Go Quest11
音も無く色も無く、ただ暖かい。
空気のように自分を包む、濁り湯のような水。
人肌ほどの温かさの水の粒子が体中に沁みてくる。
蕩(とろ)けていく。
解(ほど)けていく。
ぬるり。
と、骨まで沁み込んできた水が、動き出す。
ゆるゆると、解(ほぐ)れた肉が骨から浮き上がる・・・。
「フランネル!どこ!?助けに来たよ!!!」
不意に響いた自分を呼ぶ声に、我に返るハイネル。
遠いのか近いのか分からないが、心配そうに駆け寄ってくるジャッキーの姿が見える。
駄目だ。
来るな。
制止のために動かそうとした手が上がらない。
その代わりに声を出そうとして、咳き込んだ。
目の前が赤く濁る。
口の中に血の味が広がる。
胸に鈍痛を感じる。血が流れている。
自分が魔王に負わせたはずの傷を、何故か自分も受けている。
どういうことだ・・・?
魔王はどうした・・・??
赤く濁った水の向こう側で、胸に短剣の刺さった魔王が浮かんでいる。
目を見開き、ぱっくりと口を開けて漂っているその姿は、既に事切れているようだ。
しかし。
ぱっくりと開いた魔王の暗い口腔へハイネルの血に染まった水が流れ込んだ瞬間、
その喉がごくりと動いた。
目の錯覚では無い。赤く濁った生ぬるい水を、喉を鳴らして、旨そうに呑んでいる。それまで無表情だった両眼には明らかに挑
発的な光が差し、ハイネルの驚く顔をはっきりと映し出している。
まだだ。
まだ、生きている。
とどめを刺さなければ。
あの短剣をもっと深く刺し込まなければ。
そう思って手を伸ばそうとしても、動かない。指一本も上がらない。
そんなハイネルを嘲笑うかのように、魔王がゆっくりとした動きで自分の胸から短剣を引き抜き、投げ捨てた。
骸骨のような魔王の胸からは一滴の血も流れていない。ぽっかりと穴が開いているだけだ。
そして、
<<ソ・ノ・カ・ラ・ダ・ヲ オ・レ・ニ・ヨ・コ・セ>>
骨と皮だけの魔王の手がハイネルの顔を掴む。
まるで粘土細工を握りつぶすように、指先が食い込む。
止めろ。
触るな。
魔王への憎悪に昂ぶったハイネルの頭には、呪文すら浮かばない。
いや、呪文を唱えようとしても舌さえ動かないのだ。
悔しさと歯がゆさに、魔王と自分自身への怒りが募る。
ハイネルの体に沁み込んでいた繭の水が、ざわざわと沸き立ちながら骨と肉の間を滑る。
網の目のように広がる水に、解(ほぐ)されていく。
羽交い絞めにされているのか何なのか、全身に骨ばった魔王の体が食い込んで来る。
体が動かない。
息が出来ない。
溺れる。
「返事をしてフランネル!ここに居るの??全然見えないよ〜!!」
自分の頭上に浮かぶ繭の下で、ジャッキーは懸命のジャンプを続けていた。繭の底に沈む人影が見えるのだが、半透明の膜と
赤く濁った水のせいでそれが誰なのか分からない。
<・・・お前はぶら下がったバナナを取りたいサルか?小僧。っつーか、サルでももうちょっと頭使うぞ!>
「え?!何??サルでも何使うって?師匠」
<サルでも棒とか道具を使うっつーの>
「棒?」
<って聞いてそのまんま棒探すなよ!お前、手に何持ってると思ってんだ?>
「・・・師匠」
<だろ?だから俺を使って・・・ってお前何しやがんだオイ!!>
自分を上に挙げて中を覗かせるとか、繭を切って中身を出させるとか考えていた剣の予想を裏切って、ジャッキーは勢いよく地面
に剣を突き立てた。そしてジャンプしてその鍔の上に立とうとし、高さが断然足りずに剣を蹴り倒す。
「あれ?」
<なぁにが、あれ?だ!バカサル小僧!!俺に飛び乗れるくらいのジャンプ力があったらバナナ取れてるだろ!!!じゃねーや、
楽勝で繭ン中覗けてるだろ!!!!それが出来ねーから俺を使えってーのに分からねえヤツだなお前は。俺が代わりに中見て
やるからさっさと俺を上に挙げろ!>
「待って師匠、もう1回やらせて!俺、バランス感覚には自信があるんだ!!」
<うるせー!!てめぇ師匠を足蹴にしておいて破門されたくなかったら言うこと聞け!!!>
「えーでも俺も中見たいよぉ師匠〜」
<だったらお前にも見えるように中身出してやるから、俺で繭の底切れ!>
「うん!分かった!!」
元気良く返事をし、思い切りジャンプして剣を一振りするジャッキー。
赤黒い繭の底を青い燐光が切り裂く。
裂け目を押し開けるように、中から黒い塊が落ちてくる。
その重みに引きずられ、塊に巻きつくようにして膜が破れていく。
地面に転がる塊に濁った水が降りそそぎ、剣の光を受けてぬるぬると鈍く照り返す。
その姿は・・・
「フランネル!?」
地面に落ちた衝撃で、喉を塞いでいた血と水を吐き出すハイネル。
息を吹き返す。
しかし、相変わらず身動きは取れない。
<魔王・・・>
纏わりついている半透明の膜のせいでよく見えないが、姿勢の良い魔法使いの背中にはいびつな影が出来ている。いや、影と
いう曖昧なモノではない。その体に取りついているのは・・・魔王だ。魔法使いの表情は、顔を鷲掴みにしている魔王の手の陰にな
っていて読み取れない。
<あのバカ。マジで喰われるつもりかよ>
「えええええ!!フラフラフランネルが食べられちゃうー!?」
<このバカ!喰われる前に助けなくてどーすんだよ!!>
「えええええ!?どど、どーやって??」
「・・・その短剣を取れ、ジャッキー」
「え?」
剣との会話に割って入ってきたフランネルの声は、別人のように掠れて小さかった。
でも、ジャッキーは聞き逃さなかった。
フランネルの言う通り、少し離れたところに落ちていた短剣を拾って振り返る。
大きな蜘蛛のように広げられた魔王の手の、指の間からのぞくフランネルの両眼が細められ、血で汚れた唇の端が僅かに上が
る。
笑っている。
「いいこだ、ジャッキー。その剣で私を刺せ」
「え?!」
「魔王は、この体に捕らえてある。だから・・・私ごと魔王を刺し貫け」
捕らえてあると言ったのは、ハイネルの最後の意地かもしれなかった。
客観的に見れば、捕らえられているのはハイネルの方だ。
繭の水に蝕まれて腐肉のように蕩けた肉が魔王の骨と皮の間に吸い取られていくようでもあり、蕩けた肉に骨と皮だけの魔王
の体が溶け込んでくるようでもある。どちらにしても、自分と魔王を隔てる境は既に見失っている。
「え??何言ってんのフランネル?そんなことしたらフランネルも死んじゃうだろ?!」
「・・・いいんだ、もう。私は。魔王を刺し違えて死ねるなら本望だ」
「諦めちゃダメだよフランネル!まだ勝負はついてないよ!!」
<よく言った小僧!それでこそ俺の弟子だ!!>
ジャッキーの手の中で、剣が一際鮮やかに輝いた。