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「グーデリアン・・・」
こんな至近距離で無言で見つめあっていることにたえられず、思わずハイネルはグーデリアンの名を呼んでいた。
どこか不安な思いがにじんだような声。いつも凛と張った声ばかりハイネルから聞かされていたので、その声はグーデリアンの脳裏にやけに新鮮に響いた。
グーデリアンは無言でそっと顔の位置を変える。
ハイネルはまるで金縛りにでもあってしまったかのように体を硬直させ、動けなくなっているようだった。
「動かないで・・・」
ほとんど吐息のようにささやき、グーデリアンは臆病な小鳥に近づく時のように、細心の注意をはらって顔を寄せていく。
ハイネルと出会うまで見たこともなかったキレイな緑色をした瞳が、彼のとまどいを映し出して不安定に揺れていた。
まつげとまつげが触れそうだった。
「ハイネルの緑の目、すごくキレイな色をしてるよな。オレ、こんなにキレイな目を見たのはハイネルが初めてだ・・・」
何ということのないセリフのはずなのに、ハイネルはその言葉に顔を真っ赤にしてしまった。
それこそハイネルがこれまで見たこともなかったような、キレイに澄んだ青い瞳が不自然なほどの至近距離からこちらをのぞきこんでいる。視線を外したいのに、不思議な磁力にとらわれてしまったかのようにグーデリアンから目が離せなかった。
ジャッキー・グーデリアンという少年はいつもそうだ。
ハイネルにとって、彼は一番近づきたくないタイプの人間だった。なのに、どうしてもその存在を無視することができない。気がつけば目線が彼の姿を追い、耳が彼の声を拾っている。
そのグーデリアンが、彼以外は目に入れることができないほど顔を近くに寄せてきていた。
「メガネ、外していい?」
「だ・・・」
だめだ、とハイネルが言い終える前に、グーデリアンはメガネを取り去っていた。ますますハイネルが顔を赤くするが、金縛りに合ってしまったように動けなくなってしまっている。
「そのままでいて・・・」
グーデリアンは、普段からは信じられないほど低い声でささやくと、わずかにあごを下げた。そうすることで目線がピタリとハイネルに合わさる。
硬直してしまっているハイネルの、キレイに澄んだ緑色の瞳を見つめあげながら、ゆっくりと顔を寄せていく。ハイネルはまるで魔法にかかって目を離せなくなってしまったかのようにグーデリアンの目を見つめていたが、彼の吐息をも感じられるほどの距離に顔が近づくと、たえきれないようにぎゅっと目をつぶってしまった。
顔の角度を変え、グーデリアンがさらに顔を寄せていく。ほどなく、彼の唇は目的の場所へとたどり着いた。
ただ唇を合わせるだけのキス。
「ん・・・」
唇が一度離れると、グーデリアンはわずかに顔を離して至近距離からハイネルを見つめた。長いまつげがかすかに震え、それから少しだけ潤んだ、世界で一番キレイな瞳があらわれる。一目目にすれば水底まで吸い寄せられてしまいそうな、深い湖のような色をした瞳だった。
白い頬がうっすらと赤く染まっていて、整った眉が困惑したように寄せられていた。とても神聖な気分で、グーデリアンは眉間にキスを落とす。
「なんで・・・」
赤くなったまま、ハイネルは困った顔でようやくそれだけを口にした。
いつも大人びた表情を見せているハイネルがそんな顔をしてみせると、思った以上に年相応の、子供っぽい風情が顔をのぞかせてなんだか妙にかわいらしい。
グーデリアンは思わず、彼の眉間にまた一つキスを落としていた。自分がそうすることでハイネルをますます困らせてしまうのはわかっていたけれど、そうせずにはいられなかったのだ。
案の定、ハイネルの顔がさらに色濃く染まってしまった。今さらだと言うのに、ごしごしと唇を袖口でふいてみせたりする。
そのせいで艶やかな唇がよりいっそう色を増したが、本人はまったく気付いてはいないだろう。軽く下唇を噛み、潤んだ瞳で見つめてくるのが、余計にグーデリアンを煽っているのだという事実にも。
「なんで・・・、なんでそんなこと私にするんだ」
「ハイネルが好きだからだよ。オレはハイネルが誰よりも好きなんだ」
「お前は・・・」
ハイネルは真っ赤になったまま絶句してしまっていたが、かなりの時間がたってからようやく再び口を開いた。
「お前は、私をヒマつぶしの相手か何かにするつもりだろう?単に、友人とも言えない私をからかって、楽しく過ごせればいいと、・・・そんな風に思ってるに違いない」
「もちろん、ハイネルとオレは友達だよ。レースじゃ一番のライバルでもある。でも、それにもう一つオレたちの間の肩書きを増やしたいんだ。『恋人』っていうさ。オレはハイネルと恋愛がしたいんだ」
・・・・こんなに。
こんなにキレイな青い瞳に至近距離からじっと見つめられて、こんな声で言われれば、どんな人間も抗うことなどできないに違いない。それどころか、信じられないほどの己の幸運を神に感謝したくなることだろう。
だが、フランツ・ハイネルはこの上もなく手ごわい相手だった。白い面は羞恥と困惑で真っ赤になってしまっているのに、瞳だけは強さや厳しさを失っていない。そして、だからこそグーデリアンはこの緑の目が、そしてこの緑の目の持ち主が大好きなのだった。
彼はキレイなだけじゃない。強いだけでもない。
グーデリアンにとってハイネルは走りも性格も何もかも違って、一番負けたくない相手で、一番気になる相手。一番そばにいたくて、一番自分のことを見ていてほしい相手だった。
そんな、グーデリアンのたくさんの一番を一人占めしている人間はと言えば、彼以外の人間ならば幸福のあまり昇天してしまいそうなセリフを言われたというのに、まるでグーデリアンが彼を挑発する言葉を口にしたとでも言うようににらむような視線を投げつけてきているのだ。
こんな目をされて、グーデリアンがワクワクしてこないはずがなかった。
フランツ・ハイネルだけが、ジャッキー・グーデリアンの精神をこんなに高揚させるのだ。彼だけが。
ハイネルはグーデリアンをにらみつけたまま、自分自身に向かって宣誓でもするようにハッキリと発音した。
「私は恋愛なんてしない」
「なぜ?」
「なんのためにする必要がある?」
挑むような目をして、ハイネルはグーデリアンを見つめてきた。その瞳に浮かんでいる強い光がとてもキレイだ。
「私は恋愛なんていう非生産的なコト、絶対にしない。だって、恋愛なんてするだけムダじゃないか。非生産的だし、理不尽だ。世界中にはそれこそ数え切れないほどの人間が存在すると言うのに、どうしてその中からたった一人なんて選べ出せるんだ?私にはとても信じられない。恋愛なんて私には不要なものだ」
「オレとしようぜ、ハイネル」
「え?」
「オレとしよう。非生産的で理不尽で、でもどうにもならないような、そんな恋愛をオレとしよう」
「グーデリアン?」
「ハイネル。そうなんだよ。恋愛は非生産的で理不尽で、ついでに非能率的で理解不能だ。でもさ」
「・・・・・?」
「・・・・・でも、一度火がつけば、そいつは自分じゃ消せないんだぜ。どうにもならないんだ」
グーデリアンはそう言い、挑戦的な視線をハイネルに返すと、再び唇を寄せていった。