冬/20歳 4
グーデリアンは、ハイネルの白い背中が清潔な司祭服におおわれていく様を見つめていた。
彼は、ハイネルが曜日によって身にまとう司祭服の色を決められていることを知っていた。それによると今日は白い司祭服のはずなのに、彼が選んだのは黒いものだ。
「ハイネル」
どこか”罪”を意識させるその色に、まだ上半身は裸のままでいるグーデリアンは、不安のにじんだ声で彼を呼んだ。
彼は振りかえり、何でもないことのように口にする。
「今日は司教と大司教が来る日なんだ。大司教が来る日はいつもこれを身につけてる。・・・もっとも、お前は子供のころから彼が苦手だったからな。大司教が来る3日も前から教会に寄りつかなくなっていたから、知らなかったんだろう」
いたいところをつかれ、グーデリアンは黙りこんだ。ベルトラの教会を含む2,3の教会をまとめあげている司教と、ベルトラ地区と呼ばれる教区一帯を総括している大司教。中でも、でっぷりと油ののった顔を近づけ、つばを飛ばしそうな勢いでご大層な説教をしてくださる大司教は、グーデリアンがゴキブリよりもキライぬいている相手だ。
何より、幼い頃に見て衝撃を受けた、大司教がハイネルの白い肩に触れていたシーンが大きかったと言えるだろう。あれが決定的な引きがねとなり、大司教はグーデリアンが嫌う人間の栄光ある第一位に十年間の長きにわたり、輝きつづけているのである。
もっとも、グーデリアンをからかっているハイネル本人も、この大司教とはしばしば衝突していた。衝突とは言っても、もちろんグーデリアンのように生理的にイヤだから、ハイネルの肩に触ったから、などという子供っぽい理由からではない。
グーデリアンがハイネルと彼とのやりとりを目にしていたのは子供の頃だったのでよくは分からなかったが、彼らは主に宗教感の相違で対立をしているようだった。
子供の目にも、権力のある相手に、自分の意志や意見を曲げずに立ち向かっていくハイネルの姿が誇らしく、まるで自分のことのようにうれしく思った覚えがグーデリアンにはある。
「ハイネルも、大司教のことキライなんだよな」
多少嫉妬もまじり、確認するような口調で言うと、ハイネルはわざと高慢な口調で言った。
「・・・別にキライとか、仲が悪いというわけではないぞ。私には司祭としての宗教感があり、そのことについて何回か議論を交わしただけだ。何でもかんでも直感で好きキライを決めるような、単純なお前といっしょにしないでくれ」
整った顔に見合わない辛らつな言葉がハイネルの口からポンポン飛び出してくるのが、かえってグーデリアンにはうれしい。記憶にある彼と寸分違わぬ姿だからだ。昔からハイネルは、優しい性質で冷静なわりに、グーデリアンと二人のときはけっこう辛らつな口をきいたものだった。
「グーデリアン」
「なに?」
名を呼ばれ、彼は顔をあげた。思ったよりハイネルが真面目な表情をしているのに気づき、自分も表情を引き締める。
「今日、大司教が司教を伴って、私を訪れる」
わかっていることを、ややためらって再びハイネルは口にした。
「今日、これからのことを見聞きすれば、お前は知らなかった私を知るだろう。私が、・・・このベルトラの司祭であるということがどういうことなのか、見ていてくれ。お前のその目で。お前は本当の私を知らないんだ。私は罪を抱え、その罪から逃れたがっている。私が何から赦されたがっているのか目にしたら、グーデリアン、お前はどう思うだろう?・・・・正直言って、怖いんだ。けど・・・逃げるわけにはいかないから」
グーデリアンがハイネルを見ると、彼はどこか遠い所を見つめていた。それから、だれに聞かせるでもない言葉を口に乗せる。
「自分の罪と正面から向き合うのは、こんなにも辛いものなんだな・・・」
