act 7

  二人で一日休暇を過ごしたときから、グーデリアンとハイネルの間に流れる空気は、きわめて微妙なものとなっていた。出会ったばかりのときのように、顔を合わせると口ゲンカ、というような険悪な仲ではなくなっている。かと言って、友人、というのとも違う。もちろん(まだ)恋人とは言えない。微妙な、頼りない糸の上を手探りで渡っているような、あやういバランス状態に二人はおかれていた。




 あれからロンドンでの滞在を二日間続けたあと、グーデリアンとハイネルはイギリスを後にした。休むヒマもない移動旅行である。
 二人が今いるのはカナダ。トロントに次ぐ第二の都市であるバンクーバーのホテルに彼らは滞在している。

「グーデリアン」

 グーデリアンがホテルにしつらえられた皮張りのソファで雑誌を読んでいると(何しろインペリアルスイートなので、調度品が豪華なのだ)、仕事に出かける前のハイネルが彼の方に寄ってきた。何やら手に大きな茶封筒をかかえている。
 グーデリアンが興味をひかれてそれを見ていると、やおらハイネルがその封筒をグーデリアンの方に差し出した。

「実は、大事な頼みがあるんだ」
「何?」
 聞き返しながら、手で自分の隣を叩いてハイネルをそこに座るよう促す。ハイネルは一瞬ためらう素振りをみせたが、結局すすめられた通りに自分もソファに腰をおろした。やわらかなクッションが彼の体を受けとめる。
 グーデリアンが隣に座ったハイネルの方に身を乗り出すと、ハイネルが微妙に身をひいた。グーデリアンはそれに気づいていたが、わざと気づかないふりをしてさらに身を乗り出す。すると、さらにハイネルがジリジリと横に体をずらした。
 グーデリアンは内心でだけため息をつく。

 ロンドンでのキス未遂事件以来、ハイネルはグーデリアンとの接触に過敏な反応を返すようになっていた。今もつとめてさりげない様子を装ってはいるが、ハイネルの白い頬がかすかに赤くなっている。おそらく、グーデリアンのことを意識すまいと思っているのだが、そう思えば思うほど意識してしまうのだろう。
 グーデリアンとしては、もう少しだけでもハイネルと『仲良く』したいと思っているのだが、相手からこんなに純情かつ過敏な反応を返されては、今一つ強気に出られないのも確かだった。


「で?大事な頼みって何?」
 すぐ隣に自分が座っていることで緊張しているらしいハイネルのために、グーデリアンは自分から話をもちかけた。ハイネルがホッとしたように表情を優しくした。
「そう。実は、今日中にこれを研究所まで届けてほしいんだ。中にはとても重要な書類が入っている」
「え?クルマで届ければいいのか?ハイネルは?」
「残念ながら、私はほかに行かなくてはいけない場所があるのだ。その書類は、どうしても今日、それも昼までに研究所まで届けて欲しい。それに・・・」
「それに?」
 ハイネルは一瞬続きを言いよどみ、考えこむように顔を伏せた。だが、少しすると、意を決したようにキッパリとした表情で顔を上げた。
 澄んだ緑の瞳に、決然とした意志の光が宿っている。その色がとてもキレイで、グーデリアンは見とれる思いでその瞳を見返した。

「正直に言っておこう。・・・・実を言うと、ライバル社にこの書類の存在がもれてしまっているらしい。もしかしたら、お前がその書類を運んでいる間に、相手から何らかのアクションがあるかもしれない」
「何?オレを殺して書類を手に入れようとか、そんなコトを考えてるってワケ!?」
「まさか。映画ではあるまいし、そこまで過激なことはしないだろう。だが、その書類の価値を考えたら、恐らく指をくわえてはいないはずだ。カーチェイスをしかけられるくらいのことはあるかもしれない」
 真剣なハイネルの表情を見る限り、どうやらその話は誇張ではなさそうだ。
 ハイネルはグーデリアンの様子をうかがっていた。おそらく、危険をともなうかもしれないと聞いて、グーデリアンがこの件から手をひくかもしれないことを危惧しているのだろう。

「ハイネル」
「何だ?」
「・・・ロンドンでは具体的なコト言わなかったけどさ。オレ、実はレーサーになりたいんだ。何でも屋稼業なんかで金を稼いでるのはそういうわけさ。相棒の加賀と、草レースなんかには時々出てるんだぜ。だから、大丈夫。オレはクルマの運転ならどんなヤツにも負けない。相手がどんな凄腕を連れて来ようが、オレのクルマのケツを拝んでる間にあっという間に研究所についてるぜ!」
 つとめて何気ない風な告白だったが、実はグーデリアンが加賀以外に自分の夢をもらしたのは初めてのことだった。ハイネルは素直に驚いたような顔をしている。
「・・・・レーサーになりたいのか?本当に?レーサーなんて、ラクな仕事ではないだろう。危険だし、見た目の華やかさとは裏腹に大変な世界だ。それでも、本当にレーサーになりたいのか?」
「そ。だから、安心してオレに任せろよ。超特急便で書類を届けてやるからさ」
 笑ってウインクをすると、ハイネルは手元の書類に視線を落とし、それから顔をあげてグーデリアンを見た。無言で封筒をグーデリアンの胸に押しつける。
 グーデリアンも黙ってそれを受け取った。それがハイネルの信頼の証だったから。

「あ、でも危険な目にあうかもしれないんだったら、言っておきたいことがあるんだ!」
 書類を渡し、満足げな表情をしてソファから立ちあがってしまいそうだったハイネルに、慌ててグーデリアンが声をかけた。いぶかしげな顔をしてハイネルが浮かしかけていた腰を再び下ろす。
「何だ?レーサー志望なのにケガを追ってはマズイから、やはり辞退するのか?」
「違う違う。大変そうな仕事だからさ。臨時ボーナスくれないかなって」
「臨時ボーナス?」
 そうそう、と軽く返すと、ハイネルが『言ってみろ』という風に顎をしゃくってよこした。
 ニッコリ笑顔でグーデリアンは宣言する。
「無事研究所についたらさ、キスさせてよ、ハイネルに。この前のロンドンではしそびれちゃったから。イヤじゃないだろ?だってオレがキスしようとしたとき、ハイネル逃げようとしなかったもんな!」
「なっ・・・」
 とたんに、ハイネルは顔を赤くしてソファから飛びあがってしまった。ロンドンでのことが思い出されてしまったのだろう。頬の朱がみるみるうちに濃くなっていく。
「あ、あれは、あのときは・・・」
 何とか言い訳しようとしてみるが、うまくいかない。何しろ、グーデリアンにキスされそうになって、まったく逃げようとしなかったのは事実なのだ。
 ハイネルが焦ってパニック状態に陥っている間に、グーデリアンは勝手に話をまとめてしまった。

「オッケー!じゃ、無事研究所に書類を届けたらハイネルとキス、と。よーし、こりゃもう張り切っちゃうしかないでしょう!早速研究所の位置教えてくれよ、ハイネル」


 うきうきと茶封筒を小脇にかかえてソファから立ちあがったグーデリアンを尻目に、いまだパニックから立ち直れないハイネルは、呆然として突っ立っているのだった。



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