンジと関係を持ったと報告を受けたとき、当初、碇ゲンドウは報告の意味がまるで理解ができなかった。
 アスカの性格や行動についても情報は持っていた。美しく聡明だったとしても、その攻撃性と非協調性ゆえにおよそ他人に好意を持たれることも、持つこともないはずの存在。
 高い知能はあっても情操は幼児のそれであり、親や兄弟に向ける家族愛ならともかく異性への恋愛感情など持つはずがない。加えて徹底した選別教育もあって徹底的な合理主義の持ち主の筈なのに、人間の持つ最も不合理な感情……愛を知り、シンジと恋仲になり、あろうことか肉体関係までもってしまった。

 彼としてはユイの面影を持つレイとそうなるかも、という予想はあった。どちらにしても「どうでも良い」ことなので放置していたし、気にも留めていなかった。どのような形であろうと、想定通りに事が進めばシンジはきっと初号機をシン化覚醒させるはずだからだ。だがこのままではシンジは殺されてしまうだろう。碇ゲンドウの深淵なる目的の為には、それは絶対に避けないといけない。

(……このようなところで初号機を失うわけにはいかん)

 おぼろげに脳裏に浮かぶ女性の顔。それが、永遠に失われてしまう。
 ふがいない息子の姿に碇ゲンドウは不機嫌さを隠そうともせず、深い溜息を吐くとモニターを一瞥し、眼下にいる伊吹マヤにダミープラグの起動を命令しようとして……そこで、ふと言葉を飲み込んだ。

(本当にそれで良いのか?)

 それは全くの気まぐれだった。気まぐれの筈だった。
 たった一つの重く真っ直ぐな願いを果たすためだけに、あの日から今まで生きてきた。それはこれからも変わらない。シンジだってそのための道具と割り切っていたはず。はずなのに。今更躊躇、後悔をしている? それなら始めからシンジを捨てなければ良かったのだ。信頼も何もかもなくして、今更何もかも遅い。

(私は、いったいどうしたというのだ?)

 予想外のことをしたシンジを計りかねる、彼の無意識が過去の記憶とまじりあい、反射的に漏らした言葉だったのかもしれない。

「……ならばお前は、第2の少女にお前を殺させるつもりか?」

 モニターに映るシンジが眼を見開いた。

「あの日、スイッチを押したのは……。ダイレクトエントリーの最終安全装置の解除指令を出したのは、私だった」
「碇! いきなり何を言ってるんだお前は?」

 横で冬月が眼を見開き、不用意な事を呟くゲンドウに感情ごと言葉を叩きつける。
 なにか思惑があったとしても、シンジの記憶は消されている。シンジにいらない混乱を与える。最悪、盗聴しているかもしれない敵対組織にいらない情報を与えるだけだ。肩を揺さぶって止めようとする冬月の手を払い、ゲンドウは言葉を続ける。

「私がユイを死なせた、殺したようなものだ。おまえは、同じ苦しみを第2の少女に……愛する人間に味合わせるつもりか?」
『それは……。でも、じゃあ! どうすればいいんだよ、父さん!』
「お前が考え、お前が決めろ。少なくとも私は決めた。お前も好きにしろ。
 だが我々の決断に任せるというなら、3号機は……いや、第9の使徒はパイロットごと殲滅することしかできん」
『ずるいよ、なんだよそれ! 僕、僕に全部決めろって言うのかよ!』

 物問いたげに冬月が横顔を見つめているのをゲンドウは感じる。視線がむず痒いが、確かに冬月が胡乱な視線を向ける理由もわかる。今更父親面するつもりなのか。なぜ自分はこんなことを言ったのだ? 一体全体、私は何を考えている?
 父親をやめた人間のこんな無責任な言葉でシンジが奮起するはずもないのに、なぜ彼を焚き付けるようなことを言ったのだろう? 既に生命維持にアラートが出ているのだから、直ちにシンクロカットしてダミープラグを起動させるべきなのに。

 気まぐれ?
 いや……。

(あなた、お願い……)

 レイから、お食事会をするから、その時シンジと仲直りして欲しいと言われたとき、一瞬、レイの背後に『彼女』の存在を感じた。あの時と同じ何かが、聞こえたような気がしたから。











「ちく、しょう! 畜生! なんで、なんでだよ! 父さん、なんで、僕が、僕にこんな重い決断をさせようって言うのさ! 子ども扱いしてるくせに、こんな時だけ! 大人なのに、勝手に、一方的で! 卑怯だよ!」
『ならばシンジ。お前も大人になれ』

