Brand New Day

 なんだか、おかしなコトになっている。


 フランツ・ハイネルは珍しくぼーっとしながら観客席の一つに座り、見るともなくレース場を見ていた。
 おかしなコトとは言っても、それはレース関連の話ではない。今のところ、マシンの調整はまぁまぁうまくいっているし、自分自身の調子も悪くはない。
 おかしいのはそんなコトではなくて。


「ハイネル!やっと見つけた!」

 名を呼ばれ、ハイネルはビクリと背中を震わせた。
 声で見当はついていたが、もしかしたら違うかもしれないと一縷の望みをたくして後ろを振り向く。
 だが、目に入ったのは予想していた通りの人物だった。
 褪せた、少しパサついて見える金髪に、他ではちょっとお目にかかれないほど深く澄んだブルーの瞳。

 言うまでもなく彼に声をかけたのは半年年下のレーサー、ジャッキー・グーデリアンである。

「ずっと探してたんだぜ。ハイネルのチームのピットにまで行ってクルーの人達に聞いても、みんなハイネルの行き先を知らないって言うんだもんな」

 グーデリアンはスネたような口調でそう言うと、許可も得ずに勝手にハイネルの隣の席に腰かけた。上半身をかがめ、前の座席に体を預けるかっこうで、自分もレース場を見下ろす。
 ハイネルは隣に座るグーデリアンの存在が気になり、落ち着かない気分を味わっていた。席を立ちたいけれど、育ちがよく素直なタチのハイネルには、グーデリアンを納得させられるだけのうまい言い訳をとっさに思いつくことができない。
 しかも相手はグーデリアンだ。いつもニコニコと笑っているクセに、彼は人の感情の機微に妙に聡いところがある。ハイネルが適当に言い訳をこしらえても、彼ならすぐに看破してしまうに違いなかった。
 それでも、何とか逃げ道はないだろうかとハイネルはめまぐるしく思考を展開させた。
 ・・・彼には、グーデリアンに対して身構えざるを得ない十分な理由があったのだ。










「ハイネル、オレとつきあってくれない?」


 初めてハイネルがグーデリアンにそう言われたのは、そう遠い昔のことではない。 ハイネルとグーデリアンが出会ってから三カ月くらいたった頃で、レースが終わった直後だった。
 初めて会った頃の二人の仲はそりゃあもうひどいもので、顔を会わせるたびに親のカタキとばかりに衝突しあったものだった。
 ただ、一月もたつと、会えばケンカという構図は変わらなかったものの、そのケンカはどちらかと言えば『仲がいい友達同士がじゃれあっている』といった趣のものに変わってはいた。
 少し素直じゃないハイネルは、それでも『ジャッキー・グーデリアンなんて大キライだ』というスタンスを崩さなかったが。



 そんなワケで、初めてグーデリアンにそんなコトを、しかも何の脈絡もなく告げられてしまったハイネルがパニックに陥ってしまったとしても、仕方がないことと言えるだろう。
 まさか会えばケンカの相手から『つきあってくれ』などと言われるだなんて、思ってもみなかったのだ。まして相手は同性である。

 あまりにもビックリしたせいでハイネルが口も聞けなくなっていると、グーデリアンが首をかしげた。
 それでもハイネルがパニックから立ち直れないでいるのを見て、グーデリアンは彼に顔を寄せ、鳥がエサをついばむような素早い動作でハイネルの唇を奪っていった。


