Gargoyle 3
「わ、私・・・は・・・・・」
「あれはどう見ても食いちぎられたとしか思えない傷だった。大きな傷じゃなかったが、あれじゃ並の男は絶叫くらいするだろう」
グーデリアンの声がする。しかし意味はとらえられない。
頭が痛い。
ハイネルはこれ以上こめかみから発する痛みに耐えていられなかった。せっかく薬によって治まりかけていた渇きも、この男が発する気によって甦ろうとしている。
「どいてくれ!私を一人にしてくれ!」
突然ハイネルは火が灯ったように抵抗し、グーデリアンの胸を押しのけてエレベーターから出ようとした。グーデリアンは冷静に片手を伸ばしてその体を抱き取り、片手で噛ませてあったコインを外した。
コインが床に落ちて甲高い音をあげ、それと共にドアが閉じてエレベーターが上昇を始める。グーデリアンの腕の中でなおもハイネルはもがいている。もみあううちに彼が身につけていた眼鏡が落ち、どちらとも知れない靴の裏に踏みしだかれてガラスが割れ、床を引っ掻いて小さいが不快な音をたてた。
いつの間にかグーデリアンとハイネルの胸はぴったりと合わさり、グーデリアンの左手は彼の腰に、右手は背中にまわされている。ハイネルがどんなに身動いても抱擁はとかれなかった。
グーデリアンの熱が、呼気が、そして大気がハイネルの鼻腔を満たし、少しずつ侵食していく。
熱い。
はあはあはあはあはあ。
ハイネルの息が荒くなっている。この呼吸の荒さは、抵抗しているからというだけでは説明のつかないものだった。常に理知的な光をたたえているグリーンアイズは熱を発しているかのように潤み、何度も舌を伸ばして唇の縁をたどった。
グーデリアンの胸を押し返していたはずのハイネルの両手が、彼の肩にかかる。恐ろしいほどの力で指を肩に食い込ませていた。
はあはあはあはあはあ。
密着している部分から熱が伝わる。熱い。熱くてたまらない。
グーデリアンがまとっていたダークブルーのジャケットをかきわけ、その下の白いシャツの襟にハイネルの指がかかる。
美女との情事を楽しむはずだった男の首元からすでにネクタイは取り去られ、ボタンが二つほどあいていた。
ハイネルはシャツを手にし、容赦のない力で左右にひいた。ボタンが一つ弾け飛び、陽に灼けた逞しい胸が姿をあらわす。少し汗をかいたのだろうか、グーデリアンの裸の胸からは麝香のように女をひきつける野性的な匂いがした。人間では感知しえないそのわずかな刺激を、しかし今のハイネルは残らず拾いあげることができる。
はあはあはあはあはあはあ。
ハイネルが洩らす荒い呼吸は苦しげだ。苦痛に耐えるべく眉はかたく引き絞られ、眉間に深い皺を刻んでいる。だが、その荒い息も苦しげな表情も、淫らな女が淫らな行為の合間に見せるそれだった。
鍛えぬかれたグーデリアンの体は、肩の筋肉も盛り上がり、そこに置かれたハイネルの白い指が脆弱に見えてしまうほどだった。実際には細身ではあるがハイネルの体はサーベルのように鍛えられ、しなやかで強い。
むきだしのグーデリアンの胸。そこを指でたどると固い筋肉のうねりと熱が伝わってきた。
ハイネルの白い指は正確に読み取ることができる。この厚い皮膚の下を脈々と流れる、熱い血の流れを。
はあはあ、はあはあはあ。
グーデリアンの肩にかけられたハイネルの手に力がこもった。短い爪が肉に食い込むほど。唇をカッと開いたハイネルがグーデリアンの肩口に顔を埋めようとしたまさにその時、グーデリアンの手が伸びてハイネルの後頭部をつかんだ。そのまま容赦なく髪を後ろにひく。
「!」
痛みにではなく、行為を妨げられた怒りに緑の瞳が燃えていた。グーデリアンはその目を強い眼差しで見つめ、さらに乱暴に髪をひいてハイネルの顔を上向かせ、その唇を自らの唇でふさいだ。文字通り噛みつくような口付けだった。
「んぅ!」
驚いたハイネルが体を離そうとするが、エレベーターの壁に押し付けられているせいでわずかの抵抗もできない。抗議の言葉を発するために唇を開いた瞬間、熱いグーデリアンの舌がハイネルの口内に差し込まれ、乱暴に動き回った。
なおもハイネルは口付けから逃れようともがくが、グーデリアンは強引に舌を絡め、蹂躙をつづけた。
わずかに唇が離れ、ハイネルの耳元にグーデリアンのささやきが落ちる。
「トイレのあいつからは雄の匂いがしたぜ。肩の肉を食われて、服を着たままイッちまったんだ。大人しい顔をして、その実お坊ちゃんはずいぶん激しかったらしい」
