(I Wanna Be) WITH YOU 

 柔らかな声が耳元でささやいている。

「さぁ、リラックスして。だんだん記憶が戻っていきます。1年前・・・2年前・・・」

 革張りのイスに、グーデリアンは深く腰かけていた。瞳は閉じられ、意外と長い、濃い蜜色のまつげが見てとれる。


「かかるものか、催眠術なんて」
「シッ、黙って兄さん」

 グーデリアンと少し離れた横にハイネルは足を組んで座り、先程からこのようすを冷めた目で見つめていた。
 リサの知り合いに催眠術を学んでいる男性がいると聞いて、おもしろ半分にグーデリアンがかけてもらいたい、と言い出したのだ。
 とりあえず定番の退行催眠、つまり記憶を過去へと逆行させる催眠術をほどこしてもらっている。
 ハイネルのイスの横にはリサが立ってよりそい、このようすを興味深げに見守っていた。
 優しい、やわらかい面立ちの自称催眠術師は、見た目通りのやわらかい響きの声で、グーデリアンにささやきつづける。


「5年・・・6年前まできました・・・」


 グーデリアンと妹のようすを順に見やり、その茶番劇めいたやりとりにハイネルはため息をつく。

「バカバカしい」

 さすがに最愛の妹であるリサの手前、聞こえないように小声でそう吐き捨て、ハイネルは目を閉じた。疲れがたまっていたので、失礼かとは思ったが、この際ほんの少しだけ睡眠時間にあてさせてもらおうと思ったのだ。グーデリアンのワガママに半ばムリにつきあわされた形だったので、これくらいの意趣返しは許されるだろう。
 疲れていたハイネルは、いつもからは考えられないほどスムーズに眠りにひきこまれていった。
 とろとろとした意識に、催眠術師の声は心地よかった。





 それからどれ位の時間が経過したのだろう。
 催眠術師が手をたたくと、グーデリアンは目をさました。犬のように頭をブルブルと振って意識を覚醒させ、顔を手でこする。
 ついでに、横でこっそり居眠りしていたハイネルも目を覚ました。

 術師の方は、手をたたいた拍子にテーブルから落としてしまったライターを拾いあげてから、グーデリアンの目をのぞき込んだ。見た目からでは、彼が催眠状態にあるかどうかの判断はむずかしい。



「君の名前は?」
「ジャッキー・グーデリアン」
「君は・・・えーと、今10歳前後になるのかな?」
「は?何言ってんだよ、キュートだからまちがえるのもムリないかもしれないけど、オレは立派な成人男性さ。いやー、残念だな。キミがオレ好みのグラマー美女なら、オレが立派なオトコだっていう証拠を見せてやるんだけど。さすがにオトコは守備範囲外でね」

 いかにも気軽な口調で軽口をたたき、グーデリアンはいつもの気安い笑みを見せる。
 そのセリフを耳にして、リサは術師と顔を見合わせた。彼は肩をすくめて手をあげる、例の『お手上げ』のジェスチャーをしてみせる。

「・・・失敗したのね?」
「おかしいな。ぜったいに催眠状態に入っているはずなのに」


 そのとき、ハイネルが身じろいで、驚いたような声を出した。自分が今なぜここにいるのか分からない、といったような顔をしている。
 その視線がグーデリアンにあてられたとき、彼の不思議そうな様子はますます強くなった。

「・・・?私はなんでここにいるんだ?リサ・・・と、あなたは・・・?」
「オレはジャッキー・グーデリアン。そっちこそ誰だ?」


 その二人のやりとりに、驚いたのはリサと術師の方だった。大きく目を見開いてお互いの顔を見やる。ウソだと言ってほしかった。

「・・・私はフランツ・ハイネル。以前、君と会ったことがあるだろうか?失礼ながら、会ったような覚えがあるものの、よく思い出せないのだが・・・」
「それはオレもいっしょさ。オレもあんたに会ったコトあるような気がするんだけど、思い出せないんだよなぁ」


