Go Quest 10
普通の人間では息すら出来ないような瘴気の中を進みながら、不思議と落ち着いてくる自分にハイネルは気がついていた。しか
しそれは、魔王との最期の戦いに向けて集中力が増しているからだと思っていた。歩く自分の足元さえ見えない暗闇は微熱を帯
びて生暖かく、輪郭を失った自分自身が溶けていくような感覚に陥る。今、ハイネルが自分自身を保っていられるのは、どんな闇
にも消されることの無い魔王への憎しみが胸に燃えているからだ。
そんな自分の胸のうちに応えるように、腰に帯びた短刀が赤く光る。
刀身が発するその光は血のように赤く、生ぬるい水気を帯びた洞に霧のように溶けていく。
もうすぐだ。
もうすぐ仇が討てる。
剣よ、
私を、導いてくれ。
魔王のもとへ。
この命と引き換えにしても、必ず魔王を滅ぼしてみせる。いや、そうしなければならぬ。
限りない喪失感と消えることの無い後悔の念に蝕まれ、いつ命を落としてもおかしくなかった自分が何百年と生き永らえていた
のは、この手で魔王を滅ぼす時を待っていたからに違いない。
ここで命を捨てなくて、どうすると言うのだ。
その時は、
剣よ、私の魂を導いてくれ。
剣士のもとへ。
もう、独りにはしておかない。
私も、もう独りではない。
独りではないのだ。
そう思うと、死ぬのも怖くなかった。
<<汝を闇に還さんとするものと戦え>>
<<さすれば汝、血肉を得て甦らん>>
もうすぐ。
もうすぐ手に入る。
一度は朽ち果て、骨と皮だけになってしまったこの身体に、血肉が戻る。
自分を取り囲む生暖かい水の中に、溶け込んでくる魔法使いの気配。
黒い鏡のような水面に、ゆっくりと像が浮かびあがる。
近づいてくる。
自分を誰よりも憎み、その上計り知れない力を持つ魔法使いがやってくる。
奴を倒して血肉を手に入れれば、もう誰も自分を滅ぼせまい。
自分は、誰にも邪魔されず生きていくことが出来る。
もう、独りでも生きていける。
死んでも構わないというのなら、その身体を俺に寄越せ。
剣から溢れる清廉な風で瘴気を払いながら、ジャッキーは暗闇の奥へと進んで行った。
青い燐光によって浮かびあがる地面はてらてらと黒光りして柔らかく、足音すら呑み込んでしまうようだった。
「すごいなフランネル、こんなところをスイスイ歩いてっちゃうんだからさーさすが魔法使いだよねー」
<何がすごいもんか、今のアイツは自分の意志なんかで歩いてない>
「え?!」
<自分を見失って憎しみに支配されて、魔王に手繰り寄せられてるだけだ。間違いない>
「えええ??自分を見失ってる?!あのフランネルが!!??なんでそんなことが分かるの???」
<分かるさ。目の前に居るのに、アイツはこの俺に気がつかなかった>
「えーーーーーーーーーー」
<ンだよ!!えーーーーーーーーーーって>
「だってさ〜人間から剣に変わってるなんて普通気がつかないと思うよ。それで自分を見失ってるなんて言われてもなあぁあ」
<あのなあ。お前、アイツを誰だと思ってんだ?伝説の魔法使い様だぜ?そしてこの俺は何を隠そうアイツを伝説の魔法使いにし
た男だぜ!そんな思い出深い相手なら普通気がつくだろ!ってゆーか、だいたい、通りすがりの小僧のお前でさえ初対面で俺の
声が聞こえたのに、何でかつての相棒にして魔法使いのアイツには聞こえないんだよ!?おかしいだろ!!!>
「なぁんだ師匠、フランネルに忘れられて拗ねてるの?」
<・・・・・・・・・とにかく、百万歩譲って俺がアイツに忘れられてるとしてもだ、アイツが魔王を倒すのに伏魔の剣を使おうとしないって
