Gargoyle 5




 ホテルの自室で、つい数時間前にもそうしていたように彼はシンクに両手をつき、鏡の中の自分と向き合っていた。
 鏡の中から見返してくるのはフランツ・ハイネルである。

 何百回も対峙したはずの鏡の中の自分。

 しかし、鏡をのぞき込んでいるフランツ・ハイネルは、鏡の中の自分・・・・すなわちフランツ・ハイネルと目が合うたびに強烈な違和感と嘔吐感に襲われていた。


「っ・・・・・はあはあはあ」


 もう何度目か分からない衝動に再び駆られ、ハイネルは体を折ってシンクにすがりついた。しかし出てくるのは胃液ばかりで苦しさは薄れる気配がない。出しっぱなしの水の流れが渦を巻いてシンクに吸い込まれていく。執拗に両手で水をすくっては口中をすすぎ、それを吐き出してまた取り入れる。
 飛び散った水は彼の全身を濡らしていた。シンプルなシャツと、スラックス。体に張りついたシャツは彼のしなやかな体のラインをはっきりと浮かび上がらせている。滑らかな体の線を乱す胸の尖りは仄かに色づき、何も身にまとわずにいる時よりも扇情的だった。

 バシャバシャと激しい水音。口角を伝い顎を濡らす水。 

 意識は朦朧としており、まるで霧がかかっているかのようだ。自分が自分の足で立っているのかどうかさえ判断できない。足元が浮ついている。時折激しい痛みがこめかみを突き抜け、悪夢のような映像を彼の脳裏にフラッシュバックさせた。




 

『あっ・・・うう・・・・ん』

 耳をふさぎたくなるような甘い声。
 記憶の中の彼の体は柔らかなベッドに沈んでいる。白い足が大きく左右に開かれ、右足首に脱がされたスラックスの残骸がまとわりついていた。ジャケットとシャツを中途半端に身につけた上半身が大きくうねる。舌と唇を使ってそこだけじっくりと濡らされたシャツが透け、赤く熟れてピンと立ち上がった双の乳首が呼吸に合わせてなまめかしく上下している。濡れて張りついた薄いシャツは、そこに残る噛み跡さえ隠してはくれなかった。
 繰り返された交合の証に、シワだらけのシーツには放たれた精と血が飛び散っている。凄惨で隠微な光景だった。

『ああ、ん、っあ!』

 シャツの裾と大きく割られた足の間でうごめく金色の影。その影は緩急をつけて淫らに動き、ハイネルから自在に声を引き出している。日に焼けた節太い指が伸び、ハイネルの膝に影のように張りついて更に大きく足を開かせた。くぐもった粘着質の音。うながすように金色の髪を掻き乱す指。
ぬめらかで暖かな粘膜。そこに自分自身を包まれ、彼は全身をびくびくと震わせて身悶えた。固い歯が時折当たる感触さえ鋭い快楽となってかえってくる。
 あがる歓喜の声。
 不意に暖かくぬめる場所から解放され、強烈な刺激が途絶えた。行為が中断されたことを責めてハイネルが腰を揺らす。
 足の間でうごめいていた影がゆっくりと動き、顔があげられるのが分かった。二人の目が合う。その視線に貫かれただけで、なぶられて高まっていたハイネルの欲望が更に熱を増した。

薄い闇に包まれた部屋にあっても男の瞳は色鮮やかだった。
その瞳の色は・・・・。







「うっ・・・・・・・」

 過去をさまよっていた意識が現在に舞い戻った瞬間、一際激しい嘔吐感に襲われて彼は再び口をすすいだ。顎先から滴り落ちた水がシンクを打った。
 頭が痛む。割れそうなほど。震え、力の入らない指で必死にスラックスを探るが、彼を救うはずの冷たい薬瓶がとてつもなく重く感じられて掴めない。何度もガラスに指をすべらせながら、ハイネルは必死で探り続けた。
 蛇口から水が激しく流れ出る音。こめかみに走る痛み。鏡の中から見返してくる緑の瞳。

 激しい痛みは一定のリズムで訪れ、その合間に呪われた映像を彼の脳裏に送り込んでくる。頭を振っても、こめかみを押さえてもその映像は無理矢理彼の意識に割り込んでくる。

「う・・・」

 あまりの痛みにハイネルは片手をついて声をもらしていた。その声が脳裏の自分があげている声と重なっていく。
 ほんの数時間前に存在していた、もう一人の自分と。






『う・・・・・ 』

 こめかみに汗が噴き出してくる。
 男の手管はあまりに巧みだった。経験の浅いハイネルに快楽を与えて翻弄するのは、男にとっては造作もないことだったに違いない。
 ハイネルは初めて経験する強烈な快感に我を忘れ、全てを男に委ねていた。男の指と、唇と、熱い舌に。
 しかし、それも男が彼の体の奥に侵入を果たすまでのことだった。

『ああっあーっ!』

 初めに上がったのは明らかに苦鳴の叫びだった。全身が痛みに緊張し、快楽で散漫になっていた意識が一気に戻ってくる。

 
初めて男を受け入れる体に、その男の欲望は余る存在だった。それが顕わになった時、ハイネルは予想を超える質量と生々しさに、理性もプライドも捨てて懇願した。男は哀れなその願いに、風に吹き散る枯れ葉に対するほどの興味も見せなかったが。憐憫などこの男の中には存在しないに違いない。

 わずかに突き入れられただけであまりの衝撃と痛みにハイネルのまなじりから涙が零れ落ちたが、男は動きを止めなかった。逞しくそり立った屹立が凶器となり、侵入を拒む狭い入り口に押し付けられ、押し込まれていく。