「ジョン・・・こ、これって・・・」
 ジョンという名の術師はもう一度同じ『お手上げ』のジェスチャーをしてから答えた。

「催眠状態には入ってるみたいだな。退行じゃなくて、記憶が混濁してる。・・・しかも、二人まとめてね」

「・・・・・とりあえず、今がオフ中でよかったわ」


 リサのあまりにも冷静にして現実的なセリフの意図する所も分からず、グーデリアンとハイネルの二人はただお互いの顔をじっと見つめあっていた。









「なんで!私がこんな見も知らぬオトコといっしょに住まなきゃいけないんだ!!」
「何度言わせるの、もう!グーデリアンさんは見知らぬヒトじゃないって説明したじゃない!」
「だ、だが・・・」

 結局、催眠状態をとこうと手をたたいたり、もう一度催眠術をほどこしたりといろいろ手を尽くしてみたのだが、彼らの記憶は混濁したままだった。
 とりあえずと高級アパートの一室を借りこみ(さすがお金持ち)、マスコミなどにバレないようしばらくそこで二人で生活するように言うと、案の上猛反発してきたのはハイネルの方だった。
 だが、彼が反発している相手はリサである。ハイネルは彼女にとことん弱いので、押し切られるのも時間の問題だった。
 ちなみに、グーデリアンはもうすでに『あっちの寝室のがおっきいからオレのにしていい?オレ寝相悪いし、オレのがガタイいいし』などと言って部屋割りの算段に入っている。さすがだ。

 グーデリアンが(勝手に)あらかた部屋の割り当てを決めおわるころには、ハイネルのタタカイも終わっていた。・・・もちろん、ハイネルの全面敗北である。
 例えどんなに自分の言い分に理があろうとも、リサに「兄さん、・・・リサがお願いしてるのに、ダメなの?」と言われたらもうダメなのだ。いさぎよく負けを認めるしかない。

「ど、どうあってもリサには勝てん・・・」

 肩で息をしながら呆然としたようにつぶやくハイネルの肩にグーデリアンが手をおき、まあまあ、となだめる。

「あんなかわいい妹がいたら、誰でも言うコト聞くしかないって。な?おとなしく、リサちゃんの言うことにしたがっとこうぜ」
「うるさい!一人で隠れ住むんならこんなにイヤがってるもんか!お前がいるせいなんだぞ!デリカシーのないヤツだな!」
「何だよ、オレは親切にお前をなぐさめてやろうとしただけだろぉ?怒らなくてもいいじゃんか。ジャッキー、悲しい」
「き、気持ち悪いからやめろ!」
「気持ち悪いぃ?よーし、こうだ!もっと気持ち悪くしてやるぜ!」
「や、やめてくれ、抱きつくな!こ、このバカ力ー!」

 リサがこの光景を目にして『やっぱりこの二人は、いついかなる時、どんな世界で出会ったとしてもラブラブなのね・・・』と涙したのは言うまでもない。




 それからというもの、2,3日は何もなく無事に過ぎ去った。・・・そう、二人の間に何もなく。過去自分たちがどんな関係だったのかという記憶がないのだから、当然と言えば当然である。

 だが、ハイネルとしては不思議だった。
 何がかというと、自分たちの生活があまりにも何事もなく、スムーズに過ぎているからである。まるで、本当に仲のいい友人同士のように、ヘンに束縛しあうことなく、かと言って無視しあうような険悪なものでもなく、心底過ごしやすい空間がこの部屋には満ちあふれていた。
 ちなみに、リサはハッキリあっさりキッパリ『兄さんとグーデリアンさんは、恋人同士だったのよ!』と言い張っていたが(というより事実なのだが)、ハイネルはリサのタチの悪い冗談だと決めつけている。
 グーデリアンはグーデリアンで『やっぱりね!どおりでハイネルを一目見たときに運命を感じたワケだぜ!』と感激したように言っていたが、あまりにもその口調は芝居がかっており、やはり本気でそう思っているようには見えなかった。