ことが既におかしいんだよ。アイツは魔物を殺して退治する破魔の魔法使いじゃなかったはずだ。伏魔の剣で相手に憑いてる魔を
祓うのがアイツの流儀だ。だから、例え俺の存在に気づかなくても、魔王を倒すには伏魔の剣は持ってなきゃ駄目なんだよ。それ
を、こともあろうに底なし沼なんかに捨てるってことは、今の魔法使いは魔王を生かすことはこれっぽっちも考えてない。殺す気だ。
殺したいほど憎んでるってことだ>
「あのフランネルが・・・相手を殺したいほど憎む・・・?」
そんな激しい感情を、あの優しい魔法使いが抱くものだろうか。
<小僧、お前はどうだ?魔王が憎いか?>
「別に憎くないよ。何も厭なことされてないもん」
<怖いか?>
「怖くないよ。何も怖いことされてないもん」
<自分を邪魔者扱いした魔法使いのことはどうだ?怒れたり、恨んだりしてないか?>
「するわけないじゃん、だってフランネルは俺がどれだけちゃんと出来るか知らないだけでしょ?これからが俺の腕の見せ所ってわ
けだよ。フランネルがビックリして褒めてくれるかもしれないと思ったら、ワクワクするよ」
何でそんな当然のことを聞くの?と不思議そうな顔をするジャッキーに、目を細める剣。
例え魔王に対して憎しみや恐怖を感じてなくても、魔法使いに対して怒りや恨みを抱いていれば、その感情が魔王の力になって
しまう。
しかし、ジャッキーにはそんな負の感情はひとかけらも無いらしい。
<俺の目に狂いは無かったな。魔王に勝てるのは、小僧、お前だ>
「え?!どーゆーこと??」
<お前は、魔王に何の力も与えないってことさ>
「魔王に・・・力を与えない?」
<そうだ。あとは、魔法使いよりも先に魔王のところへたどり着くことだな>
「魔法使いよりも先に?」
<魔王は相手の憎しみを自分の力に変える。魔法使いが魔王を憎めば憎むほど、魔王の力は強くなるってわけだ。つまり、今の
魔法使いが魔王のところへ行くってことは、飢えた狼に向かって、丸々太った子羊がどうぞ自分を食べてくださいってお願いしに行
くようなモンなんだよ>
「ええええええ???フランネルが魔王に食べられちゃうの!?!?!?!」
<(ってソレはものの例えだろーが!でも焦らせるにはちょうどいいから黙っておこう)そうだ。魔法使いを助けたかったら、急げ小
僧!!>
「何だよもー先に言ってよ師匠!!」
と、慌てふためいて走りだした途端に滑って転ぶジャッキー。
起き上がろうとして地面に手をついたジャッキーは、何とも言えない違和感に動きを止めた。
手のひらの下の柔らかいものが動いている。
手の甲を何かが横切っていく。
闇とは異質の黒いものたちが、ざわざわと蠢いている。
自分たちを追い越し、何かに向かって突き進んでいる。
これは、どこかで見たような光景だ。
<小僧、お前・・・何連れて来た?>
「え?あ!」
忘れてた。
「・・・フランネルに噛みついた魔物」
<何やってんだこのバカ!!この期に及んで敵増やしてどーすんだっつーの!!!>
「えーでも、フランネルに火事を消してくれたお礼をしに来たのかもしれないしー」
<・・・お礼はお礼でも、お礼参りだと思うぜ>
「そんなぁ、みんなちょっと待ってよー!」
ジャッキーは、大慌てで魔物たちの群れを追いかけて走り始めた。
洞の奥の、ひび割れた地の底に湧き出す泉。
黒光りしている鏡のような水面に手を翳すハイネル。
「こんなところに隠れていたか」
そして、水面に翳していた手をゆっくりと上げていく。
鏡のようだった水面が細かく波立ち始める。