 ゲンドウの言葉に目を見開き、歯を食いしばるとシンジは、プラグ内インテリアが一瞬、揺れるほど強くこぶしを叩きつけた。
 大人は勝手だ。勝手すぎる。そんな大人、理解できない。特に父さんは。
 だけど、腹立たしい事にゲンドウの言葉に一抹の真実があるのも確かだ。
 
(アスカを助けられるのは、僕しかいないんだ)
 
 だから。

「……アスカ。ごめん!」

 シンジが絶叫した瞬間、初号機の双眸が閃光のように光を放った。
 オペレーターの青葉が呆然と「初号機、戦闘再開」と呟くが発令所の誰もその言葉に反応はしなかった。
 初号機の両手が首を絞める使徒の手首を握りしめ、凄まじい握力に悲鳴を上げるミシリミシリと鈍い音が発令所全体に響く。同時に前腕部をもう一対の使徒の腕の隙間に差し入れながら押し開くように力を込めていく。3号機は抵抗しようとするが、完全に膂力は初号機の方が上だった。

『しょ、初号機とのシンクロ率が150%を超えています。初号機の出す力も理論値を超えて……。凄い、さらに増加。プラグ深度もマイナスになっていきます……! 危険です、今すぐ止めないと!』

 マヤが震える声で状況を伝えるが、ゲンドウは無言のままだ。
 シンジの脈拍、体温、発汗いずれも正常値からかけ離れていく。
 モニターに映るシンジの表情は鬼気迫るものとなり、見開かれた瞳がうっすら赤く光っているようにさえ見えた。

(アスカ……絶対に、助ける)

 お互いに両手が封じられた状態。次にとるべき行動は? 激高し、異常な高揚感と共に意識が溶けて消え行きそうになりながらも、シンジは心の一部は冷静さを保ったまま、次にどうするべきかを考えていた。
 蹴り? 体勢を崩して投げ飛ばす? いずれも違うだろう。 先の攻撃の身のこなしを考えれば、3号機を自由に動ける状態にするのは得策ではない。再度捕まえるのには苦労するだろう。ならどうする?

「ウオオオオォォォォォ!!」

『初号機、顎部ジョイント破損!』
『シンジ君まさか!』

 雄たけびを上げる初号機の伴奏するように、青葉と日向が同時叫び声をあげる。
 初号機の、シンジの意図を察して恐怖に目を見開くマヤ。
 言葉をなくし硬直する冬月。
 そして表情を変えず、無言で見守るゲンドウ。

「うう、ウウウゥゥゥ〜〜〜〜っ」

 唸り声と共に上体を前のめりに突き出した初号機は、意図することに気づいたのか逃れようとする3号機に迫る。極限まで開かれた口から剥き出しになった歯が夕日を浴びてヌラリと輝き、狂犬病の獣のような涎が大量に溢れ堕ちた。まだシンジの意志はどこまで残っているのだろう? 半ば、あるいは完全に暴走としか思えない状態となった初号機。反射的に逃れようと顔を背ける3号機だったが、両腕を完全に抑えられていては逃れることもできない。使徒も恐怖を覚えるのだろうか? 首を絞めることを諦め、むしろ突き放そうとするような動きを見せるが……。

「グワゥゥゥッ!」

 装甲と歯がぶつかる甲高い金属音が響き、それに混じって肉が潰れる鈍く湿った音が響く。
 ワニが獲物を食いちぎるように、初号機の顎がかみ合わされた。顔を一瞬で半分以上食いちぎられ、3号機が全身を戦慄かせる。鮮血が飛び散り、同時に3号機が糸の切れた人形のようにぐったりと脱力した。小刻みな痙攣を繰り返しつつ、だらりと腕が垂れ下がりそのまま倒れ込もうとするが初号機がそれを許さない。折れた手首を握りしめる初号機の腕と、噛みしめる初号機の口の三点だけで支えられ、無理やり直立することを強要されている。

『ううっ!』

 ホラー映画じみた光景にマヤは口元を抑え、思わず視線を反らす。だが、寸前、モニターに映った映像に目を見開き、こみあげるもので口元を汚しながら、呻くようにつぶやいた。

『ぱ、パルス反転。ATフィールド……が、マイナスの位相に』











「初号機、ATフィールド反転! 使徒の浸食が開始されました。1、5……10%が浸食されています。初号機表面に使徒の浸食を目視で確認! 浸食、なおも増大中!」
「いかん、シンクロカットだ! 直ちにダミープラグを……」

 青葉の複唱に冬月が口を開きかけるが、ゲンドウに一瞥され言いかけていた言葉を再び飲み込んだ。

「何を考えている碇? 浸食が進めばお前の息子が死ぬだけじゃない、初号機も完全に失われてしまうぞ!」
「わかっている。だが、なぜかな。今はそうするべきじゃないという気がする」
「お前は何を言っているのかわかって……」

 「狂ったか」そう言いかけた冬月だったが、異様に静かなゲンドウの目に見据えられてどうしても二の句が継げない。
 無言のまま、ゲンドウが顎をしゃくってモニターを見るように促す。

(何を見ろと? すでに初号機の上半身を青い使徒の細胞が覆いつくして……。そうか!)

