5
食事を終えて席を立つと、グーデリアンが思い出したように首をひねって聞いてきた。
「ハイネル、この後何か予定ある?ヒマ?」
「・・・レースを間近に控えたレーサーにそれを聞くか?」
「んー、そっか。それもそうだな。残念だけど仕方ないかな」
「何が残念だ。大体、レース前にライバルチームのレーサー同士が食事をするのだっておかしいんだ」
良識と理性のカタマリであるハイネルは、マジメな顔でそんなことをつぶやいている。
彼は心の中で、百万の言い訳をつぶやいているに違いない。『グーデリアンが強引だったから』、『不意をつかれて抗う余裕がなかった』etc,etc。もちろんどの言い訳も結局は『グーデリアンが悪い』という結論に行きつくのだが、誰もがうらやむ高性能の彼の脳みそは、時折そんな無益な使途に費やされるのである。
マジメな顔をしてどうでもいいようなことを考えこんでいるハイネルと、眉間にしわを寄せている彼の横でにこにこと満面の笑みをたたえているグーデリアンの組み合わせは、見る人が見たらずいぶん奇異に映ったに違いない。
やがて、出来のいいオツムをムダなことに費やしていたハイネルが、いつもハキハキと話す彼にしては珍しく、言いにくそうに切り出した。
「グーデリアン」
「ん?」
「今日は・・・ありがとう。いいレストランだったし、・・・その、たまにはお前と話すのもいいものだと思った。・・・少しだけ」
「ホントに!?」
少しひっかかりのあるセリフにもかかわらず、その一言でグーデリアンは抱きつかんばかりにハイネルの方に身を乗り出した。グーデリアンがあまりにも嬉しそうな、満面の笑顔を向けてくるので、ますますハイネルは言葉に詰まる。だが、彼は意を決して続けた。
「で、だな・・・その、食事も済んだし、私はそろそろ帰らなくては。やることもたくさんあるし」
それだけのセリフをいっしょうけんめいに言い終えると、ハイネルは困ってしまった。グーデリアンがとても悲しそうな顔になってしまったからである。
こんな風に自分の感情を包み隠さずに表にあらわす人間を、他にハイネルは知らなかった。
不思議に思うまま、気がつけばハイネルは素直な疑問を口にしてしまっていた。
「・・・お前、私といて楽しかったのか?」
ビックリしたのはグーデリアンである。悲しい顔から一転し、今度は目を丸くしてハイネルを見た。つくづく表情の起伏の激しい少年である。
「楽しくなきゃ誘わないだろ!?オレ、他の誰といる時よりハイネルといる時が楽しいよ」
今度ビックリしたのはハイネルの方だった。いつも凛としている彼が驚いていると、なんだか無防備でかわいらしい感じさえ与える。緑の瞳を丸くして驚いているハイネルを見て、グーデリアンは優しく目を細めた。
長身で恵まれた体格のわりに、いつもは年よりもさらに少年ぽいイメージを与えるグーデリアンだが、時折こんな、包み込むような視線をハイネルに送るのだった。そのたびにハイネルはどんな顔をしていいのかわからなくてとまどってしまう。
少しだけ頬が熱くなっているのを意識しないようにしながら、微妙にグーデリアンから視線をそらす。そうでもしないと、自分が何だかとんでもないことを口ばしってしまいそうだった。
グーデリアンの青い目ときたら、ありとあらゆる人間の目をひきつける威力を備えている。ハイネルにしてみれば、いくら警戒してもしたりないといったところなのだ。・・・・グーデリアンの何を警戒するのか、と問われたら、ハイネル自身も言葉に詰まってしまってうまく答えられないのだけれど。
「とにかく・・・私はもう帰らなくてはならないから」
「・・・どうしても?」
悲しそうな目でこちらを見てくるグーデリアンを見ないように気をつけつつ、ハイネルは首をたてに振る。するとグーデリアンはため息をついてこう聞いてきた。
「ホテルどこ?送ってくよ」
アッサリとそんなことを聞くグーデリアンに、ハイネルは軽く眉を寄せる。
「お前はどこのホテルなんだ?」
「フォー・シーズンズ」
「フォー・シーズンズ!?私はヒルトンだ。反対方向じゃないか!それに、私は一人でちゃんと帰れる。バカにするな!」
「バカにしてるわけじゃなくて、オレがハイネルを送りたいだけなんだ。・・・少しでもたくさんハイネルといたいから」
「・・・・・・」
「ダメ?」
でかい図体をして、小首をかしげて上目遣いにこちらをのぞきこんでくるグーデリアンを前に、ハイネルは言葉に詰まった。
レースというのは一般生活とはかけ離れたシビアな世界なので、その世界に身を置くレーサーも、若くして老成した性格となることが多い。だが、グーデリアンのこの子供っぽさは何なのだろう?