ハイネルの手の動きに合わせて、暗い水の底から空中に浮かび上がってきたそれは、
巨大な水の繭。
形見の短刀を抜き、半透明の水の膜に手をかけるハイネル。
短刀の放つ赤い光に照らされて、中の様子が透けて見える。
そこには、胎児のように身体を丸めて眠る魔王の姿。
「うわ!!何だ?あれ!?」
魔物たちを追って洞の奥にやって来たジャッキーは、暗闇に浮かぶ魔王の姿に思わず足を止めた。
陽炎のようにゆらゆらとした姿に、一瞬幻かと目を疑う。
それが幻でないと分かったのは、魔王に対して短刀を構えたフランネルの姿を見つけたからだ。
<やめろハインツ!!!>
剣の言葉より早く、無数の魔物たちがハイネルに襲いかかる。
「ちょっと待ってみんな!」
<やめろお前ら!殺されるぞ!!>
「え?!嘘だろフランネル!!」
剣の青い光が魔物たちを包んだ瞬間、赤い炎が弾け飛んだ。
小さな火の玉を指先に浮かべながら、フランネルがこちらを睨んでいる。
「これ以上、私の邪魔をするな」
「違う!違うよフランネル!!俺、助けに来たんだって!!!で、こいつらは犬みたいなもんで、ちょっとフランネルに飛びついてみ
たかっただけだよ!な!!」
必死にこの場を取り繕おうとするジャッキーの努力も虚しく、魔物たちは敵意剥き出しでフランネルを威嚇している。
「聞く耳持たんな」
フランネルが指先で弾いた火の玉が、炎の渦となって迫り来る。
魔物たちも負けずに渦となって立ち向かう。
あいだに立つジャッキーは、両側からの攻撃に晒される。
「うわ!!!どど、どーしよう!!師匠!!!」
<ったく、どいつもこいつも!!>
ジャッキーの腕を振り回すように、大きく弧を描く剣。
その軌跡に刀身から巻き起こる風が壁を作る。
炎も魔物たちもその壁に跳ね返されてパラパラと地面に落ちてくる。
しかし、眷族の恨みを晴らそうという魔物たちは次々に起き上がり、今度は風の壁を越えようとお互いの上にどんどん積み重なっ
ていく。
<しょうがないな、小僧!まずはこいつらから片付けるぞ!!>
「え?片付けるって!?」
<1匹残らず魔を祓うんだよ!小僧、片っ端から撫でてやれ!!>
「うん、分かった」
とりあえず、すぐ足元で目を回している小さいのをつまみあげて撫でてやる。
「いいこいいこ。お前はホントはいいこなんだから、もうお帰り」
<・・・何やってんだ?お前>
「え??だって今師匠がみんな撫でてやれって」
<お前の手で撫でてやったって、せいぜい痛いのが飛んでくだけだろーが!俺だ俺!!俺で祓えっつーの!!!>
「あ、なーんだ。それならそうと早く言ってくれればいいのに」
自分の炎の渦が風の壁に阻まれたのを見て、ハイネルは少し驚いた。
更に、魔物たちに対して剣を振るい、何やら伏魔の術を施している様子に感心した。
あの剣をジャッキーが使いこなしているのか。
そして、大いに安心した。
例え自分がここで魔王と刺し違えたとしても、あの剣が使えるのなら、この瘴気に満ちた洞からひとりで抜け出せるだろう。
これで、心置きなく戦える。
ハイネルは再び水の繭に手をかけた。
短刀の切っ先が膜に入る。とろりとした暖かな水が洩れてくる。裂け目から溢れる水が、ハイネルを濡らす。
水が抜け、バランスを崩した魔王の体が、前転するようにハイネルの方へ落ちてくる。
目の前に、骨と皮だけになった魔王の胸が見える。
ついに。
ついにこの時が来た。
ハイネルが魔王の胸に形見の短刀を突き立てたその時、
魔王が目を開けた。
目が合ったと思った瞬間、ハイネルは物凄い力で繭の中へ引きずり込まれた。