冬/20歳 5


 少女との思い出を話し終え、グーデリアンは軽くまぶたを伏せた。彼女の面影は簡単に脳裏に描き出せる。
 そうして、やはりその少女は、目の前にいる司祭に近い魂を持っているように思われるのだった。
「・・・オレも、ずいぶん悩んでたんだ。ハイネルが司祭なんかでさえなけりゃ、迷うことなんかないのに、かっさらっていくのにって。ハイネルが司祭でいるから、それが全部の原因なんだって」
 苦笑まじりに、けれど真摯な口調でグーデリアンは語った。
 ふいに表情が改められ、グーデリアンがその青い瞳でまっすぐハイネルを射抜く。
「でも、オレ、ハイネルが司祭でいることを否定するのはやめたんだ。ハイネルが何者だとしたって、オレにはどうせ関係ないって気づいたしね。例えハイネルがベルトラの加護がなくて年をとってたとしたって、口うるさくったって、キレーな顔して手が早くたって、朴念仁だって、意外と怒りっぽくったって、それからそれから・・・・とにかく、どうせオレはハイネルが好きなんだ」
 どこか呆然とした顔をして自分に見入っているハイネルに笑みを誘われたらしく、グーデリアンの口調がまた軽いものになる。けれど、その言葉はけっしてふざけ半分に出たものではなかった。
「ハイネル。ハイネルが何かから赦されたがってるのは知ってるよ。オレとのこととはまた違う、別の罪の意識に苦しんでることも。でも、罪を犯してたって、悩んでたっていいじゃないか。それでもオレは・・・」
 ハイネルは最後まで言わせなかった。
 自分の唇に軽く触れてきた感触に、グーデリアンが目を見開いてしまったのも仕方がなかったと言えるだろう。
 あの司祭が、自分から唇を寄せてきたのだった。羽のような感触だけを残して去っていった唇に、グーデリアンは呆然として視線をあてる。
「司祭に説教する気か?あんな大罪を犯しておきながら。司祭が恋に落ちるなんて、それも相手がお前だなんて、これ以上はないほどの大きな罪なんだぞ」
 いつもなら子供扱いされると過敏に反応して怒りだすグーデリアンも、今回ばかりは苦い表情を見せながらも笑ってかえした。自分とのことをハイネルが自ら『罪』と口にすることができたなら、彼は大丈夫だと思ったからだ。自分の罪と向き合うのは辛いことだが、そうしなければその罪を乗り越えることもできない。
「わかったよ、司祭様。オレのせいで司祭様は罪を背負っちゃったんだもんな。カミ様以外のものに心奪われ、その上その相手はオトコときたもんだ。ほんと、これ以上ないってくらいの大罪だ。そこで、司祭サマに提案です」
 おどけたグーデリアンに、ハイネルの口元にもうっすらと笑みが浮かぶ。グーデリアンはウインクをして続けた。
「司祭サマ、ぜひオレに罪の償いをさせてください。・・・一生、司祭様のそばで」
 唇を寄せていくと、ハイネルは素直に目を閉じてくれた。どんな女性との情熱的なキスより、ハイネルとの、唇をふれあわせるだけのキスがグーデリアンには心地いい。
 幼く、まだほんの少年だったころから、一番身近にいた、一番大好きだったその人が、いまグーデリアンのすぐそばにいた。
「大好きだよ、ハイネル。ハイネルはいつだってオレの一番だったんだ」
 自分にとっての真実をグーデリアンが告げると、この自分だけの司祭はいつかと同じように髪を優しくすいてくれるのだった。




 今、ハイネルは祭壇に立っていた。指を組み、祈るように、何かを待っているかのように頭を垂れている。
 事実、彼は待っていた。自分の罪と向き合うそのときを。これから対面しなくてはならないものを。
 グーデリアンは、信徒のいるべき席の一番隅に座りこんでいた。ここからだとグーデリアンはハイネルの姿を小さくのぞむことができるが、ハイネルの位置からは柱がジャマでほとんどグーデリアンを目にいれることができない。この場所を指定してきたのもハイネルだった。

