Gargoyle 4

「あ・・・・んー、ん」

 荒く、湿った息がハイネルの唇から間断なくもれている。グーデリアンの指がハイネルの欲望の形をたどって滑らかな布をかきわけるように移動すると、男の肩にすがりつくハイネルの腕に力が込められた。
 わずかに身長差があるため、ハイネルが少し顔を傾けるとちょうどグーデリアンの肩に額を預ける体制となる。親密な男女がダンスを踊る距離だ。
 禁欲的にきっちりと立ち上げられた栗色の髪が、乱れてわずかに下りていた。後れ毛が長く伸びたうなじに汗で張りついている。見下ろすグーデリアンの青い瞳には、ハイネルが与えられる刺激に体を震わせる様子、そして白い首筋が熱でほのかに色づいている様さえあまさず映っているに違いない。

 グーデリアンはちらりと目をあげ、エレベーターの扉に視線を投げた。白い布地。2本の青いライン。音楽艦隊を思わせる装飾を施したボーイの上着が見える。
 それから彼は再び視線を下げ、自分の肩に顔を埋める青年にこの上なく甘い声で囁きを落とした。

「お前の肉は甘い匂いがするな、ハイネル」

 ハイネルは答えない。恐らく言葉を言葉として認識できる状態ではないのだろう。ただグーデリアンの唇の震えさえも薄い皮膚を通して刺激として受け取り、わずかに声をもらした。
 恋人を取り扱う時のようにグーデリアンは優しく彼の体を抱き直し、汗ばむ首筋に舌を這わせた。耳朶を甘く噛み、囁きは続く。

「お前の肉はどんな味がするんだろうな?お前はいつも試す方で、試されたことはないんだろう?オレがお前の肉を食らう最初の男になってやろうか」


 完全にエレベーターの扉が開いた。ボーイが一歩内側に踏み出したのがわかった。訓練されたボーイが扉の中央でエレベーターを待つことはない。彼らは必ず脇に寄り、エレベーターの先客に威圧感を与えないよう教えこまれているのだ。
 かっちりとした動きとピンと伸ばされた姿勢からよくしつけられていることが伺えるそのボーイは、十二分に扉が開いてから初めてエレベーター内に向けて顔をあげた。
ホテルの格式をあらわす執拗なまでに磨きたてられたエナメルの靴先が、開いた扉の前でピタリと止まる。

「あ・・・」

 動揺を声にあらわしてしまったのは一瞬のことで、ボーイはすぐに何事もなかったかのように表情を改めた。
 普段取り澄ました顔をしている上流階級の人間が、このような場では理性の仮面を剥ぎ取lり、本能をむきだしにすることは少なくない。格式あるホテルではその威信にかけて完全なるプライバシーを宿泊客に保証しているからである。
 エレベーターで淫らな行為に耽る客はボーイの存在など置物ほどにも気にかけず、ボーイもまた彼らを言葉を話す花として扱う。
 このボーイが声を出してしまったのは先客がエレベーター内で抱き合っていたせいでも、またその二人が互いに男性だったせいでもなかった。

 グーデリアンの底冷えがする青い瞳が、一瞬で彼を射貫いたからである。

「し、失礼致しました。お邪魔なようであれば、わたくしは・・・」

「ああ、構わないぜ。こいつはオレのダチなんだが、パーティーで飲みすぎて酔っ払っちまったんだ。気分が悪い上に足腰がたたないってんで、オレがこうして貧乏クジをひかされてるってわけさ。せっかく美女を口説き落としかけてたって言うのにな。・・・・遠慮しないで乗りこめよ」

「は、ありがとうございます」


 ボーイの表情の変化はごくわずかであったが、グーデリアンは彼の心情の動きをあますところなく読み取っていた。彼は情事の現場に足を踏み入れたのではないと知って・・・事実はどうあれ・・・安堵している。年の頃はまだ20代半ばで、恐らくあまりまだボーイとしての経験を積んでいないのだろう。それでもこのボーイは職務に忠実であろうと努めていた。

「よろしければわたくしがお客様のご友人をお運び致しますが」

「ああ、いいんだ。こいつは気位の高いネコみたいなヤツでね。ヘタなヤツが自分に手を伸ばそうものなら容赦なくツメで引っ掻いてくる。・・・ヘタしたら噛みつかれるぜ」

 気安い笑みを浮かべてそう言ったグーデリアンにわずかな緊張感をほどかれたのだろう、ボーイは安心した様子でエレベーターに乗り込んできた。熱のせいで狭い空間には酒と汗、そしてパフュームが入りまじった甘い香りがこもっている。不快ではないが濃密な、ある種の闇を連想させる香りだった。
 グーデリアンの軽口に興味を惹かれたのか、この若いボーイはつい先客たちに視線を飛ばした。本来のボーイの責務からは許されない行為だが、グーデリアンの親しげな雰囲気につられたのだろう。彼にはどんな人間の警戒心も解き放ってしまう不思議な力がある。

 グーデリアンは見事な体躯の持ち主だった。長身に着崩したスーツがよく似合っている。彼はその逞しい腕を”友人”に回して支えていた。グーデリアンの片手は相手の腰を支え、もう片方の手はボーイの位置からではよく見えない。

 好奇心にかられ、だが職責のためあまりぶしつけに見つめるわけにもいかずに時折視線を投げかけているボーイの視界からは、支えられているハイネルの姿はグーデリアンの広い肩と背中に阻まれてほとんど見えなかった。しなやかな栗色の髪が、グーデリアンの肩にかかっている様、そしてほとんどしがみつくかのように首筋や腰に巻きつけられたしなやかな手が目に入るばかりである。

