Go Quest5
谷あいの小さな村が魔物に襲われたのは、夜明け前のことだった。
男たちが出稼ぎに行き、家に残されたのは女子どもや老人たちのみ。外から聞こえてくる家畜たちの悲鳴、魔物の唸り声、争って肉を喰らう音などに身を震わせる。あの音が止んだら、次は自分たちの番だ。
恐怖に慄く村人たちは外の音の変化など聞き分けられず、ひたすら息を殺して震えていた。
恐ろしい音が消えていることに気がついたのは、朝日が昇り、小鳥が囀るのを聞いた時だった。
恐る恐る外に出た村人たちは、そこに信じられないものを見た。
魔物たちに食い散らされて全滅したはずの家畜たちが、ぐるりと輪になってそこに居た。
その輪の中心から、一頭の子ヤギを抱いて誰かが出て来る。
そっと子ヤギが放される。少し片足を引きずりながら、子ヤギは親ヤギのところへ駆けていく。
剣士のようないでたちではあるが、どこか優雅さを感じさせる身のこなしと端正な容姿。
何よりも目を惹く、宝石のように美しい緑色の瞳。
思わず息をのむ村人たち。
村の長老が、信じられないと言った顔で口を開く。
「あ、あなた様はもしや・・・」
かつて魔王を封印した伝説の魔法使いではないのか。
そう尋ねようとした長老を制するように、穏やかではあるが、きっぱりとした声が響く。
「ただの旅のものだ。通りかかったら魔物どもが騒いでいたので、黙らせただけだ。それより、この村にはご老人と子ども以外の男はいないのか?」
「・・・男たちは出稼ぎに行っていて村にはおらんのです」
「そうか・・・では、念のために結界を張っておこう」
呪文を唱える形の良い唇、しなやかな動きの指先から零れる雪の結晶のような砂。
朝の光を受けてキラキラ光りながら落ちていく。
清浄な砂から立ち上る風が、全てを清める。
その姿は、やはり剣士と言うより魔法使いと呼ぶのが相応しい。
せめてものお礼の印に一晩の宿を、と申し出る長老たちの言葉に優しく首を振り、その人は去っていった。
そのことは、命の恩人に対して何かしたいという気持ちを強く村人たちに残すことになる。
美しい宝石の飾りのついた剣を背負った子どもがひとりで旅をしている。
それはまさしく「カモが葱を背負って歩いている」ようなものではないのか(とは言うものの、ジャッキーたちの場合、「カモ」よりも「葱」の方を目当てに盗賊たちに狙われることになるのだが)。
いくら元は腕の立つ剣士であると言っても、剣単体では動くことは出来ない。つまり、ジャッキーが油断して剣を背中から抜き取られ、袋にでも入れられてしまったら自力脱出はほとんど不可能だ。いや、抜き取られるまでもなく、ジャッキーが自分でどこかそのへんに置いてしまって置き引きに遭うことも考えられる。そうなったら、剣の守護を失ったジャッキーは魔物たちの餌食に、剣は盗人たちの手によって宝石と見紛うその美しい猫目をくり抜かれることになりかねない。
果たしてカモは、その危険性を自覚しているのだろうか。
<小僧、俺を見てどう思う?>
お弁当を食べようとして自分を背中から外して木の幹に立てかけ(この時点で既に置き引きの恐れアリアリ・・・)、木陰に腰を下ろしたジャッキーに尋ねてみる。
木漏れ日を浴び、緑の猫目を宝石のようにキラキラと輝かせての質問。
当然ジャッキーの視線は盗賊にとって魅力的なその部分に向くはず・・・だったのだが、無欲な子どもの気をひいたのは、全然違うところであった。
「あれ?いつのまにそんなに埃だらけになっちゃったの?師匠。青いところが灰色がかって見えるよ」
<・・・それは今までお前が埃まみれの道をズルズルズルズル引きずって歩いてたせいだろうが!>
「あ、そっか。ごめんごめん。今晩お風呂で背中流してあげるね、師匠」
<そりゃどーも。背中流すついでに肩も揉んでくれ>
「え?!師匠の肩ってどこにあるの??」
<その前に俺は俺の背中がどこにあるのか教えて欲しいぜ>
「えー?背中って言ったらここでしょう?」
などと言いながら猫目のすぐ下の埃を指先で拭うジャッキー。
こいつに遠回しな表現は通じない。
<いいか、小僧。これからは風呂はもちろん寝る時も俺を放すなよ>
「なぁんだ師匠、いつもひとりで寂しかったの?」
<・・・・・・・・・>
単刀直入すぎても通じない。
この時、不本意ながらも「そうだ」と返事をしておけばよかったと、剣は後悔することになる。
穏やかな昼下がりの明るい日差しの中に潜む怪しい気配に気づいたのは、いつもどおり背中にいる剣の方だった。
