「言ったろう。今日は朝から父が来ていると」
「あっそ。ユーのパパがね。・・・それがなんでオレまで」
ずるずると引きずり引きずられながら長い廊下を行き、彼らが、・・・正確に言えばハイネルが向かいグーデリアンが向かわせられたのは応接室である。ドアの前でようやくハイネルの手から解放されたグーデリアンはこれ見よがしに襟足をなでさすっていたが、扉に手をかけたハイネルは横にいる彼の存在などまったく忘れ去ってしまっているかのようだった。
「・・・おい。アレ、どうなってんだよ?」
首を伸ばし、視界から消えるまで二人の姿を追っていたスタッフの一人が、近くにいた別のクルーに問いかけた。アレ、とは監督とドライバーの同居の一件だろう。よほど意外かつショックだったに違いない。
「それがさ、一ヶ月くらい前だったかな。監督、オヤジさんにガツンとやられたらしいぜ。『チームのトップともあろうお前がドライバーと不仲だと影で囁かれるとは不甲斐ない。それで滞りなくチーム運営ができると思っているのか!』」
「ああ、それでね・・・」
ハイネルの父親はシュトロゼックのメインスポンサーであるシュトロブラムスのオーナーなので、当然チーム内のスタッフほとんど全員が面識をもっている。ハイネルは母親似らしく、外見的に父親とあまり似たところはなかったが、自然と人を従わせ、貴族的な雰囲気を身にまとっているのは父譲りのようだった。
ハイネルの父の前では、大口スポンサーだからというよりもその気配ともいうべきものに圧倒され、どのスタッフも(もちろんグーデリアンはのぞくが)口をつぐんでしまう。そして、それは息子であるハイネルでさえも例外ではないらしい。
「でまあ監督は必死でいろいろ言い繕ったらしいんだな。だけど相手はあの親父さんだぜ?切羽つまった監督、自分からジャッキーとの同居を言い出したらしい」
「墓穴を掘ったって?あの人らしいなあ」
クールで如才ないようでいて、意外とお人好しで抜けたところのあるのがフランツ・ハイネルという青年である。その場を取り繕おうとして焦り、かえって事態を悪化させた時の様子が脳裏に浮かびそうだった。
「一ヶ月前からムリヤリ監督がジャッキーを自分の家に連れてったみたいだけど、ジャッキーはあの通りだろ?ダチやオンナの子のとこを渡り歩いててめったに家になんか帰らないワケよ」
「ああ。それで今までオレたちが二人の同居に気づかなかったってワケか」
なるほどね、とスタッフはあいづちを打った。いかにもありそうな話だ。
「遊び歩いてるのは感心できることじゃないけどさ、ジャッキーが家に寄りつかないからこそハイネルさんだって同居なんつー事態に耐えられるわけだろ?大体、あの二人が一緒に住んでうまくいくわけないんだよな!」
「言えてる言えてる。・・・・っと、声ひそめろよ。監督たち、出てくるみたいだぜ。ということは親父さんもそのうち出てくるってことだろ。ヘタに声かけられないようにしないとな」
彼の言う通り、応接室のドアからまずハイネルが、続いてグーデリアンが姿を現した。スタッフたちはすぐに仕事に戻った(フリをした)ために気づくべくもなかったのだが、いつも以上にハイネルは肩をいからせて歩いている。やがて彼らの作業場にいつものようにまるで軍靴のような高い音をたててハイネルがやってくるのがわかった。刻まれているリズムがいつもよりも速い。それだけで彼の機嫌がかなり斜めになっていることをスタッフたちは知る。
案の定、ピットに足を踏み入れた監督は怒髪天をつき(それはいつもだが)頭から湯気さえ出しかねない勢いだった。
「貴様が余計なことばかり言うからだ!」
「何言ってんだよ!オレが絶妙なフォローをいれてやってんのに、そのたびに台無しにしたのはお前だろォ?人がせっかく『不必要に干渉しあわないのが同居生活をうまくいかせるコツだ』つってんのに『お父さん!私たちは毎日同じ食卓を囲み、就寝前には一日の出来事を報告しあって相互理解を深めています。私たちの生活は順調ですから心配しないで下さい!』なんて言うから話がややこしくなったの!」
ご丁寧にハイネルの口調のモノマネまでしてグーデリアンはそういい、彼にしては珍しく苦虫をかみつぶしたような顔になった。
「馬鹿者!一緒に住みはじめて一ヶ月足らずだと言うのに、毎日遊び歩くヤツがいるか!そんなことを父に正直に話したりしてみろ、私たちの生活が上手くいってないと思われるだろう!」
