兄の恋人


 ドイツにあるハイネルの持ち家の一つを彼女が訪れたのは、レースの合間に取れた2週間ほどのオフ期間のことだった。

「こんにちはーっ!お兄ちゃん、グーデリアンさん。1週間よろしくお願いします!」

 明るく言って玄関に立っているのはリサ・ハイネル。説明するまでもないが、彼女はCFチーム、シュトルムツェンダーを率いる若き監督フランツ・ハイネルの愛妹である。
 元気なあいさつに先に反応したのはグーデリアンの方だった。得意のハリウッドスマイルを惜しげもなく披露して彼女を迎える彼は上機嫌だ。


「こちらこそ、キュートなガールは大歓迎さ。ま、自分の家だと思ってゆっくりしていくといいよ」

「グーデリアン。貴様、自分の家でもないのに勝手なことを言うな!」

「あれ?ならハイネルは、せっかくリサちゃんが遊びに来てくれたって言うのにくつろいでもらえなくてもいいんだ。ふーん、そう。リサちゃん、聞いた?ひっどい兄貴だよねえ」

「そっ、そんなことは言ってないだろう!!」

 
 あっという間に始まってしまったグーデリアンとハイネルの言い合いにも、さすがにリサは慣れている。

「はいはい。でかい男が二人も道ふさいでたらジャマ。どいてどいて!」

 全く動じずに玄関口に立って自分を出迎えている二人の間に割って入ったリサは、通りすがりにそれぞれの手に自分の手荷物を渡すことも忘れなかった。さすがの一言である。

「お兄ちゃんたちの仲がいーのは分かってるからそのヘンにしといて。暑っ苦しいったらないんだから!私、疲れてるから今日はもう休ませてもらうね。二階の客間を使っていいのよね?お兄ちゃん」

「あ、ああ。もう用意はできているから、バスを使ってゆっくりするといい。明日朝食ができたら起こしてやるから」

「ありがと。そうそう、その荷物はドアの前にでも置いといて!とりあえず着替えは持ってるから」


 勝手知ったる何とやらで、リサはそう言い残すとあっという間に階段をかけあがっていった。相変わらず闊達で明るいことこの上ない少女である。
 一陣の嵐のようなありさまに、残された二人は思わず顔を見合わせていた。


「・・・いっつも思うんだけどさ、リサちゃんってお前の妹とは思えないよな、性格的に」

「昔からよく言われてる」


 苦笑混じりにグーデリアンの言葉に答えを返し、ハイネルはもう姿の見えない彼女の姿を追うかのように二階に目を向けた。困ったヤツだと口では言いつつも、いつもは怜悧にして知的な光を浮かべている緑の瞳が今は優しく和んでいた。彼は巷から『シスコン』とのレッテルを貼られているが、グーデリアンとしても全く異存はない。
 フランツ・ハイネルはあの年の離れた、自分とは全く性格の違う妹を溺愛しているのである。




「ま、リサちゃんも相変わらず元気そうで何よりだよ。ヘタしたらオレの妹より元気かも、って思うもんな。ホント、ハイネルと同じ遺伝子持ってるとは信じがたいね」

 リサが早々に客室にこもってしまったために時間の空いた二人は、リビングに場所を移してお茶の時間としゃれこんでいた。リサは言葉通り本当に疲れていたらしく、彼女の部屋からはことりとも物音が聞こえてこない。
 ちなみに、グーデリアンとハイネルがこの家に一緒にいるのは、対外的には『ドイツのこの家はテストサーキットに近く、便がいいため同居』しているためだということになっている。もちろん丸きりの嘘だというわけではないが、この説明には大事な事実が抜けている。つまり、『グーデリアンとハイネルは恋人だから共に住んでいる』・・・という単純明快な事実が。

 だが、今回ハイネルは一大決心をしていた。
 リサの滞在は1週間。その間に自分たちの・・・つまりジャッキー・グーデリアンとフランツ・ハイネルの関係について彼女に告白するつもりなのである。


