4
(時間がわからないというのは、結構辛いものだな……)
石の床は硬くて冷たい。古ぼけたブランケットにくるまって横たわっていたハイネルは、身を震わせながら独りごちた。
窓がないと外の様子が見えない。だから今が昼だか夜だか分からない。ただ、床がどんどん冷たくなっていくことから『たぶん夜へ向かっているのだろう』と推測した。
さらに、つい先程差し入れられた食事が『最後ですね……』と言われた。あれを昼食と仮定すれば、その六時間後ぐらいにはここから連れ出されるだろうと考えられる。
食事の支給は最初の一回を除いて、いつも二人がかりで行われていた。一人がトレーを差し入れ、残りの一人は扉の外で監視している。敵ながら見事な連携ぶりで、逃げる隙など全くない。
(ふうむ……)
いくらなんでも生徒がこのような目にあっているのを知って、S.G.Mが黙っているとは考えにくい。ただ、ここと学院との距離を考えるとタイムリミット、つまり満月の夜までに交渉が成立する可能性はかなり低いと思わざるを得ない。
後は最後の最後、ここから連れ出される時を狙うだけだ。だがチャンスは一度しかない。失敗すれば希望は全て失われてしまう。しかもこちらには武器らしい武器は一つもない。向こうはこっちが魔法を使えることを知っているから、何らかの対策を立ててくるものと思われる。
「まあ、なるようにしかならない、か……」
『精密機械』と称されたハイネルらしからぬ、運を天に任せるような呟きを口にして目を閉じる。
と、いつもこんな脳天気なことばかり言っていた男の、収穫を迎えて色づいた畑のような髪の毛と、青空のような瞳が思い浮かぶ。
(もう一度、会いたかったな……)
いや、遠くから眺めるだけでもよかった。あの、いつも自信満々なくせして時折気の弱そうな事を言い、そうかと思うと全てを受け入れてくれるような、柔らかな声が聞きたい。
ハイネルが珍しく感傷に耽っていると、急に扉の外が騒がしくなった。
階段を忙しなく駆け下りる足音が聞こえたと思うと、剣と剣とが激しくぶつかり合う金属音がする。
『おらおら、邪魔すんなよっ!』
『うわあっ!』
何人もの人が倒れるような音と重なるように、蹄の音もする。
「な、何が起こったのだ?」
ハイネルは慌てて起き上がった。
かすかに聞こえたあの声は、もしかして――。
「ハイネルっ!」
突然自分の名前を呼ばれたハイネルが身を硬くしていると、重厚な扉ががんがんと叩かれた。
「ハイネル、聞こえるか! ……大丈夫かっ?」
「グー、デリアン?」
急いで扉に向かうと、ハイネルは格子のはまった小窓を信じられない思いで見詰めた。
私は夢でも見ているのだろうか?
