音のない言葉

 レースシーズンを無事終え、CF界はストーブリーグに突入しつつある。でも、監督以下仕事熱心なことこの上ない(エースドライバー除く)我がシュトルムツェンダーはクリスマス休暇に入る直前までマシンテストを繰り返す。
 広報担当の僕は(もちろん若輩者なので下っ端もいいところだ)もちろん直接レース関連の仕事に携わることはないけど、ハイネルさんはレース界だけではなくビジネス界でも名の通った人なので仕事は忙しいことこの上ない。今日はピットでグーデリアンさんのマシンテストを確認した後ビジネス雑誌のインタビューを受ける予定のハイネルさんについてあるくのが僕の仕事だ。 

 そのハイネルさんの様子が昨日からおかしい。肉体的変調ではなく、精神的な意味で。今日もハイネルさんがピット入りするなり、ドライバーであるグーデリアンさんと一悶着があった。
 
「お前さ、また目の下にクマ作ってんのかよ。スケジュールがタイトすぎなんじゃない?もうちょっと余裕をみて組み換えようぜ。ついでにオレのトレーニングスケジュールも。人間よゆーが大切よ」

 ちなみにグーデリアンさんはこの時、少なくとも3メートルはハイネルさんから離れていた。脅威的な視力だ。(後からそうグーデリアンさんに言ったら『脅威的な愛だ』と言い返された)

「私が目の下にクマを作ろうが何をしようが、仕事には支障ないだろう。ほっといてもらおうか」

「支障?あるある。ありまくりでしょー?そーんなクマ作ってたら、ユーのファンのおじさま連中をたらしこめなくなっちゃう。スポンサーが減ったら大変でしょうが。あ、やつれてた方が色っぽくてかえっていいのか?」

「トレーナー!こいつのトレーニング時間を1.5倍にしてやれ!」

「あ、てめえ。人が心配してやればそういうこと言うのかよ!」

「何が心配だ!貴様が心配すべきはオノレの体重変動だ!私のことは構うな!」

「ああそうかよ!わかったぜ!」

「ああそうだ!わかったな!」

 ・・・・・。とまあ終始こんな具合だ。
 彼らがケンカするのなんて日常茶飯事だと言われればもちろんその通りなんだけど、そのケンカは深刻なものではけしてなくて、どこか余裕が感じられる。子供の兄弟ゲンカみたいなものだ、・・・と言ったらハイネルさんは怒るだろうけど。
 それが、昨日あたりからどうも様子が妙なのだった。グーデリアンさんはそれほど普段と変わったところがないようにも見えるけど、それにしてもハイネルさんの表情に精彩がない。
 ああ、疲れてるんだろうな、と僕は思った。僕にそれを気取られるくらいだから、かなり疲労がたまっているのだろう。ハイネルさんは仕事を愛していてどんなに多忙でもいつも颯爽としているし、滅多なことでは僕たちチームスタッフに疲れをみせるような人じゃない。
 もちろん、僕たちは常に彼がワーバーワーク気味なところを心配しているが、仕事量に関してはどんなに僕たちがご自分の負担を減らして下さいと言ったところで聞いてくれる人ではないので、必然的にその役目を担うのはグーデリアンさんかリサちゃんということになる。リサちゃんは一週間ほどベルリンの本宅に戻っているので、残っているのはグーデリアンさんだ。
 でも、A sound mind in a sound bodyの言葉通り、肉体的に余裕がない時は精神的にも余裕を失する。
 新しく届いたマシンデバイスとシュピーゲルの相性があまりよくないのか、三日前から始まったマシンテストの成果は芳しくなかった。このマシンテストは一週間を予定していて、その後ハイネルさんはマシンテストの結果を携えて来期のチーム予算の割り当てに関する一次会議に出席することになっている。
 つまり、このテストは来期のシュトルムツェンダーにとって重大な意味を持っているということだ。
 ハイネルさんがピリピリとするのも分からないでもなかったし、その経過が思わしくないということで、なんとなくピット全体も沈みがちだった。何といってもこのテストの結果が来期のチームの行く末を決める一端となることは間違いないのだ。
 グーデリアンさんが元気なのが救いだったけれど、でも、タフで明るくて男っぽいこの人のことを、僕も少しだけ理解できるようになったと思う。一般的にクールだと思われているハイネルさんよりもある意味ではポーカーフェイスに長けているグーデリアンさんだけど、僕の目から見て、彼も少し心配しているようだった。でもそれはマシンテストがうまくいっていないからじゃない。

