秋/17歳 2

 けれど、今のグーデリアンには、司祭であることを声高く主張するその存在がどこか苦いもののように思える。自分の後ろめたさを声なく非難されているような、そんな感じを受けることすらあった。
「グーデリアン、さっきのプロムナードパーティーの件だが、私はミサの準備にかからなくてはならないから、土曜にここを空けることはできない。せっかく誘ってくれたのに悪いが、お前はお前で楽しんできてくれ・・・」
 抑揚のない声だった。教会の仕事があると言われてしまえば、もうグーデリアンにはそれに抗うすべがない。
 グーデリアンは反論する糸口すら持たず、何も言えずにハイネルのうつむき加減の横顔を見ていた。その顔は出会ったときから変わらず、文句のつけようもないほどに整っている。
 グーデリアンが幼い子供だったころから彼はすでに大人で、グーデリアンが少年から青年へと変わりつつある今も、彼はまったく変わっていない。
 もう、幼いころに感じていた大人と子供の間にある壁はないはずなのに、ハイネルが厳格な戒律にしばられる司祭だからなのか、今でもグーデリアンはハイネルとの間に何かしらの超えられない壁を感じていた。それが時折むしょうにいらだたしかった。

「グーデリアン・・・すまないが今日はもう引きとってくれ。夕方に、大司教がここを訪れる予定なんだ」
 かすれたような声に、グーデリアンはハッとして顔をあげた。自分でも表情が険を帯びていくのがわかる。
 今よりももっと少年だった夏の日に、大司教の前にわずかだがさらされていたハイネルの白い肩のことが思い起こされ、グーデリアンの胸を灼いた。
 出会ったころは、単なる憧れと親しみを抱いているだけだったはずの司祭に対して、はじめて自分でもわからない想いが渦巻きはじめることになったきっかけ。
「わかったよ。ハイネルはえらい司祭サマで、やらなきゃいけないことがたくさんあるんだもんな。あんなスケベそうな大司教とも仲良くしなきゃいけないし、神サマに愛は捧げちゃってるし、ほんとに頭が下がるよ!」
「グーデリアン!」
 揶揄する言葉に、緑の双眸が鋭い切っ先をグーデリアンにつきつけてくる。だが、つぎの瞬間には、どこかグーデリアンを心配するような色が白い面にあらわれていた。
「・・・何だか、今日は少しヘンだ。何かあったのか?」
 気遣うような声とともに、白く優美な、ほっそりとした指がグーデリアンの額にそっとかけられた。
 長い袖口からわずかにのぞいている白い腕。
 半ば無意識のうちに、グーデリアンはその腕をとらえていた。びっくりしたような表情のハイネルを、そのまま腕をひくことで自分へと引き寄せる。
 グーデリアンに比べてずっと大きい大人だったはずのハイネルが、今はもう簡単にグーデリアンの力で引き寄せられてしまうことに、果たしてハイネル本人は気づいているのだろうか?
「グーデリアン?」
 そう言うハイネルの声は、すこし震えているようだった。
「ハイネル。ハイネルはさ、だれかを好きになったことある?」
「何をバカなことを・・・」
 軽くはぐらかそうとして、グーデリアンにさえぎられる。
「バカなことじゃないだろ。だれかを好きになったことがあるかって聞いてるだけじゃないか」
「私は司祭だ」
「司祭は人を好きになったりしないの?じゃあ・・・司祭を好きになった人はどうすればいい?神様以上に自分を愛している人間があらわれたら、そのとき司祭はどうするの?教えてくれよ、ハイネル」
 驚いたようにハイネルが緑の瞳をグーデリアンにふりむけたが、意に反してグーデリアンは真剣な目をしていた。とてもハイネルをからかっているようには見えなかった。
「ハイネル?」
「・・・司祭は神に心身をささげた存在だ。だれか一人の存在に心とらわれることなどありえない」
「ハイネルも?」
 その問いにハイネルは無言で面をふせたが、それが肯定の意を示すのか、単にうつむいただけだったのかはグーデリアンにはわからなかった。
 ただ、そのとき、司祭の美しい瞳に何か翳りのようなものがよぎったと思えたのは、彼の気のせいだったのだろうか。
 長いまつげを伏せてまたたき、再び開かれたハイネルの瞳からは、もうどんな感情もうかがい知ることはできなかった。