 ともあれ、予想に反して二人の生活はうまくいっている。
 生活分担も、知らず知らずのうちに自然に決まっていた。食事は料理が得意なハイネル。そうじもキレイ好きなハイネル。その代わり、その他の雑事は言わなくてもグーデリアンがいろいろと引き受けてくれていた。
 何でも、レース稼業に身をやつしていると、一人暮らし期間が長くなるため、ある程度のことは自分でやるようになるのだと言う。
 たしかに、ベッドメイキングなどは、あまりにも手際がよすぎるためにハイネルが呆れつつも感心したほどだった。
 それに対しては『必要性と実益にかられて』という、何とも意味シンなセリフがかえってきたのだが。



 二人の同居生活が始まって4日目のこと。ハイネルはソファに座り、厳しい顔をしてマシンに関する書類を読み進めていた。
 幸いにも、二人の記憶が混濁しているのは、お互いのことに関してのみである。しかも、夢の中で『この景色は見たことがある』とボンヤリ感じるように(いわゆるデジャヴというヤツだ)、お互いに会ったことがある、という感覚はあるのだ。ただ、それがいつだったのか、どのようなものだったのかを思い出せないだけで。

 そんなわけで、あと3日もすれば二人ともが通常の業務に戻っていかなくてはならないのだが、それほど悲愴感は漂っていなかった。気をつけてさえいれば何とかなるだろう、との思いが強いせいだ。
 事実、リサも今の二人のやりとりを見ていて「過去の記憶がしっかりしていないコト以外は、以前の二人とまったく同じ」と太鼓判を押している。

 それでも、まったく不安がないとは言えない。とくに、マジメで神経質なタチのハイネルはなおさらだろう。休暇が進んでいくにつれ、ハイネルは厳しい顔をすることが多くなった。そして、自分の不安から逃れるように、仕事に没頭しはじめている。
 リサから「私の兄は真性ワーカホリックなんです」と苦笑まじりに言われていたからではないが、グーデリアンは根を詰めている様子のハイネルを向かいのソファに座りつつ見つめ、何やら思案にくれていた。
 が、やがて決心したように立ち上がる。

「ハイネル。縁あってこうしていっしょに生活するコトになったんだからさ、たまにはいっしょに出掛けよう!」
「はあ?」

 いきなり何を言い出すんだコイツは、という顔をして自分を見ているハイネルの目の前に立つと、グーデリアンは彼の眉間を人差し指でコツンとつついた。
 ハイネルはびっくりして自分の額に手をあてている。

「そこ。すごいシワが寄ってたぜ。そのままの形で固まっちゃいそうなくらいにね」

 ウインク交じりに言ったグーデリアンに、ハイネルはまだ驚きの視線をあてていた。


「オレはけっこう興味あるな、ハイネルのこと。知ってるようで、何にも知らないから気になるんだ。ハイネルはそうじゃない?」

 グーデリアンは、青い瞳でハイネルの目をのぞきこんでくる。

 まだ少し惚けたようにグーデリアンを見つめたままのハイネルは、ぼんやりとしてその目に見入っていた。どんな言葉を尽くしても足りないような、見たこともない青い色をしている。


  ・・・・キレイな色だな。


「ハイネル?」

 ハイネルはハッとして現実世界に引きもどされた。あいかわらずグーデリアンが間近で自分の顔をのぞきこんでいる。
 自分の顔が赤くなっていないように、と祈りながら、ハイネルも素直に口にした。

「そうだな・・・もうすぐ一緒に働かなくてはならなくなるんだし、今のうちに少しでもお互いのことを知っておいた方がいいのかもしれない」

 そう言うと、目に見えてグーデリアンの表情が明るくなった。
 ハイネルはその笑顔に引き込まれそうになる。
 初めて(とハイネルは感じている)会ったときから、立派な体格のわりに子供っぽいヤツだ、と思ってはいたのだが、笑うと本当に少年のようだった。

 だからこんなにグーデリアンのことを近しく感じるのかもしれない。

 そう思い、ハイネルはグーデリアンに手を引かれるままにソファから立ちあがった。



後編に続く
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