しばらくすると、キーボードを走っていたハイネルの指の動きが止まった。何らかの情報が得られたのだと判断したグーデリアンが聞く。

「ハイネル、何の花か分かったか?」

「ああ・・・ゴールデンロッドというらしい。だが、花言葉を調べているがまだ分からないのだ。それほど有名な花というわけでもないから、調べるのは難しいかもしれない」

「ゴールデンロッド?」

 花の名に反応を見せたグーデリアンに気づき、ハイネルはPCの画面から顔をあげた。どうかしたのかと聞いてもグーデリアンは何でもないと返すだけである。

「ただ、ちょっと頭の隅にひっかかるものがあったんだよ。バラの花にゴールデンロッドの組み合わせ・・・何か・・・くそっ、思い出せねえ」

「大方、その花にまつわる女性の思い出でもあるんだろう。数が多すぎて思い出せないと見える」

「あれ?妬いてんの?」

「誰がっ!」


 頬を少し赤くして怒ったように顔をそむけてしまったハイネルを優しい顔で見つめていたグーデリアンは、再び表情を引き締めて思いの海に沈んだ。
 バラとゴールデンロッドの組み合わせ。何かとても単純で、かつ気づきにくい謎かけがそこに込められているような気がする。


「花言葉ではないのかもしれないな。何か別の暗喩か、あるいはもっと直接的に何かを指しているのかもしれない。例えば、この植物が咲いていた場所で私たちを見かけた・・・バラはともかく、ゴールデンロッドは見た覚えがないから、この線は厳しいかもしれないが」

「花言葉じゃない・・・そうかもしれない。何だろうなぁ、なんっかひっかかってるんだけど思い出せないんだよ。なんだろう・・・なんだかすごく単純なことのような気がするんだけど」

「それは、お前個人に関わることなのか?それとも、花言葉のように一般的なものを指すのか?」

「分からない。けど・・・」 


 グーデリアンは一時青い目を半ば伏せたが、思い切ったように顔をあげてハイネルを見た。


「なぁ、オレ、知り合いの記者に相談してみるよ。お前も知ってると思うんだけどさ、トム・クランシーっていうヤツ」

「レース専門記者の?」

「ああ。あいつ、実はオレの昔っからの知り合いなんだ。ジュニアハイが同じで、特に親しいわけでもなかったんだけど。ヤツなら同郷だから今の時期ならアメリカにいると思うし、口も固いから」

 
 ハイネルは何も言わず、ただ緑の瞳でグーデリアンを見つめた。
 人一倍自分たちの関係を人に知られることを恐れているハイネルにとって、これ以上の人々に知られるのは避けたいのだろうし、ましてこちらから知らせることなど考えられないのだろう。
 だが、表情を強張らせたハイネルの緊張を解きほぐそうとでもいうのか、グーデリアンは努めて明るい口調と表情を浮かべて言った。


「詳しい内容を説明するのはなるべく避けるよ。
うまくやるからさ。まあ見てろって」


 そう言うやいなや、取り出した携帯でさっさと電話をかけ始めてしまう。こういう時強引に出たグーデリアンを止めることは自分ではできないのがハイネルにはよくわかっていたので、彼は息を呑んでその様子を見守っていた。
 すぐに相手が出たらしく、ハロー、という声が聞こえる。
 グーデリアンと同郷だからというわけでもないのだろうが、トム・クランシーも明るく大きな声で話す男だ。彼はどちらかと言うとメーカー関係へのインタビューを主に行っている記者なのでハイネル自身は余り彼とは面識がなかったが、その闊達な話し方は印象的だったのでよく覚えている。
少し離れた場所にいるハイネルからも、相手が話している様子はよくわかった。

 グーデリアンは手短かに、最近自分の熱烈なファンらしい人間のストーカー的行為に困っているので手を貸してもらえないかとの旨を説明している。
 こんな時のグーデリアンの臨機応変な器用さには特筆すべきものがある。とっさの口のうまさは自分ではとても叶わないな、とハイネルは半ば感心しながらその様子を見守っていた。
 一通り説明がすむと、トムが電話の向こうで驚いたように息を呑んだ気配がした。グーデリアンはさらに言葉を紡いでいく。


「・・・・だからさ、トムにちょっと力を貸してもらえねえかな、と思って。さりげなく調査して、あの日オレんとこのモーターホームに近づけた人間を絞ってもらえるとありがたいんだ」

『ジャッキー、そろそろお前から連絡が来るんじゃないかとは思ってたんだが・・・お前は、・・・・お前は、オレに調査をさせる目的で電話をかけてきたんだな。そうなんだな?』