「ハイネル司祭」

 重い音とともに扉が開き、暗かった室内に光がさしこんだ。大司教が司教をともなって入ってくるのが、シルエットだけだがグーデリアンにも見てとれた。向こうがこちらに気づいた様子はない。
 いくつか小さな声でやりとりがあった後、不意にハイネルが司祭服の喉元に手をかけた。肩から司祭服がすべり落ちていき、ほどなく現れた白い背中に、思わずグーデリアンの声があがりそうになる。
 大司教のどこかザラついた視線がハイネルの背中をはっていると思っただけで、グーデリアンは気が狂いそうになった。大司教がほんのわずかにでもハイネルに触れていたら、きっと彼は我慢せず飛び出してしまっていただろう。
 なめらかな背中を検分しているかのようだった大司教がようやく顔をあげ、何とかグーデリアンは握っていた手のひらからわずかに力をぬいた。
 だが、依然ハイネルの背中は大司教たちの視線にさらされたままであり、眼差しが険しくなっていくのを止められない。
 しかし、そのつぎのハイネルの言葉に、グーデリアンはハッとして身を堅くした。

「いつまでこんなことを続けなくてはならないのですか」

 思いもかけずハイネルの声は教会の中を響き渡っていった。自然、相手の声も大きさを増したようだ。
「ハイネル司祭、何度言ったらわかるんだ。われらがディーヴァ教はカトリックの血を強くひいているとは言え、まだ歴史の浅い宗派だ。信者を得るためには『奇跡の体現者』が必要なんだよ」
 ハイネルは緩慢な仕草で司祭服をふたたび着込んだ。一連のその動作が終わると、彼はまっすぐ大司教たちに向きなおった。
 彼がどんなに苛烈な眼差しで大司教たちを貫いているのか、遠くにいるグーデリアンにもよく見えるような気がする。きっと、彼は何ものにも屈しない強い瞳で相手を見据えているのに違いないのだ。
「あなたたちは、信者の信仰を得るために、巨額の資金をつぎこんで私の肉体を若く保っている。なぜ、そうまでして偽の『奇跡』を生み出そうとするのです?」
 瞳だけではなく、ハイネルの言葉も鋭い錐のようだった。グーデリアンの耳には心地よいが、聞くものが聞けば身もすくむような厳しさをもった声だった。
「『ベルトラの司祭は信仰の力によって若さを得ている』そんな虚言で信者を得てどうしようと言うんです?そんなことをして得た信仰に何の意味がある?そんな見せかけの奇跡にゆらぐような、そんな信仰心を欲してなどいないはずだ!」
「ハイネル司祭。高邁な理想論もけっこうだが、現実も見据えたまえ。実際、『ベルトラの司祭は創始者聖ヨヒアム・ヴェルヘルムと教会の力によって、若さを保ちつづけている』という『事実』に、人々はわれらディーヴァ教への信頼を深めているではないか。これは、神が与えたもうた現代の奇跡だ。もっとも、肝心のベルトラにいる司祭本人がこの『奇跡』の吹聴に関心をしめさないのでは、困ったものだがね」
「なら、あなたたち上層部の言いなりになる、もっと従順で若い司祭を派遣すればいいでしょう!私は薬でゆがめられた若い肉体などいらない。偽りの奇跡など、見せかけの信仰など欲しくない!」
 グーデリアンは、目の前でくりひろげられる激しい舌鋒戦を、どこか現実味のかける思いで見つめていた。
 ハイネルの話しぶりでは、彼が何年も年をとらないできたのは、信仰心による奇跡などではなく、何らかの科学的処置からだということになる。
 10年も前から、変わらず、いつも毅然とした姿勢をとりつづけてきた司祭。そんな彼に憧れて、でもそんな彼に届かない苛立ちを感じていた自分の思いが、グーデリアンの中でパリパリと乾いた音をたててはがれ落ちていく。