「な、にを・・・」
反論を許さず、また舌を差し入れる。わざと音をたてて舌を吸い、歯の裏をなめあげる。恋人に与えるような情熱的なキスを与えておきながら、その時がくるとグーデリアンは容赦なくハイネルの髪をひき、離れた唇に告げるのだった。
「ロシア美女とのお楽しみを邪魔されたんだ、オレもあいつみたいにイカせてくれよ。・・・ただし、オレは肉を食われるのはごめんだ」
「んん・・・・!」
ハイネルはもがく。しかしグーデリアンは許さない。
何度も舌を絡め、吸い上げられているうちにハイネルの歯が偶然相手の舌を傷つけた。そこからあふれだす流れ。熱い命の奔流。かたく閉じられていたまぶたが見開かれ、緑の瞳があらわれる。
その目は欲情に狂っていた。
「う・・・うう・・・」
自らグーデリアンの体躯を引き寄せ、顔の角度を変えて唇を噛み合わせる。グーデリアンの舌にできた傷は浅く、すぐに血の流れは止まったが、ハイネルは執拗に舌を吸い上げつづけている。何度も舌を差し入れ、舌を絡め、舌を吸い上げながら、それでも足りずに彼は相手の舌に噛みつく素振りを見せた。
だが、その瞬間グーデリアンはハイネルの髪をひいて自分たちの顔を離す。
「ハアハア、ハアハアハア」
荒く肩を上下させ、ハイネルは燃える緑の瞳でグーデリアンをにらみつける。また乱暴にグーデリアンが唇を合わせた。舌が絡む。吸い上げられる。ハイネルは夢中で相手の舌を吸いかえす。
グーデリアンは激しいキスでできるわずかな傷は許していたが、焦れたハイネルが大きく噛みつく仕草を見せるとそのたび巧みに髪をひいた。
舌が絡む。吸い上げられる。吸い返し、より深い悦楽を求め、拒絶される。
何度目かの拒絶のあと、ハイネルは耐えられず肩口に再び噛みつこうとした。だが、それはなされなかった。
「あう!」
ガクン、とハイネルの膝から力が抜ける。荒い息の合間に、押し殺された声があがった。
いつの間にか育っていたハイネルの雄芯を、スラックスの上からグーデリアンが刺激してきたのである。
「ん・・・・・っ、くっ」
ただでさえ苦しげな呼吸を繰り返している唇をグーデリアンはキスでふさいでくる。そして、欲望に忠実なハイネルはそのキスにはけして逆らえない。
激しい惑乱に視界がゆらぐ。こめかみが痛む。体が熱い。熱い。だが最も熱いのは喉だ。
喉の奥。呪われた渇望。この白い喉は鉄の匂いに満ちた熱い奔流が呑み下されるその瞬間を切望している。・・・・本当はそれよりももっと彼が、彼の体が望むものがあるのだが、鋼鉄の理性で彼はその事態だけは回避してきた。
だがグーデリアンの肉体はあまりにも甘美だ。与えられ、奪うキス。舌にのる血の味を貪り味わうハイネルは、自分たちの舌が深く絡まりあってたてる淫らな音になど気づいていないに違いない。
「んう・・・ん・・・・うう・・・・」
グーデリアンの大きな手のひらは、スラックスの上から巧みにハイネルの欲望を刺激してくる。ハイネルが身につけていたのはシルクのような光沢をもつ上質な生地で仕立てられたスーツで、好ましいはずの滑らかな肌触りがかえってグーデリアンが与えてくる刺激を緩和させ、彼を焦らせた。
我を忘れて腰を押しつけ、より体が密着するようにグーデリアンの広い背中に回した腕に力を込める。
「ハアハア、ハアハアハア」
ハイネルの唇から、渇きのせいではない荒い呼気がもれている。キスを交わす濡れた音がエレベーターの微かな稼動音よりも大きく響いている。
「んん・・・んー・・・・ん、」
ハイネルは下唇を噛み締めていたが、それでも甘い声を完全には噛み殺せないでいた。スラックスの布地越しに欲望に触れてくるグーデリアンの指。密着した体から伝わる匂い。その熱さ。
「あっ・・・・んう、・・・あ」
我を忘れて熱さに身を委ねているハイネルは、エレベーターの浮遊感が大きくなったのに全く気づけないでいた。
チン、とまたあの場違いに軽やかな音の後、軽い失墜感。エレベーターが止まったのだ。
だがまだグーデリアンがボタンを押していた目的地の最上階に着いたわけではなかった。誰かが乗りこんでくるのだ。
エレベーターの扉が開く。よく磨かれたエナメルの靴がまずあらわれ、それから青いラインが2本脇に入った白いスラックスが見えた。ホテルのボーイの服装だ。ボーイが淫らな熱のこもったこの狭い空間に足を踏み入れようとしていた。