「で?いつ頃リサちゃんに切り出すつもりなんだよ、ハイネルは」

「そうだな・・・折りを見て言えそうなら話す。あまり長引かせない方がいいだろう。決心が鈍らないうちに・・・・」

 そう返事をしたハイネルは、緊張のためかカップを握っている手に力がこもっているようにも見える。そんな彼の様子を横目で眺めていたグーデリアンは、アメリカンらしい芝居がかったジェスチャーで肩をすくめてみせた。


「わざわざ言うことないと思うんだけどね、オレとしては。なんでまたリサちゃんにオレたちのこと宣言しようって思ったの?」

「わざわざ言うことはない?貴様、いつも『オレ隠し事ヘタだしめんどくさいし、ハイネルのこと本気で愛してるんだからいーじゃん。パーっと公表しちまおうぜ!!』とかなんとか言ってるではないか!それを・・・・」

 一気にヒートアップしかけたハイネルを、グーデリアンは苦笑いを浮かべて軽くいなした。
 
「だって相手がリサちゃんって言うとさ、こう・・・・・ま、いいや。で、なんでだよ?なんで宣言しようって思ったわけ?」

「そ、それは・・・・」

「それは?」


 カップを握るハイネルの手にますます力がこもる。グーデリアンが自分の手元に視線をあてているのに気がつくと、それをごまかすように慌ててハイネルはズレてもいないメガネのブリッジに手をやった。だが、それこそが落ちつかない時に彼が頻繁に見せるクセで、自分でもそのことを分かっているハイネルは苦虫をかみつぶしたような顔になる。

 いつの間にかグーデリアンがソファの上を移動し、自分のすぐ横に座って顔をのぞき込んできているのにさえ気がつかないほど動揺していたらしい彼は、いつの間にか下からのぞき込んだグーデリアンにいたずらっぽい青い目で見つめられていたことにさえ気がついてはいなかった。
 
 緑の目を見開くハイネルを見つめたまま、にっこりと一見邪気のない子供のような笑顔を見せてグーデリアンは言う。


「ハイネル。お前やっとオレのこと本気で考えてくれるようになったんだろ」

「な、なにを突然、バカなことを・・・」


 ますます焦ったハイネルが微妙にグーデリアンから体を離すべく横に移動したが、そんな密かな彼の努力をあっさり無視し、グーデリアンは大胆に間合いを詰めてくる。
 ほとんど互いの体温が伝わりそうな距離にまで近づいてきたグーデリアンは、ハイネルの真意をうかがうようにまっすぐ視線をあててきた。
 この青い目には弱い。
 全てを見透かすような色をたたえたブルーアイズは、瞬きもせずにハイネルの心を探っていた。

「お前、これまでは『これは何かの間違いだ!まだ引き返せる。まだ大丈夫だ!!』・・・とか自分に言い聞かせてオレと付き合ってたんだよな?だろ?リサちゃんとか家族に知られる前にオレと別れれば問題ないハズだ、とかなんとか考えちゃって」

「・・・・・」


 全く彼の言う通りだった。
 内心思ってきたことを言い当てられたハイネルには返す言葉がない。
 前々から感じていたことなのだが、グーデリアンという男は自分の思っていることが全て分かっているのではないかと勘繰りたくなる時がある。


「そうそう。オレ、ハイネルのことなら何でも分かっちゃうの。愛のチカラで」


 ・・・まただ。何と言い返してやろうかとハイネルが考えあぐねているうちに、勝手に彼は言葉をついだ。


「だから、お前が隠したがってきた気持ちも分かるんだ。そりゃそうだよな、お前堅いもん。オレみたいな男と恋人同士だなんて、感情はともかく理性はついてかないよな。お坊ちゃんとしての立場上のこともあるし」

「・・・・何が言いたい」

「あきらめろよ、って言いたいんだよ、オレは」

「は?」


 いきなり予想外の言葉がかえってきて、ハイネルが目を丸くすると、グーデリアンは子供っぽい表情で驚いている彼の鼻の頭に素早くキスをした。テーブルに片手をつき、もう片方の腕はハイネルの背中に回っている。


「お前はもうオレに心底イカれてて、今更引き返すことなんて到底ムリなんだからあきらめろって話。ま、ハイネルがリサちゃんに改めて宣言したいならいいんじゃないのか?自分でもそれを認めたってことなんだから」