 電話の声は固く尖っていた。緊張しているのがありありとわかる声音だ。責任の重さを感じているのかもしれないな、などと思いながらグーデリアンは相槌を打った。


「そうだよ。そう言ってるだろ。オレにできることなら何らかの形で礼はするし。だからさ、トム・・・」


『あ!ちょ、ちょっと待ってくれ、今仕事用の回線に電話が入ったようだ。すぐ戻るからそのまま待っててくれ!』



 慌ただしい一方的なセリフの後、トムがバタバタしているらしい物音が聞こえてきた。やけに焦っているらしく、かなり賑やかな様子だった。

 いつも通りの明るい声で話してはいたものの、やはり緊張していたらしいグーデリアンが、会話が一時途切れたことで小さく息をつく。
 それから同じように緊張した面持ちでことの成り行きを見守っていたハイネルの方を見て、彼はいたずらっぽい仕草で肩をすくめてみせた。
 携帯の向こうからは、かすかに懐かしい音律が流れ込んでいる。


「トムのヤツ、待たせてる間のメロディーが『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』だぜ?愛国精神・・・じゃないな、この場合なんて言うのかな。とにかくトムのヤツはオレ以上かもって思うくらいにアメリカとかケンタッキーを愛しちゃっててさ。昔っからよくこの歌を口ずさんでたよ。・・・・・・!」

「ああ、お前と同郷ということは、彼もケンタッキー出身なんだな。・・・・グーデリアン?どうしたんだ?グーデリアン?」

「『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』・・・・・」


 突然グーデリアンが腰掛けていたソファから立ち上がった拍子に、テーブルの上の携帯が床に落ちた。
 フローリングの床にあたってカタン、とそれが固い音をたてたと同時にトムが電話に戻ったらしく、流れていた音楽がピタリと止まった。
 代わってトムのハロー?という呼びかけが聞こえてくる。


    ハロー?ハロー?ジャッキー、どうしたんだ?


 グーデリアンは立ったままの姿勢で落ちた携帯を拾い、ゆっくりと耳にあてた。ハイネルの位置からでもグーデリアンの青い瞳に滅多に見られない色が浮かんでいるのがわかる。

 グーデリアンという男は元々感情が豊かな人間で、真っ青な瞳も彼の表情のようにくるくると色を変えた。生き生きと彼の心情を伝えてくるブルーアイズは、どんな人間をも惹きつける力に満ちている。


 だが、今のグーデリアンの目は、ハイネルが見たこともないような色を宿していた。無言で携帯電話を耳に押し当てたまま、底の見えない深みをたたえた青い目がどこか遠くを泳いでいる。


      ハロー、ハロー。ジャッキー、いないのか?


 電波の向こうでは今もなおトムが空しい問いかけを繰り返している。
 そろそろ相手に電話を切られてしまうのではないかとハイネルが危惧しはじめた頃に、グーデリアンは彼の方を見ず一気に口を開いた。


「トム」

『なんだよジャッキー』

「・・・お前だよな?あのカードを出してきたの。なんであんなことをしたんだ?何が目的で?お前はオレに、・・・オレとハイネルに何をさせたいんだ?何がしたいんだ?」


 ハイネルはもちろん、電波を通してつながっている相手も瞬間呼吸を忘れていた。
 胸を圧迫するような重苦しい沈黙がその場を支配する。
 だが、一拍の沈黙の後にかえってきたのは、トムの落ちついた声だった。


『ジャッキー。お前はアメリカに戻ってるって言ってたよな。よかったら住所を教えてくれないか。オレも今実家に戻っているから、近い場所ならこちらから出向く。・・・・話したいことがあるんだ』

「いいぜ。メモを用意しろよ。今こっちのアドレスを言うから」


 グーデリアンはその提案を受け入れ、手早く住所を彼に説明した。

 ハイネルはただ一人現実に置いていかれ、ただ呆然としてそのやりとりを見守っている。一体何が起こっているのか彼には理解できていなかった。
 もどかしい思いで電話が切られるのを待ち、聞きたかった質問をグーデリアンにぶつける。


「私たちにあのカードを送ってきたのはトム・クランシーだったのか?」

「そうだよハイネル。・・・オレ、もっと早く気づけたはずだったのに・・・」

「あの花は?あの花に何か特別な意味があるのか?」


 そう聞けば、グーデリアンは少し苦い笑みを浮かべた。

「ハイネルじゃわかんなかったと思うよ。ゴールデンロッドってさ、ケンタッキーの州花なんだよ。バラはアメリカの国花だしね。多分、トムはオレが気づくまでどんどんヒントを出していくつもりだったんじゃないかな・・・例えば次はブルーベリー。オレの通ってたジュニアハイ、サマースクールで必ずブルーベリーのピッキングがあったんだ」