会いたいと思った、その当の人物が目の前にいるだなんて――。
「グー、デリアン、なのか?」
「俺以外の誰だってんだよ……くそっこの鍵、開きゃしねえぞっ!」
グーデリアンは剣で数回扉を切り付けると、さらに素手でがたがたと揺さぶった。S.G.Mで十指に入る怪力を持ってしても、扉は少しも開く気配を見せない。
『どうやら魔法で封印されているらしいな……あなたにはこれを解除することはできませんかハイネル?』
「え……?」
ハイネルはもう少しでパニックに陥りそうだった。
厚い金属の扉越しとはいえ、すぐそばにグーデリアンがいる。そんな状況で、誰か別の者が自分の脳裏に直接話し掛けてきたのだ。
『ああ、申し遅れました。私は幻獣スタンピード。グーデリアンの召喚獣です……誠に不本意ながら』
「不本意ってなんだよテメーっ! それに何だ! 俺とハイネルじゃ、えらく口の利き方が違うじゃねーかっ!」
『私はこの世界の住民ではない。だからこそ、敬意を表すべき人物とそうでない人間との分別がきちんとできると考えてもらおう』
「分別って、俺たちゃゴミじゃねーぞっ! おいスタンピード!」
「そうか、スタンピード、か……」
ハイネルは思い出した。サイレントスクリーマーがどうしてもできないグーデリアンに対して、学院側がスタンピードの習得をすすめていたことを。
(それが、使えるようになったのかグーデリアン……)
ハイネルはうっすらと微笑むと、軽く咳払いした。
「失敬した、スタンピード。アンロックの魔法ならできる。だがこの部屋には、全ての魔法を封じる結界が張られているのだ」
『なるほど……』
ハイネルには、幻獣がため息をついたように思えた。
『わかりました。私がその結界を外します。やったことはありませんが、たぶんできるでしょう。結界が破れたらハイネル、あなたはアンロックの魔法をかけてください。しかる後に、私とグーデリアンが飛び込みます』
「……って、ホントにできんのかよ?」
グーデリアンが誰にともなく不安げに言う。
「やってみよう」
ハイネルは、彼には珍しいことに笑いながら言った。
「もしだめなら、その時にまた考えればいい」
「くそうっ!」
無我夢中で扉を開けようとしたせいか、止めどもなく額から流れ落ちてくる汗を強引に腕でぬぐいながら、グーデリアンはスタンピードを見つめた。
スタンピードの身体は今、虹色にきらめく煙のようなもので包まれていた。と思ったら、きらめきは扉の小窓から室内へ入っていく。
『ハイネル、今だっ!』
スタンピードが叫ぶ。
部屋の中から、ハイネルがスペルを唱える声が聞こえてきた。
ハイネルが魔法の呪文を唱える声は、何度聞いてもうっとりしてしまう。
阿呆のように顎を落とし掛けたグーデリアンに、スタンピードの罵声が響いた。
『飛び込むぞグーデリアンっ!』
「了解っ!」
グーデリアンはスタンピードの背中へ飛び乗った。
『衝撃に注意しろよ』
「わかってるって」
グーデリアンはその身を低く伏せると、防具で保護された右肩を前に突き出した。
『行くぞっ!』
「おうっ!」
グーデリアンを乗せたスタンピードは、そのまま扉へ突っ込んだ。
鍵の壊れるがしゃんという音が聞こえたと思ったら、重い金属の扉が開く。
「グーデリアンっ!」
「あは、ハイネル……無事だったんだ」
扉が開いた衝撃で床へ叩き付けられたグーデリアンは、身を起こしながら声がした方へ向く。
「ハイネル………………ハイネルっ!」
ただハイネルの名を叫びながら、グーデリアンは駆け寄ってきたハイネルの身体を抱き締めた。
ハイネルはちゃんと温かかった。生きている何よりの証拠だった。
「ハイネル、よかった……間に合って」
「グーデリアン……」
自分をかき抱くグーデリアンの背に、ハイネルの腕がおずおずと回される。
グーデリアンはそれに気付いているのかいないのか、ただ力任せにハイネルを抱き締めていた。
『お二人さん』
脳裏にスタンピードの声が響いた二人は、はっとして身を離す。
『再会を喜び合うのは勝手だが、今は逃げるほうが先だぞ?』
「……すまない」
「おまえはエンリョとかオモイヤリとかっつー言葉を知らねーだろスタンピード?」
