act 6.
グーデリアンが強引だったせいか、気がつくとハイネルはあれよあれよという間によりカジュアルな服を身につけ、ホテルを出ることになっていた。もちろん、グーデリアンにそそのかされ(?)、アメリカでムリヤリ購入するはめになった服である。シンプルなシャツにジーンズ。髪型とメガネのせいで少し堅苦しい感があるのは否めないが、スーツで散策するよりはよっぽどいいだろう。
「今日は天気もいいし、よかったよな!」
ホテルを出ると、グーデリアンは大きく息を吸いこんでからうれしそうに言った。一日のうちに春・夏・秋・冬の四季が訪れると言われるほど天候の変わりやすいロンドンだが、今のところ、気持ちのいい晴れた空が頭上には広がっている。
ハイネルはまだ自分が置かれた現状がのみこめないでいるのか、どこかぼんやりしているようにも見えた。
「ハイネル、これからどうする?」
そんなハイネルには構わず、グーデリアンはうれしそうな笑顔を向けて聞いてくる。彼のペースにすっかりのまれてしまっているのか、不思議とハイネルは彼に反発する気にはなれなかった。まだ現状についていけていないせいなのかもしれない。素直に少しの間考えた後、考えを口にした。
「やはりロンドンでの観光と言えば、大英博物館や、タワーブリッジが定番なのでは・・・」
「ばっかだな、ハイネル!」
いきなりばか呼ばわりされて、ハイネルの細いまゆがつりあがった。が、グーデリアンは一向に気にせずに自説を展開しはじめた。
「お前は今日、リラックスして体を休めるためにこうして出てくることにしたんだろ!?フツーの観光地なんて行ってどうすんだよ。サイトシーイングツアーよろしく歩きまわってみろよ、余計につかれちまうじゃねーか」
「じゃあ、どうするんだ?目的地を決めなければ、動きようがないじゃないか」
「目的地なんて初めっから決めておく必要ないだろ。辿りついた先が目的地になるんだから」
こんなときばかり、やけにサマになることを言ってくる。
青い目に優しい光をたたえながらそんなことを言うグーデリアンが、なんだかいつもとは違って見えて、ハイネルは少しだけ落ちつかない気持ちになった。けれど、そんな自分の気持ちには気づかないフリをして話をつづける。そうでもしないと、自分がどんなことを考え始めてしまうのかが分からないからだ。
「・・・行き当たりばったりなだけなのに、お前が言うと妙に説得力があるな、グーデリアン」
「そりゃあそうさ。人生たまには行き当たりばったり的な方がうまくいくってのが真理だからな」
「言ってろ!」
まだ出会って数日だというのに、やけに会話が弾む。その大半は子供じみたかけあいだったけれど、不思議と険悪な雰囲気にはならなかった。ずっと昔から知り合いだったような、いっしょにいたような気さえする。
出会ってそれほどたっていない人に対してハイネルがそんな感情を覚えたのは、初めてのことだった。グーデリアンのような男には初めて会ったし、グーデリアンに対する自分の反応も初めてのものだったし、何もかもが知らなかったことばかりだ。その思いは、素直に口に出た。
「お前は変わってるな、グーデリアン」
グーデリアンは「ん?」とハイネルの顔を見て、また笑った。
「お前も変わってるよ、ハイネル」
「失礼な!」
「お前が先に言ってきたんだろ!もういいからさ、早くしないと時間がもったいないぜ!」
「だって、どこに行くかだって決まってないじゃないか!」
「いいからいいから、フィーリングでてきとーに歩いてりゃあそのうちいい所が見つかるさ!」
グーデリアンは勝手にハイネルの手をとり、先に立って歩きはじめた。その強引さに目を白黒させつつ、逆らうこともできずにハイネルは半ばひきずられるようにしてグーデリアンの後をついていく。
グーデリアンは本当に適当だった。適当に地下鉄できっぷを買い、適当に降り、適当に歩く。すべて適当にしているはずなのに、やけに自信ありげなのがグーデリアンらしいところである。少しも迷うそぶりを見せず、どんどんハイネルをリードしていくのだった。