「さぁもう、そんな意味のない問答はやめよう。そんなことよりグーデリアン、本当に、そろそろ家にもどった方がいいんじゃないのか?どうせ今日も家の方には何も言わずに出てきたんだろうが、あまり心配をかけない方がいいぞ」
 もうハイネルは何事もなかったような顔をして笑顔を向けている。その笑顔が、半ば以上は内心の動揺を隠すためのポーズなのだとわかっていながら、グーデリアンにはその余裕が悔しかった。
「わかったよ」
 つい乱暴な口調になってしまう。どんなにこちらの背が伸びても、保護者気分がぬけないでいるハイネルに悲しささえ覚えてしまう自分に、グーデリアンはため息をひとつ落として腰をあげた。
 ハイネルもミサ室から自室に移るつもりなのか、手元にあった教理本を何冊も抱え上げて立ち上がった。そのあまりの量にグーデリアンはあきれてしまう。
「何冊持ってきてんだよ」
「たったの8冊だ」
 それが『たったの』という言葉で済まされる数なのかははなはだ疑問だし、一冊の分厚さを考えればかなりの重さのはずである。グーデリアンはますますあきれ、あきれついでに彼の両手から5冊を奪った。
「ついでだから運んでやるよ」
「大丈夫だから。それに、5冊じゃお前の方が多いじゃないか」
 あわてたようなハイネルの声がかかったが、かまわずグーデリアンは歩き出している。
「だって、オレの方が力があるだろ。腕とか比べてみろよ。相手になんないぜ」
 ハイネルはほんの少しだけとまどったが、やがて小さく礼のことばを述べた。
「たしかに、グーデリアンの言う通りだな。こう見えても腕力にはけっこう自信があるんだが、せっかくだから頼むことにするよ。ありがとう」
「そうだろ、ハイネルはもっとオレのこと頼りにしてくれていいんだぜ」
 どこか不機嫌そうに見えたグーデリアンが、ようやくにっこりと笑ってくれたので、ハイネルは内心胸をなでおろしていた。
 長いつきあいのうちの勝手知ったる何とやらで、グーデリアンは迷いもせずに先にたって歩いている。奥にあるハイネルの自室の前にたどりつくと、彼は器用に手首と足だけを使ってドアを開け、本人の許可も得ずに中に入っていった。
 ハイネルの部屋はあいかわらずそっけなかったが、何もかもがきちんと整えられていて、彼らしさがよくあらわれている。
「ナイトテーブルのところに置いておけばいい?」
 グーデリアンの問いにイエスの声がかえってきたので、彼はベッドの枕元にあるテーブルに、けっこうな重さのそれを置いた。後から来たハイネルはそこに自分が置いた本も置こうとしたのだが、前にいたグーデリアンに視界をさえぎられたのか、わずかにバランスを崩したようだった。

「あっ!!」

 足元に本が崩れ落ちた音がした。
 数瞬間後、ふたりともが驚愕に目を見開いていた。本を拾うことも忘れ、お互いに見入っている。
 とっさにハイネルをかばおうと伸ばしたグーデリアンの手を巻き込んで、ハイネルはベッドへと後ろ向きに倒れこんでいた。グーデリアンがしっかりと彼の頭をつかんでいてくれたおかげで大した衝撃はなかったのだが、彼の上半身はすっかりベッドに沈みこみ、足だけが床についているありさまだ。
 ハイネルに巻き込まれた形のグーデリアンの体は、彼に覆いかぶさる体制になっていた。
 ハイネルの頭を支えていた手がゆっくりと外され、いつの間にか顔の横に両手が置かれている。
 二人は奇妙な沈黙に支配されていた。

