Priest
少年はそのときわずか10歳だった。
少年の生まれ育ったベルトラは、背後に雪と氷をいただいた山々が連なり、中心部を澄み渡った河が切り込むように流れている、小さいながらも自然に恵まれた町だった。
「ジャッキー、早くしなさい!」
母に促され、ジャッキーと呼ばれた少年は不満気に唇をとがらせた。褐色のかった赤毛で、太陽にほてった頬には薄くそばかすが散っている。鮮やかな青い瞳は、ここベルトラの空にも負けないほど鮮烈な輝きを放っていた。
端正というより、少年らしい元気の良さと明るさに満ちあふれた、だれからも好感をもたれるであろう外観の少年だ。
「ヤダよ、オレ。なんで新しく来た司祭なんかにいちいちアイサツしにいかなきゃいけないんだよ。かーさんが一人で行ってくりゃいいだろ?」
少年はまだ不満らしく、ブツブツと文句を言っていたが、やがて『なんか言った、ジャッキー!?』という母親の一言でだまりこんだ。少年の母親はなかなかの美人なのだが、その唇から発せられる言葉にはたっぷりとした威圧感がこめられている。
「前の司祭様がこの赴任地を去ってしまってから長いことたったけど、ようやく新しい司祭様が決まったのよ。しかも、とっても優秀な方なんだって言ってたわ。お前みたいな悪ガキの根性をたたきなおしてくれるよう、よくお願いしておかなくちゃね」
やめてよかーさん、と少年が頬をふくらませる様子が少年らしくてかわいらしく、彼女はにこりと笑った。笑うと少年と血のつながりを感じさせる、暖かい空気が彼女を包み込む。
「どーせ司祭様っていったってヘンクツなじーさんなんだろお?いっつもエラッそーにこんなカオしちゃってさあ」
少年は思いきり顔をしかめてみせた。気難しそうな顔のマネ、というよりもすでに顔面ビックリ大賞の域に達していて、母親も思わずふきだしてしまう。
「ジャ、ジャッキー!やめてよ!!笑っちゃうじゃない、不謹慎なのに」
以前の司祭はじいさんと言うほどの年ではなかったのだが、思慮深さ故なのか、いつも苦味ばしった表情をしていたのだった。
母親がたまらずに笑い出したのを見て満足したのか、少年も破顔して駆け出した。母が制止をかけるのも聞かずにものすごい勢いで教会の角を曲がろうとし、何かにぶつかる。
うちつけた鼻をおさえながら見上げた少年の目の前に、白い顔があった。
「あ・・・」
少年は驚きに声を忘れたが、それは相手も同じだったようだ。しばらくの間、少年とその人はおたがいに見いっていたが、やがて相手の方が我にかえったようだった。
「あ、すまない・・・ケガはないかい?」
「うん」
少年はヒリヒリする鼻のことも忘れ、ただ目の前の顔に見入っている。
白い顔だった。端正な、腕のいい芸術家が手を入れたような顔立ちの中で、深い色をした緑の瞳がひときわ鮮やかな光彩を放っている。
年のころは二十歳かそこらのようだった。
「すまなかったね。でも、よそ見をしながら走るのは感心しないな」
「ごめんなさい」
彼がその緑の瞳でこちらをまっすぐに見ながら話しかけてくるのが何とはなしに心地よくて、少年は彼から目を離せないでいる。
青年は教会服をまとっていた。
「ジャッキー!・・・・あら・・・ひょっとして、新しくいらした司祭様ですか?」
急に駆け出した息子を心配して声をかけた母親は、いちはやく青年に気づいたようだった。
まだ少年の肩に手をおいたままだった青年は、母親に問われてにわかに自分の立場を思い出したかのように表情を改めた。
「はい」
「思った以上にお若いからビックリしたわ。お名前は?」
「私の名はフランツ・ハイネル。このたびここベルトラに赴任となった司祭です」
その凛とした声は、新緑の季節の澄み渡った大気を、心地よく震わせて少年のもとまで届いたのだった。
悪ガキジャッキー・グーデリアンは、すぐにこの新しい司祭に興味をひかれたようだった。
ベルトラは環境にこそ恵まれているものの、住民の数はそれほど多くない。好奇心旺盛なこの少年にとって、この年若い、新しい司祭は、物珍しく興味をひく存在だったのだろう。
フランツ・ハイネル司祭がベルトラの地に赴任してからというもの、ジャッキー少年は学校が終わると教会に足を運ぶのが日課となっていた。
「ハイネルはさぁ、いくつなの?」
今日も今日とてこのグーデリアン少年、教会近くの森を散歩していた司祭をめざとく見つけると気安く話しかけてきた。
「さあ、いくつに見える?」
ハイネル司祭は答えをはぐらかすようにそんなことを口にしたが、少年は気を悪くしたふうもなく首を傾けた。
うーん、20歳かなぁ、それとももうちょっと若いくらい?と無邪気に聞いてくる少年に、司祭は笑って21だ、と答えた。若木のような伸びやかさと若々しさにあふれた声と肢体は、まさに人生の春を生きている人のものだ。
まだ少年期にさしかかったばかりのグーデリアンにさえ、ハイネルの瑞々しい若さに裏付けられた美しさはまぶしく感じられた。
『ここベルトラはね、特別な地なのよ。私たちが信仰しているディーヴァ教の発祥の地だから、特別な力が働いているそうなの。この力によって、ここに来た司祭様は、何十年も若いままでいられるっていう話よ』
ハイネルの、神秘的といっていいたたずまいにふと母から聞いた言葉を思い出し、彼は思いつくままに司祭に問うた。