「な、な、な、何を言う!そんなことはないぞ。私はいつだってお前となんか別れて・・・・」

「ムリムリ。諦めろって!」


 あっさりグーデリアンに言い切られ、むくむくとハイネルの中の反抗心が首をもたげてくる。元々ライバルだったせいか単に性格的な相性なのか、何年たっても二人の互いに対する対抗心は色褪せないようだった。
 もっとも、だからこそずっとこんな関係を築いていけるのかもしれなかったが。


「グーデリアン貴様、本当にイヤなヤツだな!貴様にうっとりしている世の女性たちは、ジャッキー・グーデリアンがこんなに意地の悪い男だなどということは知らずにいるに違いない。私が彼女たちに実態を教えてやったら、さぞかし幻滅するだろうな!」

「いいよそれでも。女の子みんなにフラれちゃったら寂しいけど、ハイネルはオレのそばにいてくれるんだろ?それならいいんだ」


 いつものことなのだから反応しなければいいと思うものの、毎回ハイネルはそういう言葉に律儀に反応して真っ赤になってしまう。そして、赤くなっている自分の顔をグーデリアンが満足そうな目で見つめてくるのがハイネルには余計にいたたまれないのだった。


「お前はまたそういう恥ずかしいことを・・・」

「恥ずかしいことを言うオレも好きだろ?分かってるから照れなくてもいいんだぜ」

「ちょ・・・っ、グーデリアン、どこを触ってるんだ。グーデリアン!!」



 ・・・・・・あとの展開は言わずもがな、である。
 階上でリサが安らかな夢を見ている間、そうやって二人は今更必要がないほど深まっている親睦をさらに深めていたのだった。








 
 リサを迎えてからの日々はあっという間に過ぎ、すでに彼女が来てから六日目を数えている。
 明日はリサが旧友のバイオリニストのコンサートに出かけるために、どうしてもこの家を発たなければならないとのことだった。
 そして、ハイネルは未だに彼女に対して自分たちのことを切り出せずにいる。何度か機会はあったのだが、どうしても言い出し切れずに今日まで来てしまったのだった。
 にこやかにリサの相手をしながらも、やはりいつも気を張っているようでハイネルは精神的に少々参っているようだ。当然、グーデリアンが二人きりになった時を見計らって不埒なことに及ぼうとしても絶対に許してくれず、グーデリアンとしても少々そのことに対しては不満に思っていた。
 


「リサ、今日はどこに行きたい?折角だからどこにでも連れていってやるぞ。美術館は行ったし水族館も行ったしお前が前食べたいと言っていた有名なパイの店にも行ったし・・・・どこか他に行きたい場所はないのか?」

「そうだなぁ・・・ずいぶんいろんなとこ連れてってもらったわよね。さすがの私もけっこう疲れちゃったし、最後の日くらいゆっくりしたいかな。ね、近くの森にみんなでピクニックに行こうよ!お弁当作ってさ」

「どうせ私が作るんだろう?何が食べたいんだ?」

 兄の言葉に、リサは肩をすくめて笑ってみせた。いたずらっぽいその仕草は兄であるハイネルよりもむしろグーデリアンに似通っている。

「えっとねえ、私はクラブハウスサンドイッチ!グーデリアンさんは?」

「こいつには聞かなくていいぞ。キリがないからな」

「そんな冷たいこと言わないでよハイネル!オレはチキンだろ、フレンチフライだろ、コールスローにアップルパイに・・・・」


 ハイネルの背中にべったりと張り付いて楽しそうに食べ物の名前をあげつらねていくグーデリアンと、文句を言いながらも結局はほとんど彼の好みに合わせてしまうのであろう兄の姿を、リサは楽しそうな様子で見守っていた。

 早速ハイネルはキッチンに立ち、グーデリアンはコーヒーの用意を、リサはバスケットの用意をして車に乗り込む。
 
 グーデリアンが所有している真っ赤なオープンカーはもちろんシュトロブラムス社製ではなかったが、リサは文句を言わないどころか『私、ホントはこういう車が好きなの。うちの社の車ってキレイだけどちょっと上品すぎて物足りないわよね』などと発言して兄を大いに嘆かせ、グーデリアンの笑いを誘った。

