グーデリアンの実家から二通目となる手紙が転送されてきたのは、グーデリアンとハイネルが休暇に入ってから二日目のことだった。時間的に考えて、犯人(と表現するのは語弊があるかもしれないが)は一通目の手紙を出してからすぐに次の行動を起こしたと考えるのが普通だ。
差し出し人は前回のサーキットから手紙を出している。恐らく自分の身柄を特定されるのを避けるためにそこを選んだのだろう。少なくともある程度の知恵はあり、サーキット関連の人間であることだけはそこからわかる。
今度の手紙も内容は極めて簡潔かつ意図の見えないものだった。『私に気付いて』というような文面がしたためられていただけである。使用言語はやはり英語なので、文面からは男性か女性かの区別もつかない。
だが、前回とは違う点もあった。前回使われていたバラの香りがしたカードではなく、今度のカードには別の花らしきものが描かれている。小さい図柄なのでハッキリとはわからないが、金色の房らしきものがついたかわいらしい花だ。
「情報が少なすぎる。ここから差し出し人を割り出すのは困難だろうな・・・」
休暇を過ごしているグーデリアンの持ち家のソファに座ってカードを手にしていたハイネルが、すぐ近くにいるグーデリアンに聞かせる風でもなくつぶやいた。
彼の意見にまったく同感であるグーデリアンは、ただ肩をすくめてみせる。実際、今の時点では手の打ちようがなかった。
グーデリアンとハイネルが休暇を利用して動き回ることのできる期限は残り五日間である。
その間に手紙の差し出し人を特定し、さらに接触をはかって相手の目的や要求を探るのは至難のわざのように思えた。
レーサー、スポンサー、記者、メカニック・・・。
モーターホーム近くまで足を運ぶことのできる人間は無数にいる。
そして、使用されていた言語が英語である以上、言語から人物を絞り出すのは難しいだろう。CFにたずさわっている人間で英語をまったく解さない人間などいるはずがない。
不特定多数の容疑者がいる上、こちらとしてはあまり派手な手段を取るわけにはいかなかった。ハイネルの立場や心情を考慮するとそうせざるを得ないのである。
道徳的な観念からなのか、あるいは単に巨大企業の社長令息である自分の立場を慮っているからなのかは判じがたかったが、ハイネルがグーデリアンとの関係を周囲に知られることを極端に恐れているのは明らかだった。
同性愛が広く認められるようになってきているとは言え、戒律の厳しいカソリックでは未だに禁忌の感が強い。 あるいは古い思想や体質からなかなか脱却できないヨーロッパ社交界の規律に縛られているのかもしれない。
その理由が何であれ、グーデリアンとはまったく違った次元でハイネルは自分たちの関係を恐れている。
何か思いを巡らせているのだろう。ハイネルは白い指で白いカードの表面を何度かなぞるような仕草を見せていた。グーデリアンはその横顔を見つめている。
表情の見えないフランツ・ハイネルは、顔立ちの端正さが強調される分人間味が薄い印象を見るものに与えた。
グーデリアンは本当の彼が人一倍情熱的で、己の信念を貫きとおす強い意志を持つ人間だということを知っている。
だが、彼が倫理や道徳に強く左右されているのも確かだ。生真面目で自分を律することに長けているのは彼の長所でもあるが、それと同時に彼を自縄自縛している。
ハイネルの立場を思って決してそこに触れることはなかったが、グーデリアンが内心で『自分たちはそんなに悪いことをしてるのか?』と彼を問い詰めたい衝動に駆られたことも一度や二度ではない。
・・・・自分たちは、他の人間に指を指されて非難されねばならぬほど悪いことをしているのだろうか?
「・・・から。グーデリアン。グーデリアン、聞いてるのか?」
珍しく物思いに沈んでいたグーデリアンは、いつの間にかこちらを向いていたハイネルに名を呼ばれて我にかえった。
滅多に見ないその表情を不審に思ったのだろう。いぶかしげな表情を浮かべているハイネルを安心させるように気安い笑みを見せる。
「わりぃ。ちょっとボーッとしてたんだ。で、何だって?」
「モーターホームの方まで来られるということは、少なくともレースに何らかの形で携わっている人間だろう。それならば公式に発表されている連絡先をたどって、私達のうちのどちらかに接触を持ってもおかしくない。なのに何の連絡も寄こさないのは不思議だと思わないか?こんな意図の曖昧なカードを送ってくるだけだなんて、余計に気味が悪い」
「オレたちのことを知ってるぞって言いたかっただけなんじゃないのか?ちょっと脅かしたかっただけでさ。だからどうこうしようっていう所までは考えてないのかもしれないぜ。お前が思ってるより事態は深刻じゃないんじゃないのかな」
半ば本気、半ば願望を込めての発言だったのだが、ハイネルはその意見に心を打たれてはくれなかったようだ。
考えこむ時のクセであごに手をあて、しばらくの間考えを巡らせていたらしい彼はやがて再び口を開いた。
「前回も今回も花が何らかの形であしらわれているな。前回はバラの香り。今回のこの花・・・。花と言えば単純に思いつくのは花言葉だな。グーデリアン、貴様のことだから女性が好みそうな花言葉くらい知ってるんだろう?」