「いい加減にしたまえ!」

 何度めかのやりとりの後、怒号が美しいステンドグラスをビリビリと震わせた。あるいはグーデリアンの錯覚だったかもしれないが、それほど大きく、そして醜く歪んだ声だった。
「もっと別の司祭を派遣しろ!?試せるものだったら、私がとっくに試している!薬を投与するだけで、いつまでも若くいられる。夢のようなことじゃないか!だが、私ではダメだった。ほかの誰でもだ。いいか、あの薬はな、だれにでも合うというものじゃないんだ。あの薬に適合するには、特殊な遺伝子配列が絶対条件となる。ハイネル司祭、君は若く美しい。薬さえ投与しておけば、君のその若さも、美しさも、半永久的に君のものだ。その上、それがディーヴァ教のためにもなる。いったい何の文句がある?」
 答えないハイネルにかまわず、彼はさらにまくしたてる。
「今までここに派遣された司祭は、徐々に薬を受けつけなくなって年をとり、この教会を追い出されていった。だが、君は違う。君の体はあの薬に完璧に適合しているんだ。君は知っているかね?自分の肌を。自分の美しさを。私は見た。完璧だ、完璧じゃないか!いままでに薬を投与してきたどの被験者よりも、君は完璧に若さを保っていられる。そうして、その『奇跡』を目にして信者が増えるんだ。そのことを誇りに思いたまえ!」
 興奮のままに言い終え、年老いた大司教は肩を上下させて荒い息をついた。若い司祭が反論してこないのに気をよくしたのか、後ろに控えていた司教に持たせていた黒いカバンを用意させる。
 黒い司祭服の袖がまくられ、白く細い腕があらわにされても、ハイネルは無言だった。
 怒鳴りつかれ、まだ荒い息のおさまらない大司教が、光を反射してわずかにその存在をグーデリアンに伝えてくる物体を、ハイネルの左腕にあてがおうとしている。
 おそらく、何らかの薬物がこめられた注射器であることは疑いがなかった。
 細い細い銀の管。それがハイネルの腕にあてられる。
 つぎの瞬間、ハイネルのもう片方の手が大きくそれを払っていた。その拍子にバランスを崩し、大司教は滑稽なほど大げさなアクションで尻もちをつく。その巻き添えをくって、そばにいた司教までがバランスを崩した。
 遠目にも、ハイネルの白い腕を針が傷つけたのがわかった。血が赤い筋をつくって白い肌を伝っている。
 それでも、ハイネルの声にはいささかの動揺もなかった。
「私は教会の広告塔じゃない。偽りでつくられた信仰などほしくない。私の心には真実の信仰がある。それだけで十分だ」
「お、お前が・・・平の司祭でしかないお前が・・・っ」
 悔しさに大司教は言葉さえままならないようだった。ぶざまな格好のまま、太った腕を司祭につきつけ、ひしゃげたニワトリのような声を出す。
「こっこの、この薬がいくらすると思ってるんだ!?どれだけこの薬に合う体質のものが少ないのかわかってるのか!?できるものならとっくに私自身が不老の体になっている!なぜだ、不老の薬だぞ!!なぜそんな澄ました顔をしていられるんだ。お前は、自分が何の罪も犯していない、聖者かなにかだと思っているのか・・・・っ!」
 気の弱い司教はおろおろとして、でっぷりと太った大司教の後ろからハイネルの様子をうかがい見るだけである。それも、ハイネルの容赦のない鋭い視線にさらされると、ヒッと声をあげてひっこんでしまった。

 グーデリアンは、ハイネルが一瞬自分の方を見たような気がした。

「私は、聖者などではありません。むしろ、大きな罪を犯しています。それゆえ、あなたたちに対して毅然と抗することができなかった」
 ほらみろ、とばかりに醜悪な喜びにゆがんだ大司教の顔など目に入ってはいないように、司祭はゆっくりと瞳を閉じた。
「私は赦されないかもしれない。いや、むしろ、私は赦されたがってなどいないのかもしれない。・・・私の思いは、赦されなくても捨て去れないほど、私にとって切実なものだから」
 グーデリアンは、ハイネルのそばに駆けよりたかった。駆けよって、力の限り抱きしめたかった。
 ハイネルの声に揺らぎはなかったが、グーデリアンには、彼が今どんなに心の中で葛藤しているかがよくわかった。多分、世界中のほかのだれよりも彼の気持ちがわかっていた。
 けれど、グーデリアンは動かず、その場にいた。そんなことをハイネルは欲してなどいないとよくわかっていたし、何よりここでハイネルの全てを見守ることが自分の役目だとグーデリアンは知っていたからだった。彼にできるのは、一人で毅然として大きなものに立ち向かおうとしているハイネルを、だまって見守ることだけなのだ。
 ここでグーデリアンが自分の無力さに耐えているように、ハイネルもあの場で耐えている。自分の中の信仰心と、罪の意識のせめぎあいに。

「罪を犯していても、私は司祭です。誰に赦されなくても、私の信仰は奪えない。もうあなたたちには従わない。私の信仰は私のものです。あなたにも、誰にも奪えない!」

 帰ってください、とハイネルは一言口にした。大司教はなおも口々にわめいていたが、そんな声はハイネルのもとにもグーデリアンのもとにも届かなかった。彼の語る言葉など、もはや彼らにとって言葉としての価値などなかったからである。