 テストサーキットにほど近い場所に立地しているだけあって、近郊はほんの少し足を伸ばせば森が広がる絶好のピクニック場となっている。
 派手なオープンカーにバスケットや飲み物をいっぱいに詰め込み、ドライバーグーデリアン、ナビゲーターハイネルの役割分担で出発。リサは一人後部座席ではしゃぎまくっている。

 青々と茂っている木々の葉は、前日に雨が降ったこともあって雫を太陽光が反射し、緑がまぶしく輝いていた。生命の色だ。
 グーデリアンは軽快なハンドルさばきで山道を飛ばし、風に髪をなびかせながらリサは久しぶりのドイツの森の景色と新鮮な空気を心ゆくまで楽しんでいた。


「そうそう!ここ、ちっちゃいけどキレイな湖があるんだよね。ちっちゃい頃お父さんに連れられてお兄ちゃんと来た覚えある!お父さんはもちろんだけど、あの頃ってもうお兄ちゃんも毎日すごく忙しくしてたから、一日私といっしょにいてくれてうれしかったなぁ」


 サブリナパンツを身につけていたのをいいことに、サンダルのまま湖の縁を駆けているリサは生き生きとしている。
 鬱蒼と茂る木々の合間に現出している小さな湖は、木々の枝に日光を遮られることがないので湖面がキラキラと輝いていた。森の色を映した深い翠の湖水が陽光に光輝いているさまはちょっとした感動的な眺めである。
 ドイツにしてはかなり強い日差しが差し込んでいる日だったが、それも森を渡る涼風が心地のよい気候に変えてくれていた。小さな、目に見えない魔法を積み重ねて現出した夢のような空間がここにはある。


「よかったな、ハイネル。リサちゃんに喜んでもらえて」

「ああ。普段リサのことはあまり構ってやれなくて、いつも寂しい思いをさせてしまっているからな。たまにはいいものだな、仕事を忘れて羽を伸ばすのも」

 
 柔らかな草の上に足を伸ばして座りこみ、湖水を足で跳ね上げてはしゃいでいるリサの姿を眺めていた二人の雰囲気も穏やかだ。

「そうそう。その気持ちをオレに対しても忘れないでくれよ、ハイネル。普段オレのことをあんまり構ってくれなくて、いつも寂しい思いをさせちゃってるんだからさ!」

「お前は寂しく思う間もなく無理矢理にでも押しかけてくるじゃないか」

「違いない!」


 楽しそうに笑い、グーデリアンはわずかな距離の先にいたハイネルに素早くキスをした。慌てて彼を押しのけながらハイネルがリサの方をうかがうと、グーデリアンに苦笑のような笑みが浮かぶ。


「ハイネル、宣言するんじゃなかったのか?キスくらい見られてもいいんじゃない?」

「そっ、それとこれとは話が別だ!リサの教育上よくないからな。・・・グーデリアン!貴様失礼な、吹き出すなっ!」



「お兄ちゃん?グーデリアンさん!何やってんの?」


 遠くからリサの明るい声が聞こえてきて、慌ててハイネルは立ち上がった。グーデリアンの方をにらみつけつつ言う。


「私はリサと少し散歩してくる。つまみ食いをするなよ!」

「へいへい」

「・・・・・言えるよう、がんばってくるから」

「そっか。がんばれよ、ハニー」


 グーデリアンが優しい表情で笑うと、ハイネルも少しだけぎこちない笑みを返して踵をかえした。
 どうやら小さな魚の群れを見つけたらしいリサは先ほどから懸命に手を振って兄を呼んでいる。


「お兄ちゃん、早く早く!あれ捕まえられないかな?」

「お前は相変わらずせっかちだな、リサ。今行くから」


 両膝を軽く抱え込むような姿勢で仲むつまじい兄妹の様子を見守っていたグーデリアンは、オープンカーを運転している最中も片手で押さえてかぶったままだったテンガロンハットを脱いで自分の足元に置いた。
 少し褪せた色の金色の髪を、暖かい日光が柔らかに輝かせている。

 

「ハイネルってオレも含めて、ホントに押しが強いタイプに弱いよな」


 そう言ったグーデリアンのつぶやきは、もちろん森を吹き渡る風にまぎれて誰にも届くことはなかったのだった。





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