act 10

 ハイネルの声がマシンから流れてきた。どうやら無線か何かでマシン同士がつながっているらしい。
 ちなみに、今彼らはクルージング状態で軽くマシンを流している程度の速度で走っている。


『いいか、これから30秒後に、カーナビに赤いラインで私たちが走行する道順が表示される。言っておくが、今から向かう研究所は先日設立されたばかりで、私も訪れたことはないし、この道を走るのは初めてだ。つまり、私たちはまったく同じ状況にいるわけだ・・・わかるな?』


 ハイネルの冷静な声は、不思議とグーデリアンの闘争心をこの上ないほどあおった。彼の響きのよい声は冷たささえ感じさせるが、その冷たさは触れれば痛みを感じ、やけどを負ってしまうような冷たさだった。
 危険なものに惹かれるのはレーサーの性である。そして、グーデリアンは天性のレーサーだ。獲物をねらう肉食獣のような獰猛な笑みが、口元に浮かぶのを止めることはできなかった。


『O.K。つまり、一瞬のうちにコースを覚えて、見事通り抜けてみせろって言ってるんだな?・・・ハイネルをぶち抜いて』
『そうだ。グーデリアン、お前にできるか?それが』


 グーデリアンは鼻で笑って返事に変えた。挑発的なその笑みに、ハイネルも口元をはねあげたであろうことが容易に想像できる。
 別々のマシンに乗り込み、声だけでつながっていながら、これほどまでに相手の存在を近く感じられるのが不思議だった。


 ほどなくハイネルの言葉通りにカーナビの画面に付近の道路状況が示され、中の一本のラインが赤く塗りつぶされた。前半は低速の複合コーナーが続き、後半には高速コーナーが待ち構えている。まるでこの日のために吟味に吟味を重ねたのではないかとかんぐってしまいたくなるほど魅惑的なコースだった。



『3』


 ハイネルがカウントダウンを始める。


『2,1』


『Go!』



「くっ」


 グーデリアンは低く吐き捨てた。スタートダッシュでほんのわずかだがハイネルに遅れをとったのだ。これはグーデリアンの腕がハイネルに劣っていたからではない。
 グーデリアンのマシンのタイヤの方が磨耗が激しいため、スタート時に路面にうまく食いついてくれなかったのだ。
 あるかないかの差ではあったが、相手はハイネルである。その差が致命的な差になることはわかっていた。
 案の上、最初のコーナーでハイネルに先手をとられる。


『スタートで私に遅れをとるようでは、とてもじゃないがプロのレーサーとしてやっていけないぞ!』


 ハイネルはそう挑発してきたが、彼はあきらかに素人ではなかった。レーサーとしてのフランツ・ハイネルの存在をグーデリアンは耳にしたことがなかったが、フォーミュラ・ケーニッヒ・・・いや、F1でさえ彼のテクニックなら十二分に通用するだろう。

 最初のカーブを、ハイネルのマシンはほとんど挙動を乱さずに走りぬけていった。一部のスキもない、キレイなラインを描いてあっという間にコーナーをすりぬけていく。

 並の人間ならば、目の前でそこまでの走りを見せつけられてしまえば、自分の腕との差を思い、あきらめてしまうだろう。それほど見事な走りだった。
 だが、今ハイネルの後ろで同じ銀のマシンを駆っているのはジャッキー・グーデリアンである。スピードにとりつかれ、スピードに愛された男だ。
 ハイネルのマシンの動きをすぐ後ろから忠実にトレースしつつ、グーデリアンの口元からは笑みがたえなかった。
 ワクワクしてたまらないのだ。体中の血がフツフツとわきあがり、アクセルを踏み込めと本能が耳元にがなりたててくる。


「まだだ・・・まだその時じゃない。お楽しみは、もう少し後にとっておこうぜ!」


 ともすればムリにでもハイネルを抜きに出たくなってしまう自分自身をなだめ、グーデリアンはステアリングを握る手に力をこめた。




『グーデリアンのマシンが・・・』

 バックミラーで後続のグーデリアンのマシンを確認しつつ、ハイネルはひそかに舌をまいていた。
 グーデリアンはハイネルのマシンの後ろにピッタリと張り付き、さきほどから彼の走りをほぼそのままトレースしている。ハイネルのマシンが通ったラインを、そのままたどっているのだ。
 そうすることによってタイヤを労り、マシンのダメージを軽減することができる。もちろん、先行のマシンを操る人間と同等以上のテクニックを持っていなければできない走りだ。口にするほど簡単なことではない。


『タイヤを温存する気なのか』


 思わずハイネルの唇から言葉がもれた。それだけ驚いていたのだ。
 ジャッキー・グーデリアンはアグレッシブな走りが身上で、時として無謀とも思えるアタックをしかける男だと聞いていたし、ハイネル自身もそう思っていた。これほどまでに計算ずくの、冷静な走りができる男だとは思っていなかったのだ。
 ハイネルのつぶやきを無線ごしに聞き取ったらしいグーデリアンが、笑いを含んだ言葉をかえしてきた。