『ああっ、あう、あーっ』

突き入れられるたびに衝動で新たな涙が頬を伝う。体の中心に全ての神経が集まったかのような強烈な刺激だった。
体を貫く、硬く凝った灼熱の塊。
切り裂かれるような激しい痛み。あがる獣の叫び。こめかみと交わっている場所だけに全ての熱が集まっている感覚。眩暈。

 男が全てをハイネルの体に納めきった時には、彼は既に指先さえも動かず、声もあげられない程疲弊しきっていた。だが、こうして体を静めていてさえ、自らの体内で脈打つ別の存在を感じている。

『あうっ』

 ず、と男が一度体をひいた。すぐにまた欲望を押し込んでくる。痛みに意識が散っていてさえ、硬く、ふくれあがった男のものが狭い粘膜を行き来し、こすり上げる感覚は驚くほど生々しく伝わった。
 男が何度も体をひき、押し込む。貫かれるたびに激しい痛みがこめかみを突き抜け、ひかれる時には詰めていた息と共に声が上がってしまう。どくどくと脈打つ狂暴な侵略者がハイネルの秘めた場所を暴き、攻めたてている。
 男の動きに合わせてベッドがギシギシと音をたて、無意識のうちにシーツをたぐり寄せていたハイネルの指に力がこもった。
 何度も繰り返される同じ動き。男を呑み込んだ部分に与えられる刺激。そこから生じる痛み。だが、同じ行為を繰り返すうちに、その痛みが初めて貫かれた時ほどひどい衝撃を伴うものではなくなっていたことにハイネルは気づいた。男が慣らすための動きをしていたのだろう。
 緊張のあまり堅く握りしめられたまま強張っていた両手からわずかに力を抜いた瞬間、狙い澄ましたかのようにその時は訪れた。

『ああっ』

 それまで繰り返されていた浅い動きとは全く違う、深く抉り込む動きだった。逃れられないようにハイネルの肩を片手で押さえ込み、もう片手でハイネルの足を持ち上げると彼の腰が浮いた。ず、と熱い杭が粘膜をこする音と共に男の欲望が引き抜かれ、上から一気に刺し貫いてくる。

『あうっ!』

 ハイネルが息を整える間も与えず、男は立てつづけに腰を送ってきた。更に硬さを増した凶器を狭い入り口に突き立て、突き入れ、激しく抉って引きぬいてゆく。
 男の動きについていけず、ひっきりなしにあげられる悲鳴じみた声が耳に障ったのか、貫く勢いのまま上半身を折った男はハイネルの唇を覆った。すぐに舌で舌を絡めとられ、ハイネルの叫びは舌の震えとなって男の舌に伝わっていく。絡みあう舌が音をたて、唾液がハイネルの口角を伝う。
 あまりに激しい動きに呼吸さえもままならず、少しでも相手の動きを留めようとハイネルの両手が男の背中に回されてツメをたてたが、彼の行為は交合をより深いものにしただけだった。








 目の前の暗い影を打ち払うかのように鏡の前でハイネルが大きく頭を振るった。髪の先から水滴が飛び散る。
 既に彼は自分の意識が今現在ホテルの鏡の前に立っている自分の元に留まっているのか、あるいは過去の悪夢のような時間へと飛び去ってしまっているのか判断できずにいた。
 今の自分は現在のフランツ・ハイネルであるような気がする。それは当然だ。
 しかし、今の自分は過去のフランツ・ハイネルであるような気もする。あの時のフランツ・ハイネル。それはあってはならないことである。

 ガラス瓶の上で水に濡れた指が滑る。つかめない。
 何度も同じ行為を繰り返してようやく薬瓶をスラックスから取り出したが、力の入らない指ではフタを外すことなど不可能だった。
 ハイネルは彼らしくない呪いの言葉を吐きながら何度もフタの上で指を滑らせていた。


 一人きりのホテルの部屋。他には誰もいない。・・・・鏡の中からのぞき込んでくるもう一人の自分を除いては。だが、わずか数時間前、この部屋には暴君が君臨していた。甘い声で冷たい言葉を発する男が。

 ゆるゆると顔をあげると、ハイネルはそこに自分を見た。鏡の中から見返してくる瞳は『緑の悪魔』と呼ばれるコロンビアン・エメラルドと同じ色。
 記憶の片隅から聞きなれたような、それでいて初めて聞くかのような声がする。優しい響きをもつ残酷な声だった。幻の声はハイネルの頭の中に直接語りかけてくる。



『何故無理をするんだ?何故抵抗する?・・・・・全ては無駄なのに』



 あきらめろよ、と吐息と共に囁かれて声は消えた。
 それは背後から耳元で囁いてきた声だった。
 エレベーターを出て、何も知覚できなくなっていたハイネルが男に促されるままルームナンバーを告げ、そのまま部屋のベッドルームまで辿りついた時。
 わずかにまた理性を取り戻しかけていたハイネルが今更のように抵抗を始めると、あの男はそう囁いてみせたのだった。あの時の、あの背筋を貫くほど甘く冷たい声。声の冷たさとは裏腹に、首筋に這っていた男の舌は焼けそうなほど熱かった。
 彼の体はその時後ろから緩く拘束されていた。男の左手はハイネルの右胸をたどり、立ち上がりつつある胸の尖りに執拗な刺激を送っている。右手は閉じられた足を無理矢理割り、足の付け根のラインを辿っていた。



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