「3号機の浸食率はどうなっている!」
「え、あ、はい! 3号機の浸食は60%を切っています! ですが初号機の浸食は30を超えて……。ああ!」

 マヤが恐怖と驚き、そしてシンジの意図を悟って思わず叫び声をあげる。見れば、3号機のエントリープラグを覆っていた青く輝く使徒の粘液が、今はうっすらと薄れているように思えた。

「伊吹君、エントリープラグの強制射出用の爆薬は残っているか!?」
「はい、あと1回ですが、まだ!」
「よし、直ちに射出を」
「……待て、冬月。チャンスは一回だ。確実にやらないといかん」

 命令と復唱の応酬が続く。絶望的な状況から一転して見えた希望に、異様な興奮が発令所全体を包んでいく。依然、ピンチなことに変わりはない。だが、一筋の光明に湧き上がった人間たちの歓声は止まらない。
 テレパシー……そんな便利な能力は勿論、誰も持ってはいない。だが、誰もが同じことを考え、完璧なタイミングでそれをなそうと身構えている。確かにその時、発令所の人間たちの思いは一つになっていた。

 不思議な事に、初号機の『噛みつき』という原始的な攻撃が、なぜか違う事をしているように見えた。
 3号機の腕はだらりと垂れ下がり、初号機の首を絞めてはいない。今は、初号機が3号機が倒れ込まないように支えるように抱きしめ、寄り添って、そして……。

『3号機の浸食……。51、50、49、48……40%! 3号機のパターンが青からオレンジに変わりました!』
『目視でエントリープラグ周辺の使徒の汚染がなくなったことを確認! 3号機パイロットのバイタル再確認!』
『強制射出、いつでもいけます!』

 青葉、日向、マヤの絶叫じみた報告を聞いた瞬間、ゲンドウが誰の耳にもスピーカーなしで聞こえるような大声で叫んだ。

「よし、3号機のプラグを強制射出!」

バシュウゥゥ……ン!

 宇宙開発ロケットが打ちあがる時のような音を立て、まだ僅かばかりに残る使徒の組織を引きちぎりながら3号機のエントリープラグが射出された。

「……!! …………!!」

 プラグがパイロットごと引き離された瞬間、心臓を抉り出されてでもしたかのように3号機が全身を痙攣させた。同時に、ゲンドウが椅子が倒れる勢いで立ち上がった。











 今はこんなに悲しくて。

『位相再反転! 初号機のATフィールドが正方向に変換しました。使徒の浸食、止まります!』

 涙も涸れ果てて。

 初号機の上半身を覆っていた青く光る使徒の組織が、ビニールシートを引きはがすように一気に初号機から剥がれ落ちる。
 再び3号機に戻ろうとするが、初号機のATフィールドに囚われてそれは果たせない。

 もう2度と笑顔にはなれそうもないけど。

 戻ることも進むこともできず、使徒の組織が初号機の眼前で青く輝いて一塊の球体になっていく。

「ウオオ―――ッ!!」

 雄たけびと共に初号機は形成された第9の使徒のコアをかみ砕いた。
 3号機に絡まっていた使徒の組織の残滓が形象崩壊し、赤い血液じみた液体となって滝のように降り注いだ。崩れ落ちた3号機の頭部を、止めを刺すように初号機が踏みつぶす。











「や〜れやれ。こんなことになるとはね。……まあ、これも一つの可能性なのかな? ユイさん」

 周囲10キロ以内は誰もいないはずの閑散とした町中に、その少女は確かにいた。双眼鏡をはずし惨劇から視線を反らすとため息を漏らし、それから肩をすくめた。緊張から流していた汗の冷たい感触に身震いする。
 真希波マリ・イラストリアス。それが彼女の名前だ。

