South Side



 volume3


 最初の十周の走行を終え、ジャッキーが初のピットストップのためにやって来た。
 ピットストップの直前最中直後、このたった十秒ほどの時間は、普段より何倍も時が凝縮されているように感じる。直接ピット作業には関わりのないオレでさえこんなにドキドキしているのだから、実際に作業に携わっている人間たちのプレッシャーがどれほどになるのか、オレには想像もつかない。

 もしかしたらオンナの子のファンたちは知らないかもしれないが、F1もサイバーも、テクニカルな意味で言えばレース中のピット作業など必要ない。燃料の積載量さえ多くすれば、ピットインなどしなくても確実にレース終了まで走りきることができるのだ。
 なのにわざわざレギュレーション(念のため。レギュレーションは、いわゆる『規則』ってヤツだ)で燃料の積載量を少なく規定しているのは、レースの見所を多くするために他ならない(おエライさんたちはもっともらしい理由をこねあげて否定したがるが)。所詮モーターレーシングなんて、エンターテイメントの一つなのだ。
 命を賭け、人生を賭けて人々に夢と興奮を与えるエンターテイメント!
 これぞ男のロマンだね!・・・なんて言いきったら、気の強いオンナの子たちに手ひどい逆襲を食らいそうだから口をつぐんでおくことにしよう。 

 おっと、ピットインの話をしていたんだった。ピットインするタイミング、そしてピット作業の素早さそのもの。この二つの要素がレース順位を大きく左右する。ピットインのタイミングはハイネル監督やドライバーであるジャッキーの意向を元に決定されるが、ピット作業だけは純粋にクルーたちの肩にその可否がかかってくる・・・・うまくやりとげた時の喜びも大きいが、失敗した時の重責もまた大きい任だ。


「右リヤ装着完了!」

「ブレーキディスクの交換も終了しました」

「燃料補給過程も異常なし!」

 
 自らの責務を終えた者たちの声が次々とかかる。ハイネル監督にあの全てを見通すようなグリーンアイズで見つめられる中作業をするのには、正直絶大なプレッシャーがかかるだろう。だが、スタンとマイケル、そして他のクルーたちの動きは素晴らしかった。機敏でムダがない、申し分のない働きだ。
 矢のようなピットストップを終えると、ジャッキーのマシンは銀の軌跡を描いて再びピットを飛び出していった。まさに弾丸の勢いと言うにふさわしい。



「グーデリアン!タイヤの具合はどうだ?」

『そうだなぁ・・・やっぱりタレが早いよな。オレのドライビングだとミディアムでもいいかも。初めの方オーバー気味になってるけど、オレ的にはOKだったからな。それからさ、ディビッドに礼言っといてくれよ。ハンドリングがいい感じになってきたからさ。さっきとはえらい違いだぜ。シケインに入ってもハンドリングがなめらかなままなんだ!』

 
 ピットを出て数周後(最初の1,2周はまだタイヤが路面に馴染んでいないので具合がよくわからないものなのである)、タイヤ具合をたずねた監督に対するジャッキーの答えは、予想外に喜ばしいものだった。
 ちなみに、ディビッドとは監督が『ヒルさん』と呼んでいるスタッフだ(大分年嵩の人なのでハイネル監督はそう呼んでいるのだが、もちろんジャッキーは大統領だってファーストネームで呼びつけるようなヤツだ)。彼が苦心してデータ入力をしなおしたステアリングのデバイスがうまくマシンに馴染んだのだろう。
 この時ばかりは監督の固く強ばっているように見える表情もわずかに緩んだ。生来の優しい表情がほんの少しだけ顔をのぞかせる。他のスタッフたちも最初のピット作業を終えた開放感もあり、歓声があがった。


「さすがヒルさん!やるときゃやるぜ。ダテに年くってないね!」

「お前こそなスタン!朝ハイネルくんに注意されてたから、ビビッて指先が震えでもするんじゃないかと思ってたけど、ちゃんとやってたじゃないか!」

「あっ、ひでえ!年寄りの新米イジメがまた始まった!」


 ヒルさんはそれこそ監督がサイバーに来る前から知っている長い経験を持つスタッフであり、対するスタンは工科大学を卒業したばかりのいわゆるひよっこだ。年齢的にもかなりの開きがあるのだが、この二人はとても仲がいいのだった。興がのるといつもこんな風に息が合った軽妙なやりとりを見せてくれる・・・・もっとも、監督とジャッキー以上に息の合ったやりとり(ケンカともいうが)ではもちろんないのだが。
 ジャッキーが絡むと三秒で冷静さをかなぐり捨てるハイネル監督は、しかしそれ以外の時は鉄の平静心を発揮する。視線一つで彼らの口をつぐませた。
 その上で凛とした声で宣言する。