 彼が心を砕いているのは、思い通りにいかないドライビングのことなんかじゃない。


「なあハイネル。お前ホントに少しは休めよ。少なくともマシンテストを見に来る必要はないだろ?データだけチーフにいって送らせればいいじゃないか」

「どこかの誰かがちょっと目を離すとすぐさぼるから心配でな。余計な心労をかけられてまったく迷惑している」

「またまた。ホントはオレといたいんでしょ?その気持ちはうれしいぜ。でもわかってくれ。お前が倒れでもしたらオレは息もできないんだよハニー」

「ふん、誰が倒れたりするか。せっかくだからお前が息もできないくらいにテストランを増やしてやろう。チーフ!」

「あっハイネルお前、ホントに人の好意を無にするのが好きなヤツだな!」

 僕らは二人のこんなやりとりを目にして、威勢のいいやりとりに少しだけほっとし、それと同時にやっぱり顔色の悪いハイネルさんの体調を思って心を暗くした。
 本当なら手が出ていてもおかしくないはずのやりとりだったのに、グーデリアンさんはけしてそうはしなかった。それはつまり、そういうことなのだろう。
 ハイネルさんが執務中に倒れたと連絡が入ったのは、そのわずか2日後のことだった。





 原因は過労。加えて栄養失調。グーデリアンさんと並んで我がチームのムードメーカーであるリサちゃんはその報にドイツから飛んできて、飽食のこの時代にそんな診断されて恥ずかしくないの!?とさんざん兄であるハイネルさんのことを責めたてていた。
 ハイネルさんが過労で倒れたのはこれが初めてではない。実に1ヶ月で二度も倒れてしまったことさえある。それでも、よくあることだからと言って慣れてしまえるかと聞かれればそれはまた別の問題だ。

 社に電話を入れるために席を外してから戻ってくる途中、偶然通りかかった僕は目にしてしまった。いつも明るく屈託のない笑みを浮かべているリサちゃんが、ドアにもたれかかってうつむいているのを。彼女は廊下の隅に僕の姿を見かけるとすぐににっこりと笑いかけてくれたけど、ブルーグリーンの大きな瞳がわずかに潤んでいた。

「お兄ちゃんね、」

「うん。ハイネルさんが?」

「点滴受けてて、目が覚めた時に最初に何て言ったと思う?『私の目が届いていないからと言ってグーデリアンはさぼってないだろうな』よ。イヤになっちゃうよね!」

 そういうリサちゃんは困ったような笑みを浮かべていた。兄をたしなめるような言動をすることも多い彼女だが、彼女がそんなお兄さんを心から愛しているのはよくわかっている。彼女はきっと、兄であるハイネルさんのそういう部分を全て含めて彼のことが好きなのだろう。
 僕は曖昧な笑いをかえすことしかできなかった。
 ハイネルさんの印象はよく斬れる細身の剣だ。グーデリアンさんのように筋骨逞しいタイプではないが、それでも脆弱な印象は微塵も与えない。
 でも、点滴のチューブにつながれた腕はとても白く細くて、透けている青い血管がなんだか痛々しかった。
 
 ハイネルさんが眠っていた時に見たそんな光景を脳裏に思い描きながらノックを三回。
 返答を待ってから静かに病室に入ると、ハイネルさんは既に半身を起こしていた。ベッドの隣のテーブルにはどこから持ちこんだのかノートPC。手にはピットから送られてきたのであろうデータの束。でも、左手からは変わらずに点滴のチューブが伸びている。何というか・・・シュールな光景だ。
 僕はその光景を目にして感嘆すると同時に、正直言って半ば呆れてもいた。平均就労時間が世界的に短いことで知られるドイツ人とは思えない見事なワーカホリックぶりだ。

「ハイネルさん!休んで下さい!」

「ああ、手をかけさせてすまない。だが私なら大丈夫だし、ドクターにも許可は得ている。大体、みんな大げさなんだ。倒れたと言ってもちょっとふらついただけで、大したことは・・・」

「あるに決まってるじゃないですか」

「・・・そうだな。私がこうなってしまったことでみんなに迷惑がかかるのは確実だ。すまない」

 僕のような立場がずっと下の者に対しても、こんな風に率直な言葉をかけてくれるのはハイネルさんの美点だ。でも、まっすぐ謝られてしまうとそれ以上相手を責めることはできなくなってしまう。
 データを頭に入れようとするのなんてやめて寝て下さいと言いたかったが、言えなかった。リサちゃんがいてさえこの状態なのだから、きっと僕が言ったところで聞き入れてはもらえないだろう。



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