「そりゃ多少は知ってるけど、一口にバラの花って言ったって、色によってそれぞれ言葉が違うだろ。種類によっても違うみたいだし・・・いくらオレでもわかんないぜ」
「お前ならせいぜい『赤いバラの花言葉は熱烈な愛だぜ、ベイビー』くらいのことしか言えないだろうしな」
「あっ。そういうこという?じゃあお前のオレに対する失礼な印象をぬぐうためにも、愛するお前にこれから毎日違う花束を贈るよ。もちろん花言葉を添えてね」
「謹んで遠慮させてもらう!」
即座にハイネルから却下はくらったものの、彼の白い頬がわずかに上気しているのは恐らく照れも含まれているのだろう。
それに、怒っている時のハイネルの緑の瞳はキラキラしていてとてもキレイだ。ここのところ沈んだ表情を見ることが多かっただけに、グーデリアンも久しぶりに彼の生き生きとした顔を見ることができてうれしくなってしまった。
手を伸ばし、大きな手でハイネルの頬を包みこむ。わずかに、・・・本当にかすかにハイネルがたじろぐ気配があったが、グーデリアンが顔を寄せても彼は拒もうとしなかった。
額、こめかみ、目尻、鼻の頭、頬、そして唇へとキスを落としていく。
何度か軽くついばむようなキスを繰り返した後ハイネルの体を抱きしめると、彼もためらいがちに腕を回して唇を開いてきた。
丁寧に舌を絡め、何度もなめらかな頬や背中を優しくなでる。
そう言われたことはなかったが、ハイネルが自分に触れられるのが好きなことをグーデリアンは知っていた。猫のように色合いの変わるグリーンの瞳が、グーデリアンに触れられている時には心地よさと安堵に細められるのをハイネル本人はきっと知らないだろう。
「なぁ、あんまり深刻になりすぎるなよ、ハイネル」
まだ息さえもかかりそうな距離で、安心させるように彼ハイネルの首筋を優しくなでながらグーデリアンは言った。
こんな時、グーデリアンの青い瞳はとても深くて柔らかな色を浮かべている。空のようでもあり海のようでもある、とても不思議で心を惹かれる色だった。
その青さに吸いこまれそうな思いを味わいながら、ハイネルはただ恋人の顔を見つめる。
やはり少し緊張したような面持ちでいるその整った顔のまなじりにキスを落とすと、努めて明るい声を出してグーデリアンは言葉をついだ。
「自分の名も明かさずに相手を不安にさせるような手紙を送りつけるなんて、卑怯なヤツのすることだとは思わないか?」
「・・・そうだな」
「ハイネル、卑怯なヤツはキライだろ?」
「もちろんだ」
「こいつはオレたちのことを知ってる、自分はオレたちの近くにいる・・・そう言ってるだけだろ?オレたちにどうして欲しいとか自分はこうするとか、そういったことは何も言ってきてない」
そこまでグーデリアンが口にした時、ハイネルがわずかに興味をひかれたような顔をした。恐らくグーデリアン以外の人間では気付けないほどの変化ではあったが、グーデリアンにはそれで十分だった。
「なぁ。こいつの一番の目的は、オレたちを不安がらせることじゃないのかな。差し出し人もわからない、目的もわからないんじゃ、こっちとしては必要以上に思い悩んであれこれ悪い想像をすることになるじゃないか」
「そうだな。だが・・・・」
「だからさ!もちろん差し出し人はつきとめなきゃならないだろうけど、相手が何も言ってきてないのにムダに心配すんのはやめようぜ!ハイネル、卑怯なヤツはキライだって言ったろ?お前がそんなに不安がってたらヤツを喜ばせることになるんだぜ。そんなの腹たつじゃねぇか。キライなヤツをわざわざ喜ばせてやってどうすんだよ。オレがついてんだからもっとドーンと構えてろよ!すぐこのオレ様が白色の脳細胞でこんな事件解決してやるからな!」
「それを言うなら灰色だろう」
「オレはホームズより探偵としての格が上なんだよ!」
「エルキュール・ポワロだ」
澄ました顔で間違いを指摘した後、ハイネルはふっと口元をやわらげた。
自分から腕を伸ばし、グーデリアンに抱きつく。二人ともソファに座ったままなので少し不自由な体制だったが、それでも構わなかった。
すぐに自分の何倍もの強さで抱きしめ返され、ハイネルはグーデリアンのたくましい胸に頬を預けたまま瞳を閉じた。
「ありがとう。・・・私を励ますために、わざとバカなことを言ったんだろう?」
「ハイネル・・・・」
「・・・・と、一瞬思ったのだが、貴様のことだから本気で間違えただけなんだろうな、やっぱり」
「しっつれいだよなー、お前。相変わらず」
グーデリアンはそう言ったが、口調は優しく笑いを含んでいた。
「ハイネル、できることからやってみようぜ。このカードの花が何なのか、PC使って調べてみてくれよ」
「わかった」
ハイネルは承諾し、さっそくPCへと向かった。すぐになめらかなキータッチの音が響き始める。
少し考え、グーデリアンは信頼でき、かつ役に立ちそうな人間を思い描くことにした。
黙ってやられっぱなしでいるのは彼の性には合わない。それに、これは全くのグーデリアンのカンだったが、差し出し人は自分が誰であるかを早く見抜いて欲しがっているように感じられるのだった。
こういう時の彼のカンはよく当たる。
そして、差し出し人がそれを望んでいる以上、遠からず自分たちは相手が誰であるかを突き止めるのだろうな、とグーデリアンは確信にも似た予感を得ていたのだった。