「あ、す、すまない。今どくから・・・」

 ハイネルが焦った声を出して体を起こそうとすると、不意に強い力が彼の肩にかけられた。
 再びベッドに沈みこみ、驚きに彼が顔をあげた先には、息をのむほどの青い瞳があった。あまりにも深く、真摯な青い瞳。それらは、あまりにも近い距離にある。
「グーデリアン・・・!」
 それ以上は声にならなかった。突然おりてきた唇に、驚愕する暇もなく自分の唇をふさがれる。
「う・・・っ」
 はじめのうちハイネルは激しく抵抗したが、強い腕にそれもかなわなかった。息をふさがれ、彼の手に顎をあげさせられる。
 長いキスだった。すべての情熱を注ぎこもうとしているかのように、グーデリアンの熱い舌がハイネルの口中をまさぐっていく。
 舌のからむ音だけが静かな部屋の沈黙を打ち破り、そのうち、司祭服に包まれた細い腕が褪せた金髪にまわされ、弱々しく抱きしめた。
「ハイネル・・・」
 唇がはなれる合間に、かすれた、熱い声がハイネルの耳朶をうった。また角度をかえ、唇が落ちてくる。
 強い腕がありったけの情熱でハイネルの体を掻き抱いていた。
「ハイネル、ハイネル・・・」
 グーデリアンの切ない声が、何度もハイネルの名を呼ぶ。
 名を呼ばれ、ハイネルは自分の身の内が熱くなるのを感じた。力の入らなくなったハイネルの両手は、いまはグーデリアンのシャツに力なくかけられているだけだ。
 長い口づけを終えても、グーデリアンの腕はハイネルから離れず、その指が彼の細い髪をすいている。
 堅く閉じられていたハイネルのまぶたが開き、そこからエメラルドのような瞳がのぞくと、グーデリアンの腕に一層力がこめられた。
「ハイネル、オレは・・・」
 司祭はグーデリアンに最後まで言わせなかった。
「今日の夕方には大司教を迎え、日曜には聖体拝領がある」
 ハイネルの瞳はうるんでいるのに、声は乾いていた。
「明日は隣地区の司教がやってくることになっている。明後日は彼らから『終油の秘跡』の講義を聞く。カトリック体系の教団にとって、終油の秘跡はもっとも重要な儀式の一つだ」
「ハイネル!オレの話を聞いてくれよ!オレはもう子供じゃないんだ。オレはもう子供じゃない。ほんとうは、本当はハイネルにだってわかってるんだろう!?」

「グーデリアン」

 その一言で、グーデリアンは反論を封じられた。

「私は司祭なんだ」

 今度は軽く押しただけでグーデリアンの体が離れた。喉元の白いカラーがグーデリアンの目を灼く。胸元のディーヴァの紋章も。長い司祭服も。

「オレはハイネルが好きなんだ」
 今まで何度も告げてきたけれど、今までとはまったく違う響きの言葉だった。
 ハイネルはかたく眉を引き寄せ、目をつぶり、グーデリアンの言葉から意識をそらした。
「ずっと昔から、ハイネルだけが好きだったんだ・・・」
「聞こえなかったのか?私は司祭なんだ。お前だって・・・・・グーデリアン、お前だって私の言うことがわかってるんだろう?」
 グーデリアンはただ青い瞳を司祭にむけた。
 子供のころ、その青い目はただ純粋に澄んでいて、見ていると心が洗われるようだとハイネルは思っていた。
 だが今は、ときにその視線がつらい。彼の、グーデリアンの言葉にしない想いがすべてこめられているかのようなその真摯な瞳が、どうしようもなく怖いときがあった。

「私の魂は神とともにある。私は司祭なんだ・・・グーデリアン、出ていってくれ」

 一言も声を発さず、ただ射抜くような視線を送っただけで、グーデリアンは彼の部屋を出ていった。彼も一言も発さずグーデリアンが出ていくのを見送った。

「私は、司祭だ」

 かすれた声。白い指が司祭服の胸元を強く握りしめる。
 左手が、やけに重い。秘めた罪の刻印がしるされた左手。この左手の罪とともに、一人時をとめたままで司祭は長い時を生きつづける。信仰という名の見えない鎖に縛られたまま。
 たとえば、グーデリアンが女性の話をするとき。たとえば、自分以外の友人との楽しい時間を告げるとき。
 ハイネルの胸には言いようのない暗い影がさす。だが、その胸の内部と向き合うわけにはいかなかった。
「グーデリアン、私は、司祭なんだ・・・」
 白い頬を、涙が一筋すべり落ちていった。


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