「静かに!自分の責務を終えたヒルさんはともかく、君はまだ全てのピット作業行程を終えたわけじゃないんだぞ、スタン!その油断が次の失敗を招くんだ」

「は、はい!すみません、監督!」

 
 一瞬で体を硬直させ直立不動の体勢になったスタンは、声まで裏返らせている。だが、監督はそんな彼の様子に構うことなく次の言葉をかけた。


「分かったらすぐに次のピットインの準備にかかるんだな。何度も言うが、代わりはいくらでもいるんだ。そうそうミスを見逃してもらえると思うな!いいか、グーデリアンが戻ってくるのはすぐだぞ!」

「はい!」


 今回のテストではピットクルーたちのピットイン作業の練習を兼ねているので、確かにピットインの頻度は多く設定されている。まったくもってハイネル監督の言う通りだった。
 実際のレースは一時間半から二時間程度で行われるのが普通だが(それ以上長時間に及ぶと、極限の緊張下にさらされているドライバーの神経がストレスの負荷に耐えきれず、事故を起こす確立が格段に高くなるのだ)、最後のピットインを終えるまでピットクルーが気を抜くことは許されない。
 極度の集中力と、そしてそれを持続させる能力。恐ろしく難しい条件のようにも見えるが、これを持たない者がトップチームのピットクルーをこなすのはムリだろう。もともとモータースポーツはクレイジーな世界だ。普通の尺度で物事ははかれない。


 ふと我にかえって『オレ、一体何してるんだろう』なんてやけに哲学的思索にふけってしまうことなんてザラだ。ハイネル監督の麗しさやジャッキーのカッコよさに純粋に憧れているオンナの子たちには理解できないかもしれないが、モータースポーツ稼業なんてまったく因果な商売だ。

 ・・・・なんて、いつまでも浸っているわけにはいかず、さっさと気分を切り替えて現実に立ち向かえるだけのタフさも要求される。オー、ジーザス、って感じだね!
 オレは、もちろん自分の仕事や自分のチーム、そして仲間たちに誇りを持っている。オレの雑多な感のある書き散らかし文は、手が加えられ大分キレイにまとめられることになるだろうが、オレの草稿を通してそれが伝わればいいと心から願ってる。
 ・・・が、正直、妙な憧れを抱いてるオンナの子たちに、ほんの少しでいいから現実のキビシサってやつを伝えたいのも本当だ。もっとも、その厳しさ以上の報いがあるからオレはこうしてモータースポーツの世界にどっぷり浸かってるワケだし、そのオレがいくら口を極めてみても甚だ説得力には欠けるかもしれないが。

 キミにわかるかな、このオレの複雑な気持ちが!自分はもうずっぽりこの世界にはまり込んでて、もはや抜け出す糸口も見つからない。それどころかオレにはこの世界しかないって思ってるし、出たくもない。でも、できればこんな世界には関わらない方がずっと平穏無事な生活が送れるはずだということはよく分かってるから、他の人間には『この世界には近づくな!』と言いたくなる。素晴らしきかな、この矛盾。


 ・・・・因果な商売だ。






 
 

 さてさて、そんなこんなで過酷な午前のテスト走行を終え、チームは昼休みに入ることになった。あんまりテストランの内容を詳しく描写してしまうとチーム的にもまずいだろうし(情報の漏洩はやっぱり避けたい)、何より、購読対象を考えるに、専門的な語句をだらだら積み重ねても『ジャッキーは!?私はジャッキーの話が聞きたいのよ。あんたみたいなピットクルーなんてどうだっていいの!あと監督ね監督。ハイネル監督!』・・・・なんて言われるのがオチって気もするので、さっさと場面を移そうと思う。

 ここは数あるコンピューター・ルームの一室で、ありがたいことに主にオレが好きなように使わせてもらっている部屋だ。決して広くはないのだが、正直オレは狭い部屋の方が落ちつくのでありがたい。・・・・・ここだけの話、広い部屋をあてがってもらっても、片付けが死ぬほど苦手なオレはカオスを広げてしまうだけなのだった・・・。エントロピーの法則に忠実なオトコと呼んでくれ。混沌は広がる運命にある。

 ああ・・・事前にオレの部屋でこのメンバー・・・監督とジャッキーとオレの三人で打ち合わせをすることが分かっていたら、さっきのピット作業にも負けない勢いで部屋を片付けられる自信があったのに!と、悔やんでも仕方ない。打ち合わせに必要な情報が、間違って監督じゃなくてオレのPCの方に送られてきたのはオレのせいじゃないぞ!
 ・・・部屋が散らかってるのはオレのせいだけどな。


