「・・・仕方ないから、ホテルまでは送らせてやる」

 ハイネルはグーデリアンと視線を合わさないよう、そっぽを向きながらそんな言葉を口にした。
 グーデリアンを牽制したかったのだろうが、尊大な口調とは裏腹に頬を染めていては効果はない。
 案の定、ハイネルのそのセリフを耳にすると、彼の反応を心配そうに見守っていたグーデリアンの表情がみるみるうちに明るくなった。まるで霧が晴れて雲間から太陽がのぞいたようだ。
 それほど長いとは言えない人生の中で、ハイネルはこんなに明るくて暖かい笑顔の持ち主に会ったことがなかった。こんなに真っ青な、キレイな色をした瞳の持ち主にも。

 うっかりその笑顔に見入られそうになって、あわててハイネルはグーデリアンから視線を引きはがさなくてはならなくなった。
 何気なく動かした視線の先に、だんだんと染まりつつある空が目に入る。
 柔らかな青い空と白い雲の色。そこに絵の具を水に溶かして流し込んだような優しい朱色がじわじわと広がっていくさまがキレイで、ハイネルはその光景に目を奪われていた。

 ここのところマシンテストやトレーニング、スケジュールの調整やデータの解析が積み重なって目も回るほどの忙しさで、こんな風にじっくりと空の色をながめたりすることもなかった彼は、少しの間足を止めてただ頭上高くどこまでも広がっている空に見入っている。


「どうしたんだよ、ハイネル。早くこっちに来いよ!」


 数歩先を歩いていたグーデリアンに名前を呼ばれ、彼は緩慢にそちらに首をめぐらす。
 すると、真っ先にグーデリアンの瞳に目がいった。空よりも青い色をしたその瞳に。
 幾重もの色彩のグラディエーションを帯びた美しい空よりも、ずっと鮮烈な印象を与える色をした瞳だった。


 その瞳の色を目にしたとたん、ハイネルの中に何か得体の知れない感情の波が起こりそうになったが、それが何なのかハッキリと彼が知覚する前に、にっこりと笑ったグーデリアンが歩を再開させたので、ハイネルはあわてて彼の後に続かなくてはならなくなってしまった。

 



 奇妙な話の流れから、二人は夕闇が訪れつつある街を歩いている。グーデリアンは今にも鼻歌が出てきそうなほど上機嫌だった。
 いつもニコニコと気持ちのいい笑顔を浮かべている顔が、今日はさらに楽しそうに輝き、足取りもずいぶん軽い。急に歩調を速めたかと思うと、ハイネルを待っているのか、次の瞬間には立ち止まって振り返り、ハイネルに向かって笑ってみせる。そんな時の彼の動きはまるで軽快なステップでも踏んでいるかのようだった。
 好奇心旺盛な青い瞳はくるくるとよく動き、歌うようにハイネルに語りかけ、心底楽しそうに笑う。
 少しも落ちついているヒマのない、これが命を賭してすべてをスピードに捧げているレーサーかと疑いたくなるほど屈託のない少年。
 

 グーデリアンの動きはいつも予測不可能なほど突飛で思いがけず、そのたびにハイネルは目を丸くして彼の行動を呆然と見やるしかない。
 グーデリアンほどハイネルから驚きや怒り、そして興奮といった感情を引き出せる人間はいないだろう。そういう意味で、確かに彼は最初からハイネルにとって特別な人間だったのである。



「あのさ、オレ、チタンやセラミックでできたマシンも好きだけど、馬も好きなんだ。馬もマシンも、本当に上手く乗れた時には、自分との境がわかんなくなっちゃうんだ。なんていうのかな・・・一体感って言ったらいいのかな。とにかく、どこからどこまでがジャッキー・グーデリアンで、どこからどこまでがスタンピードやオレの馬なのかわからなくなってくる。マシンの中にいたって風を感じるんだ。そういう時、『ああ、オレは本当に走るために生まれてきたんだ』って思うんだ。・・・ヘンかな?」