 種明かしをされてしまえば、本当に簡単な謎かけではあった。

 グーデリアンは疲れたようにソファに腰を沈めている。それほど仲がいい知り合いというわけでもなかったようだが、それでも自分の昔からの知り合いが差し出し人だと知って、多少なりとも落ちこむところがあるのだろう。


 深く腰を沈めてまぶたを閉じると、額に暖かな感触を得た。
 ハイネルだ。
 ハイネルがその白く長い指で、グーデリアンの金色の髪を優しい仕草でかきあげている。


「まだ話もしてないじゃないか、グーデリアン」

 
 声は優しく、子どもを諭す母親のようでもあった。グーデリアンは目を閉じたまま、柔らかな指の感触と声を自分の内に受け入れている。


「お前がショックを受けるのもわかるが、話を聞かないうちから落ちこむのはお前らしくない。そうだろう?」

「・・・・ハイネル」


 言われた言葉に、グーデリアンはゆっくりと目をあけた。すぐ近くまで顔を寄せてこちらをのぞき込んでいたハイネルは、ただわずかに口元に笑みを浮かべただけで何も言わなかった。

 彼の緑の目には、隠しようもない不安と焦燥がにじんでいる。端正だがそれ故にかえって黙っていると人形のような印象を与えがちなハイネルの顔の中で、瞳だけはどんな時も彼の心情を余さず伝えてくることをグーデリアンは知っていた。

 なぐさめの言葉をかけてきてくれてはいるものの、ハイネルは恐らく楽観視など少しもしていないだろう。彼にはいつも最悪の場面をあらかじめ想定し、それに対する心構えを為しているようなところがある。

 それでも、今この時だけは自分の不安を少しでも取り除こうとしてハイネルが不器用な優しさを見せてくれていることをグーデリアンはきちんと理解していた。

 ハイネルの優しさはいつもこんな風に不器用だが、それだけにウソがなくまっすぐ届く。

 そんなハイネルをグーデリアンは引き寄せ、腕の中に抱きしめた。
 ちょっと照れたような声で、ハイネルはお前がしおらしくしてると気持ちが悪いからよせ、と言葉だけを取れば甚だ失礼なことを言った。が、もちろんグーデリアンは気にせずに抱きしめた腕に力をこめる。

 体温が高めのグーデリアンとは対照的に、外見の印象をそのまま映したかのようにハイネルの体温は低めだ。それでも、抱きしめればきちんとぬくもりは伝わった。
 予想外に強い力で抱きしめられたハイネルが腕の中でみじろぐ気配がする。

 だが、グーデリアンは腕の力を緩めず、彼の肩口に頭を預けた。小さなため息の後、包みこむようにハイネルの手がグーデリアンの背中に回される。
 
 心地よい沈黙と触れあっている体の感触。
 服を通して伝わるお互いのほのかな体温が心まで温めてくれるような気がする。

 彼らはずいぶん長い間、そのままの姿勢で抱き合っていた。








 トム・クランシーが彼らの元に訪れたのは翌日のことだった。幸い隣の州にいたため、移動もそれほど手間ではなかったようだ。

 玄関に立っているトムを、グーデリアンは無言で見下ろした。

 痩せて背が高く、ともすれば脆弱な印象を与える男だ。だが、記者には多くあることだが灰色がかった暗緑色をした瞳は、油断のならない知性の輝きをその奥に宿している。
 艶のないパサついた前髪は長めで、そのせいで顔に影が落ちており、トムよりも更に長身のグーデリアンからは見下ろしていても表情はよくうかがえない。
 ただ、以前よりもさらに顔色がよくないのはわかった。それが多忙を極める記者としての生活のせいなのか、或いは今回の一件が絡んでいるのかは分からない。
 だが、少なくとも外見のみから判断すれば、それほどトムは緊張していないようだ。まとっている雰囲気はごく静かで、常よりもわずかに落ちついているだろうかと思われる程度である。


「久しぶりだな」

 自分でも驚くほどの平静な声がグーデリアンの唇から流れ出た。
 トムは目をあげ、わずかに微笑んだ。よう、と手をあげる。


「ハイネルは別室にいる。あいつ、やたらと度胸あるかと思ったら信じられないくらい神経質だったりするからな。とりあえず話の様子をみようと思ってね」


 グーデリアンがそう言いながらリビングに向かうと、トムは特に口を挟むこともなく従順に後をついてきて部屋に足を踏み入れた。

 



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