South Side
volume4
「それで?エンジンに組み込む新しいモーターの手配はどうなってる?」
監督が苦虫をかみつぶしたような顔でそう聞いてきた。
ジャッキーは相変わらず彼の背中になついたままだったが、監督はもはやそれをやめさせるのをあきらめたようだった。
それはそうだ。彼ほど重量も力もある男が背中から覆いかぶさってきたら、それをふりほどくにはかなりの体力と時間を消耗する。そして、このところ多忙を極めているハイネル監督はムダな体力を割くわけにはいかないのだった。
で、甚だ緊張感に欠ける体勢でマジメな仕事の相談をすることになっているわけである。
「それが・・・これが責任者からの返答をプリントアウトしたものです」
オレは、これだけは元から手元にきちんと用意していた書類を監督に渡した。白く神経質そうな長い指でそれを受け取った彼が無言で目を通す。彼の肩越しにジャッキーも記事に視線を落としているのがわかった。・・・どうでもいいが、ホントに暑苦しい男だ。
「おい、これって・・・」
いつも笑顔を絶やさない我がチームのレーサーが、記事を読み進めていくうちにわずかに眉を寄せた。
一方、監督の整った顔はいつもと同じように静かで何の動揺も見られない。だが、内心で激しい憤りを感じているであろうことはオレにも分かっていた。彼は見た目からは想像もつかないほどに激しい情熱を内に秘めている男だ。
「これってさ、工場に頼んどいたモーターが、マシンテストどころか次のレースにも間に合わないってことだろ!?なんでだよ!あれがあるとないとじゃ全然ストレートスピードが違うってさんざん説明したってのに、ヤツら何を聞いてやがんだ!!」
・・・そう。その書類には、依頼されていたモーターの作成が予定よりも遅れるとの旨がハラがたつほどあっけない文面でつづられていたのだった。
ジャッキーが忌々しげに吐き捨てた気持ちもよく分かる。現在使用しているエンジン用モーターは、耐久性や信頼性に優れている分速さを犠牲にしている。レース途中でエンジンが壊れ、リタイヤしてしまうよりはという考え方だ。
・・・・もちろん、我がチームが誇る『炎の星条旗』が、そんな走りで満足するわけがないのだった。
で、ハイネル監督やオレ、あるいはレース界の古株で、あらゆる関係者に対して顔の広いヒルさんあたりが働きかけてエンジン部門の人間たちを叱咤し(半ば脅したとも言う)、新しいモーターの開発に成功させたのだ。
このモーターを組み込めば、シュティールの直線部での伸びがかなり期待されるはずだった。・・・少なくともデータ上では。
試作品は消耗度などを調べるためにすでに研究室行きになっている。そのため今回のマシンテストに合わせて新たに作成したモーターをイギリスのテストサーキット、つまりここに届けるよう指示がなされていたのだが、その書類によると、あと一ヶ月半はかかりそうだとの返答だった。
・・・・・ちなみに次戦は三週間後だ。
「なんで一回できあがったものがすぐに作れないって言うんだよ!」
ようやく監督の背中から体を離したジャッキーの青い目が怒りと憤りに強い光を放っていた。こんなことを言うのもおかしいが、いつも朗らかな彼のこんな表情を目にすると、やはりジャッキー・グーデリアンという男は生粋のレーサーなのだな、と思う。
だが、監督はまだ冷静だった。細い眉はきつく寄せられていたが、それ以外に表情の変化は見られない。整った唇から吐き出された言葉も、常と変わらず明哲な響きだった。
「大方使用する金属の入手に手間取っているか、前回同意させたはずのこちらからのオファーが気に入らなかったんだろう。元々相手は、監督である私やシュトロゼックが若すぎるということで私たちのことをあまり快くは思っていないからな。・・・・グーデリアン、率直に聞く。あのモーターを組み込んだらこのコースでコンマ2縮められるか?」
「誰に聞いてんだよ、その質問。天下のジャッキー・グーデリアン様に対してだったら失礼だぜ?MITの学生に九九を知ってるかって聞くのと同レベルだ」
怜悧な緑の瞳を向けられそう問いかけられたジャッキーは、彼独特のやり方で肩をすくめ、唇をゆがめて笑ってみせた。監督はやはりそんな彼を静かに見つめていたが、すぐにオレの方に視線を移した。
急にこの目に見つめられると心臓に悪い。
オレが内心でドキドキしていると、もっとオレをドキドキさせるようなことをこの麗しき監督はあっさりと口にした。
「ジェフリー、私たちは明日ドイツに飛ぶぞ。すぐにクレイグに連絡を取ってエア・チケットの手配をしておいてくれ。グーデリアン、明日のマシンテストは監督の私抜きで行うことになるが手を抜いたりするなよ。明日はリサも顔を出すと言っていたからな。お前の行動は逐一私の元に届けられることを忘れるな」
「はいはい。分かりましたよ。ハイネルってホントに心配性だよな。1日離れてるだけでオレがどっかのかわいこちゃんに浮気するんじゃないかって心配してるのか?ばかだなぁ、オレはお前だけを愛してるのに。心配しなくてもオレの愛はお前だけのものだよ、マイスイートハート!」
「・・・・・・・・・(呆れて硬直)」
「ジェフリー、何をしてる?モーターが届かないショックで頭のいかれたドライバーなど放っておいて、すぐに言われたことに取りかかってくれ!私はスタッフに明日不在にすることを通達してくる。大方のスタッフは今の時間帯ならまだ食事を取っているだろうからな」
「か、監督!」
「何だ?」
オレが慌てて声をかけると、すでに部屋を去りかけていた監督は冷静極まりない表情で振り向いた。顔は沈着そのものなのだが、言ってることはムチャクチャだ!