 ジャッキーは、一歩オレの部屋に足を踏み入れると! ヒュウ、と楽しそうな口笛を吹いた。『さすがBIG MESSY!』と心の中で思ってるのが顔を見ただけでわかる。

 オレは、続いて入ってきたハイネル監督の方を恐る恐るうかがった・・・・・・御存知の通り、彼は非常に几帳面で清潔好きだ(そんな彼がよくジャッキーと同じ部屋で生活できるもんだと不思議に思うのだが)。オレとしても監督のことは心から敬愛してるし、できれば悪い印象は与えたくない。でも・・・・・『ものを出したらそのたびに片付ければ散らかったりしない』って頭でわかってることが実行に移せていたら、オレに『BIG MESSY』なんてニックネームはついていなかった!!・・・と、一応主張するだけは主張させてもらおう。ムダなのは分かってるけど。

 ハイネル監督の整った顔が、一瞬表情を無くした。ジャッキーがおもしろそうな表情で彼の顔をうかがっている。まったくガキみたいなヤツだ。そろそろくるぞ・・・・3・・・2・・・・1・・・・・・・監督が口を開いてる・・・・・・。


「ジェフリー・カンパルスキー!」


 そらきた!!


「はい!」

「何度言ったら分かる?マシンはもちろん、チーム運営に携わるありとあらゆる部品や用具の流れをチェックして把握し、常に滞りなく物事を進めなければならないポジションにある君が、なぜ部屋をこんなに汚くしているんだ!?こんなに散らかして君は能率的に仕事ができるのか?明日本社に打診することになっている工具セット購入の書類はどこにある?」

「あ、・・・えっと・・・た、確か机の上に・・・」

「この山のように雑然と積み重ねられた、今にも崩れ落ちてしまいそうな書類の中にか!?昨日風洞ラボのマックスが送ってくれた実験結果の入った封筒は!?」

「えーと・・・・キャ、キャビネットの棚・・・・かな?・・・じゃない、です。た、多分!」


 オレはもうしどろもどろでひたすらハイネル監督の剣幕に押されていた。整った顔の人が怒ると迫力が違うっていうけど、ホントだよな・・・。よくこんな風に怒鳴りつけられて、いつもジャッキーがへらへらしてられるもんだと本気で不思議に思う。あいつはあらゆる意味で大物だ。


 監督の追及というか、オレに対するお小言はそれからしばらくの間続いた。いちいちお説ごもっともなのでオレに反論する術はない。!
 珍しく自分ではない相手に彼の怒りの矛先が向いているのが楽しいのだろう。ジャッキーは好奇心旺盛なガキ丸だしの表情で、あの底抜けに青い目をキラキラ輝かせながらオレたちのやりとりを見ていたのだが、オレが背中を丸めてひたすら恐縮していると、不意に監督の肩をポン、と軽く叩いた。


「?グーデリアン、まだ話の途中で・・・」

「それくらいにしといてやれってば。大体さ、オレたちだけ昼メシ取らないでここに来てんだぜ。ムダな時間なんて過ごしてないで、さっさと済ませてメシ食いに行こう!オレもう腹減って腹減ってしょーがないんだよ」

「貴様、あれほど朝食をとっておきながら・・・。お前が考えるのは食事のことばかりか!いいかグーデリアン、大体お前だって・・・・」

「はいはいはいはい、お前だって腹が空いて気が短くなってんだよ、ハイネル!」



 ジャッキーはそう言いきると、またもや監督の背中からガバリと抱きついた。まるで大型犬が、うっとうしがっている飼い主にムリヤリじゃれついているかのようだった。
 よくよくスキンシップの好きな男だ。・・・・ハイネル監督相手にでも平気でできる度胸(むしろ監督相手が一番多い)は称賛に値する。


「グーデリアン、重いといつも言ってるだろう!人の背中にのしかかるな!いつもいつも!!」

「ハイネルは重いかもしれないけどさ、オレは楽ちんだから、許して。ねっ?」

「何が『ねっ?』だ。気持ち悪い!!」


 ・・・・・・・・・・・すっかりオレのことから話題がそれてしまっている。相変わらず監督はジャッキーが絡むと鋼の理性もカンタンに溶けてしまう人だ。
 ジャッキーはひとしきり監督の背中になついていつものやりとりを交わしていたが、途中オレと目が合うと、あの独特の人懐っこい笑顔をこちらに向けてウインクしてみせた。
 悔しいが、こういう時にはジャッキー・グーデリアンという男のカッコよさを認めずにはいられない。ヤツには自然と人の心をときほぐしてしまうところがあるので、それが時として頑なになってしまう(それは彼が純粋であるからに他ならないのだが)監督とうまく調和しているのだろう。

 これで後から『さっきは助かったろ?明日メシおごれよな!』・・・なんて言ってこなかったらもう文句なく カッコいいままなんだけどな!
 ただ、それもジャッキーがこちらに必要以上に『借りを作った』という意識を持たせないためかな、とも思う。・・・・ヤツの飄々とした笑顔からは、決して真意はうかがえないけれど。

 



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