「・・・グーデリアン」
 大司教と司教が、聖職についているものとは思えない悪口雑言を口にして去っていってしまうと、ハイネルはぽつんと口にした。ほんとうに、ただ口からこぼれてしまった、というような呼びかけだった。
 グーデリアンはゆっくりと腰をあげ、彼に近づいていった。
「・・・ハイネル」
 手の中の小鳥が逃げていってしまうのを恐れる慎重さで司祭の名を口にする。 
 ハイネルはうつむいていて、細い栗色の前髪に隠れて彼の表情をうかがうことはできなかった。
「テロメア、という言葉を知っているか?」
 かすれた、細い声だった。グーデリアンが答えないでいると、ハイネルは、・・・司祭はうつむいたまま続けた。
「プログラム・セオリーは?ヘイフリック限界は?・・・人としての寿命は、遺伝子の分裂回数、あるいは遺伝子そのものに刻まれているという説だ。寿命をつかさどると考えられているテロメアの分裂回数を押さえることができれば、あるいは若さを保つことができると考えたものたちがいる。・・・神に対する信仰とは対極にある、科学の世界の話だ。グーデリアン、お前が今の肉体のまま、若いままでいることを望んだとしよう。そうしたら、お前はどちらを選ぶ?神に祈るか、それとも科学にたよるか」
 そう言って、無意識のうちにか、彼の右手は左手をさまよう。そこには、いくつもの注射跡があるはずだった。彼の体に刻まれた、罪の印。

「・・・いつも私の中はせめぎあっていた」
 司祭服の両手をにぎりしめ、彼は肩を震わせていた。
「あの薬は・・・大司教たちが来るたびに投与されていた若さを保つあの薬は、とても高額なんだ。しかも人を選ぶ。聖地ベルトラに赴任が決まったときは、うれしかった・・・・家族と離れ離れになり、会うことが許されなくなると知っていても。それでも、自分の信仰を貫くことができるのだと・・・・待っていたのは、ひどい裏切りだった」
 ハイネルの震える肩は、けれど全身で触れられることを拒んでいた。
 グーデリアンはただ包みこむような眼差しを彼の司祭に注いでいる。
「教会と権力との絡み合い、そして利潤主義、そんなのはどこにでもあることだ。注射器の中の、あの冷たい液体が自分の体の中に流れこんでくるとき、何度も自分にそう言い聞かせた。自分だって・・・」
 そこで初めて彼は言葉をとぎらせて顔をあげた。少しだけ潤んだ緑の瞳が自分を見つめてくることに、グーデリアンは身のうちが熱くなってくるのを感じた。
「・・・自分だって、ゆるされない感情を持っている。大罪だ。大司教たちよりタチが悪いじゃないかと」
 触れるのをためらっていたグーデリアンの背中に、ハイネルの方から両手がまわされた。驚いているグーデリアンにハイネルはかすかに笑いかける。
「お前はきっと、私の中の『神秘』にひかれていたんだ。私は素のままのお前にひかれたが、お前は『年をとらない』という、私の中の不思議に意識をうばわれているんだ。私自身にひかれたわけじゃない。・・・私はそう思い、そのことが、私の中でもう一つの重荷になっていた」
 ハイネルは笑ってそう言ったが、その思考が彼の中に暗い影を落としていたことは容易に知れた。彼の微妙な瞳の翳りが、すべてをグーデリアンに伝えてくる。
 
「オレさ」

 ようやくハイネルを抱きかえし、その腕に力をこめながら、グーデリアンは何がうれしいのかはずんだ声を出してくる。
「フキンシンかもしれないけどさ、さっきの話聞いてて実はうれしかったんだ。ハイネルがほんとはフツーの人で。わけのわかんない神秘の力とやらで若いまんまでいられる、『奇跡の体現者』なんかじゃなくって。ずっとハイネルにはガキ扱いばっかされてたからさ、ようやく、1コだけハイネルとの壁がなくなったみたいで、うれしかったんだ」
 それから一度腕を伸ばし、驚いているハイネルの顔を正面からとらえると、また顔も見えないほどきつく抱きしめた。
「おかしいよな。ハイネルは見た目がぜんぜん変わらなかっただろ?変わらないで、ずっと同じ場所にいる人に追いつくのなんてカンタンなはずなのに、変わらないからこそ、ハイネルには一生追いつけないって思ってた。でも・・・今はちがう。ハイネルはオレと同じに、年をとっていくふつうの人なんだろう?司祭ではあるけどさ」
「・・・そうだな」
 腕の中で、ハイネルがつぶやいたのがグーデリアンにも届いてきた。うれしくて腕に力をこめると、『それにしても、お前よりかろうじて年上の状態で、時が戻って良かった』などとかわいくないことを言ってくる。よほどグーデリアンに年上風を吹かせたいらしい。
 もちろん、グーデリアンはそんなことを言う唇を、すばやく自分の唇でふさいだのだった。


HOMEに戻る
小説広場に戻る
続きに進む