act 9

 風光明媚な山道を、二台の車が疾風となって駆け抜けていく。
 初めはハイネルから託された、ハイネルの夢が詰まっているという封筒を守りぬくことばかりを考えていたグーデリアンだが、そのうちにその存在さえも忘れた。
 『速く走りたい』という、彼の内を占める本能が頭をもたげはじめる。
 相手は、少なくともカートやジム・カーナ、とにかく何かしらのプロ的な技術を学んでいるはずだった。巧みに車を操っているグーデリアンにそれほど離されることなく、食い下がっているだけで大したものだ。
 バックミラーでちらりと黒い車体を確認し、グーデリアンは舌で唇を湿らせた。口元にはあいかわらず笑みが刻まれている。

 ・・・・楽しいのだ。心の底から。こういうとき、グーデリアンはつくづく自分の性を思う。スピード・ドランカー。カー・ジャンキー、レースフリーク。言葉を変えても意味は同じ。マシンを走らせることが楽しくて楽しくて仕方がない人種だ。


「ついて来てくれよ。お楽しみはこれからだからな!」



 グーデリアンはめまぐるしくハンドルを切った。わざとリヤタイヤを滑らせ、相手の車の目の前でマシンを振る。
 あまりにもあからさまな挑発に、男はサングラスを投げ捨てた。茶色がかった黒い瞳は豹のような獰猛さでグーデリアンの後ろ姿をにらんでいる。
 バックミラー越しにその様子を満足げに眺めた後、グーデリアンは自分の右手にしつらえられたカーナビに目をやった。
 レーサーの目で瞬時に状況を把握し、より『楽しい』道筋を選び出す。
 より楽しい道とは、つまりより走りにくい道のことである。起伏が激しく、左右の切り返しの激しい山道。
 グーデリアンは巧みに相手を誘い、奥へとマシンを走らせる。大きく左に切り込んでいくと、後ろから追いすがる相手がタイヤをきしませながらついてきた。
 本音を言えば、いくらプロはだしの腕を持つとは言え、男はグーデリアンの欲求を完全に満たすには役者不足だった。だが、この銀のマシンを走らせる喜びだけは存分に味わうことができる。


 マシンとグーデリアンは、まるで完全に一体となってしまったかのようだった。本来ならば曲がりきれないと思うようなスピードを出していても、魔法を見ているように駆け抜けていってしまう。
 後ろから追いかけている黒づくめの男は、どうやらようやく自分がグーデリアンの相手をするには力が及ばないことを悟ったらしい。左手でハンディートーキーのようなものを取り出すと、何か話しはじめた。

『・・・で、相手にはならない。・・・・ハイネル・・・・は・・・』

 オープンカーで疾走しているため吹きつける風の音が強く、さらに相手は後方を走っているため、ほとんど聞き取れないはずの言葉だったが、耳のいいグーデリアンは、言葉の断片だけは拾い上げることができた。敵はやはりハイネルのことを知っているようだ。狭い森の道を抜けながら、そろそろ本気を出してうるさい後ろのハエを追い払うことを考える。
 相手に不満が残るとは言え、久しぶりのバトルだったし、このマシンに乗っているだけですさまじいまでの満足感が得られる。もう少し遊んでいたいのは山々だったが、ハイネルが絡んでいるとなれば別だった。いつまでもムダな時間を費やしているわけにはいかない。


 「じゃ、あばよ!」


 グーデリアンは大声で言うと、急に進路を右に変えた。道のない森の木々の間を通りぬける。反応が遅れた後ろの車は、とっさにその動きについていくことができず、直進してしまった。慌ててスピンターンをするが、そのときにはすでにグーデリアンのマシンは木々の間に消えてしまっている。

 まばらにしか生えていないとは言え、木々と木々の間を車で抜けていくなど、グーデリアンが持つ卓越したドライビングテクニックがなければ不可能だっただろう。だが、彼は鼻歌まじりで森をすりぬけていく。少し走れば、大きな道と交差するはずだった。その道に入ってしまえば研究所までは楽なルートをたどることとなる。

 無事無傷で森を抜けて道に出たときは、相手を出しぬいた痛快さにグーデリアンの顔に満足そうな笑みが浮かんだ。だが、しばらくしてその笑みが止まる。
 バックミラーの位置を手で調節し、グラサンのレンズをはねあげてミラーをのぞきこんだ。


