act 11
『お前の勝ちだな、グーデリアン』
少しの静寂のあと、ハイネルが口にしたのは勝者をたたえる言葉だった。一瞬のくやしさが過ぎ去ってしまえば、残るのは相手にたいする素直な称賛の気持ちだけだ。
たしかに抜かれた直後はくやしくてたまらなかったのだが、グーデリアンと戦っている間は一瞬一瞬が歓喜の瞬間だった。
だれよりも何よりも密度の濃いときを過ごしていると、心から信じられた。
『ありがとう。どんなレースに勝ったときよりうれしかったよ』
グーデリアンからも、心底うれしそうな声がかえってきた。
銀のマシンが二台、連なるようにしてカナダの山間を行く。
二人の心は、激しく熱いバトルを戦い終えた心地よい疲労感と、いまだ覚めやらぬ高揚感に支配されている。
前方に白く、真新しい建物が見えてきた。ハイネルが言っていたゴール、研究所だ。
数人が彼らの到着を出迎えにでている気配がある。その中には、グーデリアンに抜かれてしまった黒づくめの男もいた。
「ハイネルさん、勝敗は!?」
「見ての通りだ。グーデリアンが勝った、それだけだ。・・・いい勝負だったろう?」
グーデリアンが先行して研究所の敷地内に入っていくと、まず最初に駆けつけたのは、あの黒づくめの男だった。
「・・・・なんだよ、コイツ、ライバル社のヤツじゃなかったわけ?オレ、最初から最後までハイネルにだまされてたってコトなのか?」
「ハイネルさんはお前をだましてなどいない!」
黒づくめの男がグーデリアンにかみつこうとするのを手で制し、ハイネルは静かにグーデリアンを見つめた。
メガネを外し、髪もおろしたハイネルはまるで別人のように優しげなたたずまいだった。メガネ一つ、髪形一つでここまで印象の変わる人間もめずらしいだろう。
先程までのなごりで白い頬がまだ紅潮していたが、それ以外のどこにも、あのジャッキー・グーデリアンに寸分劣らぬドライビングを見せつけていたドライバーらしきところは見当たらなかった。
「ジャッキー・グーデリアン」
「え?」
「ブリード・加賀と組んで、草レースや裏のレースで活躍。戦績は優勝かリタイヤが圧倒的に多く、周囲の評価はキッパリとわかれる。レース資金を集めるために何でも屋稼業に身をやつしていた」
「ハイネル・・・」
驚いてハイネルを見つめると、彼は真剣な目で見返してきた。優雅な容姿を裏切って、その瞳は鋭く、冷たく燃える氷の炎のようだった。
・・・あの日。ロンドンで夢を語っていたハイネルの目。何かを激しく追い求め、けっしてあきらめない瞳だ。
「私はお前の経歴を知っていた。その点について黙っていたのは認める。気を悪くしたのならすまなかった。だが、それ以外では私は何一つ嘘などついてはいない。ライバル社にねらわれているのも本当だし、困難きわまりない私の夢をかなえるために、お前にここまで書類を運んできてもらったのも本当だ。・・・グーデリアン、その封筒を開けてみてくれないか?」
うながされるまま、グーデリアンは封筒から書類を引き出した。そのまま手がとまる。
「これ、これは・・・」
書類の一番上に『契約書』と書かれ、レーサーとしてのジャッキー・グーデリアンとの契約内容がこと細かに記されていた。
書類の下部にはすでに総責任者として『フランツ・ハイネル』の署名がなされている。
黒づくめの男がガシガシと短い黒髪をかきむしりながら口を開いた。
「オレの名はマックス・ガーランド。一応レーサーのはしくれだ。ハイネルさんが新しいレーシングチームを作りたいって言い出したから、ぜったいにレーサーはオレだと思ってたのに、ハイネルさんが口にしたのは別のレーサーの名前だった。『ジャッキー・グーデリアン』、聞いたこともない名だ。・・・・あそこでお前をぶち抜いてハイネルさんの気を変えてやるって息巻いていたんだが、完敗だ。ざまぁなかったな」
そこまで一気に言い終えると、オレはマシンテスト担当にまわるからこれからヨロシク、などと言ってマックスが手を差し出してきた。
素直にその手を握りかえしながら、まだグーデリアンはキツネにつままれたような顔をしている。
その周りで様子を見守っていた研究員らしき初老の男性が、そんなグーデリアンの様子に苦笑しながら説明を加える。
「坊ちゃん・・・ハイネルさんは、さるドイツの自動車会社の御曹司で、自身もすばらしい能力の持ち主だ。自動車デザインをてがける傍ら、ご自分でもカーレーシングにたずさわっていたんだが、ある日とつぜん『自分のチームを作りたい』などと言い出した」
