肉体決済 〜レイが全てを売り渡した放課後〜



01.悪魔の譲渡契約書

夕暮れが近い。校庭に面したその部屋唯一の窓からは、ガラスを閉じていても通して小さく、部活動に跳ね回っている生徒達の声が聞こえてきていた。
喧騒の気配は、余計に部屋の中の淀んだような静かさを際立たせるものだったが、レイも、そしてレイが訪ねた元クラスメイトの少年、相田ケンスケも、それが当たり前のように無言のままで、やり取りというものを交わす様子は無かった。

「……で?」

カメラのレンズを磨く手をようやく止めて、ケンスケは口を開いた。

「綾波がわざわざ俺の部室までくるなんてさ、珍しいじゃない。何か用?」

レイは西日を背にした声に微かまぶしそうに目を細め、頷く。


イラスト:目黒腹蔵さん「handache」



「ふぅん?」

ケンスケの頬肉をむず痒く気引き攣れさせたのは、嬉しくも無く喚起させられる自覚だった。
その通りだろうよと。理由も無しに自分などの元へ足を運ぼうなどと考える人間は、ましてや女の子などいるわけがない。

今、彼とレイの二人しかいないこの狭いスペースは、普通の教室を三分割したに相当する。
資材置き場でしかなかった使い勝手の悪さ、薄暗さを買って、暗室を兼ねた写真部部室として使用されていたのだが、「俺の」と口にしたように、久しくケンスケの実質的占有下にあった。
現在の写真部には、ケンスケしか人がいない。
それどころか、文科系の部活が以前に増して活気を失っているせいで、廊下に出ても辺りの気配は希薄に過ぎる。

第3新東京市自体、復興は手に付いたばかり。暫く前まで休校状態にあった第一中なのだ。
一日の内で一番部活動が賑やかで当たり前の時間帯がそれらしさを取り戻すには、疎開したままの生徒達がどれほど戻ってくるかに尽きた。
その校舎の静けさは、たった二人きりで―― しかも、何かと噂のあるケンスケと―― こんな密室に篭るには危険だと、女の子を警戒させて遠ざける筈のもの。

だがそれは、逆説的には来訪者の用向きを彼に極端に分かり易くさせる。
やってきたのが男なら、それこそ目当てはケンスケの裏商売の片一方、女子達の写真を買いたいという話だろう。
いずれにしても、この人気の無さを却って有り難いと思う手合いしか、ドアを叩いたりはしないのだ。

故に、『何の用?』と聞き返す必要は本来は無い。
確認を取ったのは、やって来たのが他ならぬ綾波レイだったからだった。

「……そう。俺に、用事、ね」

レイはもう一度頷く。
部屋に入ってきたから一度たりとも外されない視線は、ケンスケの目を見詰めたまま。

「……調べて欲しいことがあるの」
「調べるって、俺より綾波の方が詳しいんじゃないの? まだ、綾波もネルフなんだろう?」

レイはそこで微かに目を伏せ、首を振る。

「正しい調べ方が分からなければ、答えの近くにいても意味は無いわ」

自分では上手く突き止められなかった。
きっと、こういう事に向いているのはあなただろうから。そう評判を聞いたからと。

「……あなたに調べて欲しいの」

(はは、マジかよ……)と、それ以外は無いと予測していて尚、レイの言葉はケンスケに快哉を呼んだ。

本来ならば、「気持ち悪い軍事オタク」で「盗撮魔」の相田ケンスケに会いにくる筈が無い。そんなお高く止まった生き物であるのが、女子たちだ。
特にそれが綾波レイならば尚更。
定められたルーチンワークをこなす程度にしか学校生活を捉えていないらしいのに、無意味な行動の一つも自分にしてみせる―― そんな誰かのように「特別」たる理由は、相田ケンスケは持ち合わせていない。
持ち合わせていないのに、やって来る。それならばと。
口笛でも吹きたい気分だった。

「そっか、なるほどね。そうなんだ。……まぁ座ってよ。話を聞かせてもらうから」

椅子を勧めながらも、ケンスケはもうニヤニヤとしてしまって収まらない。
以前はここで、良い相棒だった鈴原トウジから声が掛かった。『なんや、えらい嬉しそうやなぁ』と。
それくらいに隠しようもなく口元は緩んで、パイプ椅子を引っ張り出す動きも浮かれていた。

本当なら、レイが部屋に来た時から用向きをすぐに確かめたくって仕方が無かったのだ。
それをもしも間違いだったらと、逸る気持ちをレンズ磨きで落ち着けようとして、手の震えが止まって格好が付く位までは待たねばならなかった。