『オレだって、コーナーに突っ込むばっかが脳じゃないんだぜ!ハイネルみたいなのが相手なら、それなりの対応はさせてもらうさ。・・・惚れなおしたろ?』

『・・・そんなセリフは、私を抜いてから口にするんだな!』

 とりあえずハイネルの口から否定の言葉が吐き出されなかったことにグーデリアンは気をよくする。

『上等だね!オレがお前をぶちぬいたら、キスにくわえてハイネルからの愛の告白だぜ。サイコーの優勝商品だね!』





 この二台だけのバトルをもし目にする者がいたら、不思議に思ったことだろう。
 命をけずるような、限界すれすれのところでしのぎを削りあう戦いをしていながら、どこか二台のマシンは生き生きとして、この危険ととなり合わせのレースを楽しんでいるように見えた。
 銀のマシンはまぶしく日をはじきながら、時には車体同士がこすれ合いそうになりながら共にアスファルトを駆け抜けていく。
 オープンカーのルーフは開けられたままなので、彼らは呼吸もままならないはずだ。ハイネルの栗色の髪も、グーデリアンの金髪も、激しく風に踊っている。



 もうコースも半ば以上を過ぎ、研究所が刻一刻と近づいてきている。
 残すは高速コーナーが2つ、連続して待ち構えているだけである。これまでにグーデリアンも何度かしかけてきてはいたのだが、ハイネルを抜き去るまでにはいたらなかった。
 後ろを行くマシンが前のマシンを抜くには、かなりのスピード差が必要だ。まして相手がハイネルほどのテクニックの持ち主となると、ますますそのチャンスは少なくなってしまう。


 高速コーナーの入り口が見えた。ここでハイネルをとらえなければ、グーデリアンに勝機はない。



 こんな時でもハイネルはまったくスキを見せなかった。イン側をしめ、グーデリアンがカーブの内側に飛び込んでこられないよう牽制しておき、ほとんどマシンをすべらせずにカーブにさしかかっていく。

 だがその時、グーデリアンのマシンが信じられないスピードでカーブに飛び込んできた。ハイネルが牽制していたイン側ではなく、アウト側にマシンを突き入れる。
 明らかにオーバースピードであり、通常では考えられない動きだった。このままいけば大クラッシュはまぬがれない。


『バカなっそんなスピードでは曲がりきれないぞっ!』


 ハイネルが驚愕の声をあげた。声には本気で焦っている響きがある。
 ハイネルが言っていた通り、グーデリアンとハイネルのマシンは、まったくのイコールコンディションだった。同じマシン、同じ設備・・・。だが、今の彼らのマシンには、決定的な違いが一つだけある。


 タイヤだ。


 グーデリアンのマシンの方がハイネルよりも長い距離を走行している上、こんなことになるとは想定していなかったグーデリアンは、かなり無茶な走行をしてきている。
 しかも彼らが走っているのは公道であり、当然レーストラックのように路面が整えられているわけではない。ほこりや小さな凹凸のために、かなりグーデリアンのタイヤは傷つき、熱で表面が溶けているに違いない。
 いくらハイネルの通ったラインの上を通ることでタイヤの負担を減らしていたとは言え、完全に摩耗をふせげるわけもなかった。
 今、グーデリアンのマシンはかなり運転しづらくなっているはずだ。タイヤが磨耗し、カーブ一つ曲がるのにもマシンがずるずると滑っている。
 言ってみれば、ハイネルは普通の路面を走っているが、グーデリアンは雨で濡れた路面を走っているときのようにマシンをコントロールしなければならないのだ。

 ただでさえマシンが思い通りにあやつれない状態にあると言うのに、グーデリアンは自らすべりやすい、カーブの外側へとマシンを飛び込ませた。自殺行為だ。

 あわててハイネルはブレーキに足をかけた。レーサーの卓越した反射神経と動体視力が可能にしたわざである。


「グーデリアン!」


 減速しはじめたマシンのステアリングを握ったまま、ハイネルは信じられない思いで目を見開いた。
 一瞬のブレーキングで速度の落ちたハイネルのマシンの目の前を、グーデリアンのマシンが追い抜いていったからである。

 グーデリアンのマシンのタイヤは完全にすべり、路面をつかむことができずに車体は大きくブレている。一度リヤの部分がアスファルトからはみだし、草地にタイヤがのってマシンがスピンしそうになった。
 だが、グーデリアンはその動きを逆に利用した。カウンターをあて、半ばムリヤリ、力技でドリフト状態にもっていく。
 まさにレーサー・ジャッキー・グーデリアンの真骨頂とも言える、クレイジーなまでにアグレッシブなドライビングである。
 ハイネルの目に、せわしくステアリングを操作し、自分の手足のように暴れ狂うマシンを見事に操るグーデリアンの姿が大きく映った。

 あわててハイネルもアクセルを戻すが、目の前にグーデリアンのマシンがあっては強引に前に行くわけにもいかない。


「やられた!!」


 本気でくやしくて、ハイネルは唇をかんだ。
 ふつうに考えると、あの状況なら、グーデリアンのマシンがハイネルのマシンに突っ込み、二台ともが巻き込まれる大事故になっていたはずである。
 そうはならなかったのは、ひとえにハイネルのテクニックが卓越していたからだ。
 グーデリアンは、ハイネルの能力を見極めた上で、彼ならば自分の動きに鋭く反応し、事故を回避する動きをみせるだろうと踏んだ。そして、見事に実行してのけたのだ。
 つまり、ハイネルが一度やってみせたことを、グーデリアンはそっくりそのままし返してきたことになる。
 自分の策で敗れてしまう。これ以上にくやしい負け方があるだろうか。


『どうだい?ハイネル。自分がやったのとおんなじやり方でオレにぶち抜かれた気分は!』

 無線ごしにグーデリアンの楽しそうな声が届けられてくる。
 もはやこの高速コーナーを抜けてしまえばオーバーテイクできるポイントはない。実質的に、彼らの戦いは先程のコーナーで決着を見ていた。


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