「いつか笑って話せる日もきっと来る……」

 厳しく張りつめていた表情を少し緩め、眼鏡のレンズを煌めかせ、自他ともに認める大きな胸を揺らしながら、小さく笑みを浮かべた。

「それにしても無茶をするなぁシンジ君。さて姫。君はどうするかな? この世界のシンジ君は、ちゃんとやるべきことをやったよ」

 ダミープラグが起動され、姫ごと第9の使徒が殲滅されるという最悪の事態は避けられたと思う。予想外のシンジの頑張りに目を細めつつ、姫がいない昨日の彼は凄かったからニャ♪これくらいできて当然だよね。と頬を染めるマリ。心底、巨乳でよかったと思う。こればかりはアスカもレイもかなうまい。

 それはともかく。

 おそらく、シンジは拘束されて徹底的な検査をされるだろうが、あの様子なら使徒に汚染はされていない。プラグ深度が下がりすぎて、もしかしたら人を辞めてしまってる可能性もあるが、それはある程度織り込み済みだ。遅かれ早かれ、エヴァに乗っている人間は人間を辞めざるを得ないのだから。だから彼に関しては大丈夫。問題はアスカが使徒にどれくらい汚染されていたかだが……。

(あれ?)

 慌てて双眼鏡を当て、数キロ先の光景に再び見入るマリ。
 半ば暴走状態だったはずの初号機だが、唐突に膝をついてうずくまり、同時にエントリープラグがイグジットされるのが見えた。間髪入れず、エントリープラグから人影が飛び出るのが見える。

「まさか……」

 使徒の肉片と鮮血がまき散らされた地面に、迷うことなく飛び下りてシンジが駆け出していく。おー、足が速い速い。いや、本当速いニャー。
 どこへ? もちろん、アスカの乗るエントリープラグの場所へ。
 何をする気? 汚染も何も考えず、かつてレイを助けたときのようにエントリープラグから姫を……アスカを救い出すつもりなんだろう。

「めぐるめぐるよ時代は巡る、か」

 無茶しすぎだよワンコ……もとい、シンジ君。
 自分がどうなるか、なんて彼は微塵も考えていないんだろう。
 それは蛮勇という行為で後先考えない愚かな行為なんだけど、不思議とマリは不快感を覚えなかった。たぶん、彼の行動やこの成り行きはユイの計画とも違う結果になっている。それがたまらなく愉快だ。
 好きだけど嫌い。時々、ユイの事を思い出すとそんな二律背反した想いを抱くことがある。才能と決断力は素晴らしかったけど、思い付きをだれにも相談せず、自己中心的に実行する。そして時折大惨事になる。その豪放磊落で後先考えないあの人を、無性に引っ叩きたくなることがある。

「少なくとも、ゲンドウ君やゼーレの考えている計画とは完全に別物になっているだろうね」

 さすがに遠すぎてもうシンジは見えない。
 だが、使徒の組織で満たされたエントリープラグから、アスカを救い出している光景が見ているようにマリの脳裏に浮かんでいた。ちっとも良くないけど、文字通り白馬の王子様に助けられてるよ姫。

「ま、こうなったら私もできる限りの事をして、あの不器用な二人を助けてあげないといけないニャ♪」

 こう、何もかも予想外のことが起こりすぎて何も先が見えなくなってしまうのは、些か以上に不安を覚えるが、その未知という状況がたまらなく刺激的で、楽しいと思ってしまう。とかなんとか思ってると、ウルトラオーバーラッピングした同志の魂が内側で目を覚まし、怒りのあまり分離しようとしているのを感じる。慌てて宥めすかし、落ち着かせる。

(ちょ、ちょちょちょ待って! 君たち気が短すぎるよ! あ〜もう、色々台無しだってば!)

 予定とは少し……いや、かなり違う感じにはなったけれど、なるようになれ、だ。

 現実では一瞬だが、マリからしたら数時間にも及ぶ説得をどうにか終わらせ、ホッとため息と共に肩の力を抜いた。意見の相違はあれど、皆シンジの幸せを願っていることに違いはない。
 ゆっくり息を吐き出しながら、今頃アスカを抱きしめ、ひょっとしたらキスでもしてるかもしれない王子様の姿をマリは思い浮かべた。その顔は慈愛に満ちた母親のようでいて、弟をからかう姉のようで、なによりこのままアスカに全部任せることに納得できない恋する乙女の様だった。

(他人を幸せにするためには、まず自分が幸せになること……だよね)

 そうだそうだと皆言ってる。

「……よっしゃー! 方針変更!
 ごめんねー姫。でも大丈夫。たぶん、これから君ら大変なことになると思うけど、希望を捨てずに待ってなよ!」

 どんなことになっても、必ず迎えに行く。絶対、助けてあげるから。











 凄まじい攻撃力を見せ、地上戦力を一方的に蹂躙する第10の使徒の出現にジオフロントの発令所はてんやわんやの状態だ。
 目まぐるしく変わりゆく情報と状況に、吊った腕も痛々しい姿を見せながら目を光らせるミサト。