そこまで言って、周りの同僚たちの表情をうかがう。みんな『あの時は天と地がひっくりかえったような心持ちがしました』とでも言いたげな苦笑を浮かべている。
きっとハイネルは、驚愕する面々を前に一歩もひるむことなく、堂々として自分の考えを述べたに違いない。その時の周りの反応が目に見えるようだとグーデリアンは思った。
「当然社内では猛反対の嵐。優秀なマシンデザイナーであるハイネルさんがレーシングチームの運営にまわってしまえば、社としては大損害をまぬがれない。それでも・・・ハイネルさんはぜったいにひこうとはしなかった」
「クール・ビューティーなんて社で騒がれてるワリに、ハイネルさんってアツイから」
マックスがつけ加えて笑う。そのセリフにハイネルがからかうな、と言って少し赤くなった。
「そうそう、お前に会わせたい人がいたんだ」
そうハイネルは言って、携帯を取り出すと、何やら短く話しこんだ。
しばらくたって、研究所からだれかがやってきた。遠目にもわかる派手ないでたちだ。
「加賀!?」
加賀は相変わらずの緑とオレンジに染めわけた派手な頭をしていたが、何より目をひいたのは、体中にしみついた油汚れだ。あきらかにマシンを手掛けていた跡だ。
「お前、どうして・・・」
「フランツ・ハイネルに臨時メカニックとして雇われたのさ」
加賀は心底楽しそうに肩を震わせて笑った。
「このお坊ちゃん、いかにも品行方正そうな見かけによらず、すげー行動派だぜ!ある日突然オレんとこにTELしてきて『レーサーとしてのジャッキー・グーデリアンの技量を知りたい』ときたもんだ」
「加賀、お前は全部知ってたのか?」
「知ってたさ。ちなみに『おもしろいから、グーデリアンには内緒にしてよーぜ!』って持ちかけたのもオレ。だから、ハイネルの旦那を恨むのは筋ちがいってもんだぜ」
加賀の言葉をひきとって、ハイネルも口を開いた。
「その点に関しては、本当にもうしわけなく思っている。だが、事情を知らせないでいた方が、ジャッキー・グーデリアンの真のレーサーとしての資質を探ることができるだろうと判断したのだ。こちらの勝手な事情でふりまわして、もうしわけなかった」
ハイネルはいさぎよく頭をさげた。だが、グーデリアンの返事がない。ふしぎに思って顔をあげると、グーデリアンはうつむき、わなわなと肩をふるわせている。
「グーデリアン?どうした?怒っているのか?」
心配に思ってハイネルがグーデリアンの肩に手を伸ばしかけ、びっくりしてその手をひっこめた。いきなりグーデリアンがガバリと身を起こしたからだ。
「やられたっっ!」
一言そう叫ぶなり、グーデリアンはいきなりハイネルに抱きついた。
「うわっっ」
「お、お前、ハイネルさんから離れろっ!!」
マックスがかたわらで何やら騒いでいるが意にかいさず、グーデリアンはハイネルを抱きしめていた腕をほどくと、そのまま彼の肩に手をかけて相手の目をのぞきこんだ。
「ほんっと、このオレ様ともあろうものが、見事にしてやらせたぜ!ハイネル、お前、すごいヤツだよな!その年で自分の夢をもって、確実に実現させようとしてる。オレ、お前に初めてあったあの時から、お前に驚かされっぱなしだ」
グーデリアンのキレイなブルーの瞳が、興奮と喜びにキラキラと輝いていた。少年のようにかげりのない、真っすぐで力強い瞳だった。
その目に見入られたように視線をあてたまま、ハイネルが口元にうっすらと笑みをはいた。
「勝ったら私から告白しなくてはならないんだったな。愛の告白というわけではないが、草レースでのお前の走りを初めて見た時から、私の夢にはお前の存在が欠かせないものとなった。私の夢にはお前が必要なんだ。・・・私のために走ってくれるか?」
まっすぐに自分を見つめてそんなことを言ってくるハイネルに、プレイボーイでならしたグーデリアンの顔が赤くなった。
自分でもおかしいとは思うが、止められないのだ。ハイネルが不思議そうな顔をして自分の顔をのぞきこんでくるので、ますます赤くなってしまう。
「まいった、ホントにまいったよ」
照れかくしに頭をかきながら、グーデリアンはつぶやく。どんな美女に甘くささやかれたとしても、ここまで満たされた気分にはなれないことだろう。
このキレイな顔をして、ありあまる行動力を持ったフランツ・ハイネルに、どうやら自分はカンペキにつかまってしまったらしい。
これでプレイボーイは廃業することになるだろうが、グーデリアンはとてもいい気分だった。そんな気分を味わえることは、多分一生に何度もないに違いない。