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「ん……」
「気付かれましたか?」
やけに重く感じられるまぶたを必死の思いで押し上げると、目の前にはフードを目深にかぶった男が座っていた。
「ここ、は?」
どうやら自分は床へ横たわっているらしい。ハイネルは鈍い痛みのある額に手を当て、ゆっくりと上身を起こした。
男が床に滑らせてトレーを差し出す。質素なパンと、申し訳ばかりに具が浮かんだスープ皿とがのせられていた。
「長老の家です」
「長老?」
いまだに事情がよく飲み込めないハイネルは、ただ目をぱちくりさせることしかできない。
と、マントの下から腕が伸びてきた。頬を撫でる指は驚くほど冷たい。
「な、にを……」
「本当に緑色ですね。……こうしていると、吸い込まれてしまいそうだ。やはり悪魔の目なのですね」
「何だって?」
フードに隠されているせいで相手の表情はうかがえなかったが、男の異常さは指先からも伝わってくる。
冷たい汗をかきながら相手を見据えていると、ハイネルの脳裏に少しずつ記憶が甦ってきた。
名雲に頼まれた魔導書を受け取るため、東方の村のそのまた外れにいる、まるで世捨て人のような魔導師へ会いに行った。
書物を受け取り、しばし魔法談義に花を咲かせた後、意気揚々としながら街道を学院へ向かって歩いていた。
頼まれ事を無事に済ませ、しかも久々の魔法談義が思いがけず楽しかったせいか、少しばかり警戒心が緩んでいたのかもしれない。
突然、マントに身を包んだ男たち数人に襲われた。
魔法を唱える余裕など与えられるはずもなく、剣で立ち向かう。
だが多勢に無勢だった。しかも敵の中には魔導師もいたらしく、ハイネルはいつの間にか意識を失わされていた。
(私と、したことが……)
こっそりと唇を噛む。
「食事は、きちんと食べてくださいよ。満月の前に倒れられては、こちらが困りますから」
「満月……貴様ら、白の一族かっ!」
S.G.Mきっての優秀さを誇るハイネルの頭脳が、ようやくフル回転し始めた。
街道沿いに、俗に白の一族と呼ばれる他者と滅多に交流しようとしない部族が住んでいることは、知識としては知っていた。
その彼らが緑の目を持つ者を魔性とみなし、満月の夜に屠っているということも。
だが、まさか自分が捕らわれるなど、想像もしていなかった。
(机上の理論は、時として全く役に立たないというわけか……)
ハイネルは大きなため息をついた。全ては自分の失態だ。誰を責めることもできない。
「白の一族などというのは、あなた方が勝手につけた名称にすぎません。私たちはただ、先祖伝来の生活を営んでいるに過ぎないのですから」
男は極端に抑揚の少ない口調で語り掛ける。
「街道を行く罪のない旅人を捕らえることが、伝統の生き方なのか?」
「それは、あなた方の価値観です。私たちとは決して相容れませんが」
ハイネルの皮肉気な物言いに、男はさすがにかちんときたようだった。
「殺られる前に殺る……そう言えば納得していただけますか? 緑の目の魔性」
「私は魔性ではない。S.G.Mの一生徒に過ぎん」
「魔性が自分で自分を魔性と認めるはずがないでしょう……まあいいです」
男はその冷たい手をハイネルから離した。
ハイネルは物は試しとばかりに小声で呪文を唱えてみた。敵を眠らせる魔法だ。
だが、詠唱し終わっても何の変化も起きない。
「無駄ですよ。この部屋にはあらゆる魔法を無に帰する結界が張ってあるのです」
「なるほど。貴様らも馬鹿ではないらしい」
男は無言のまま口の端を持ち上げると、身を翻して部屋の出口へ向かう。
「とにかく、大人しくしていてください。では、満月の晩に……」
男が部屋を出ると、金属製の扉に重々しい鍵が掛けられる音がした。
こつこつという、階段を上がるような靴音がする。
ハイネルは己の身をまさぐってみた。
受け取った魔導書は無事手元にある。だが武器と呼べる物は、腰に下げていた細い剣はもちろんのこと、服の下に隠していたショートソードまで奪われていた。
(くそっ……)
『いざという時のためにショートソードを持ってるなら、そんなすぐ見つかるようなところじゃダメだ。腕や脚に縛り付けておくとか、ブーツの中に入れておくとか、とにかく簡単には見つからないよう隠しとかなきゃ』
偉そうに言っていた金髪の見習い剣士の顔が思い浮かぶ。
(うるさい! 今は、それどころではないのだっ!)
