夏/15歳 1
暑い夏がきた。
十五才になったグーデリアン少年は、最近とみに背の伸びが早くなってきている。姉と妹の姉妹にかこまれ、一人だけどんどん洋服のサイズのあわなくなってくる息子に、母親と父親は困惑半分、うれしさ半分といったところだった。
褐色のかった赤毛は色が抜け、いまやくすんだ金髪といった方がいい色合いとなってきているし、もともと愛嬌のある顔立ちにさらにアクセントを加えていたソバカスも姿を消しつつある。
だが、子供らしい無邪気な純粋さをたたえた青い瞳だけが変わらずにそこにあった。
暑いベルトラの夏の空にさえひけをとらない、強い輝きをもった瞳だった。
日に焼けた手足をいそがしく動かし、元気なことこの上ない少年は、一時の時間もムダにはしないとばかりに意気込んでいるように見える。
「おい、ジャッキー!」
声をかけられ、グーデリアンは足をとめ、そちらを見た。
彼のクラスメートの少年たちが、4,5人ほどジャンクフード片手に集まっている。
「何だよ、どっか行くのか?ジャッキー」
「まぁね」
軽く声をかけて去ろうとしたのだが、ヒマをもてあましているらしい少年たちは、彼を易々と離すつもりはないようだった。
「ジャッキーっていつも忙しそうにしてるよな。オレたちに隠れて女に会いに行ってるんじゃないのか?」
「言えるよな!お前さ、昨日ステファニーに色目つかわれてたろ。オレねらってたのに」
「ムダムダ。お前じゃジャッキーの相手にゃなんねーよ」
この年頃ともなれば、異性への関心も強くなる。山あいにあり、都会とは言い難いベルトラでもそれは同様だった。
グーデリアンも例外ではなく、クラスの女のコとは仲もよくみんな好きだったし、実際彼はよくもてる。つきあった女性もすでに何人かはいた。
ただ、それで彼の足が教会から遠のいたということはなかった。あいかわらず彼はヒマがあれば教会に足を運び、初めて会ったときと変わらず若く美しい司祭に会いにいっては、自分が今つきあっている女のコのことなどを話題に出し、彼に苦笑されるのだった。
今つきあっている年上の女性とは、今日は会う予定がなかったので、今日も彼は教会へ行こうと思っていたところだ。
彼が素直にその旨を告げると、ヒマをもてあましていた少年たちは俄然興味をもったようだった。もちろん、興味をもったのは若い司祭にではなく、信仰とはほど遠く見える悪ガキのグーデリアンが、足しげく教会に通っているという事実にである。
そんなこんなで、好奇心いっぱいの少年たちは、にわかに『頼まれても行きたくない』はずの場所だった教会へと、そろって向かうことになったのだった。
果たして、司祭はそこにいた。読書が趣味らしく、彼は教会の裏手にある庭にしつらえたテーブルについて、よく本を読んでいる。その本は宗教書のこともあり、科学書のこともあり、はては料理の書であることもあった。なかなか趣味が多岐にわたっているらしい。
少年たちは、五年前に赴任した司祭が、自分たちが思っていたよりもずいぶんと若いらしいことに、遠目で見たときにまず驚かされていた。
「ハイネル!」
それから、グーデリアンに声をかけられて顔をあげた、その司祭の表情に、彼らは二度驚かされることになった。その顔があまりにも清く整っていたからである。
「ああ、グーデリアン。今日はずいぶんと珍しいお客がくるな。クラスメートか?」
冷たく整った顔にのせられたわずかな笑みが、硬質な司祭の印象をずいぶんと柔らかいものにしている。
「なんか食い物ある?」
屈託のないグーデリアンの問いに、お前はいつもそれだな、と苦笑しながら、それでも彼は席をたった。やがてスコーンとカスタードクリームが詰められたバスケットが運ばれてくる。それから、かぐわしい香りのするティーポットとカップも。
まだ少し呆然とした感のある少年たちに、ハイネルは笑って言った。
「どうやら、君たちも急に信仰心に目覚めたわけではなさそうだな。グーデリアンに連れてこられただけなんだろう?司祭としては不本意だが、私個人としてはお客様が来てくれるのはうれしいよ。よかったら席について、お茶を飲んでいかないか?」
整った顔をした若い司祭がほほえんで見せると、思った以上に場が華やいで、思春期を迎えたばかりの少年たちは、いささかうろたえてしまった。頬を染めている少年までいる。
「うまいぜ。ハイネルは料理が得意なんだ。あったかいうちに食っとけよ」
一人だけ平気な顔をしてクリームをぬりたくったスコーンをほおばっているグーデリアンをよそに、少年たちはどこか困惑げに顔を見合い、ようやく席についておずおずとバスケットに手を伸ばしたのだった。
「君たちは、礼拝に行ったりはしないのかい?」
満足げにスコーンを味わっている少年たちを見やりながら、ハイネルが何げなくそんな言葉をかけた。まだスコーンを口に入れたまま、もごもごと一人の少年が答える。
