第五章
取り巻く世界は全て優しく、善悪も定まらないまま成獣になったものだけが許される領域に踏み込んだ。
『土』の王が開催した非公式パーティ。
平和な世界とはいえ、全種族が一堂に会するのはとてもめずらしい。
前回は着いていくことが許されなかったが、王族の証である宝玉を賜った今は行ける。
この非公式のパーティは、全種族の将来に関わる大切なことだからと『水』の王は言っていた。
皆がパーティの主役に夢中になり、誰も自分に注意を向けていないのを確認してからその場を抜け出す。
確かに喜ばしいことだとは思っていたが、まだ子どもの私には難しい話が多すぎて退屈だった。
『土』の城に、古き時代には反目しあっていた『水』の種族が招待されることなど滅多にない。
この機会を逃したら、いつ来れるか・・・
自分が住む城とは全く違う『土』の城。
地上に足を着ける『土』の種族の城は、地上を歩くという行為に配慮されたとてもめずらしい形だった。
中でもめずらしい階段という名の地上にわざと作られた段差を眺め、その先の扉を抜けて庭へと出た。
目の前に広がる岩の森。
自分の身体よりも高く、様々な岩が積み重ねられていた。
自分を呼ぶ声が聞こえた気がしたけれど、好奇心には勝てずにその森の中へ身体を滑りこませる。
その領域がどんな意味を持つものか、知らないまま。
岩で形成された木々の間を通り抜け、奥へ、奥へと進む。
白い石で敷き詰められた道が、その先には見えた。
一目で、それが特別な場所へと繋がる道であることがわかる。
そこから伝わってくる『土』の力が、『水』である自分には辛いくらい。
ビリビリと肌に見えない力が突き刺さる。
それでも、ふらりとその道の上に身体を進めてしまった。
どこか、彼方へ続くような気がして。
途端、相反する力に反発した何かが自分の身体に跳ね返ってきた。
『水』の種族が感じることの無い、大地を踏みしめる感覚が足から伝わってくる。
種族の違いをねじ伏せてでも、この道は足で歩くことを強要するほどの力を持っていた。
目を開けていられない圧迫感が、つま先から頭の先へと一気に襲い掛かってくる。
迫りくる何かに、意識までも飛ばされていた。
そして
「何をしている?」
意識が戻ると、見たことのない場所に放り出されていた。
水と土と木と風が共存している空間。
自分の住んでいた世界から、弾き飛ばされてきたと知るには十分な光景が広がっていた。
突然のことに泣くことしか出来ない自分。
そんな自分を、見下ろす影。
話しかけられるまで、気付くことすら出来なかった。
「・・・水の種族・・・この宝珠は王族か」
自分が首に掛けていた宝珠を手に取り、それは笑った。
『水』の王家以外が触れることさえ許されない青く輝く宝珠。
それを前触れも無く触れられ、泣くことも忘れ相手を見上げた。
「これで、わが国にも運が向いてきた」
あたりを見渡すと、自分と同じ『水』が居ることに気付く。
皆、心配そうに私を見ていた。
「ここは、どこ?」
「ここは・・・」
応えてくれようとしたのに、
「黙れ」
たった一言でそれは遮られてしまった。
突然腕を捕らえられ、引き寄せられる。
「さあ、NAGUMOのために働いてもらおうか?」
これが、この世界の大地から徐々に水が失われる、その直前の会話だった。
それから、自分はずっと捕らえられていた。
自分も、この世界に来ていた『水』の仲間も。
他の仲間との接触さえ絶たれ、『風』とあの人だけが自分の全てになった。
どうしてこの世界で、自分の力を使うのに人間の許可が居るのか。
どうして自分の命を、人間に預けるのか。
全くわからなかったけれど。
いつもどこか遠くを見ているあの人の瞳。
気がつくとその想いに同調している自分がいた。
深い、悲しみ。
強い、劣等感。
残りわずかとなった自分の時間を、あの人の役に立てたかった。
この世界に自分を閉じ込めた彼。
会話を許さず、声さえ奪った彼。
けれど・・・憎みきれない。
この黒く染まり出した肌を見て、『風』は病だと言ったけれど・・・『水』にとってこれは病ではない。
『水』を象徴する黒。
その色に身体が染まった時、我々『水』の種族は最大限の力を発揮することが出来る。
遥か昔、召喚種族で争いあっていた頃の『水』本来の姿。
オレの場合は、あふれ続ける力を体の中に無理やり閉じ込めてしまった結果。
今は召喚契約を締結したため、召喚士に命じられれば力を開放することは出来る。
けれど、今までの体への負担が消えてしまうわけではない。
だから。
急がなければ。
ゴォォォー!!
グーデリアンの口から炎が放たれる。
間に合わないッ!!
助けようと手を伸ばしても、フィルまであと数歩足りなかった。
目の前に吐き出された炎が広がり、フィルの姿がその中に消えてしまう。
「止めろ!!!」
グーデリアンを睨み叫ぶが、その金の背には深々と突き刺さる氷の矢が。
言葉を、失う。
衝撃と痛みに、背中をしならせるグーデリアン。
『ウグッ』
その口から吐かれていた炎の勢いが止まる。
氷の刃に貫かれているグーデリアンか。
先ほどまで炎に包まれていたフィルか。
迷う私の前で、体勢を立て直したグーデリアンは、
『ミテヤレ』
フィルを顎で示した。
「わ、かった」
床上数センチ。
宙で身を丸めているフィルの傍へ走り寄る。
床を嘗め尽くしていた炎が、私とフィルの周りだけすっと引いていた。
フィル自身、炎に身を焦がしたはずなのに、身体にも、衣服にすらその形跡は見られなかった。
その代わり、フィルは両目を押さえ呻いていた。
『・・・目が・・・くっ』
目くらまし・・・か?