 独特の浮遊感がして、かすかな稼動音と共にエレベーターが上昇を再開させた。階数を表示して移動していく明かりを見つめながらも、ボーイの忍んだ視線は何度もグーデリアン達に向けられていた。

「んっ・・・・・ん、」

「気分が悪い?だから言っただろう、飲み過ぎるなって。・・・腹が痛いのか?さすってやるよ」

「あっ・・・・・ん」

 ボーイの位置からでは腰に回されていない方のグーデリアンの手の行方は目に出来なかったが、ゆっくりと上下に動いているのであろうことは肩の動きから知れた。その動きに合わせ、相手の・・・ハイネルの唇からは苦しげな声が零れ出す。
 苦しさをこらえた・・・・しかし明らかに甘さも伴った声。

「ああ・・・・んん、ん、あ」

 グーデリアンの肩の動きが速くなり、それにつれてハイネルがもらす声があえぐような切羽詰まった響きを帯びていった。声の合間に聞こえる呼吸は荒く、肩や腰に回されたすがる指にはツメがたてられ、上質な仕立てのグーデリアンのスーツに深いシワを作っている。

「あ、・・・・あの、」

 ボーイの声はかすれていた。一拍おき、彼がかすかに息を吸い込んだ気配がした。呼吸を整えたのだろう。
 グーデリアンは微動だにしなかったが、ボーイは続けた。

「も、もしご友人の具合がとても悪いようでしたら、待機している医師を・・・その、わたくしがすぐに手配を、」

「ハイネル。どうする?あそこでお前に話しかけてくれてるヤツがいるぜ。医者を呼ぼうかってさ」

「あ・・・・」

 ハイネルは言葉の意味を解したわけではなかった。ただ気配に促され、緩慢に顔をあげただけだった。今やあからさまに階数表示ではなくグーデリアン達へと体を向けていたボーイと、ハイネルの目があった。

「!」

 ボーイが息を呑んだのが分かった。
 濡れた、鮮やかな緑の瞳がグーデリアンの肩の向こうからボーイを見つめていた。唇がわずかに開いているが、言葉を綴る気配はない。ただ熱い呼気と甘さを伴った苦しげなあえぎを繰り返しているだけだ。

 空調が効いているはずの空間で、ボーイは握った手にじっとりと汗をかいている。

「医者が必要か?ハイネル。要らないよな。お前は飲みすぎて少し気分を悪くしてるだけだ。オレがさすって治してやるよ、いつもみたいに、・・・・こんな風に」

「んんっ!」

 今やグーデリアンの右手がハイネルの前部に回され、何らかの刺激を加えているであろうことはボーイの目からもとらえられた。激しい動き。

「あ、あー、ん、んっ」

 苦しげなハイネルの声。白い頬は紅潮し、額に汗が浮かんで前髪が張りついている。刺激に耐えるかのように整った鼻筋がグーデリアンの太い首筋に押しつけられていた。唇が開いて呼気とあえぎを吐き出すたびに、まるで男の首筋に口付けを施しているかのように見える。

「あっ、あっ、あ、」

 すがりついた指が細かく震えていた。今にも崩れ落ちそうな体を、グーデリアンは腕一本で楽々と支えている。右腕は一刻も休まずに激しい動きを続けていた。
 グーデリアンの腕に抱かれたハイネルの唇がわななき、言葉にならないあえぎを繰り返す様をボーイは見つめている。二人を見ているボーイの呼気もまた乱れているのを、わずかな空気の揺らぎでグーデリアンは知っただろう。

「あっ・・・・あ・・・・・」

「もう少しで出そうなんだろ?いいぜ、出せよ。吐きだしちまった方が楽になる」

「あ・・・・・!!」

 足元の地面が突然無くなってしまったかのような浮遊感。続く失墜感。
 がくり、とハイネルの膝から完全に力が抜け、すかさずグーデリアンの腕が彼の体をすくいあげた。それと同時に届けられた軽やかで高い音。

「ついたぜ、・・・天国に」

高い音はエレベーターの到着音だった。重々しい音と共にゆっくりと扉が開いていき、廊下の明るい光が狭い箱の内部に入りこんでくる。
 咄嗟に動けずにいたボーイは、不意に肩を叩かれて不自然に一歩飛びのいた。明らかに自失していた様子だった。
 片手にハイネルを抱きかかえ、片手でドアが閉じてしまわぬようエレベーターの扉を押さえている男が、まるで少年のような邪気のない笑顔を浮かべてボーイを見つめていた。

「悪かったな、オレがこいつに「吐き出せ」なんて言ったからビビッたんだろ?酔っ払った時は吐いちまった方が楽になるからな。さすがにエレベーターの中で吐くなんてことはさせないから安心してくれよ。こいつを少しでも落ちつかせるためにああ言って聞かせただけなんだ」

「あ、で、ですが、医師を呼んだ方が・・・・」

 グーデリアンの腕に抱かれたハイネルは軽い失神状態にあるようだった。眉間に深いシワが刻まれ、その表情はどこか苦しそうだ。だが、あれほど淫蕩な表情を浮かべていた彼が、意識を失っていると禁欲的な面立ちをしていることにボーイは驚かされていた。意志の強そうな、整った顔立ちをしている。
 そんな青年がグーデリアンのような逞しい男の腕に抱かれている様子は、見るものが見れば倒錯的な空気を嗅ぎ取ったことだろう。

「医者は呼ばなくても大丈夫だ。これからオレの部屋でオレがこいつの面倒を見るから」

 夜通しな、と続けた時のグーデリアンの口調は何げなく、何も変わったところはなかった。
 しかしその目が・・・・青い目には暖かさなど微塵も存在せず、惑乱にとまどうボーイの足をその場に縫いとめるのに十分な冷たさを有していた。


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