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今回のレースはイギリスで行われる。伝統あるシルバーストン・サーキット。・・・・・にほど近いところに、あらたにCF専用のコースがもうけられたのだ。
半分ほどは普通のレーシングトラックだが、もう半分はコンピュータライズされており、時間帯によって微妙にコースの起伏が変わるなどの趣向がこらされている。F1などの通常のマシン同士の駆け引きだけではなく、コースとの駆け引きにさえ勝利しなければならないレース設定はCFならではだと言っていいだろう。
ドイツとイギリスは近いので、イギリスGPの際には毎回大規模な応援団がドイツから大挙しておしよせていた。今回もきっと多くのドイツ人が自国のレーサーを応援しにやってくるだろう。
もともと人並み以上に熱心で勤勉なハイネルではあるが、このGPではいつも以上に熱が入っていても不思議はなかった。
・・・・が、それにしても。
「イギリスは天候が変わりやすいですから、次はインターミディエートでためしてみます。スリックはいいのですが、ヘヴィタイヤの方はあまりマシンと相性がよくないようなので、長雨にならないように祈りたいですね。あ、あとマイヤーさん!プログラムαの方、若干のバグがあると思いますので私がマシンテストをしている間に確認しておいてください。それから・・・そうだ!ステアリング調整もしないといけないんだった」
今日のハイネルは異常なほどやる気に満ち満ちている。やる気に満ちているのはいつものことだが、彼は本来あまり饒舌な方ではないのだ。レースの調整でも必要最小限以外のことはあまり口にしない。
が、今日のハイネルは口も体も実によく動いていた。もともと美しい緑の瞳が、今はキラキラと輝いており、まるで宝石のようだ。
あまりにもハイネルの調子がよさそうなので、エンジニアのデイビッド・ヒルが声をかけてきたほどである。
「ハイネル」
「?なんですか?ヒルさん」
「・・・・何かいいコトでもあったのかい?最近恋人ができたとか」
とたん、何を考えたのかハイネルの顔が真っ赤になってしまった。驚いたのはヒルの方である。もちろん、彼はいかにも潔癖そうなハイネルに恋人ができ、そのせいで彼がうかれているなどと微塵も思ってはいなかったのだ。
「え?・・・・えええ!?冗談で言ったんだけど、まさかビンゴ!?」
「ななな、何を言うんですかヒルさん!そんなワケないでしょう!何でそうなるんですか?」
「だって今顔赤くしたじゃないか!」
「ぜっっったいに違います!急にヒルさんがヘンなこと言うから、ちょっと驚いただけです!」
あまりにも大きな声でやりとりをしていたので、近くにいた他のスタッフたちまで近寄ってくる始末だった。
しかも、なぜか皆ヒルの言葉をうのみにしている。
「ハイネルくんにガールフレンドができたんだって!?」
「いや、だから、できてません!」
「えーっ!?てっきり、キミは奥手な方だと思ってたんだけど、意外とヤルなぁ」
「恋人なんてできてませんってば!」
「違う違う。絶対向こうから情熱的にプッシュされたんだって!ハイネルくん押しに弱そうだもん。オレ賭けてもいいぜ」
「私の話を聞いてください!!」
・・・・とまぁ、こんな感じに実になごやかに(?)会話が進んでいたため、いつの間にかピットに一人闖入者が紛れこんでいたのに誰も気づかなかった。
その闖入者は一度目にすればまず忘れられない独特の色合いの褪せた金髪に、ホルマリン漬けにしておきたいほど見事な青い瞳をしていた。もちろん、彼はレーシングスーツを身にまとっている。
「なになに?みんなそろって楽しそうに何の話してんの?オレも混ぜてよ」
「ぐっ、グググ、グーデリアン!!」
聞きなれた声がピット前から聞こえてくると、ハイネルの背中が雷にでも打たれたようにビクリと震えた。あわてて立ち上がった拍子に大きな音をたててイスが転がり落ちたが、彼の耳にはその音さえ届いてはいないようだ。まるで悪口を言うことに夢中になっていた時に本人に出くわしてしまった時のような慌てぶりである。
あぜんとして自分に注目している数々の視線にも気づかず、ハイネルはグーデリアンを指差し、半分ひっくりかえったような声でどなりつけた。
「きっ貴様、レース前に敵のピットに姿を見せるなんて、どういう神経をしてるんだ!今すぐここから消えろ!」
セリフだけを聞けば、自チームの情報が敵にもれることを恐れたレーサーのもっともらしい言葉のようだが、声が調子っぱずれに高くなっており、その上『いかにも焦ってます』という感じで顔を紅潮させていては、ほとんど説得力がない。
案の定グーデリアンは聞く耳持たないようだった。(もっとも、グーデリアンの場合、説得力があることを言われても聞く耳を持たないのがほとんどだが。)
「いいじゃんか。オレんとこもう今日のテスト終わったし。ハイネルんとこもそろそろだろ?」
「私は!」