頭を一振りすると、ハイネルは部屋を見回してみた。 床も壁も石づくりの、ごく普通の部屋である。窓が一つもなく、さらには先程階段を上がるような靴音がしたところをみると、たぶん地下にあるのだろう。
唯一の出入り口である扉は金属製の重厚なもので、鉄格子がはめ込まれた小窓がついている。ゆすってみたが、厳重に鍵が掛けられているのだろう。ハイネルの力では露ほども動かない。
ハイネルはアンロック、つまり鍵を開けるスペルを唱えてみた。
だが、言い始めたそばから、魔法の力が霧散していくのを感じる。魔法の効果を失わせる結界が張ってあるというのは、どうやら本当らしい。
一通りの調査を終えると、ハイネルは再び床に座り込んだ。
彼らが本当に白の一族だとしたら、次の満月の晩、私は殺されるのだろうか――?
死ぬのは少しも怖くはない。魔法剣士という職業を選んだ以上、死と隣り合わせでいるのは承知の上だった。
だが、こんな風にみっともなく捕らえられ、勝手に魔性として殺されるなどというのだけはごめんだった。
ふいに、先程も一瞬だけ思い浮かんだ、あのお日様みたいに明るい笑顔をした剣士候補生のことが気になった。
『一緒に、いたいんだ』
魔法の才能など欠片もないくせに、そう言いながら練習を続けていた。
怪我をした、治癒魔法をかけてくれと言ってはまとわりついてくる。そんな彼の相手をするのは、面倒以外の何物でもなかったはずなのに。
(グーデリアン……)
彼は、もし私がここで死んだら何と思うだろう?
ハイネルはとりあえず貧相なパンとすっかり冷めてしまったスープを平らげることにした。
今の時点でここから逃げる手段が確保できないのなら、後は食事を支給される際か、最後にここから連れ出される時しかチャンスがない。なら、それまでに少しでも体力を温存しておいた方がいい。
粗末な食事を平らげると、ハイネルはすり切れたブランケットをていねいに巻き付けて床に横たわった。
「ひいいいいーっ!」
さすがのグーデリアンも、最初のうちはスタンピードにしがみつくことしかできなかった。
速さはもちろんのこと、受ける風圧も普通の馬の比ではない。目を足下に転じれば、見慣れた街や森の風景がまるで箱庭のように小さく広がっている。通常の神経の持ち主だったら、失神しても不思議ではない。
幸いなことに、グーデリアンの神経は並ではなかった。
思う事はただ一つ。
一刻も早く、ハイネルを救い出したい――。
『それが、そんなに大切なのか?』
「へっ?」
グーデリアンはぴっくりした。頭の中に、誰かが語り掛けてきているような気がしたのだ。
「あれえ? 幻聴なの、かなあ?」
『おいおい俺だ。わからんのか?』
「って、もしかして、おまえ……?」
グーデリアンが手近な体毛を引っ張ると、痛いといわんぱかりにスタンピードが甲高くいななく。
「あっ、ご、ごめん」
『ったく、妙なところで鈍い男だからな貴様は』
「悪かったな」
『で、さっきの質問の答えは?』
改めて問い質され、グーデリアンは一瞬口ごもる。
『おい、グーデリアン?』
「大切だ。奴が俺より先に死ぬなんて、絶対に許せねえ」
この場にはあまりふさわしくないようなグーデリアンの重々しい言葉に、スタンピードは勢いよく息をもらした。それはまるで口笛でも吹いているかのように聞こえる。
『本気なんだな?』
「ああ、もちろ…………うわあっ!」
スタンピードの走りがより一層速くなる。
『しっかりつかまってろ! もうすぐ着くからなっ!』
