秋/17歳 3
いま、ハイネル司祭は告解室にいた。カトリックの秘跡のひとつである懺悔と告解は、彼の信仰するディーヴァでも行われている。
礼拝堂の奥にもうけられたそこは狭いスペースしかなかったが、ドアでしきられた一方のスペースに信者が座り、他方に司祭が座ることになっていた。小さな仕切り窓は曇りガラスで、お互いの表情は読めない。
そこで信者は洗いざらい自分の罪を告白し、司祭はそれを聞き、神に取り次いでその罪を赦す。
司祭は神の代理人としてそこにいるので、信者から告げられた罪に対し、守秘義務を負う・・・。基本的にカトリックのそれとほぼ同一のものである。
だが、今の時代、それもこんなに小さな町では告解室はほぼ無用の長物と化していた。ハイネル自身、自分が悩んでいる人にたいして気のきいた言葉をかけてあげられるタイプではないことを自覚していたので、それはありがたいことでもあった。
だが、今日はその告解室の前にだれかが来ていた。見慣れない、少なくともこの町の住人ではない少女だった。年のころは16,7だろうか。
「司祭様」
少女はハイネルを見ると、そう声をかけてきた。細いけれど、毅然とした声だった。
彼女はじっと司祭を見つめている。まるで、魂の奥底まで見透かそうとしているかのような視線だが、不快感はなかった。真摯で、暖かいものさえ感じさせるその瞳に、彼はわずかに美しい緑の目を細める。
ハイネルは、少女がひたと自分を見つめてくる視線に既視感のようなものを感じたが、それが何であるかを認識する前に彼女が再び口を開いた。
「懺悔を・・・司祭様、私に懺悔をさせてください」
司祭は少女の望む通り、告解室の中に彼女を通した。
「では、あなたの罪を」
司祭がうながすと、一時の静寂が部屋を満たした。ふだんは滅多に訪れる人のない告解室、たまに訪問者があっても、その罪は禁酒の誓いを破っただの、親に反抗しただの、その程度のものである。
いつになく重く沈んだその空気に、司祭は自然と胸襟を正した。
「神はあなたとともにあり、あなたの罪をゆるします。おそれることはありません」
「私はいまゆるされないことをしているんです」
『赦されないこと』
開口一番、少女はそう口にしたので、ハイネルはたじろいでしまった。
グーデリアンが司祭に愛を告げてから二週間以上たつが、司祭はグーデリアンには会っていなかった。二度と面と向かって会うことはないかもしれない。
けれど、少女が口にした言葉に、あのときのグーデリアンの熱い唇と声の記憶がまざまざと身の内によみがえってきて、ハイネルをひどく動揺させたのだった。
何とか気を落ちつけて罪の内容を聞き出そうとしたのだが、ただ彼女は『ゆるされないことをしている』の一点張りである。
「私はいま、本当にゆるされないことをしているんです」
「それで、神に赦されたいんだね?」
ハイネルは自分の動揺を押し隠し、なるべく優しい声を出そうとつとめながらそう言った。
しばらくの沈黙のあと、小さな声が返る。
「・・・いいえ、ゆるされたいわけじゃないんです。ただあなたに・・・司祭様に言っておきたかったんです。聞いて欲しかったんです」
「私はただの神の代理人だよ。君の罪を赦すのは私じゃなく、神なんだ」
「いいえ、私は神様に私の罪をゆるしてほしかったわけじゃなくて、ただ司祭様に聞いてほしかったんです。ベルトラの町に、長い間変わらない、綺麗な司祭様がいると聞いて、私はやって来ました。ただ、あなたに聞いてほしくてやってきたんです。この罪は、・・・私の罪は、ゆるされなくてもいいのです」
少女はそれだけを告げて去っていった。小柄な、整った顔をした少女だった。
そして、彼女はハイネルを前にしているとき、いつでも彼をまっすぐに見上げてくる。一瞬でも視線をそらすまいとしているかのようだった。
少女を見送り、ハイネルは小さく息をついた。腰をあげ、告解室を出る。いまはここにいるのが辛い気がしたからだった。
いつも行く丘に行き、町を見下ろしていると、丘のふもと近いところにグーデリアンの姿を見つけた。小さくて区別のつかない人々の中で、彼の褪せた金髪の色は、遠目にも一目で彼だとわかる。
友人たちといっしょにいるようで、ここにまで楽しげな会話が届いてきそうだった。
風に長い司祭服の裾をはためかせ、ハイネルはただ黙って彼を見つめる。自分の肩にさえも届かなかった少年の背は、今は自分よりも高い位置にあるのをハイネルは知っていた。
こうして見下ろしていると、自分があの小さかった少年と、いまではずいぶんと遠い世界に離れてしまったように感じられた。
いつもそばにいてあげるよ、と誓った少年は、いまも自分から去ってしまったわけではない。けれど、グーデリアンが少年だった頃を思うと、何て遠いところに来てしまったのだろう。
あの少年とともにいることを心から楽しく思えた日はこんなにも遠い。いまはもう、苦い思いなしでは彼の姿を目にすることができなかった。
あの、明るい笑顔。日をはじく金色の髪。時に優しく、時に深い色をたたえる青い瞳。
ハイネルはまぶたを閉じ、グーデリアンに関する思考を頭から逃がそうとつとめた。さきほどまで告解室にいた華奢な少女の姿が代わりに浮かんでくる。
「あの少女・・・」
つぶやいてみて、初めてハイネルは自分が少女の名も聞かなかったことに気づいた。
彼女はあまり饒舌な方ではなく、罪の内容を告白することさえしてくれはしなかった。
けれど、扉ごしに彼女の声を聞いているだけで、何となく心が休まるようだった。
あまり大きくはないけれど、優しく落ちついた声音を彼女はしていた。
・・・そうだ。あの既視感。ハイネルは考える。見た目も性格も何もかも違うけれど、彼女のこちらをまっすぐに見返し、貫いてくる瞳の強さは、グーデリアンに似ている。・・・・・グーデリアン。いつでも自分のそばにいた少年。今や自分の背を追い越した、たくましい青年。
強くなってきた風に、長い裾が乾いた音をたてている。
司祭はきびすを返し、教会に向かった。神に捧げた自分の魂はそこにこそあるはずだった。