少し郊外に出てきたところで、公園を見つけ、とりあえず二人はそこで少し早めの昼食をとることにした。ロンドンと言えば定番のフィッシュ・アンド・チップス。公園に屋台が出ているのを目ざとく見つけ、グーデリアンが買ってきたのである。
まったく食べたことがないわけではないが、ハイネルにとって、食べなれない類の食べ物であることは確かだ。どうしたものかと彼がとまどっているうちに、さっさとグーデリアンは公園のベンチに座り、ハイネルを呼ぶのだった。
「これ食ってるとさ、手が油でギトギトになるんだよな。その油をTシャツでふいてこそ、ロンドン通ってもんさ。お上品に食うもんじゃないんだぜ」
楽しそうにおしゃべりをしながらチップをつまんでいく。天気のいい外で、こんな風に緑に囲まれて口にする食事は、たしかにとてもおいしく感じられた。グーデリアンなど、これだけでは腹がもたないと言って、ホットドッグまで頬ばった。
お昼時にはまだ早いので、公園には人影もまばらである。時折、地リスがちょこちょこと視界を横切った。日差しが少し暑くなってきたが、彼らが腰掛けるベンチにはうまい具合に木の影が落ちている。気持ちのいい空間だった。
風が頬に触れていくと、自然にハイネルの表情もやわらかくなった。
「気持ちいいな。外で食事をしたのなんてずいぶん久しぶりだ」
「だろ?高級レストランでランチもいいけど、たまにはいいんじゃないかと思ってさ」
「そうだな、ありがとう」
思いがけず素直に礼の言葉をかけられたので、グーデリアンは少し驚いてハイネルを見た。少し角がとれた表情のハイネルは、ほんとうに優しそうに見える。
「いつもそうしてればいいのに」
「え?」
「ハイネルの目。すごく綺麗な緑色だよな。優しい色をしてる。出会ってからいつもコワイ顔ばっかされてたから気づかなかったよ」
冗談めかして言ってくるグーデリアンを軽くにらみつけるが、ハイネルは怒ってはいないようだった。どうやら、本当に伸びやかな気持ちになっているらしい。
「さ、メシも食ったし、もう少しブラブラして来ようぜ。あんまり遅くなるとかえって疲れがたまるから、早めにホテルに戻らないといけないしな」
「そうだな」
優しい表情をしたままのハイネルが同意する。その顔を、グーデリアンが目を細めて見つめていた。
その後、彼らはもう少し足を伸ばし、午後のひとときを過ごした。名もない弾き語りの旋律に耳を傾け、レンガ造りの町並みを散策する。興味をひかれた店が目に入ればひやかし、途中でスコールに見まわれたときはアパートメントの軒下で雨宿り。
夕食も、どうということのない、その辺に何十もありそうな地元の人間がいくレストランでとった。手のこんだものではない、けれどそれだけにホッとするような品の数々を腹におさめ、軽くワインを口にする。さわやかな果実の香りが、精神の疲れさえもふきはらってくれるような気がした。もちろん、グーデリアンとハイネルの他愛ないおしゃべりは続いている。この日一日で、彼らはお互いのことを少しずつだが知っていった。
そろそろホテルに戻った方がいいのだろうか、と言うとき、グーデリアンがまたハイネルの手を取った。今日はもうグーデリアンのしたいようにさせよう、と思ってでもいるらしいハイネルが、無言で問いかける。グーデリアンもその問いに、言葉ではなく笑顔でこたえた。
グーデリアンがハイネルを連れて行った先は、どこかのビルの屋上だった。ハイネルが『不法侵入になるのではないだろうか』と心配げにしているのに、彼は堂々としたものだった。
建物の周りにもうけられているフェンスに寄りかかり、ハイネルにも来るようにうながす。おずおずながらもハイネルが近寄ると、グーデリアンは笑って目の前を指さした。
「見ろよ。そろそろ日が傾いてきたぜ」
目をやれば、グーデリアンの言った通り、日が傾きはじめているのだった。赤みの強いオレンジの光が、街を包み始めている。今の時期、ロンドンは日が落ちるのが遅いので、街全体が夕闇に染まるのにはまだもう少し時間がかかるだろう。だが、青空に覆われた街のこちら側と、夕日に包まれはじめた街のあちら側の対比がおもしろかった。