「うーん・・・マムやダッドは一緒に来いって言うんだけど・・・めんどくさいからいつも宿題なんかを理由にして行かないんだ。ハイネルさんみたいな司祭様がいるんだったら行ってもいいと思うけど、オレん家デイーヴァ教じゃないしなぁ」
そうそう、とあいづちを打っている少年たちに、さすがにハイネルは苦笑した。
そのハイネルの横で、グーデリアンが胸を張って少年たちに主張した。
「まったく信心深さのカケラもないんだよな、お前らには!ちょっとはオレを見習えよ。オレなんて毎週欠かさず礼拝に足を運んでいるどころか、毎日のようにこうして教会に来てるんだぜ。まったくアタマが下がるだろ!?」
「グーデリアン、お前は食べ物をあさりに来てるだけじゃないか」
「ハイネルは黙っててくれよな!こいつらが本気にするだろ!」
「本気にするもなにも、事実じゃないか」
いかにも生真面目そうに見えた司祭が、グーデリアン少年と話しているときはまるきり少年のようになってしまうのを目にして、少年たちはあぜんとした。だが、ふだんから明るいグーデリアンが、さらにいきいきと目を輝かせているし、ハイネル司祭も楽しそうだ。
少年たちはまだ少し教会の雰囲気に気おされながらも、だんだん午後のお茶会に興じていくことができた。
スコーンとお茶でとりあえず空腹を満たした少年たちは、帰る道すがらグーデリアンに質問を浴びせかけていた。
「なあなあ、ジャッキーはいつからハイネル司祭のとこに通ってたんだ?」
ほんのガキの頃、ハイネルがここに来てすぐだよ、とかえしたグーデリアンに、友人たちの感嘆したような声があがる。
「オレん家はディーヴァ教なんだけどさ、マムが新しい司祭が来たとたんに熱心に教会に通いはじめたから、どーしたのかと不思議に思ってたんだよ。ハイネルさんが見たかっただけだって、今日やっとわかったぜ。なーにが『お前も教会に通って、少しは敬虔な気持ちになりなさい』だよなぁ。ヘンだと思ってたんだよ。まったく美形には弱いんだからさ」
ほかの少年たちも同意する。彼らは口々に司祭があれほど若く、しかも容姿端麗な青年だとは思ってもいなかったと言った。それを聞いたグーデリアンは、なんだか面映いような、それでいて誇らしいような複雑な気持ちを味わう。
「でも、ハイネルさんって確かにキレーだし優しいけどさ、やっぱり一緒にいるとキンチョーしちゃうよな」
一人の少年が空を仰ぐように上を見ながらポツリとこぼした。ほかの少年も同意する。
「そうだよな。オレは結構悪いことしてるから、ハイネルさんの前に出たらみんなバレちゃいそうな気がする。なんてったって司祭様だろ?」
若い司祭はたしかに清く整った面差しをしており、それは内面に至っても同じようだった。けれど、あまりに清く、潔い存在は、憧れと同時に触れがたい畏怖をも感じさせる。
少年たちは幼いながらも敏感にそれを感じ取っていたのだろう。
あの緑の瞳は、確かにすべてを見とおしてしまいそうな冷たく確固とした意思を宿していた。
相手は司祭だ。
なにものにも侵されず、屈しない清い心を持つ、神に命をささげた存在。一体、だれが彼を汚すことができるだろう?
「オレはハイネルさんみたいな人には憧れるけど、やっぱりジャッキーみたいに気軽に教会に行ったりはできないな。遠い世界の人だって感じがするもん」
「オレもオレも。綺麗すぎて気後れしちゃうよな」
友人たちの言葉に、グーデリアンはいつも母から言われている言葉を思い出していた。彼女はいつも口にしていた。『ジャッキー、ハイネルさんと仲良くするのはいいけど、相手は司祭様なのよ。大人で、聖職についている方よ。あなたとは違うの。それを覚えておきなさい』と。
その言葉はグーデリアンの心の底に深く沈んだ。自分と違うとはどういう意味なのだろう?ハイネルは特別な人間なのだろうか。確かに彼は5年前から少しも年をとっていないようだ。その点では成長期にある自分とは違う。だが、母が言っているのはそんな意味ではないようだ。
自分にとってハイネルは、家族と同じくらい、時としてそれ以上に身近に感じられる存在で、心をゆだねられる相手なのだが、ハイネルにとっての自分は違うのだろうか。
まだ幼いなりにそんなことを考えてしまい、苦々しい気分を味わってしまったのは一度や二度ではない。グーデリアンは自分自身のそんな考えを振り切るように、ことさら陽気で尊大な声を出した。
「ま、お前らみたいに後ろめたいことがありまくりのヤツには、教会は縁遠いところだろうな。オレにとっては教会は第二の家なんだけど」
「よく言うよな、オレの5つ上の姉ちゃんなんて、『あんたの友達のジャッキーって子は、二年もすればすごい女たらしになってるわよ』って言ってるぜ。オレは言っといたよ。『もうすでになってるよ』ってな」