 右手後方から、みるみるうちにマシンが一台近づいてくる。


「マジかよ」

 
 グーデリアンが少し呆然としたような声を出した。ルートを変えて完全に敵をまいたと思っていたのに新たな追っ手が現れたこともあるが、なんと、ルーフを閉めているとは言え、後方の相手も今自分が乗っているマシンとまったく同じタイプのマシンに乗っていたからである。
 しかも、数百メートルもいかないうちに、グーデリアンはあることに気づいていた。新たに現れた後ろのマシンをドライブしている人間も、何らかのプロ的な運転技術を叩きこまれた者である。カーブ一つを曲がるときのスムーズなシフトチェンジ、確実なライン取り。同じように技術を磨いたグーデリアンの目にはすぐにわかるのだ。

 サングラスのレンズを元に戻し、ハンドルを握る手はゆるめずにグーデリアンは考える。ハイネルが用意してくれたマシンは、ハイネルの取引会社の一つで用意してくれたものだと言っていた。そして、今後ろを走っている車もまったく同じものだ。これほどの作り込みをなされたマシンが、簡単に手に入るとも思えない。
 ・・・そして、ハイネルをヘッドハントしようとしている会社の存在。取引会社の一つがこれほどすばらしい車を作っているくらいなのだから、ハイネルの会社は少なくとも自動車生産と何らかの関連を持っているのではないだろうか。
 ・・・・そして、敵方の会社も。
 ここまで考えが及んだときに初めて、ハイネルが会社でどんな仕事をしているかさえ自分が聞いていなかったことに、グーデリアンは気づかされたのだった。今となっては、あんなに近しく感じている相手だと言うのに、考えてみれば妙な話である。
 だが、それも自分達らしい、とグーデリアンは思い、こんな時だというのにクスリと笑ってしまった。


 後方を走るマシンにも聞こえるよう、大きな声を張り上げる。

『何台来たって一緒だぜ!オレが一番速いってことを確認するハメになるだけさ!それでもいいならついてきな!』


 ことさらアクセルを踏み込んでみせると、マフラーが派手な音を立てた。まるでマシンが威嚇し、吠え立てているようである。先ほどの男と同じように少々遊んでやるつもりで、ほんの少しだけスピードを緩める。
 カーナビによると、数百メートル行ったところで左右連続の複合カーブがある。まずそこで相手の力量がどれほどのものかわかるだろう。

 再びバックミラーごしにグーデリアンは敵の姿を拝んでやることにした。とたん、憤慨する。

 ルーフをおろしているのでよくは分からないが、鍛えられた体躯を持っていた先の男とは違い、運転席に座っていたのがずいぶん細面の男だったからである。
 先ほどの男と同じようにサングラスをしており、長い前髪が額にかかっているせいで顔立ちまではよくわからなかったが、恐らく非常に整った目鼻立ちをしているであろうことは見てとれる。もしグーデリアンと同じようにルーフを開け、オープンにしたならば、その絹のような細い髪が風にサラサラと舞うことだろう。
 いかにも線の細い美青年、といった風情に、グーデリアンはさらに闘志をあおられた。
 ハッキリ言って自分のルックスには自信があるので、青年に対するやっかみというわけではない。ただ、そんな華奢な人間にマシンを操ることができるのか、という揶揄にも似た気持ちからである。レーサーとしてのプライドを刺激されたのかもしれない。

 

 複合カーブに差しかかった。
 始めは右へときり込み、その後すぐに左へのカーブが待っている。グーデリアンは大きくアウト側にラインをふくらませ、幅いっぱいにマシンをスライドさせた。カーブへの進入角度をより鋭くするためである。
 カーブへの進入前に大きくマシンを振るのはレーサーとしてのグーデリアンの特徴だった。左右のコース幅をいっぱいに使って鮮やかにカーブを駆けぬけていく様は見た目にダイナミックだし、なにより速い。

「何っっ!」

 だが、一瞬の後、グーデリアンは驚嘆の声をあげることとなった。グーデリアンが右カーブに備え、対向車線側にまではみ出して大きく左にマシンを振った頃合を見計らい、後方のマシンが空いた右のスペースにマシンを強引につき入れてきたからである。あまりにも無謀な行動だった。

「このヘタくそっっっっ死ぬ気か!!」

 舌打ちとともにグーデリアンの怒号が鳴り響く。

 100キロはあろうかと言う高速でマシンをスライドさせている横に自分の車を割り入れるなど、自殺行為である。グーデリアンは思わず接触を避けるため、イン側、つまり右に切るはずだった手を緩めた。それでなくては二台ともクラッシュしてあの世行きだととっさに判断したからである。まさに、グーデリアンの超人的な動体視力とドライビングテクニックがあったからこそ成せた技だろう。グーデリアンの判断のおかげで、二台ともクラッシュという事態は避けられたはずである。