「地上での迎撃は間に合わない! ジオフロントにエヴァー各機を配備して! 零号機は!?」
「左腕の復元は完了しています、しかし……」
「動けるなら問題ないわ! 零号機はバックアップとして後方配置に回して! 2号機は!?」
「既にパイロットは搭乗して出撃準備はできています! しかし、本当にいいんですか?」
「背に腹は代えられないわ。第4の少女……真希波マリの実力、見せてもらいましょうか」

 モニターに映る三機そろい踏みのエヴァンゲリオンと、最強の拒絶タイプ『第10の使徒』をモニター越しに睥睨しながら、ミサトはきつく奥歯を噛みしめた。











「君が……6号機のパイロット」
「そう、カヲル。渚カヲル。それが僕の名前だよ、碇シンジ君」

 第10の使徒との戦いの終結直後に現れ、謎めいた言葉を漏らした『第5の少年』こと渚カヲルとシンジの邂逅。
 ジオフロントの破壊を辛うじて免れた東屋で二人は出会う。

「相変わらずガラスのように繊細だね君は」
「……ちょっと近いんだけど」

 これまで散々された加持からの意味不明のアプローチで鍛えられたのか、シンジの受け答えは自然で、そしてわかりやすい拒絶だった。カヲルの動きに合わせるように後ろに身を引き、物理的な感触を伴っていそうな『近寄るな』と言わんばかりに敵意を込めた視線で結界を張る。
 何と言うか素っ気ないを通り越してあからさまに不快な表情を浮かべるシンジに若干、涙目になりつつ言葉を続ける。

「くっ……ガラスはガラスでも防弾ガラスのように強靭だね、今の君の心は」
「何か用? 僕、アスカのお見舞いに行かないといけないんだけど」

(こういう、僕に好意を向けられても迷惑だ、みたいに考える強いシンジ君も新鮮だね。ふっ、どんなシンジ君でも素敵だよ)

 やっぱり、不埒な事に体の関係を持つどころか婚約までして、2号機パイロットの彼女といろいろ結び付きができたせいかな?と内心でカヲルは考える。

「2号機パイロット……第2の少女。彼女は使徒に犯され汚濁にまみれて汚染された。使徒そのものになった可能性があるため、封印柱を体内に埋め込まれて、そして万一の可能性に備えて対爆隔離施設に閉じ込められているんだったね。だからお見舞いと言っても、ほんの数分、通話機越しに会話することしかできない。
 リリンの罪の証にして恐怖の対象……か」
「おい、それ以上言うな! 君にアスカの何が分かるって言うんだよ!
 そんなことあるわけない。汚染や浸食は全部、洗浄されたってリツコさんが自分で言ってるんだ! みんな大げさなだけで、アスカは大丈夫なんだよ! 使徒なんかじゃない! 仮に使徒だったしても、アスカはアスカだ!」
「そう、だね。すまなかったよ。今の君にとって彼女は何物にも代えがたい存在なんだね」

 だが、彼の思いとは裏腹に間違いなくアスカの体内には使徒の残滓がこびりつくように残っている。
 勿論、それをシンジに告げるつもりはない。最悪の初対面でこんな敵を見るような眼をしているシンジには。更に目を凝らして確認するまでもなく、はるか後方から自分たちを見ている視線を感じる。
 綾波レイそれに真希波マリ。

(やれやれ、ある意味、恋敵を応援する様な事をしようとするなんて……他人どころか、僕は人間の事が本当に分からない)

 だがそれを受け入れようと彼は思う。
 人間どころか自分自身の事もわからない。
 この気まぐれこそが、彼を枯れたら占めている要因。自由意思。

 ニィ……と、一瞬、口許が耳まで裂けているかのような錯覚を覚える笑みを浮かべたカヲルは、レイのそれよりも濃い、まるで血の赤のような瞳を輝かせて囁いた。

「彼女を救う方法がある。失敗の可能性が高いしその時は君も犠牲になるが、助けられる可能性があるとしたら。……君はどうする、碇シンジ君」

 聞くまでもなかった。

 強い意志を秘めた真っ直ぐな目がカヲルを正面から射貫くように見つめていた。
 カヲルの望んだ形ではないし、カヲルの思う形の幸せにはならなさそうだけど、シンジには決断して結果を受け入れられる覚悟があった。

「君の決断を尊重するよ……」





終結






初出2021/07/04

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