Go Quest8

底なしの沼に沈みながら、剣は奇妙な感覚に囚われていた。

 ここは、何処か、何かに繋がっている。

この感覚には覚えがある。



沼の水は、そこに落ちるもの全てを蕩(とろ)けさせ、濁り、澱み、濃密な闇を醸成している。

そして、微熱を帯びて暖かい。



闇に蕩けている全てのものが、纏わりついてくる。

朽ち果て、崩れ、等しく闇に還ったモノたちの体と、それでも尚消えずに残る夫々(それぞれ)の情念が絡みつく。

明滅する幻のように、見知らぬ記憶が残像のように闇に交錯する。

泣き叫ぶ老人、痩せ衰えた女、戦う男と傷だらけの子どもたち。皆、激しく誰かを恨んでいる。



ふと、闇の中に漂う何かが見えた。

見えた、と言うのが正しいかどうかは、実は甚だ怪しい。なぜなら、既に剣は自分が目を開けているのか閉じているのかさえ分からなくなっており・・・それが実際に目の前にある光景なのか、闇に溶けた誰かの記憶が自分の意識に紛れ込んだのか、区別がつかなくなっていた。



それは人を模(かたど)った依り代のようだった。

マッチ棒で作られたような簡単な体は、胎児のように丸まっている。



 その体に手を伸ばす者が居る。仮面で顔を隠したその姿は、魔法使いと言うよりも魔術師に近い。

<この世に生まれ出ずるより先に、闇へ還されようとするものよ>

<光のもとへ来らんと欲すれば、我が手を取れ>

<汝を闇に還さんとするものと戦え>

<さすれば汝、血肉を得て甦らん>



男の声に応えるように、人形の手が僅かに動き・・・男の指先に触れた。

その瞬間、人形の姿が一変した。

見覚えのあるその姿に、剣は思わず目を疑った。



<魔王・・・!!>



 膝を抱えて眠るように漂っているのは、紛れもない魔王だ。間違いない。生まれたての赤ん坊のように無垢な顔をしていても、封印しながら何百年と眺め続けていた顔だから間違えるわけが無い。



ああ、そうか。あの奇妙な感覚は魔王と繋がっていたからか。

 

 これは一体どういうことだ。



 これは、いつのことなのだ。



 今、起きていることなのか。

 過去、起きたことなのか。



 いずれにしても、目が離せない。





 男の指が、魔王の耳に触れる。

<聞け、こだまする恨みの叫びを>

男の指が、閉じた魔王の瞼に触れる。

<見よ、虐げられしものの姿を>



男の声に導かれるように、あの残像が闇に甦る。

泣き叫ぶ老人、痩せ衰えた女、戦う男と傷だらけの子どもたち。

皆、激しく誰かを恨んでいる。

 

 ゆっくりと開かれた魔王の瞳が彼らを映す。

 まだ焦点が定まらず、鏡のようにただ目の前のものを映しているだけの魔王の瞳に、男が手を翳す。



<彼らと汝を闇に還さんとするものを見よ>

 

 男の手が離れると同時にまばたきする魔王。

 そこに、一人の男の姿が浮かぶ。

 傲慢に笑う、暴君の顔。

 その顔に、泣き叫ぶ老人、痩せ衰えた女、戦う男と傷だらけの子どもたちの姿が重なる。



 魔王の瞳が大きく見開かれる。

無垢だった魔王の顔に最初に刻まれた表情は、怒り。



<行け、彼らが汝に力を与える>

 

 その言葉を待っていたかのように、闇に浮かんでいた残像たちが赤い光に姿を変え、魔王を包み込んでいく。



<汝らの敵を倒せ>



 そして、赤い光に呑み込まれるようにして魔王の姿が消えた。

 そのあとに、男のつけていた仮面が揺ら揺らと落ちていく。

 素顔を晒して満足そうに笑う男の顔に、何故か見覚えがあった。



 最初に声を聞いた時から気になっていたのだ。

 自分はこの男を知っているような気がしてならないのだ。



 魔術師に知り合いなんていないはずなのだが。



 知り合ったとすれば、自分が魔王を封印する前だろう。



 魔王を封印する前?



<あ・・・!思い出した・・・!!>



 あの国の王だ。



 自分と魔法使いに魔王を倒せと頼んできた、あの国の王。民を苦しめていた暴君をやっとの思いで倒したと思ったら、今度は魔王に襲われて困っているとか何とか言っていた。腕試しと賞金稼ぎが目的の自分は、お国の事情なんてものには興味が無かったので聞き流していたのだが・・・。



<気に入らねぇ>



 自分の手は汚さず、邪魔者の前の国王(まあ、暴君だったらしいから、ある意味自業自得かもしれないが)は魔王に始末させて、用無しになった魔王が自分の手に負えなくなると、今度は自分たちに始末させようとしていたなんて。そうと分かっていたら、幾ら大金を積まれても断ったのに。



それにしても、魔王はあの国王が術を施した傀儡だ。暴君とやらに対する人々の恨みを源にしていたのであれば、恨む相手の暴君が倒され、人々の恨みが晴れたところで魔王の力は失せ、命を永らえることが出来ず元の人形に戻るはずではないのか。



<・・・止まらなくなってしまったのだ・・・奴は、本当に信じてしまったのだ・・・そして生き始めてしまった・・・人々の怒りと悲しみを命の糧に・・・>



 どこからともなく、声が聞こえる。

 揺ら揺らと仮面が漂う。

 

<やがて奴は生きるために人々を恐怖に陥れるようになってしまった>



生きたいと、ただ生きたいと願っていた魂へ仮初(かりそめ)の肉体を与えられ、仮初であればこそ、その身に真の血肉を得ようと欲するのは無理ないことではないか。

その願いを叶える為に必要なものを人々の怒りや悲しみとされなければ、魔王は魔王にならずに済んだのだ。



<奴はもう傀儡ではなくなっていた>



 だから、俺たちに封印させたのか。



魔王が見事に封印されたと告げられて、また満足げに笑ったのだろうか。

全て思い通りに上手くいったと。



魔王も、俺たちも、まんまと騙されたってことか。

 

 何てこった。



こんなところに沈んでいる場合では無い。



剣は、全身全霊を傾けて不肖の弟子を呼んだ。



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