(落ち着け、落ち着けよ……。ここが勝負どころだからな。クールに、クールにだ。相手はあの綾波だ、間違っても舐められたりしないように……)

椅子を置いた位置はケンスケに近過ぎるくらいか。
黙って腰を下ろしたレイも、自分の膝とスカートから覗く綺麗な足の膝がくっ付きそうに、にじり寄る格好でも文句も付けない。それは今までの子たちと一緒だ。
これが嬉しくならないわけが無い。

―― 既に駆け引きは始まっているのである。

「そんじゃさ、詳しい内容を聞く前に確認させて貰うけど……、俺を情報屋として利用する気ってことは、“支払い”の話も聞いて来てんの?」
「……ええ」
「ちゃんと? ……誰からさ?」
「…………。詳しい話は教えてはくれなかった。それでも、見合うだけの代価は用意するわ」

ここで快哉がまた一つ。
腕組みで隠した拳はグッと握り締めている。
漠然と捉えてのつもりだろうが何だろうが、確認が取れたのなら、それはもう覚悟の上という意味だった。
言質を取ったという事だった。

「まぁ、良いけど。普通の高いってのとは違うぜ? 今更、戒厳令下で金を貰ったってそんなに使い道なんて無いんだからさ」

都市全体が余裕を失っている状況では、ケンスケのような少年には、贅沢のしようが無いというのは事実だ。
店先で買える物も生活必需品が主で、以前なら熱心に遣り繰りを考えて手に入れようとしていたカメラもパソコンのパーツも、非正規のルートを通してさえ碌な物が無い。
今現在のケンスケの手持ちの環境こそが、望み得る最高のスペックと言って良いのである。
その装備があるからこそ、こんな情報屋紛いもしてみせることが出来ていたのだが、逆にそうやって客が寄ってくるようになっても、受け取る現金には以前と同じだけの魅力を感じない。
「だから」だと、そう吹き込んで見せればその言葉は実に説得力を持つように見せられたものだった。

「俺みたいなシロウトが裏口から引っ掻き回したって、ネルフ相手じゃ漁れる程度は知れてるけどさ。でも、ネルフも以前のオリジナルのMAGIじゃないだろう?」
「オリジナルは日本政府が赤木博士と一緒に持って行ってしまったわ。……今のものは予備に過ぎない」
「お陰で助かってるよ。相変わらずエヴァのことなんかはガッチガチのプロテクトが掛かってるけど、それ以外なら大抵のことはザルになってるもんな」

『……ちょっと脇に逸れちゃったか』と、ケンスケは改めてレイに向き直った。

―― で、綾波の調べものって、早い話が碇のことだろ」
「ええ、その通りよ」

こくと頷くレイの寄越す、でも何故そのことをと、問いたげな空気。

「……前にも同じような頼みごとしてきたやつが居たからさ」

(それだけお前が必死になることなんて、他には無いだろ?)

それを指摘してやるのは面白いことではなかったから、ケンスケはその分だけ残酷になれそうな気分で続きを口にした。

「そっちは請け負うよ。大丈夫、ちゃんと見付けてやるって」
「……でも、碇くんは――
「エヴァのパイロットだったって言うんだろう? でも、トウジの居場所は見付かったぜ」
「鈴原くんを?」
「ああ、それで委員長に、な」

ヒカリの名を聞いたレイは、得心のいったような顔でいた。

(成る程、やっぱり俺のことを聞いたのは委員長からか)

ケンスケは、眼鏡を拭こうかというふりをして持ち上げた腕の影で、見えないようにほくそえんだ。
やはりケンスケとの取引に応じた彼女ならば、街から他へ移されたシンジの行方を案じるレイを気にせずにはいられなかっただろう。
自分も同じ立場だからと、そんな乙女心で共感したのに違いない。
躊躇いはしただろうが、見るに見かねてか。

それにと、

(助かったぜ。あの程度の“代金”なら、どうしてもなら、綾波にも我慢しさえすればって教える気になれただろうからな。……ま、それでもはっきりなんて話せやしないのが委員長だろうけどな)

この部屋で、羞恥で真っ赤になりながら“支払い”をするヒカリを、脳裏ににやと思い浮かべる。
潔癖症はまだまだ健在かと、先を推し量る。それも愉しみの一つ。

(言えないほど恥かしい真似をさせられた―― くらいか)

どっちにせよ、幸いだったよなと思うのだ。
元々は、彼女の交友の他の方向を考えて、無茶な払いを迫るのを手控えていたのだが、綾波レイを釣る餌になったのは嬉しい予想外だったと言える。
レイをこの場へ導いてくれた。これから手に入れる愉しみを思うだけでこみ上げる歓喜の程は、同じ類の取り引きを女の子に持ち掛けるようになって、今日まで三本の指に入るだろう。