「だからさ、ユーのパパに説明すればいいでしょ!?オレたちにはオレたちのやり方があるんだから、他人がオレたちが上手くいってるいってないなんて判断できないんだって。事実、オレたち上手くいってるだろ?」
「貴様の一般的概念からかけ離れた基準でものごとをはかるな!」
「そっちこそ、ホントはシェークスピアのオトモダチで15世紀生まれなんじゃないの?融通がきかないっていうか考え方が古いっていうか、いまどき一年たった鑑モチだってそんなにカタくないぜ」
「シェークスピアは16世紀生まれだ!」
「あ、そうなの?ハイネルってほんと頭いいよな」
「貴様の頭が悪いだけだ!」
「まあそうかもな。でもいいだろ。ハイネルの頭がいいんだからオレの頭は悪くたって」
「フン!どうせその後に『ハイネルに体力がないのはオレがカバーしてるしネ!』などと続くのだろう」
「あれ、わかった?オレ達パーフェクトにマッチするってコトが」
「・・・・アレはどうなってんだよ、一体?」
「うーん、まあ、監督がまた何かいらないことを言って事態を悪化させたんじゃないか?」
手だけは休めず動かしながらスタッフたちはぼそぼそと言葉を交わしあっている。グーデリアンとハイネルはまるで互いしか見えてないのではないかと思われるような様子で(事実そうなのだろうが)ズカズカとピットへとやってきた。
ハイネルはモニタに目をやり、そこに表示されている現在のシュテイールのセッティング状況を確認。グーデリアンはメカニックからマシンの状態について報告を受けている。
だが、その合間にも彼らのやりあいはずっと続いているのだった。あまりにも脱線が多すぎてわかりづらいのだが、どうも彼らの話を総合すると、よせばいいのにハイネルは自分たち(もちろんこの場合グーデリアンとハイネルのことだ)は毎日一緒の家で仲むつまじく暮らしている。マシン調整が本格化してピットにこもりきりにならない限りは毎晩電話(しかもご丁寧にテレビ電話)で父親に連絡をいれる、などと口にしたらしい。
それが元の口ゲンカだったのである。
一緒の家に住むのはいいが、なぜ他人に干渉されなければならないのか、というのがグーデリアンの主張だった。・・・・一緒の家に住むのはいいらしい。
そしてハイネルの方も、ずっと一緒に住みつづけていく以上、互いの家族とも上手くつきあおうと努力するのは当然だろうと主張して譲らない。
これは。
これは仲が悪いゆえのケンカというよりもむしろ。
「・・・・・ま、あの二人のことについて深く考えるのはやめといた方がいいよな」
「同感どうかん。あ!監督!こちらの調整終わりました!」
「ご苦労。グーデリアン!そろそろマシンに乗り込め」
「オッケー」
「ああ!またスーツの襟元を勝手にくつろげおって。レーシングスーツは格好だけのためのものではない。耐火スーツになっているんだぞ。私のシュティールの安全性は万全だが、万一コクピット内で出火でもあったらどうする?いざという時のことも考えろ」
「だって暑苦しいんだもん」
「暑苦しいんだもん、ではない!」
ヘルメットを片手にシュティールに乗りこもうとしていたグーデリアンを呼び止め、ハイネルはいつものように小言を口にした。だがグーデリアンの方もいつものように聞く気はなさそうだ。
ハイネルも彼が素直に自分の言うことを聞くとは思っていなかったのだろう。グーデリアン自身に身なりを直させようとはせず、自ら彼のレーシングスーツの襟元を整えてやった。グーデリアンはグーデリアンで、自分で直すのはイヤがるくせにハイネルが直してくれる分には文句はないらしく、素直にされるままになっている。
「いいかグーデリアン、お前の代わりはいないんだ。もっとそれを自覚しろ」
「わかってるよ。オレがいなくなったら一番困るのはお前だもんな、ハイネル」
「・・・・私のシュティールが、だ!」
やはり手は止めず、横目でそのやりとりを見ていたスタッフがぽつりとつぶやいた。
「なんかさ、こういう光景ってよく見るよな。どこでだろ・・・・サラリーマン・・・新婚・・・・ネクタイ・・・・」
「それ以上言うな!いろんな意味でショック受けるから!」
こんな会話を交わしつつも作業はまったく滞っていないのがさすがである。
シュトロゼックが発足してまだ日が浅いのだが、スタッフたちは『目の前にあるものが見えず、耳に入ってくることが聞こえない』状態を作りだす術を心得ていた。そうでなければこのチームではやっていけないのだった。