「監督、明日ドイツって・・・本気ですか!?だ、だってオレたち、しあさってにはフランスに日帰りの予定が入ってるんですよ!?で、次の日にはまたドイツで、その次の日にはオーストリアにニ日滞在・・・」
「だから何だ?私だって自分のスケジュールくらい把握している。ジェフリー・ガイ・カンパルスキー」
「は、はい!」
「君は私が今言ったことをやる気があるのかないのか?ないのなら今すぐにそう言え。5分後には君のポジションにはクレイグが座っていることになる」
「や、やる気はあります!もちろんです。すみません、とりあえずこれからの動向を確認しておきたかっただけです!」
オレの声はみっともないほどに裏返っていたが、それでも整ったハイネル監督の顔には眉一筋の動揺も表れなかった。Fine、とスクールの教師みたいな言葉をかけてくる。
「結構。私としても、部屋を清潔に保てないこと以外は君の仕事ぶりを評価しているんだ。クレイグに連絡が取れ次第、君はもう上がっていい。ドイツ行きの支度もあるだろうからな。グーデリアン!何をしてる。とっとと食事を取ったら午後のテストだ!」
・・・そうして、このクールビューティーは自分の言いたいことだけを一方的に告げると、颯爽と踵を返してオレの部屋を後にしたのだった。S.G.M時代からのつきあいなので彼のことは多少なりとも知っているつもりのオレだが、未だに彼の果断即実行のスピードにはついていけない。フランツ・ハイネルの足元でだけ地球の自転が速くなっているに違いない。
まだ話の展開についていけずに呆然としていたオレの肩を、ジャッキーがぽんと叩いてきた。呆けた顔で見上げれば、ヤツがいつものいたずらっぽい笑顔を浮かべているのが目に入った。どんな人間もリラックスさせ、肩の力を抜かせてしまうすごい笑顔だ。それはもう、あのフランツ・ハイネルにさえ効いてしまうくらいなのだから、その効力を疑う人間はいないだろう。
・・・・・・・ふう。
オレが大きく息をつくと、ジャッキーの笑顔がますます深くなった。青い目が優しくなごんでいる。
「戻ってこれたか?」
「?」
何を言いたいのかが分からずに彼を見返すと、トリックを説明するマジシャンのような晴れやかな表情で説明をしてくれた。
「ハイネルとつきあってると、時間が三倍くらいの速さで流れてる気がするだろ?あいつ絶対『ハイネル時間』の中で生きてんだよ。で?『ハイネル時間』から戻ってこれたか?」
「おかげさまで」
そりゃよかった、と彼は晴朗な笑い声をたてた。細まった青い目が本当にティーンのガキみたいだ。まだ鼻の頭にそばかすが残っていたとしても少しも違和感はなかっただろう。本当にこの男は子供っぽくもあり、大人っぽくもある。
監督とはまた違った意味で、ジャッキーも他の人間とは違う時間軸の中で息をしているようにも見えた。
「じゃ、オレはメシ食いに行ってくるよ。あんまり慌ただしかったから、ハラ減って仕方なかったのまで忘れてたぜ。いっつもオレのこと落ち着きない落ち着きないって言ってるけど、ハイネルの方がオレよりよっぽど落ち着きないって思うだろ?・・・・がんばるのもいいけど、心配する方の身にもなって欲しいよな」
「ジャッキー・・・」
瞬間、ジャッキーの目に深い憂いと寂寥の影がよぎった気がした。見たこともないような複雑な綾だ。
だがそれは本当に一瞬のことで、もう次の瞬間にはあの闇さえも隅々まで照らし出すような明るい笑顔が浮かんでいたのだった。
「ジェフ、次にお前に会うのは六日後になりそうだな。テスト最終日ってことか。ハイネルの補佐は大変だろうけど、まぁ適当にがんばって来いよ。ハイネル、すぐムリするからお前の方が面倒みてやってくれよな!」
ジャッキーは笑っていたが、それでもその言葉には心からの労わりが込められていたのがオレには分かった。いつもそうだ。いつもジャッキーは明るい笑顔の下で、あまりに忙しすぎる日々を送っているハイネル監督のことを気にかけている。
彼は心の底から監督のことを案じていた。いつでも潔いほど物事に真正面から取り組み、時として自らの体さえ厭わなくなってしまう青年のことを。
かつてライバルで、そして今は同じチームで手を携えて厳しいレースを戦い合う仲間。
・・・ジャッキー・グーデリアンとフランツ・ハイネルという人間の間には、有形無形の深い絆があるのだろうと思う。
同じチーム内でこの二人を見ていると、とてつもないうらやましさを感じてしまうことも少なくはない。彼らがお互いに依存するのではなく、支えあっているからなのだろう。口で言うのはカンタンだが、これほど築き上げるのが難しい関係もないんじゃないだろうか。
ジャッキーが部屋を去った後、オレは深呼吸を何回か繰り返し、それからようやく受話器を手にした。もちろんクレイグに連絡を取って明日のフライトの手配をしてもらうためである。
全くもって息をつく間もない日々だが(オレの場合、ハイネル監督との関係が深いポジションにいるから特に)、その実そんな生活がキライではないあたりが手に負えない。
監督やジャッキー同様、オレも立派な『レースバカ』なんだろうな。