「実績がある分、信用してくれていいぜ。第一、期待もしないでここに来たわけじゃないんだろう?」
「ええ。……お願いできる、かしら?」

目の前でぶら下げられた「実績」という名の餌はそんなに魅力的だったのかと思うほど、レイの普段は素っ気無さの塊の様な能面からは、期待が滲み出していた。
任せろと言ってやると、『ありがとう……』と、いかにも嬉しそうに。
正直、ケンスケはそんな綾波レイの笑みだなんて、はじめて目にするのだ。

(……畜生。なんで碇のやつばっかり……)

ムカツク、と思った。

「じゃ、代金は後払いで良いからな」
「……ええ」
「碇の居場所が分かったら教えてやるから。綾波はその時までに準備とけよ」
「……? 準備?」
「心の―― ってやつさ。分かるだろう?」

嬉しさに、さっきまでは聞き逃していたのだろう、怪訝な顔。
思ったよりも単純なんだなと、

「ネルフ相手に危ない橋を渡るんだ。その分見合うだけ、俺も嬉しいってものを貰わなきゃさ」

ケンスケはなるたけ厭らしく見えるように唇を吊り上げた。

「親波みたいな綺麗な子にお金以外でって言えば、……分かるだろう?」
「…………」
「助かったよ。その様子だと、綾波も意味が通じないほど子供じゃなかったことだよな」

いっそ鮮やかなと表現出来るほど、一瞬でレイの放つ雰囲気は苦々しいものにと変わっていた。
ヒカリが―― きっと何度も口篭りつつ、言い難そうに、可能な限り迂遠に自分の場合を明かしながら、そして時には思い直すようにとも忠告しつつ、どんな“支払い”になるかを伝えたのだろう。
それを思い出したのだ。

「……へへ、一晩付き合えよって言ったら……どうする?」
「……無駄な時間を使わせたみたいね」

さっと立ち上がり、背を向けようする。

「帰るわ」

綾波レイは、一瞬の迷いも見せやしない。

「待てって、冗談だよ。ほら、綾波もいろいろ聞いてるだろ? 俺ってやつは、碇と違って下品に出来てるからさぁ」
「……卑屈な言い方をするのね。自分のことでしょう?」
「飾ったってしょうがないさ」

ドアの一歩手前で振り返ったレイに、ケンスケはヘラヘラと笑ってみせた。
警戒されない程度に歩み寄り、話を最後まで聞けよと。
軽薄に、誤魔化しながら―― もう一度アプローチを練り直すのだ。

(思った以上にボーダー低いのな。……ちっ、碇が居るから許す気が無いってんなら、腹立つな)

「それにさっきのだって、丸っきり嘘ってわけでもないぜ? 綾波も聞いて覚悟はしてきてたんじゃないのか? 俺がスケベだから、恥かしい目に遭わされるってさ」
「…………」

黙り込んだのは、その通りだと言ってるようなもんだよなと、まだ主導権は握っていることを安堵する。
想像していた程度がどのくらいかは知らないが、少なくとも、綾波レイは自分から「スケベなこと」をされるつもりで、それでもとケンスケを訪ねてきたのだ。
その事を思い出させ、自覚させ続けることは、この取り引きで優位な立場に立つことを意味する。

ここが先途と、ケンスケはポケットの中に突っ込んだ手で汗を握り締めていた。
それでもヘラヘラと笑って、分かり易い目付きで、釣り上げかけた獲物をあからさまに頭からつま先まで舐め回す。

制服の上からでも分かるその膨らみは意外に「育った」もので、ほっそりした腰周りの癖に、お尻にはむしゃぶりつきたくなるような女らしさがある。
盗撮に捉えたそのレンズ越しで、ケンスケは何度も拝ませてもらったものだ。
裏で商いにした写真ででも、それくらいは教えてやった男子が幾らでも居るが、更にその乳房の白さと頂のピンクの色づきの美しいコントラストを知っているものは、自分一人だろう。

その、普段は出来るだけ女子の前では覆い隠しているつもりのスケベ心を、それとはっきり視線に乗せる。
言わばこれが、レイに対する「その気」のあるか無しかの最終確認だ。

「…………」

レイは小さく眉根を顰めて、守るように腕を体の前に回した。
水着姿の胸をどんなにジロジロと男子に盗み見られていても顔色一つ変えなかったあの綾波レイが、随分変わったもんだなと思う。

「碇の居場所が知りたいんだろう? その為にならって、健気に決心してきたんだろ?」

所詮は餌に惹かれるまま、持った腕を大きく上げれば、釣られて手を伸ばすしかない―― そんな弱みを、鴨葱よろしく背負って来るのが、ここの客だ。
あの綾波レイと言えども、その中の一人でしかない。
だから、ケンスケの言葉に、それが彼女の精一杯感情を露にした渋面らしく黙り込んでみせても、拒絶しきれはしないのだ。