 それでも、相手のマシンはスピンを免れないだろう。

 グーデリアンはそう予測し、予想以上にタイヤを滑らせた自マシンの立て直しを必死で行いながら、横を通りすぎていったマシンのスピン音を待つ。

 だが、グーデリアンの横をすりぬけていったマシンはスピンしなかった。それどころか、グーデリアンがラインを開けるのを見越していたように、小さな軌跡を描いて右カーブを矢のように駆け抜け、その次の瞬間には瞬時にマシンの体制を立て直して左カーブに備えている。
 その走りは、不測の事態に陥ったものがする走りではない。明らかに、こうなることを意図しての先ほどの行動だった。

「なんて野郎だ!」

 シフトチェンジをめまぐるしく行いながら、グーデリアンが低く吐き捨てる。先ほどの無謀とも思える運転は、ドライバーの腕の未熟さからくる判断ミスではなかった。あのドライバーは自分の卓越した力量を踏まえた上で、グーデリアンのマシンをパスできると踏んだからこそ空いたスペースに飛び込んできたのである。さらには、グーデリアンのテクニックならば、二台の接触を避ける運転がとっさにできることをも見ぬいていたに違いない。恐るべきクレバーさだった。


 マシンを左右に振るライディングスタイルのグーデリアンとは対照的に、そのマシンはタイトなラインを描いて駆けぬけていった。ムダな場所は1ミリたりとて走らないのではないか、と思えるほど正確かつ精密なラインで前をいく。
 すさまじいドライビングテクニックだった。ダストや接地状態が悪いはずの公道で、まるで完全に整えられたレーシングトラックの上を走っているかのような滑らかな走りを続けている。
 ハンドルを握るグーデリアンの手が汗をかいていた。
 レースをしている時でさえ、これほど精神が昂ぶったことはない。乾いた唇を舌で湿らせ、サングラス越しに前を見据える。
 銀のマシンのテールが、自分を芯から煽ってくる。血がたぎり、魂の咆哮が聞こえそうなほどの興奮が体内を駆け巡り、目の前のマシンをとらえること以外、頭の中から消え去っていく。


 カーブを切り抜けると、何と前を行っていたマシンがわざとグーデリアンのマシンが追いつくまでスピードを緩めた。グーデリアンにとってはこれ以上ないほどの屈辱である。
 そのまま二台はしばらくの間スピードを出さずに並走していた。


「てめぇ、一体・・・・」


 ハンドルを手にしつつも横を見たグーデリアンの目が見開かれる。
 横を走るマシンのルーフが、電動音とともに移動していった。少しずつ屋根がしまわれ、オープンカーへと外観が変化していった。運転者が直に視界に入るようになる。
 こうして見ると、ますます整った顔をした青年だった。栗色の髪は激しい風に散らされている。

 青年は濃い色のサングラスを白い手で取り去った。一瞬だけグーデリアンの方を見る。口元には淡い笑みが浮かんでいた。




「ハイネル!!!」

 


 そのドライバーは、・・・・ハイネルは、整った顔に笑みを浮かべると、手である仕草をした。

 『1LAP TO GO』

 つまり、『一周勝負』のことである。
 もちろんグーデリアンにはわけがわからない。わけがわからないが、レースをすることでしかこの熱い血を鎮めることはできそうになかった。今はただ本能にしたがってマシンを走らせることにする。ハイネルが風に負けないように大きな声を出した。


「私たちは今まったく同じ条件だ。同じマシン、同じシステム、同じタイヤ。・・・・ルールはただ1つ、研究所に先に着いた方が速い。それだけだ」


 バサバサと風にあおられる金髪を一度ガシガシとかきあげると、グーデリアンは笑みを浮かべた。不敵な笑みだった。

「O.K。わけがわかんないけど、研究所についたら全部説明してもらうぜ、ハイネル。それに、こんなにわけわかんない状態にオレを巻き込みやがって、オレの方が先に目的地に着いたら、キスくらいで済むと思うなよ!」

 かえってきたのはハイネルの挑戦的な笑みである。明らかに『できるものならやってみろ』と言っていた。


「すっっごい濃密なのをお見舞いしてやるからな!後になって後悔すんなよ!」

 
 捨て台詞とともに、緩めていたアクセルを元に戻す。すぐにハイネルのマシンも後を追った。


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