 少しだけ照れくさそうに笑いながら、グーデリアンはそんなことを口にした。レース場で顔を合わせれば一つ年下のくせにいつも生意気なことしか言わず(ハイネルの感覚では、だが)、無礼極まりない男だというのに、そんな彼がそんなことを言い出すとは思わなくて、ハイネルはまたもや驚かされることとなった。本当に、いつもジャッキー・グーデリアンという少年には驚かされっぱなしだ。

 グーデリアンは恥ずかしそうに鼻の頭を少しかくと、ちょっとだけ苦笑を浮かべて続けた。

「オレがこんなこと言い出すとおかしいかな?こんな話誰にもしたことはなかったんだけど、何だか今ハイネルに話したい気分だったんだ」

 ハイネルはグーデリアンに何と言葉をかけたらいいものか分からず、ただ深くキレイに澄んだ緑の瞳でじっと彼を見つめていた。
 その視線に気付いているのかいないのか、グーデリアンはさらに言葉を紡いでいく。右手が胸の位置まで上げられ、右から左へと水平に移動した。恐らく彼はサーキットを駆けるマシンをイメージしているのだろう。
 こんな時の彼は、命を賭けてコンマ1秒を争うシビアな世界を生き抜くレーサーとしての片鱗を見せる。彼は今屈託のない少年としてだけではない、精悍な青年の顔を垣間見せていた。


「本当にマシンとオレとが一体になった時、オレという人間の意識はなくなる。オレとマシンは不思議なヒトでもメカでもない全く別の存在になって、サーキットを駆け抜けるんだ。CFに来るまでは、・・・・・ハイネルに会うまでは、そんな感覚を味わうことなんてめったになかった。でも、ハイネルとバトルしていると、いつもそうなんだ。頭が熱くて何も考えられなくなる。ただハイネルより速く走りたい、それだけで頭がいっぱいになるんだ」


 ハイネルはまるでこれまで会ったこともなかった人間を見るかのような目でグーデリアンを見た。
 グーデリアンがそんなことを口にしたのも驚きだったし、彼が自分と同じような思いを持っていたことも驚きだったのだ。

 だが、ハイネルが驚きに目を見開いているだけで何も言葉にしなかったのを誤解したらしく、グーデリアンは首を傾けてハイネルの目をのぞきこんできた。


「オレのこんな話、つまんない?聞きたくない?」


 その問いかけに、あわててハイネルは首を振る。


「とんでもない!・・・その、そういう話をしてもらえてうれしかった。ただ・・・私とは全く正反対だと思っていたお前が、私と同じようなことを感じているんだと知ってビックリしてしまったんだ。・・・私は口下手だから、誤解をさせてしまったんなら悪かった」

「そっか・・・よかった」

 グーデリアンはうれしそうに笑い、独特の色をした金髪を乱雑にかきあげた。このわずかな時間で、ハイネルは傍若無人で怖いものなしのように思われているグーデリアンが、意外とシャイな仕草をしてみせるのだということを知った。
 鼻の頭をちょいとかいたり、髪をかきあげたり、肩をすくめながら照れくさそうに笑ったり。

 今まで知らなかった面が次々と顔を現してくる。
 そんな展開の早さにハイネルが目を白黒させているヒマも与えず、グーデリアンは今度はハイネルの方に向き直った。


「オレ、ハイネルの話も聞きたいな。ハイネルの好きなこととかキライなこととか、家族や友達のこと。どんな小さいことだっていいから」

「でも・・・私はお前みたいに話がうまくないし・・・。お前の周りには、いつもたくさんの人がいるじゃないか。みんな明るくて楽しそうだし、そういう話はそういった人たちとした方がいいだろう?」

「話のうまいヘタなんて関係ないだろ。オレは他の誰でもない、ハイネルの話が聞きたいんだ」

 思ったよりずっとマジメな口調でそう言われてしまい、ハイネルは困ってしまった。いつもグーデリアンに対しては怒ったり説教したりするばかりだったので、こんなシチュエーションには慣れていないのである。
 だが、キマジメなハイネルは話をしてくれと言われればそれに全力で答えようとする。おずおずながらも口にしはじめた。