「そんなに無茶は言わないよ。碇に申し訳ないって思ってるんなら、そんな事まではさせないしさ。……第一、碇に会えなかったら義理立てもへったくれもないんじゃないのか?」

―― レイは結局、その細いたおやかな首を縦に振ったのだった。



◆ ◆ ◆



「……それで、私は何をすれば良いの? まだ聞かせてもらってないわ」
「そんな怖い目で睨むなよ」

とは言え、ようやく針に引っ掛かったばかりの獲物だ。ケンスケはまだ途中で逃げられる危険性も考慮に入れて答えねばならなかった。

「他のお客さんと同じさ。綾波の持ってる中から何かを渡してもらう。単純に物とかに限るわけじゃなくて、俺が面白いと思うなら何だって―― そう、例えば綾波の一部でもね」

そんな話、読んだことないかい? と。

「取り引きの代金に片目をくり抜いて渡した神様、なんて話もあるだろう? とにかく、所有している権利の一つでも、何でもさ。それで、俺のものにさせてもらうって寸法」
「……そう。……彼女には?」
「悪いけどその質問には答えられないね。商売の上で顧客情報は一番の秘密だよ。……だから綾波も安心して良いぜ? 何をされたかなんて、誰にも知らせやしないからさ」
「……そう願いたいわ」

事ここに至って、諦めたようなレイの口振りだった。

もっとも、(その委員長みたいに、自分から半分ばらすような真似をするなら話は別だけどね)と、今回のケースから思い巡らせているのが、ケンスケだったのだが。

「情報屋なんて言ってたって、結局は泥棒さ。……知ってる? 昔のアラブの王様は物を盗んだ犯人を捕まえたら、その手をちょん切ってしまったって話だぜ」

支払いの話をしていたのではないかと、レイの赤い瞳は怪訝そうに見返す。
何を言い出すのか、さっさと用件を済ませて欲しいと暗に要求してきているのは、さすがにケンスケに嫌気が差したからだろう。
出来れば一刻も早く部屋を出て行きたいに違いない。

「ネルフもヤバさで言えば同じくらいだって話さ。……で、そうなったらさ。綾波はどうしてくれる?」
「長々と聞きたい気分じゃないの。ほっきり言ってほしいわ」

不機嫌さを声に出して言う。
感情的になっているレイは、やはり物珍しかった。睨み付けられていても、今のケンスケにはそう暢気に鑑賞していられる余裕がある。

(綾波、やっぱり怒った顔も綺麗だよな)

しかし、そのシンジくらいしか見た事の無かったろう―― ある意味で豊かな―― 表情を引き出した代わりに、これでもう、今までのように「少しは親しいクラスメイト」といった対応を返してくれることはあるまいと分かる。
どうせ元々シンジのオマケじみた扱いで、お情けで口を利いていてくれたようなものだ。

―― その代わりに、俺はもっと良い思いが出来る関係ってやつを手に入れる。シンジよりも、な……!)

だから、ケンスケはレイから頂いてしまうつもりなのだった。

「あなたは、私に何を望むの?」
「……オッケー。はっきり言うよ、その手さ。ヤバい橋を渡って引き換えにってんなら、綾波のをくれってね」
「私の……手?」

そうさと。

「俺は碇の今の居場所を調べてきて綾波に渡す。そしたら代わりに、綾波はその綺麗なお手手を俺のものにさせてくれる。別にちょん切って渡してもらう必要はないけど、その瞬間から持ち主は俺だ」
「……それは、私は手を自由に使えなくなるということ?」
「そこまでは要求しないよ。ただ、俺が使いたいって時は言う通りにするんだぜ? 君の手が俺の手ってわけさ。何でもやって貰う。……それで文句が無ければ取り引きは成立だ」

迷うようなレイだったが、予想していたような性的な搾取とは違う予想外さが警戒心に隙を作ったのか、

「ほら、どうするのさ? 決めるんなら早くしてくれよ」

ここぞと余裕を与えずに急かすケンスケに、詐欺師に通じる話運びの巧さがあったということなのか。
事の次第はほんの数日後、ケンスケが大して手間取った様子もなくあっさりと小さなノートの切れっ端をレイに渡し、翌日の彼女が周囲を何事かと驚かせるほど上機嫌だった―― その頬の紅潮が、うって変わって青褪めた放課後にと移る。




Menu Next


Original text:引き気味
Illust:目黒腹蔵さん

From:エロ文投下用、思いつきネタスレ(3)