顔を真っ赤にしたまま、ハイネルはグーデリアンをにらみつけた。もちろんグーデリアンに対してはまったく効果を発揮しなかったが。
「ヒマなお前と違ってやるコトがたくさんあるんだ。さあ、邪魔しないでさっさと帰ってくれ!」
あげくの果てに、白くほっそりとした指で犬か何かを追い払うような仕草さえしてみせる。
グーデリアンは『ぶー』とハイネルに文句を言いながら子供そのものの仕草で頬をふくらませたが、意外なところから救いの手が差し伸べられた。誰あろう、ハイネルを敬愛してやまないはずのスタッフたちである。
「あ、ハイネルさん、αプログラムは僕一人でできるので、後のことは心配しないで下さい。プログラム面に関しては、ハイネルさんはもうあがっていいですよ」
「え・・・・でも・・・・私は」
「レーシングトラック、ダストがかなりひどい状態なんで、タイヤテストも明日にまわした方がいいな、ハイネル」
「それでは予定が狂ってしまうじゃないですか!」
「大丈夫、明日のミーティングは1時間時間を短縮し、その分をタイヤテストにあてる予定だそうだから。それよりハイネルくん、レース本番前にあまりハードに働いて体調を崩すのは得策とは言えないな。クレバーなキミならわかるだろう?ステアリングの方なんだが、明日新しいエレメントが届く予定だから、その時新たに調整しなおそう」
「で、でも、私は大丈夫です!まだやりたいことがたくさん・・・」
「なぁハイネル、スタッフだってああ言ってるんだからさ、いっしょにどっかに出かけようぜ!メシでも食いにいかねえ?オレ、今日もマシンテストでこきつかわれてたからもう腹が減って腹が減って!!」
「グーデリアン!私は今!スタッフたちと話をしているんだ!お前は黙ってろ!!!」
・・・・・ハイネルのチームのピット前を通りかかった人間がいれば、一体何をもめているのかといぶかしく思ったに違いない。(悲しいことに、この光景はこの後日常茶飯事になってしまうのであったが。)
ハイネルは一人必死で抵抗を試みていたが、すべてはムダに終わった。大体グーデリアンと一対一の時でさえ(こういう面に限って言えば)勝てたためしがないのに、スタッフたちまでが敵(?)に回ってしまっては彼に勝ち目のあるはずもない。
数分後にはスタッフに背中を押され、グーデリアンの横に立っているハメになってしまっていた。
もちろんグーデリアンは上機嫌である。ただでさえ人好きがする愛嬌のある顔いっぱいに大きな笑みが浮かんでおり、つられてこちらまで笑ってしまいそうなくらいだった。
「じゃ、ハイネル借りてくな!オレ、近くにすごくうまい魚を食わせるレストランを見つけたんだ!ぜったいハイネルを連れていってやりたいって思ってたんだよな〜」
「グーデリアン!私はひとっこともお前と一緒に行くなんて言っていないぞ!ヒルさん!このバカに何か言ってあげてください!」
「えーと・・・ウチのハイネルをよろしく、でいいのかな?」
「な、な、何言ってんですか、ヒルさん!セリフがぜんぜん違うじゃないですか!」
「O.K!わかったよ。今回は(今回は・・・?)遅くならないうちにちゃんとホテルまで送ってくから!ハイネル、早く行こうぜ!」
グーデリアンはハイネルの腕をつかむと、さっさと歩き出した。いつの間にチェックしたのか、ちゃんとハイネルのチームのモーターホームの方角へと向かっているようだ。
「グーデリアン、痛い!あんまり腕をひっぱるな!」
「あ、ごめんごめん。あんまり嬉しくって夢中になってたから気が回らなかったよ」
「・・・・そういうバカ丸出しのセリフを口にするな」
「あれ?ハイネルちゃんてば照れちゃってんの?かわいいね〜」
「『照れてる』!?それはどこの国の言葉だっ。私は怒ってるんだ!!」
もう完全にスタッフたちの存在を忘れさり、二人の世界に入ってしまっている。
スタッフたちは、いつまでも何かを言い合いながら小さくなっていく彼らの後姿を見送りながら、まるで初めて愛娘のボーイフレンドに対面した後の親のように妙にしみじみとしたため息をついたりしていたのだった。
「・・・・・まさか相手がジャッキー・グーデリアンだったなんてなぁ」
「でもでも!オレの言ったコト当たってただろ!?ハイネルくんは絶対に押しに弱いタイプだと思ったんだよなぁ」
「・・・・それならオレ、もっとプッシュしとくんだった・・・・・」
「・・・・今何かスゴイこと言わなかったか?お前・・・。ま・・・・・まぁそれはともかく、ホントのところ、どう思う?アレ」
スタッフの一人は『アレ』のところで、もうほとんど視界から消え去ろうとしているグーデリアンの背中を親指で指し示した。
遠目で見ても実に目立つ男である。
ヒルは肩をすくめ、手を広げるジェスチャーでそれにこたえた。
「どう思うも何も、オレたちが決められることじゃないだろう?大体、相手が『あの』ジャッキー・グーデリアンだぜ?オレたちが横で何か口だししようったって、かなう相手じゃないって」
その言葉に、スタッフ全員が『それもそうだ』と素直に納得してしまったのだった。