 自分には妹がいて、とてもかわいがっていること。マシンが大好きなこと。でもレースも好きで、どうしてもマシンデザイナーとレーサー、どちらの夢も捨て去れなかったこと。



 はじめはよどみがちだった口調も、段々と熱を帯びたものになっていた。マシンについて語っている時などは相当専門的な、その道のエキスパートでなければ少しも理解できず楽しめないであろう分野に話が及んだのだが、それでもグーデリアンは楽しそうに彼の話を聞いてくれていた。
 文句を言うどころかあんまりうれしそうな顔をして話を聞いてくれるものだから、延々と一般人には理解不能な話を続けてしまい、途中で我にかえったハイネルが、自分の行き過ぎを恥じて赤くなってしまったほどである。


「す、すまない・・・こんな話、聞いても楽しくはないのは分かっているんだが・・・何を話したらいいのかわからなくて」

「なんで謝るんだよ?オレはうれしかったぜ?ハイネルはホントにマシンやレースが好きなんだなってわかったからさ。オレとはアプローチが違うだけで、根本的なことはいっしょなわけだろ?レースが大好きだっていう、一番大事なことがさ。それに、ハイネルの話なら、どんな話でも聞きたいんだ。どんなことでもいいからハイネルのことを知りたいんだ。オレだけが知っているハイネルのことが、どんどん増えていけばいい。他の誰も知らないようなことも、オレはハイネルのことだったら知りたいから」

「グーデリアン・・・」

 ハイネルがじっと見つめてくると、そこでまたグーデリアンは照れくさそうに笑った。自分の気恥ずかしさをごまかすようにハイネルから視線を外す。
 そしてその視線の先に道端に咲いていた小さな花を見つけると、ハイネルに呼びかけて彼の注意をひいたりしてみせた。


「なあハイネル!あの花、すっげーかわいいよな!オレさ、花のことなんてよくわかんないけど、実はデートのたんびに抱えていくような派手な花より、ああいう道端に咲いてるちっさな花の方がだんぜんいいと思うんだよ」

「そうだな・・・私も花のことはよくわからないけど、そうかもしれない・・・」



 かと思うと、今度は公園のわきにさしかかった時、隅に置かれていたバスケットゴールに興味を示した。

「オレ、バスケもうまいんだぜ!いつかハイネルにオレのカッコいいプレー中の姿を見せてやりたいよなぁ」

「・・・そうか・・・」

「あ、ハイネル!この公園ってローラーブレード用の道もあるんだな!オレはもちろんローラーブレードだって得意なんだぜ。なんたって運動神経バツグンだからな!」

「・・・・・・」







 グーデリアンはおかしかった。

 ハイネルに言わせれば彼はいつもおかしいのだが(それもヒドイ話だ)、いつものおかしさとは微妙に違うのである。


 どこが?


 ハイネルは自問し、そして一つの答えにたどりついた。

 ・・・なんだか、今日のグーデリアンは妙にはしゃいでいるように見える。
 レースを間近に控えているからだろうか?

 ・・・レースを控えて、精神が高揚するのはよくあることだ。かく言うハイネルだって、実はレース前日には興奮してよく寝付けないこともある。
 本当は、そういう時のはしゃぎ方とも違うような気がしないでもなかったのだが、ハイネルはそれ以上深く考えるのをやめた。

 どんなに考えてもグーデリアンの考えていることなど自分にはわかりそうもなかったし、なにより・・・・なんだか、自分にとってあまりありがたくない答えが浮かんできてしまいそうだったからである。
 まだボンヤリとした予感でしかないのだが、グーデリアンが自分といる時にどんなことを考えているのかを追求してしまったら、とてつもないコトが起こりそうな気がしていた。
 ・・・それがいい意味でなのか悪い意味でなのかはわからないけれど、自分にとって、これまでの世界を揺るがすほどの大きなコトが。


 ・・・だからハイネルはまだ目をつぶる。自分の胸のうちにも目を向けないように、グーデリアンの言葉を聞かないように、・・・なにより、あの青い瞳に引き込まれてしまわないように。