つぶやくような彼の告白に、グーデリアンはベッドポストによりかかり、かたむけていた体をまっすぐ彼の方に向けなおした。
グーデリアンは三年前より更に背が伸びたらしく、瞳の青さも増していた。
「オレ、ハイネルに言っとかなきゃならないことがあるんだ。オレさ、あの子・・・マリアっていう子に会ったんだ」
意外なことに、ハイネルが驚いた。そんな表情が実際以上に彼を子供めいて見せていて、グーデリアンは笑った。
「一ヶ月前、ハイネル講演で大学に来てたろ?声はかけなかったけど、そのときハイネルがあの子といるのを見つけたんだ。恋人同士とかそういうんじゃないっていうのはわかってたけどさ、たまんなくなって、2,3日した後強引にあの子に話しかけたんだ」
グーデリアンは目を閉じ、少女とのことを思い出しているようだった。
それは、今から数週間前のこと。
グーデリアンに呼び出された少女は、彼の指定通りの時間に姿を現した。
灰色に濁った空の元、彼女が何を考えているのかグーデリアンからうかがい知ることはできない。
もう冬も深まり、例年ならとっくに雪が降り出してもおかしくない時節だというのに、今年はまだちらとも降っていなかった。
外気に白くなった息をはずませ、彼女はキャンパスの外れにある泉のほとりに立っていた。冬だということで噴水はとめられていたが、池のようにたたえられた水が、寒々とした光景に一層冷たい彩りを与えていた。
「教えてほしいんだ」
初対面の少女に、グーデリアンは聞きたいことだけを口にした。まっすぐ、視線をそらさずに。
「君はなぜハイネルに・・・司祭に会いに行くんだ?」
そしてまた、彼女もグーデリアンの青い瞳から視線をそらさなかった。
柔らかな若草色をした瞳に、その瞳に宿る意志の強さに、グーデリアンは幼いころからよく知る一人の人の面影を見出していた。
「フランツ・ハイネルに会いたいからよ」
少女は迷うことなく言い切った。
「彼が司祭であることを否定する気はないの。彼が司祭であるということは、彼の一部だわ。彼が司祭であるということを、彼の存在から切り離すことはできない。それでも・・・私は司祭ではなく、フランツ・ハイネルに会いに行くのよ。例えそれが、赦されないことでも」
「・・・赦されないことでも?」
「そう、赦されないことでも」
半ば自問したかのようなグーデリアンの言葉に、強い言葉がかえってきた。
グーデリアンは、少女を見る。そらされない、強い意志をもった視線。
これまでグーデリアンがかりそめの愛を語ってきた女性たちは、みんなどこかハイネルを思わせる色彩を持っていた。たとえば髪の色。たとえば目の色、肌の色。
この少女はハイネルよりも薄いグリーンの瞳をしていたし、髪も彼よりは淡い色だった。けれど、今まで見たほかのだれよりも少女はハイネルに近しい存在だった。
何よりもその視線が。心中に罪を抱え、迷いながら、傷つきながら、それでも前を見つづけようとする真っ直ぐな瞳が。
「信仰は重いものよ。ましてフランツ・ハイネル司祭は信仰に魂を捧げているわ。それを私は知ってる。あなたも知ってるんでしょう?」
「ああ、知ってるよ。・・・だれよりも」
「なら、神に魂を捧げているフランツ・ハイネルという存在そのものを、あなたは愛せるのでしょう?」
「ああ、愛せるよ。フランツ・ハイネルのすべてを」
誇らしげに言ったグーデリアンに向けて、少女はにっこりと笑いかけた。
グーデリアンの心にいつも住んでいる司祭の清らかな笑顔に、その表情はとてもよく似ていた。
それから、グーデリアンは彼女の名を聞き、彼女と交友を持つようになっていた。今までのように刹那の愛情を注ぐ相手としてではなく、心を許しあえる友人として。
彼女の存在は、グーデリアンにとっても心安らぐものとなっていた。