「っ!」
「いっっってー!!」


 キスされたことでハイネルはとっさに反応し、グーデリアンを思いっきりひっぱたいていた。
 顔を真っ赤にしつつ相手をにらみつけてやる。

「ごめん、ハイネル」

 あの時グーデリアンは、赤くなった頬を押さえもせずにこう言った。


「あんまりボーッとしてたからさ。今ならキスくらいしてもバレないんじゃないかと思って」


 ・・・・・そのセリフで、グーデリアンがハイネルからもう一発平手打ちをくらうハメになったのは余談である。












 まぁ、そんなコトがあってから三カ月。グーデリアンはことあるごとにハイネルに「オレとつきあってよ」的なコトを口にのぼらせるようになっていた。
 ハイネルはそのたびに対応に困り、どうしていいかわからなくなってしまう。うろたえてワケのわからないことを口走ってしまったり、とっさに殴ってしまったり、用事があるようなフリをしてその場を立ち去ってみたり。
 ・・・ハイネルは内心、『ワレながらひどい反応だ』とは思っていたのだが、グーデリアンは一向に気にしていないようだった。相変わらずハイネルが視界に入ると、主人を見つけた犬のようにすっとんでくる。

 今もすぐ隣の席に座ってあたりを眺めているグーデリアンの存在を痛いほど意識してしまい、ハイネルはちらちらと隣に視線を流してしまうのだった。
 どうもこの頃、グーデリアンが近くにいると意識してしまって困るのだ。いつヘンなこと(ハイネルにとっては)を言われてしまうかと身構えてしまう。


 そんなハイネルの困惑と緊張も知らぬげに、グーデリアンはキョロキョロと辺りを見回した後、感心したように言った。


「なぁハイネル。ここってすごい眺めがいいんだな。オレ、知らなかったよ」

 そう言った時のグーデリアンの口調があまりにものんびりとしていたので、ハイネルも少し肩から力をぬいた。

「そうだろう?レース場に来ていて少し時間があると、観客席のうちの一つに座ってみるんだ。そして、レース場を見下ろしてみる」

「うん・・・わかるよ」

 グーデリアンはそう言い、まっすぐレーストラックに視線を固定させ、右手を目の前にかざした。その右手がゆっくりと左から右に移動していく。

 ハイネルには、今のグーデリアンが何を考えているのかが手にとるように分かっていた。今グーデリアンの脳裏では、幻のマシンがあのレーストラックを駆け抜けているのだ。
 いつも笑顔を浮かべていて締まりのない(と、ハイネルは思っている)グーデリアンの顔は、今は引き締まって見える。
 まだ幼さを多分に残した顔立ちが、見る間に一流のレーサーらしいものになっていく。
 グーデリアンの視線が別に向けられているのを幸い、ハイネルは自分の横にいるグーデリアンの顔を見ていた。
 思っていたよりまつげが長くて、その下には真っ青な瞳がある。ハイネルでさえ時折目を奪われてしまう、深い色をした目だった。
 その目がまっすぐにレーシングトラックに向けられ、グーデリアンの頭の中では架空のレースが行われている。




 彼が頭の中で戦いを繰り広げているあまたのマシンの中に、私のマシンは入っているのだろうか?・・・入っていればいい。いつもグーデリアンのマシンと激しい競り合いをしているのが、私のマシンであればいい。





 どこか焦がれるような思いでその青い瞳を見つめながら、ハイネルはぼんやりとそんなコトを考えていた。
 すると突然、グーデリアンがこちらを見た。いきなり目が合い、ハイネルの背中がすくむ。
 緊張しているのがありありとわかるハイネルに気づき、グーデリアンは苦笑を浮かべた。

「そんなに緊張しないでよ。別にとって食ったりしないからさ」
「べ、別に緊張なんてしていない!」

 ははは、とグーデリアンは声をたてて笑った。屈託のない、少年そのものの笑い声だ。時々、ハイネルはグーデリアンという少年がわからなくなる。
 普段は年齢以上に幼く見える表情や言動をしているクセに、時折こちらがハッとするほど大人びた顔を見せたりもするのだ。そうして、世の中の真理をすべて知っているかのような生意気な口を聞いたりもする。
 あまりにも脈絡なくクルクルと表情をかえてみせるので、人の感情のあやをくみ取るのが大の苦手のハイネルはよくとまどってしまうのだった。


テキストのページに戻る
続きに進む
HOMEに戻る