Go Quest12
剣の巻き起こした一陣の風が陰鬱な空気を薙ぎ払い、目も眩むようなまばゆい光が辺りに満ちる。
体中に沁み込んでいた繭の水が蒸発していく。
陸に上げられた魚の苦しみとは、こういうものだろうか。
皮膚が引き攣れるように乾いていく。
朦朧としていた魔王と自分の境界線が、痛みを伴って輪郭を取り戻し始める。
その痛みに耐えかねたのは、自分か、魔王か。
痛みから解放されるために求めたのは、形見の短剣か、それとも泉に満ちる濁り湯のようなあの水か。
両方か。
そうかもしれない。
地面を這うようにして手を伸ばす。
その手を、掴まれた。
「いい?フランネル引っ張るよ!!」
剣の光を浴びたフランネルの体から、黒い影が浮き上がるように見えた。
今なら、フランネルの体にくっついている魔王の体が剥がせると思った。
だから、
思い切り引っ張った。
フランネルの体に魔王が入り込んでいるなんて知らなかったから。
血しぶきが頬に飛んできて驚いた。
「フランネル?!」
<このバカまた考え無しの力技に走りやがって!>
自分の目に写ったものが、信じられなかった。
内側からフランネルの肩の肉を破っている、魔王の骨。
「え?!何??どーゆーこと???」
狼狽するジャッキーを煽るように、剥き出しになった自分の骨を濡らすハイネルの血を舐める魔王。
ジャッキーに引っ張られて浮き上がった腕の骨の、その先の蜘蛛のような手のひらを広げてハイネルの胸にあてがう。
繭の水が乾いた体は魔王の指を通さない・・・それを承知で心臓を狙って鷲掴みにする。
更に血肉を貪るように、ハイネルの体中で魔王の骨が音を立てて軋む。
体を引き裂かれるような激痛に、思わずハイネルはジャッキーを突き飛ばしていた。
その勢いのまま地面を転がるようにして短剣を掴み、泉へと身を投げる。
<逃げんなハインツ!戻って来い!!>
泉の水は、繭の中と同じように暖かかった。
柔らかく蕩けるような水が、傷口に流れ込む。
肉を解(ほぐ)し、魔王の骨を埋(うず)め、傷口を塞ぐ。
全身を覆っていた痛みがひいていく。
<<逃げんなハインツ!戻って来い!!>>
生暖かい闇の奥から、懐かしい声が響いてくる。
夢でさえ会えなくなって、何百年も経って、最後にやっと聞こえてきたのに。
怒ること無いじゃないか。
<<逃げんなハインツ!>>
逃げる?
何を言うんだ、私は逃げてない。
お前の仇を討つために魔王に立ち向かい、戦っている。
<<戻って来い!!>>
戻って来い??
どこに戻ると言うんだ、私が今から行くのではないか。
お前のところへ。
この胸を一突きすれば、行ける。
剣よ、導いてくれ。
「ああああああああああああ!!どどどどーしよう師匠!!俺フランネルに怪我させちゃった!!!」
<怪我させたくらいで騒ぐな小僧!魔王に喰われるよりはマシだろうが!!>
思わぬ事態に取り乱す弟子を普段どおりに一喝する師匠。
その、いつもの怒られ慣れた声の調子に、我を失いかけたジャッキーの表情が正気に戻る。
<いいか小僧!今のアイツは伝説の魔法使いでも何でもない、魔物たちと同じだ>
「魔物たちと同じ?」
<元に戻してやれ、小僧。お前にはそれが出来る>
ジャッキーを見上げ、緑の猫目を細める剣。
<俺で魔を祓えるのは、お前だけだからな>
「師匠・・・」
<取り戻すぞ、俺たちの手で>
剣を握る手に力をこめるジャッキー。
青い刀身に、霧のような燐光が漲(みなぎ)り始める。
初めて自分の意志で剣が光を放つのを感じる。
<分かったら、さっさと飛び込め!!>
泉の中は、底なし沼のように暗く、生暖かかった。
剣の光に照らし出された影は、胎児のように体を丸めて浮かんでいる。
纏わりついた繭の膜が細く捩(よじ)れ、臍の緒のように伸びている。
胎児と違うのは、その手に他者と自らの命を断つ凶器が握られていることだ。