真っ赤になってうつむくハイネルに対して、グーデリアンはスタンピードに対する怒りを露わにしていた。
その時、多数の人間が階段を駆け降りてくる足音が聞こえてきた。
『……いわんこっちゃない』
スタンピードは頭を軽く振ると、大仰に言ってのけた。
『とにかく、二人ともさっさと乗れ。私はとりあえず走るのを最優先させるから、二人で敵の攻撃を防いでくれ』
「わかったよ」
グーデリアンは妙に明るく言うと、ハイネルを抱きかかえたままスタンピードへまたがった。
「お、おいっ!」
「さあ行けスタンピードっ!」
相も変わらず対照的な反応を見せる二人を気にもせず、スタンピードは地下室を飛び出し、そのまま全速力で階段を駆け昇った。
わあわあという意味不明の叫びがステレオで聞こえたかと思うと、敵が左右から斬りかかってくる。
「バッキャローっ! おまえらなんか、俺様の敵じゃねーっ!」
グーデリアンは片方の腕でハイネルを抱えると、もう一方の手でクレイモアを操り、敵をなぎ倒していく。
とはいえ、馬上(スタンピードを馬と表するには多少の抵抗があるが)の剣士が倒せるのは、近づいてきた兵士に限られる。さすがに狭い階段で弓矢を使う者はいなかったが、遠くから魔法をかけようとしている魔導師の気配をハイネルが察した。
「危ないっ!」
ハイネルは短く叫ぶと、すぐに呪文を唱えた。スペルが短いのは、攻撃魔法の特徴だ。詠唱が終わると、ハイネルはその魔導師をきっと睨み付けて指差す。
指先から金色の光が射出て、魔導師に突き刺さる。
中級レベルの攻撃魔法、『光の槍』だ。魔導師の回りにいた兵士たちまで倒れている。
「ハイネル、さっすがあ〜」
「うるさい! 貴様は自分の仕事をしろっ!」
「へいへ〜い」
グーデリアンは軽口を叩きながら、次々と兵士たちを切り倒していた。ハイネルは正面を向くと、途端に厳しい表情になる。
「あれは……」
目の前には、建物の出口らしきものが小さく見えている。もう日は落ちて星がきらめき、満月も昇っているに違いない。
あそこまでたどり着けば助かったも同然だろう。だが、ハイネルの胸にはいいようのない不安が広がっていた。
「スタンピードっ、外へ出たらとにかく高く飛び上がり、翼で気流を乱せっ! グーデリアンっ! 貴様は矢を叩き落とすのに専念しろっ!」
『わかった、ハイネル』
「なにぃ〜? ん、まあ、いいけどさ」
ハイネルの言葉を全面的に理解したらしいスタンピードに対して、グーデリアンはどこか不満そうでやる気がなさそうだった。大剣を右に左に打ち据えながら、気のないいらえを返す。
ハイネルはそんなグーデリアンの態度を気にせず、スタンピードへ身を伏せて呪文の詠唱を始めた。
それは、空気の流れを作って風を起こす魔法だった。攻撃魔法の『光の槍』と違い、スペルが長いのが欠点だった。
(間に合ってくれ……っ!)
祈るように唱えていたハイネルの呪文が完成したのと、ついに建物の外へ出たスタンピードが満月の浮かぶ夜空へ浮かび上がったのはほぼ同時だった。
「うっ、ひょお〜!」
時を違わず、数え切れない程の矢がスタンピード目掛けて射かけられ、思わずグーデリアンが叫んだ。ようやく先だってのハイネルの言葉の真意を理解した彼は、持って生まれた抜群の反射神経で、矢を打ち落とすためにクレイモアを構える。
矢の大半は、ハイネルの魔法とスタンピードの羽ばたきによる気流の乱れで、高みに届くことなく落ちていった。それでも接近してきた矢は、グーデリアンが剣で叩き落とす。
だが、戸外に集まっていた射手の人数は、ハイネルの予想をはるかに超えていたらしい。
気流の乱れの隙をついて近付き、グーデリアンの剣をも逃れた矢が、スタンピードの羽根を射抜く。
「大丈夫かスタンピードっ!」
ハイネルが悲鳴のような声を上げる。
『平気だ、ハイネル』
「ど、どうしたっ!」
スタンピードは気丈に返答する。しかしグーデリアンはハイネルの声で集中力を失ってしまい、その剣をかすめた矢がスタンピードのもう一枚の翼へと突き刺さる。
「スタンピードっ!」
二人のユニゾンは、満月の夜空にかき消された。