数十、いや、数百もの何かが、森の中を自分たちと同じ方向へ動いている。たぶん、ジャッキーには風のそよぎくらいにしか感じられてないだろう。
これは偶然なのか、それとも尾けられているのか。
<おい、ちょっと止まれ小僧>
立ち止まってみると、そのものたちはさっさと自分たちを追い越して行く。
別に狙いがあることは明らかだ。
胸騒ぎがする。
誰かが、不用意に魔物たちを怒らせたに違いない。
問題は怒りに駆られた彼らの標的が誰かということだ。
倒された魔物たちの眷族の動物たちが一気に魔物化して押し寄せても、耐えうる力を持っているのか。
とりあえず先を急ぐと、小さな村が見えてきた。
そして、その村を取り囲むように魔物たちの気配が充ちている。
しかし何故か村には入れないらしい。
誰かが結界を張っているようだ。
そのことが更に彼らの苛立ちを高めている。
僅かな綻びでも出来れば、それこそ堰を切ったようになだれ込むつもりだろう。
例え結界を張った魔法使いがまだ村の中に居たとしても、防ぎきれるかどうか分からない。
<今日の宿はあの村にするぞ>
突然村にやって来た少年は、体に似つかわしくない大きな剣を背負っていた。
その剣を見た長老の目の色が変わった。
瑠璃色の刀身と、宝石のように輝く魔法使いの瞳と同じ色の、美しい飾りを持つ剣。
これこそ、あの人が持つのに相応しい。
いや、相応しいも何も、この剣はあの人が持つべきもののはずだ。
伝説の魔法使いが持つべき伝説の剣が、なぜこんな平凡な少年の手にあるのか。
今こそ、あの人の恩に報いることが出来る。
村を魔物たちが取り囲んでいるが何か心当たりがないかと尋ねる少年に対し、話せば長くなるからと言って自宅へ誘った。
裏口には、村でいちばん足の速い馬を用意した。
暖かい食事と香りの良い風呂が旅の疲れを癒し、ジャッキーを心地よい眠りへと誘う。
風呂からベッドに向かおうとすると、剣が急に重く感じた。
差し伸べられた手に、思わず剣を渡していた。
何か師匠が言った気がするが、もう聞いていられなかった。
ジャッキーは深い眠りに落ちていた。
そして、一頭の馬が慌しく村から出て行った。
砂煙に混じって舞い上がる、白い砂。
結界が、綻びかけていた。
村を取り巻く魔物たちの気配は、ハイネルにも届いていた。
万が一結界が破られでもしたら、女子どもと老人しか居ない村は今度こそ全滅してしまうだろう。
戻らねばなるまい。
禍根を残さぬよう、全てを葬りさるために。
所詮、魔物に堕ちるものは魔物に過ぎないのだ。
<ちくしょー、年寄りだからって油断したぜ>
必死に手綱をさばく長老の背に揺られながら、剣は大いに反省していた。
まさか、こんな人の良さそうな老人が泥棒の真似事をするとは思ってもみなかった。
それにしても、どこへ向かうつもりなのだろう。
このまま崖を駆け上がり、魔物たちの待ち受ける森へ突っ込んでいくつもりなのだろうか。
魔物たちの狙う村から出て来た者に対して、どんな凄まじい攻撃が加えられるのか。
この老人の手を借りても、ジャッキーと同じような力を自分は放つことが出来るのか。
そう思っている間にも、どんどん馬は森を駆け抜けていく。
不思議と魔物たちに動きは無い。
村から抜け出した老人にも結界が破れたかもしれない村にも、まるで無関心だ。
あいつらは一体誰を狙っているのか。
森を抜けた先の小高い丘を、満月の光を浴びながら誰かが越えて来る。
それが誰かを知った時、闇に沈んだ魔物たちの森が生き物のように身震いした。
<危ねえ!伏せろハインツ!!>
その声よりも速く、無数の黒い影が雨のように降りそそぐ。
青く澄んだ月夜の中空に、血のように赤い風の傘が開かれる。
弾かれた雨粒のように、魔物たちが落ちてくる。
その下で、魔法使いは瞬きもせず静かに高く手を挙げている。
<やめろハインツ!何やってんだ!?>
剣の声など聞こえないかのように、風の力が増していく。
中空に開いていた傘は、今は森を覆い尽くすように広がっていく。
赤い風は熱を帯び、火の粉を撒き散らして魔物たちが消えていく。
このままでは恐らく魔物たちは一網打尽に、根絶やしにされてしまう。
<無闇に魔物たちを殺すんじゃない!!あいつらを元に戻してやれ!お前にはそれが出来るだろう?ハインツ、俺の声が聞こえないのか??ハインツ!!>
聞こえていなかった。
今のハイネルには、何も聞こえなかった。