胸に、突き立つ短剣が見える。
<慌てんな!よく見ろ小僧!!>
一目見て息を全部吐いて大声を上げそうになったジャッキーを制する剣。
剣の言葉に息を止め、瞳をこらすジャッキー。
色を失った魔法使いの肌に、その体を抱きかかえる魔王の骨が透けて見える。
青白い瞼を閉じて漂う魔法使いは既に息絶えているように動きが無い。
しかし、魔法使いの心臓を一突きにしているかに見えた短剣の刃は、魔王の手の甲で止まっていた。
<いつまでボケッと見てんだよ、今のうちにザクッといけよザクッと!!>
「え?でも何か魔王がフランネルを助けてくれたみたいだから」
<だからってあのまま魔法使いと魔王に人間二人羽織させとくつもりか?だいたい、魔王が助けたのは魔法使いじゃない、自分の命だ>
<<汝を闇に還さんとするものと戦え>>
<<さすれば汝、血肉を得て甦らん>>
その言葉を信じ、敵を倒して血肉を得た。
しかし、甦ることと、生き続けることは別だった。
憎しみ、恐れ、悲しみ、怒りに満ちていた人々の表情が、敵を倒した瞬間、弾けるような歓喜に沸き立ち・・・自分はそれまで感じたことの無い猛烈な飢餓感に震えた。
人々が喜びの酒宴に興じるのを見て、同じように杯を空け、料理を口に運んでも、震えは止まるどころか、ますます激しくなっていった。
嬉しそうな人々の笑い声が無関心に響き渡り、自分を拒絶する壁のように辺りに満ちている。
今まで自分の力となっていた人々との一体感は完全に消え去り、底知れぬ疎外感に膝を抱えて蹲(うずくま)る。
震える身体を抑えようと、頭を膝に載せ、組んだ両手に力を込める。
項垂れた目の前で、自分の身体がみるみるうちに痩せ衰えていく。
骸骨のような身体に戻っていく。
どういうことだ。
自分は、これから血肉を得て甦った身体で生きていけるのではなかったのか。
それなのに、
奪い取った血は体を巡ることなく肉に吸われるように消え、肉は骨と皮の間で萎(しな)びていく。
厭だ。
甦ったと同時に滅びるなんて。
きっと、震えが止まらずに身体が痩せていくのは飢えているからだ。この飢えを満たせば、自分は生きていけるに違いない。
そのためには、無理やりにでも酒宴の席につき、何か口に入れた方がいいのだろう。
そう思った時、誰かの手が肩にかかった。
気分でも悪いのか、大丈夫かと声をかけてきた相手に答えようと顔を上げると、そこには恐怖に歪む男の顔があった。目を見開き、口を大きく開けて「化け物」と叫ぶ男の悲鳴が歓喜の輪を崩す。
悲鳴をあげて逃げ惑う人々を眺めているうちに、身体の震えは止まっていた。
そして、自分の飢えを満たすものが何かを悟った。
人々の憎しみ、恐れ、悲しみ、怒りが、飢えをしのぐ命の糧だったのだ。
どうしてなのか、分からなかった。
どうして、他のものと同じように生きられないのか。
何が違うのか。
魔法使いの身体に入り込んだ今、気がついた。
手のひらの下で脈打つ鼓動。
この、握り潰せるほどの小さなものが自分の体には宿っていなかった。
自分には無くて、他のものたちにはあるもの。
命の源、心臓。
死んでも構わないというのなら、血も肉も心臓も全部俺に寄越せ。
俺は、生きたいんだ。
<・・・でもな、それはやっぱり自分自身で生きることとは違うんだよ>
「師匠?」
<早く祓ってやれ、小僧。さもないと魔王が魔法使いの心臓を引き抜いちまうぞ>
「えええ?!」
そう言われて見れば、大きく広げた魔王の指先がハイネルの胸の中へと沈み始めている。
「うわ!ちょっと待ったー!!」
思わず剣を魔王の腕の下に滑り込ませるジャッキー。
斬るとか祓うとか言うよりも、ただ魔王の体が魔法使いから離れてくれればいいと思った。
その瞬間、大きなうねりと共に青い閃光が走り、その光の中で影が二つに分かれた。