「ハイネル、見てみて!」


 グーデリアンが弾んだ声でこちらを呼んできた。思わずハイネルは眉をひそめる。
 こちらの複雑な胸のうちなど知らぬげに、相変わらずはしゃぎまくっているグーデリアンが憎たらしい。
 が、やはり名を呼ばれればそちらを向かずにいられない育ちのいいハイネルは、やはりグーデリアンに呼ばれるまま顔を向けた。
 グーデリアンを見るやいなやポカンと口を開け、そのまま絶句してしまう。


「こう見えてもオレ、けっこうバランス感覚いいんだぜ?」


 グーデリアンは、いつの間にか歩道と公園の境にたてられたフェンスの上に乗っかって両手を広げ、バランスを取りながら歩いていた。
 高さとしては彼らの胸のあたりといったところでそれほどでもないのだが、とにかく幅が狭いので見ていて危なっかしいことこの上ない。ただでさえ心配性のケのあるハイネルとしては黙っていられるワケがなかった。


「グーデリアン!危ないじゃないか、今すぐ降りろ!」
「平気だよ。オレ、ガキの頃からこういうの慣れッこだから。オレのゼツミョーなバランス感覚、見ててよ」

「グーデリアン!」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ!!」
「貴様、何を根拠にそんなコトを言うんだ!大丈夫なもんか!今すぐそこから降りろと言っているだろう!!」

 一見冷静そうに見えるハイネルだが、一度何かに夢中になってしまうと周りが見えなくなるという欠点を持っている。
 この時がまさにソレで、彼は何とかグーデリアンを下ろそうと、あろうことかフェンスに両手をかけた。さすがに揺らすことまではしないが、グーデリアンは焦った声を出した。

「ばっバカハイネル、フェンスに手ぇかけるなって!危ないだろ!?」

「貴様、言うにこと欠いて私のことをバカだとはどういう了見だ!」

「ちょっ、ちょっとハイネル、危ないって言ってるだろ!?分かった、分かったからさ、落ちつけよ!」

「人を子供扱いするな!」

「う、うわっっ」

 今度こそハイネルはフェンスに手をかけて乱暴に揺すりあげた。そんなことをすれば当然グーデリアンはバランスを崩してしまう。
 頭に血がのぼってしまうとそんな当然の帰結にすら気付けなくなってしまうハイネルは、グーデリアンがフェンスから崩れ落ちてくるのを目にしてさらにパニックに陥ってしまった。
 グーデリアンの反射神経ならば、地面に着く前に体制を整えて事無きを得ることも可能だっただろうに、とっさに彼を支えようと手を伸ばし、さらに事態を混乱させてしまう。

 ドサリ、と大きな音がして、二人は地面に倒れこんでいた。
 不可抗力とは言え、ハイネルの体の上に乗り上げる形となってしまっていたグーデリアンが、あわてて起き上がってハイネルに手を差し出す。

「ごめん!大丈夫か?ハイネル」

「私こそ、フェンスを揺すったりしてすまなかった」

 
 グーデリアンから差し出された手を素直に受け取り、ハイネルは彼に引き上げてもらった。
 だが、その時グーデリアンが必要以上に強くハイネルをひっぱったので、勢いあまってグーデリアンの体の方へと倒れこんでしまう。


 としん、と軽い音がした。
 
ハイネルの体がグーデリアンの胸に当たった音だ。

 ハイネルは驚き、とっさに顔をはねあげてグーデリアンを見た。グーデリアンも同じようにハイネルを見ている。



 予期せぬタイミングで二人の目があった。

 ハイネルは少し息を呑んで目の前の青い瞳を見つめた。認めたくはないけれど、この瞳はとてもキレイだと思う。
 グーデリアンの青い瞳は、少しも人を疑うことを知らない者が持つもののように見えた。それほどグーデリアンという人間の瞳は深く澄みわたり、こちらを真っ直ぐに見つめてくるのだ。
 
 何となく目を離せないでいると、知らぬ間にグーデリアンのその瞳がとても近くに迫っていた。ほとんど鼻と鼻の先がくっつきそうな距離である。





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