「わ、わかったから……うぎゃあっ!」
グーデリアンは、意味不明の言葉を叫ぶしかできなかった。
「うげえっ!」
唐突に高度を落とすと、スタンピードは集落の裏手らしき広場へ降り立った。
騎乗している者のことなど少しも考えていないような乱暴な動作だった。お陰でグーデリアンは、振り落とされた挙げ句誠に不本意ながら地面とキスする羽目となる。
「イってえなあ。もちっとヤサシく下りられねーのかよ? 打ち所が悪くて怪我したらどうするつもりだあ?」
『貴様のような体力馬鹿が、この程度のことで怪我などするはずないだろう』
「……おまえの口調、すげーあいつに似てるような気がすんのは錯覚かねえ」
腰をさすりながらグーデリアンがゆるゆると起き上がった時、しゅっと空気を切り裂く音がした。
はっとして身をかわすと、足下に数本の弓矢が突き刺さっている。
「もーおいでなさったか。といっても、あんな派手な登場したら、観客が集まんない方がおかしいよなあ」
飄々とのたまえば、さらに何本もの弓矢が続けざまに打ち込まれる。大柄な身体に似合わない機敏な動作で、グーデリアンはそれらをすべてよけていった。
「ったくもー、わざわざ遠くからおいでになったんだぜ? 茶の一杯ぐらい飲ませてくれるのが礼儀ってもんじゃねーか?」
『右手の藪に三人、左の木陰に二人。それで全てだ』
グーデリアンの軽口を無視したスタンピードの言葉が頭に鳴り響く。
「……わかんのかよ?」
『矢の飛ぶ方向から計算しただけのことだ』
「おまえ、ますますあいつに似てるわ」
捕らわれの身となった碧の目をした魔法剣士候補生の顔が思い浮かぶ。
(絶対に助けてやるからな。待ってろよハイネルっ!)
背負っていたクレイモアを鞘から抜き去り両手で構えると、グーデリアンは一声叫んだ。
「場所さえ分かりゃこっちのもんだぜっ!」
そのまま藪へ飛び込み、まず右へ、そして左へと大剣をなぎ払う。
最後に上から振り下ろせば、三人の射手が地面へころがっていた。
「なーんか手応え、なさ過ぎじゃねーか?」
『おい、気を抜くな』
「へいへい〜」
クレイモアの血のしたたりもそのままに、木陰へ突進する。
「げえーーーっ!」
木の陰にいた二人の射手は、てんでに逃げ出そうとする。
グーデリアンは一人を背後から斬りつけると、残りの一人の首に腕をかけて締め上げた。
「ハイネルはどこにいる?」
問いつめる声は普段の陽気で明るいそれではない。学長のロペやあの名雲でさえ黙らせた、まるで地獄の使者のような低く冷たい声だ。
「長老の、家の、地下……」
締め上げられた男は苦しそうに呻く。
「長老の家は?」
「大きな、樫の、木……」
情報を充分に得たと判断したグーデリアンは、拳で男の鳩尾を打ち据えた。
「げほっ!」
腕の中で、男は気絶した。
『こんなに切り散らかして、外交問題に発展しなければいいがな』
「安心しろって。急所は全部外してあるから、まず死ぬこたないはずだぜ。じゃ、長老の家まで行くぜ相棒っ!」
『貴様は……』
グーデリアンにはスタンピードが笑ったように見えた。
獣に酷似している幻獣が笑うはずなどないのに。
しかもその笑顔は、なぜかあの見習い魔法剣士に似ているように思えた。
「あれ、おまえって……?」
目をまたたかせたグーデリアンは、初めて気が付いた。
スタンピードの瞳が、ハイネルによく似た緑色だったことに。
『何をボケっとしている。そろそろ満月が昇るぞ』
「あ、うんっ!」
一人と一頭は、この集落で最も大きいと思われる樫の木を目指した。