その場所までもう少し
ジャッキー・グーデリアンとフランツ・ハイネルが非常に仲が悪いということは周知の事実だ。だが実は彼らは世間に思われているほど仲が悪いわけではなく、実際はわりあいに親密な交友関係を築いている。・・・・というようなことはなく、やっぱり彼らは仲が悪いのだった。
そんな二人が世間に衝撃を与えたのは2016年、ライバルであり犬猿の仲である彼らが監督とドライバーとして手を組み、シュトロゼック・プロジェクトを発足させた時である。
そして、同じチームになっても相変わらず彼らはケンカばかりを何度も繰り返し、周囲の人間たちの頭を悩ませつづけていた。
が。
なにしろ常にゴーイング・マイ・ウェイのグーデリアンと、お坊ちゃん育ちで基本的に物事は自分の計算通りに進むものだと思っているハイネルが相手(しかも二人同時に)だ。そんな彼らに『子供じゃないんだからビジネスで手を組んだ以上は仲良くしろ』と言えるような豪胆な人間はいなかった。・・・・・一人をのぞいては、の話だが。
「おはようございます、監督!」
レースシーズン、ハイネルの朝は早い。特に今年はシュトロゼック・プロジェクト発足の記念すべき年であり、やるべきことは山積みだった。スタッフ達にも無理を強いらずにはいられないのが現状だが、そもそもこのチームのスタッフたちは大半がハイネルの信望者なので問題はない。
シュトロゼックの朝はたいていピットでの簡単なミーティングから始まる。ここで今日一日の大まかなスケジュールや連絡事項が伝えられることになるのだが、スタッフたちの中にはざわめいている者も少なくはなかった。そこに本来ならば見ることのない姿があったからである。
「・・・というわけで、諸君には申し訳ないが、今日のマシンテストは一時間予定を延長することとなった。マシン開発の進捗状況が思わしくないため、協力して欲しい」
手もとのファイルに視線を落としながら口を開いているのは監督であるハイネルだ。それはいい。監督が朝スタッフたちに指示を出すのはごく普通のことだろう。
だが、スタッフたちをざわめかせているのはその斜め後ろにいかにもやる気のなさそうな風情でたたずんでいるグーデリアンの存在だった。ありがたい(ハズの)ハイネル監督の訓示を耳に入れている様子はまったくない。
「な、なんでジャッキーがもういるんだ?こんな早い時間にピットにいるなんて見たことねぇぞ。天変地異の前触れか!?」
シュトロゼックでは珍しい、グーデリアンが前年まで所属していたスター・スタンピードチームからの移籍組であるスタッフが、隣のスタッフに耳打ちする。耳打ちされた方もこそこそと言葉を返した。
「あれ、お前知らないの?グーデリアン、今監督と住んでるんだぜ」
「なんだってー!!」
「何か疑問点が?」
「い、いえ、なんでもありません!」
「そうか」
突然の大声をあげたスタッフをちらりと見上げただけで特に驚いた様子もなかったハイネルは、短く答えて話を再開した。よく通る声はわずかに甘さを含んでいるものの凛と通り、生まれながらに人を従わせることを知っている人間のものである。その白い横顔からは、とてもグーデリアンとのやりとりを「サーキットの漫才コンビ」と評されている人間の面影はとても見出せない。
この監督が。
あのドライバーと。
同居!
まだ驚愕から立ち直れていないスタッフの思いもどこへやら、ハイネル監督はきびきびと指図を出し終えるとさっさとミーティングを終えてしまった。
「では解散。各自持ち場に戻ってくれ」
何人かのスタッフ達は、半ば呆然としたまま仕事に取りかからねばならないハメに陥ってしまったのだった。
さて、一部の監督信望者たちを嘆きの谷に叩き落とした当の本人、ジャッキー・グーデリアンは、マシンの準備が整うわずかな合間にも女性とのスキンシップに余念がなかった。そもそも、本戦ならともかくマシンテストに女性(この場合の女性とは、もちろんスタッフ以外を指すのだが)など必要ないと監督であるハイネルは主張しつづけているのだが、ドライバーであるグーデリアンが女性がいるといないとではやる気が違う、ひいてはタイムにも差が出ると主張してやまないのだった。それでもガンコなハイネルは、未だに必要がない場面で女性が、しかもハイネルいわくの『挑発的な装いに身を包んだ婦女子』がピットを闊歩するのはスタッフたちの集中力を乱すと言ってきかない。シュトロゼック結成当初から、いやそれ以前からわかりきっていたことではあるが、一から十まで気があわないのがフランツ・ハイネルとジャッキー・グーデリアンなのである。
ピットの片隅、タイヤの上に腰を下ろしたグーデリアンの膝の上には、見事なボディラインを誇るブロンド美女が乗っていた。彼女の細い腰に太い腕を巻き付けながら、グーデリアンは忙しく立ち回っているスタッフたちをぼんやりと眺めていた。
「ふわ〜あ。たりぃなあ。どうせマシンテストったって調整に一時間はかかるんだから、ドライバーであるオレは一時間後に来ても同じでしょ?それをハイネルのヤツがムリヤリ『貴様、ミーティングに一秒でも遅れたら今日の昼飯は抜きだぞ!』ときたもんだ。ひでぇよなぁ」
「ジャッキー、かわいそう」
「ん〜ブレンダちゃん、わかってくれるぅ?今のオレを救えるのはキミだけだよ、子猫ちゃん」
「ふふ。あたしがなぐさめてあげる。どうしてほしい?」
身を半ばひねるようにしてグーデリアンの首に手を回した彼女は、思わせぶりな甘い声を出した。グロスののった唇が笑みの形に引き上げられている。気の抜けたような顔をしていたグーデリアンも、彼女と目があうと無敵のハリウッド(的)・スマイルを見せた。
「キミのその柔らかな胸に抱かれれば、どんな男も癒されるぜ。オレを癒してくれるかい?」
「もちろんよジャッキー。来て!」
「サンキューブレンダ。オレの苦悩をわかってくれるのはキミだけだ。柔らかなこの感触がまた・・・柔らか・・・柔らか・・・くない!なんだよ!」
「お嬢さん、お取り込み中済まないが、私はこの男に用があるので少し借りていく」
「あん!ジャッキー!」
「あたた!ハイネルてめぇ!オレは犬ネコじゃねえぞ!」
「しつけをすれば飼い主の言うことをきちんと聞く分、犬猫の方がまだマシだ!」
突然自分を襲った痛みに思わずグーデリアンは腰を浮かせ、その拍子に彼の膝にのっていた女性も驚いて彼から飛びのいた。グーデリアンの背後では涼しい顔をしたハイネルが容赦なく彼の襟首を後ろからつかみあげている。
たくましく鍛え上げられた肉体をもつグーデリアンよりも一回り以上細身にできているにもかかわらず、ハイネルはこともなげに相手の襟首をつかんだまま歩き出した。長めの髪もいっしょに引っ張られているらしく、グーデリアンは本気で痛がっているようだが、ハイネルに気にした様子はない。
「どこ行くんだよ、ハイネル」
もはや体の自由を奪い返すことは諦めたのか、グーデリアンは襟をつかまれているせいで首をすくめたままの体制で隣のハイネルに聞いた。長い裾の監督服に身を包み、片手にグーデリアンの襟をつかんでカツカツと高い音をたてながら歩いているハイネルはまるで実験動物を搬送している研究者のようだ。
彼らを見送るスタッフたちの目には、もはや「またか」くらいの感情しか浮かんでいなかった。