二人とも並んで、フェンスの上に腕をおき、あごをのせて街をながめる。
アメリカの町並みとも、ドイツの町並みとも違う、イギリス、ロンドンの町並み。けれど、ここにも確かに、ここで生活している人たちの息吹が感じられるのだった。
「すげぇよなあ。オレたちの前に広がってる建物の全部に人が住んでて、みんながいろいろな願いをもったり、恋したり仕事したり、いろんなこと考えたりして暮らしてるんだぜ」
不意にグーデリアンがそう言ったが、ハイネルからの返事がない。いぶかしく思ってハイネルの方を見ると、彼は少し驚いたような顔をしてこちらを見ていた。
「どうしたんだ?」
「いや・・・私もいま同じようなことを思っていたんだ。だから・・・」
「そっか」
うれしそうに笑って、またグーデリアンは視線を前にもどした。少し強めの風が吹きぬけ、二人の髪をゆらす。二人はいま同じ風を感じている。
「オレさ、今はこんな何でも屋稼業みたいなコトしてるけど、ずっと昔から夢があるんだ。けっこう大変な夢だからあきらめちまいたくなる時もあるけど、こんな光景を目にすると、がんばれる気になるな。ここにいるみんなにも一人ずつ何かの夢があって、それに向かってがんばってるんだろうな、って思うと、なんだか力がわいてくる。だからオレ、建物の屋上って好きなんだ」
グーデリアンが前を向いたまま、だれに言うともなくそんなことを言うのを、ハイネルも前を向いたまま聞いていた。
そして、聞き終わった後、彼も静かに口を開いた。
「そうだな。私の夢は・・・いまのプロジェクトを成功させることだ。このプロジェクトは大規模なもので、リスクも大きい。社内では大多数が反対派にまわっている。でも私は・・・ぜったいに自分の夢を実現させてみせる」
そこまで言ったあと、ハイネルはくすりと笑みをもらし、グーデリアンの方を見た。
何となくグーデリアンもフェンスに置いていた腕をほどき、ハイネルの方に向き直る。
「正直言って、少し自信がなくなりかけていたんだ。・・・でも、もう大丈夫だ。お前があんまり楽天的で考えなしだから、考えても仕方がない、当たって砕けてやる、という気持ちになってきた。お前のおかげだな、グーデリアン」
からかうような口調だったけれど、メガネの奥の瞳はとても優しかった。とてもやわらかで優しい緑の瞳は、今まで見たこともないほど綺麗に見えた。ほんの少し日が傾いたせいで、瞳のグリーンが微妙に異なって見える。
意識せず、グーデリアンの腕がハイネルの方に伸びた。ハイネルの抵抗はない。
二人は半歩分ほどしか離れていない距離で見詰め合っている。こうしていると、わずかにハイネルの方が背が低い。そんなことさえ、彼らはいままで知らなかったのだった。なにしろ、会ってからまだ数日しかたっていない。
・・・・・それなのに。
なぜこんな風に、相手の存在が大きく感じられるのだろう?
グーデリアンの顔が、ほんの少しだけハイネルの方に傾いた。わずかだが、もともと二人の距離はそれほど離れていない。物問いたげな緑の瞳をカバーするメガネを取り去り、グーデリアンはますます顔を傾けた。鼻と鼻の先が触れる。ハイネルからの抵抗はない。あと、数センチの距離に唇と唇がせまっている。
・・・・と、そのとき。
いきなり機械のビープ音が辺りに鳴り響き、二人はこっけいなほどビクリと体を反応させた。
あたふたと辺りを見渡し、無粋な闖入者をさがしだす。
それはハイネルの携帯の呼び出し音だった。多忙を極めるハイネルを、現実の世界に連れ戻す音。いままで鳴らなかったのが不思議なくらいだったのだ。
二人の間に流れていた奇妙な空気は、ハイネルがその携帯に向かって一言二言述べるころには、すっかり流れ去っていた。
「・・・帰ろう」
「そうだな」
どちらともなく言い出し、二人はまた肩を並べて歩き出した。けれど、ほんの少しだけ、昨日よりも二人の距離が近づいているのだった。