ハイネルは気が遠くなる思いでこめかみに手をあてた。ジャッキー・グーデリアンと言えば、ほんの数年前、ミドルティーンでインディを制した不世出のレーサーだ。老獪でアグレッシブな走りをするベテランドライバーの多いインディレースを生き抜き、勝ちぬいてきた人間とは思えないほどの素直さだった。
グーデリアンはいつでも自分の思ったことを素直に口にし、表情に出し、行動に移す。
ハイネルの周りに、今までこんな人間は存在していなかった。走りも容姿も性格も、グーデリアンは他の誰ともまったく違っていて、それだけに強烈な存在感を彼のうちに残す。目をそらしたくてもそらすことを許さない。
「・・・」
あまりの驚きに立ちすくんでグーデリアンを見つめていると、不意に彼の顔が異常なほど近づいてきているのにハイネルは気づき、慌てて両手で彼の顔を押しのけた。
「なっな・・・どさくさにまぎれて何をしようとしてるんだ、バカ!」
「んー、残念。ハイネル固まってたから、キスする絶好のチャンスだと思ったのに。さすがにガードが固くなってきたよな」
「許可も得ずそんなコトしようとするな!」
白い頬を真っ赤にしながら怒鳴るハイネルにかえって笑みを誘われながら、グーデリアンは楽しそうに言い返す。
「キスなんていちいち許可を得るもんじゃないだろ?いいじゃんか、減るもんじゃないんだし」
「減るぞ!・・・私の体力が」
「やっぱり!?オレのキスってヘトヘトになっちゃうほどうまいからな!」
「そのたんびにいちいち怒らなくてはいけないからだ!!ムダな体力を使うハメになる!」
そのセリフがかわいくて、とうとうグーデリアンは声をあげて笑ってしまった。目元を赤くしたまま、憮然としてこちらをにらみつけてくるのがますますかわいくてさらにからかいたくなってしまう。
「そうだよな。残念だけど、ハイネルにはまだディープなキスをさせてもらってないもんな。ハイネルにだったら、怒る気もなくなっちゃうようなメロメロなキスをしてあげるんだけどなぁ・・・せっかくハイネルと情熱的なキスができる日のために、これまでがんばって修行を積んできたのに」
「そっ・・・冗談でもそういうことを言うな!」
冗談じゃないんだけど、とつぶやくグーデリアンのセリフは聞かなかったことにして、ハイネルは目を吊り上げて続けた。
「お前みたいな女たらし、信じられるもんか!」
「そのセリフがヤキモチからきてるんだったらすっごくうれしいんだけど」
「ヤキモチ!?ヤキモチだって?お前みたいな人間から『ヤキモチ』なんていう言葉が出てくるとは思わなかった!どうせお前はヤキモチなんて経験したこともないんだろう?誰でもいいみたいだしな!」
「ヤキモチなら毎日してるよ。ハイネルのマシン、ハイネルの妹(この時点では会ったことなし)、ハイネルのチームクルー。大体お前んとこのクルー、異常にお前にくっつきすぎなんだよ!オレがいっつもどんな思いしてるのか、ハイネルにはわからないんだろうけど、お前がクルーと楽しそうに話してんの見かけるたんびに、飛んでってジャマしにいきたくなるんだぜ?・・・最近はウチのクルーもそのヘンのことわかってて、オレにクギさしにくるんだけどな」
グーデリアンは一気にまくしたてると、思わぬ展開に言葉を失っていたハイネルの目をのぞきこんだ。
目が合うと、またハイネルの顔が赤くなる。グーデリアンの顔が思ったよりもずっと真剣だったからである。
口を開いて何か言いかけ、けれどやっぱり口にできずにハイネルはその言葉を飲み込んだ。自分でも何を言いたかったのかよく分からない。
代わりにもう一度口を開くと、すばやくグーデリアンから顔をそらしつつハイネルは言った。
「と、とにかく、私は帰る!」
「待てよ、送ってくって言ってるだろ!?ハイネル」
「結構だ!一人で帰れる」
「それは知ってる。オレがハイネルといっしょにいたいだけなんだ」
あまりにもストレートなセリフに、ハイネルはまたもや言葉に詰まった。いつもグーデリアンは押しが強くてストレートだが、今日の彼はまた特別だ。
「・・・・」
「いいだろ?まだ明るいし、ホテルまで送りたいだけなんだからいいじゃないか!それともハイネル、オレとはもういっしょにいたくない?」
「そ、・・・そんなことはないが・・・」
「じゃ、決まりな!」
グーデリアンはにっこり笑うと、ハイネルの手をとった。
「ちょっ、グ、グーデリアン!?」
ハイネルは顔を赤くし、とられた手を慌てて取り戻そうとしたが、彼はぐいぐいとその手をひいた。急にひっぱられてバランスを崩しそうになっているハイネルには構わず、どんどん先に立って歩いていく。
ハイネルの泊まっているヒルトンは、ここからならすぐだった。途中で一本右に曲がるだけである。
だが、ハイネルの手をとっているグーデリアンは右ではなく左に進路をとった。すかさずハイネルの指導が飛ぶ。
「グーデリアン、私のホテルは左じゃなくて右だ!」
「知ってるよ」
「だったら!」
言いつのりながらも、ハイネルは何とかグーデリアンにとられた手を取り返そうともがいている。だが、グーデリアンの力は強く、ビクともしなかった。
なおも何とか自分の手の自由と取り戻そうとハイネルが格闘していると、足をとめないままのグーデリアンが振り向き、アッサリと口にした。
「遠回りしてるだけだから安心してくれよ。少しでも長くハイネルといたいだけなんだからさ」
「・・・冗談はやめてくれ」
「オレはいつだって本気だよ」
「信じられない」
「他の誰に疑われてもいいから、ハイネルにだけは信じてもらいたいんだけど」
・・・グーデリアンと会話をかわしているとどんどん調子が狂っていく自分に、ハイネルはめまいさえ感じた。
なんの因果で冷静沈着の誉れも高い自分が、よりによって男相手にこんな会話を交わさなくてはならないのだろう?
・・・・けれどやっぱり、子供のようにまっすぐな目をこちらに向けてくるグーデリアンを見ていると、冷たく突き放すことができなくなってしまう人のよいハイネルなのであった。