ちがいない、と少年たちがどっと笑う。あーもう言ってろよ、とグーデリアンがイヤそうな反応をするのを見てさらに笑いを誘われたようだ。
「ジャッキー、ジャッキーはこれからどうする?」
「オレ?」
ひとしきり笑うと、一人の少年がそうたずねてきた。しばし考えて答える。
「オレ、教会に忘れ物してきたみたいだから、もう一度行ってくる。それじゃ、また明日な!」
元気よく手をふる友達に自分も手をふりかえしながら、グーデリアンは再び教会に向かう。
本当は、忘れ物をしてきたなんていうのはウソだった。
友人たちの反応を目にし、耳にして、にわかにハイネルの存在が遠いもののように感じられてしまったのだ。今すぐハイネルのそばにいって、彼の存在を近くに感じたかった。
「ハイネル!」
息せき切って教会に戻ると、彼は急なお茶会の後始末をしているところだった。
「手伝うよ、ハイネル」
言いざま空になったカップを重ねていくグーデリアン少年に気づき、ハイネルは少しからかうような口調で言った。
「グーデリアン、お前がそんなに素直だなんて、今度は何を頼みにきたんだ?」
少し考えて、グーデリアンはこう答えた。
「メシ食わせてよ。今日かーさんが店番で、帰るのが遅いの思い出したんだ」
「お姉さんが食事の準備をしてくれるんだろう?」
「姉ちゃんの食事って、ぜんぶレトルトなんだぜ?あんなの食うより、ハイネルの作ったメシの方がずっとうまいもん!ハイネルはほんとに料理が上手だからね」
これは本当のことだった。実は料理が趣味らしい司祭の作る食事は、母親の作る食事とおなじくらいおいしく感じられる。
「いいだろ?ごはん食べさせて」
グーデリアンが重ねていうと、ハイネルは仕方ないな、とばかりにため息をついてみせた。だが、これはいつものことだ。綺麗な色をした緑の瞳は優しくこちらを見つめていて、この司祭の言動と心情は必ずしも一致しないということがよくわかる。
「お前は食べざかりだからな。背も伸びたし」
グーデリアンの前ではずいぶんくだけた話し方をするようになっているハイネルはさっそくパスタの準備にとりかかりながら、感心したようにつぶやいた。
自慢に思っていることを持ち出され、グーデリアンは得意げに胸をはった。
「だろお?どんどん服があわなくなってきてるから、かーさんは嘆いてるけどね」
「髪の色もぬけたし、そばかすもほとんど見えないな。ずいぶん変わった」
あんなに赤っぽい髪だったのにな、と言いながらハイネルの細い指がグーデリアンのあせた金髪をすいていく。そうするのがハイネルのクセのようで、そうされるのがグーデリアンは好きだった。こうされていると、何だか安心できる。
「あんなに小さい子供だったのにな・・・いまも子供には違いないが」
「あんまり子供扱いすんなよな!オレはもうほとんど大人とかわんないぜ。背だって伸びたし」
「女のコとは仲良くしてるし?」
子供っぽさをからかわれているようで、グーデリアンはとっさに頬に朱をのぼらせた。衝動のままに言葉が口をついてしまう。
「オレはハイネルとちがって、成長してるんだよ、大きくなってるんだ!そのままで変わらないハイネルなんて、すぐに追い越しちゃうんだからな!!」
それは自分を子供扱いして同等に見てくれないハイネルに対する、グーデリアンの子供っぽい悔しさから出た言葉にすぎなかったが、ハイネルの表情がさっと曇った。
その変化はほんの一瞬彼の白いおもてをよぎっただけで、すぐに平静そのものの表情に戻ったが、グーデリアンの心は後悔でいっぱいになっていた。彼は、一見人形のようにも見えるこの司祭が、外には出さないけれど、傷つきやすい面をもっていることを知っていたのだ。
自分自身に対する怒りと情けなさのせいで、グーデリアンの声も表情も意気消沈した。
「ゴメン、ハイネル・・・そんなつもりじゃなかったんだ」
ハイネルは薄く笑った。綺麗だけれど、どこかさびしげな笑みだった。
「いや、いいんだ。気にしてないよ。お前は出会ったとき、年をとらないで済む私のことをうらやましいと言っただろう?私は人からうらやましがられるような立場にあるんだ。何を気にすることがある?」
そろそろパスタがゆであがる頃だろう、と背中を見せて立ちあがったハイネルを、少年は何とも言いがたい思いで見送っていた。
まだ少年期にさしかかって間もない彼には、年を重ねることがないというハイネルがどんな思いをしているのか正確に推し量ることはできない。それでも、少年は少年の思いなりに、あのまっすぐな瞳でこちらを見つめてくるハイネルに悲しげな顔はさせたくないと本気で願っているのだ。彼には、いつもほほえんでいてほしかった。
5年前初めて出会ったときから変わることなく自分のそばにいて、そして笑いかけてくれる、たった一人の綺麗な司祭には。