「ハイネルはベルトラの司祭になったんだから、ずっと21歳のままってこと?」
「どうかな。一応、私もここの司祭になったわけだから、この地の加護がきくということになるな。そうすると、君が大人になった頃も、私はあまり変わっていないということになる。それにしても、よくそんなことを知っていたな。教会のことになんか全く興味がなさそうなのに」
「かーさんに聞いたんだ。ベルトラに来る司祭様は、カミサマに守られてるから年をとらないんだって。いーよな、ハイネルはそんなに若いまんまで年をとらなくなっちゃうんだ」
少年の言葉に、司祭はただかすかな笑みでもってこたえる。
「ベルトラの町と、教会の聖なる力のおかげで、年をとるのが少し遅くなるだけだよ。別に不老不死になるわけじゃない」
「司祭様ってみんな年とるのが遅いの?かーさんなんか、きっとうらやましがるだろうな」
この言葉に、ハイネル司祭は緑の瞳でまっすぐ前を見つめたまま、つぶやくように言った。まるであらかじめ手渡された台本をただ読み上げるときのような、抑揚のない口調だった。
「ちがうよ。ベルトラが特別なんだ。私の信仰するディーヴァ教の祖であるヨヒアム・ヴェルヘルムという方が、この地で生まれたんだよ。だから、この町には特別な力が働いている。この町の霊的な力と、そして教会の特殊な磁場のようなものに守られて、ベルトラにくる司祭はずっと若いままなんだよ」
ハイネルが前を向いたままでいると、彼と身長差があるいまのグーデリアンには、少しつらい位置に目線がくる。顔を懸命にあげて、少年は司祭の横顔を見つめていた。
そういえば、前の司祭は15年ほど前にこの町にやってきたのだとグーデリアンは母から聞いていた。まだ自分が生まれる前の話だ。
前の司祭は赴任した当時50歳前後だったというが、15年を経てもなお、グーデリアンの記憶にある彼は60も半ばを過ぎた男性には見えない外見だった。もっとも、さすがに任期を終える直前のころには、ベルトラの加護を失ったものか、老け込みはじめているようだったが。
司祭であれば若さを保つことができるというベルトラの町を去り、彼がどこに行ったのか、少年であるグーデリアンには知るよしもない。だが、その代わりにいまはこの司祭が自分のそばにいてくれる。そのことがグーデリアンにはうれしかった。
前の司祭をきらっていたわけではないが、年が離れていたせいもあって、親しみやすい気持ちにはとうていなれなかったというのが正直なところである。
だが、ハイネルという名の司祭はちがう。
まだ若く、美しく、子供の目から見ても清らかな存在。この青年の近くにいるだけで、少年は何かすがすがしい気持ちになれるのだ。
この青年が、自分が成長していくこの町で、この姿のまま司祭として存在してくれるのは、考えるだけで気分が明るくなってくることのように少年には思えた。
「でも、年とらないなんてホントにすごいよなぁ。オレはまだガキだから早く大きくなりたいんだけど、大人になったらオレもここの司祭になろうかな。そしたらいっしょに司祭やろうよ、ハイネル」
少年であるグーデリアンには、このときハイネルに差した一筋の翳りには気づけなかった。
無邪気に少年が笑いかけると、司祭になるための儀式をうけるまでは、いろいろ大変なんだぞ、と彼は笑う。
ハイネルはベルトラで生まれ育ったわけではないと言っていたが、笑うとこの地の清涼な大気に溶けこんでしまいそうだった。グーデリアンはその笑顔にただ見入られる。
「司祭になるのは、本当に大変なんだぞ、グーデリアン」
きっとした横顔を少年に向けたまま、彼はもう一度繰り返した。
「それに」
ハイネルはそっと瞳を閉じた。長いまつげが白い頬にかすかな影を落とす。
「年をとらないということは、ほかの人たちにおいていかれるということでもある。グーデリアン、君だって友達がどんどん大きくなっていくのに、自分一人だけそのままだったらイヤだろう?」
「ハイネルはイヤなの?年をとらないのが」
そんなことはないよ、と穏やかな口調で司祭は告げた。けれどまっすぐ前を向いていた視線をグーデリアンに向けてきた彼の表情がどこかさびしげで、少年は司祭服をつかんで言いつのっていた。
「オレ、どんどん大きくなるけど、ハイネルを置いてけぼりにしたりしないよ。一人にしたりしない。早く大きくなってハイネルにおいついて、でもハイネルより大きくなってもハイネルのそばにいる。いつでもオレがいっしょにいてあげるよ。ハイネルはさびしいんだろ?」
いつも静かな表情の司祭が、驚きに目を見開いた。
なぜ彼がそんなに驚くのかがわからなくて、少年は彼の顔をのぞきこむ。
少年の澄んだ青い瞳は、すべてを見とおしてなお濁りない宝玉のようだった。
それが少年ゆえの無垢からくるものなのか、この少年のもって生まれた資質なのか、司祭は探る術をもたなかった。
「なんでいっしょにいるよって言ったくらいで驚くの?ハイネル。オレたち友達だろ?オレ、ハイネルのこと大好きだもん。だから、いっしょにいるよ」
「そうだな・・・私たちは、友達だ」
柔らかい少年の赤毛を細い指ですきながら、若い司祭は風に溶けるような声で少年に答えた。
グーデリアンは彼を見上げる。綺麗でおだやかな笑顔が自分だけにむけられているのがうれしかった。