グーデリアンを振り返ると、すでに攻撃態勢を整えていた。
『コレデ、ジャマハハイラナイ』
立ち上がったグーデリアンの背中から、突き刺さっていた氷の矢が一瞬で蒸発。
抉り取られた肉も、ゆっくりと盛り上がり、治癒されていく。
「くそっ!」
王座から立ち上がり、忌々しげに舌打ちする名雲。
「大国AOIの影に霞む小国NAGUMO。
吸収を迫られ続け、幾度も戦争を仕掛けられてきた歴史。
それを覆す時が今なのだ!!!
フィル!何をしている!!」
名雲の声に押され、なんとか立とうとするフィル。
「止めるんだ!
これ以上何かしたら、グーデリアンに・・・」
思わずフィルの腕を掴むと、ずれたローブの隙間からその喉に刻まれた傷が視界に入った。
深く刻まれた一文字の傷口は、かなり古いものだとわかる。
『・・・あなたは、さっき後ろにいた人間?』
閉じた瞳で、私を覗き込むフィル。
どうしてフィルの声は、離れていても間近に聞こえていたのかわかった気がした。
声ではなく、何か力を使って話している。
唇が動いていない。
「そうだ。
君の傷は深い。
動かない方がいい」
切れた額から流れ出ている青い血は、未だに止まる気配がない。
それ以外にも、ローブの裂け目からのぞく肌には打撲や切り傷が見えていた。
『ありがとう。
でも、そういうわけには行かない。
オレは、あの人の、召喚獣だから』
私の手を断り、宙に立つフィル。
「召喚獣がなんだと言うんだ?
自分より、名雲の命令を優先させるなんておかしいだろう!
名雲の王も、どうしてこんな使役の仕方をするんだ!!」
『これが、当たり前のことだからです』
揺ぎ無いフィルの言葉。
『召喚種族は、契約を交わした召喚士の指示でしかこの世界で力を使えない』
不意にフィルの右手のひらが私の額に当てられる。
『あなたは、私以上に召喚に関して知識がない。
だから、選ばれたのでしょう。
けれど、これ以上深入りすることはありません。
もっと、下がっていてください』
手のひらの冷たい感触が、言葉と共に去っていく。
言葉の意味を理解しようと、名雲やフィルから意識が外れた時。
背後では、グーデリアンを中心に床の炎の勢いがより一層強まっていた。
『サッサト、ケリヲツケル』
グーデリアンの咆哮。
『止めてくれ、グーデリアン!!』
名雲の命令に従うために、見えない瞳で王座へ戻ろうとするフィル。
フィルから名雲のいる王座まで数百メートル。
その間には、炎が立ち昇り続けているというのに!
「駄目だ!
このままでは焼け死ぬ!」
『離してください!』
言葉を交わす私たちを無視し、
「その刃で敵を引き裂け!
氷の刃!!」
名雲の腕が光を放ち、フィルがそれに呼応する。
私が捉えるよりも一瞬早く、フィルの右腕は天井に向かってまっすぐ上げられていた。
「止めろ!フィル!!」
私の叫びも空しく、フィルの腕が振り下ろされた。
滝から流れ落ちる水が宙に球体と成って無数に浮かび上がり、薄くて平たい、手のひらよりも一回り小さな幾つもの薄い氷を形成する。
そして、無数の刃となって一気にグーデリアン目掛けて宙を走った。
無数の煌き。
床を嘗め尽くすように広がっていた炎が、フィルとグーデリアンの間に幾本もの火柱となって立ち上がる。
炎の熱気に阻まれ、次々蒸発していく氷の刃。
その間にグーデリアンは名雲に向かって跳躍していた。
「クソッ」
『名雲さん!!』
王座から立ち上がり、避けようとする名雲。
私の手を払いのけ、炎の踊る宙を走るフィル。
グーデリアンの爪が名雲を捉え、その体ごと王座をへし折り池の中に払い落とした。
ザザーッ
水しぶきを上げて、池の中に沈む名雲と王座の破片。
『名雲さん!!名雲さん!!』
炎を潜り抜けたフィルのローブは、ところどころ焦げてはいたが、身体に火傷の跡は見られなかった。
名雲を案じ、池上に戻って落ちたあたりに手を差し伸べる。
池が漣、名雲の身体が横たわった姿勢でゆっくりと水面上に浮かび上がった。
赤く血に染まった水が、ポタポタと池に落ちていく。
『大丈夫ですか!?』
「・・・ああ」
名雲は頷いたように見えた。
今までは炎に妨げられ進めなかった部屋には、フィルの通った後に一本の道が出来ていた。
フィルが転がった跡と同様、再び炎がそこには灯らないようだ。
私は意を決して、グーデリアンたちのいる池の方に向かってその道を走り出した。
『グーデリアン!!
人間を傷つけることは、今のあなたには許されていないはずだ!!!』
視界が戻ったらしいな。
紫の一対の目が、オレを睨む。
水浸しの人間を王座の残骸に座らせて、ユラリと闇色の闘気まで纏ってやがる。
もともとここに来させられたのは、お前のせいだと言うのに・・・のんきな王子様だ。
『オマエヲラチシタモノニ、トウゼンノムクイヲウケサセロト、オマエノジイサンカラタノマレテイル』
フィルの目がぎくりと強張る。
お前のじいさん、イコール『水』の王から頼まれれば、この世界での禁忌も許可される。
特に今回は、他の種族にまで波紋を広げていたからな。
『ドケ。
オマエハ、タノマレモノノトシテ、ムコウニツレカエル』
威嚇代わりに炎を吐くが、フィルはその場からどこうとしない。
『向こうに帰る気は、無い。
名雲さん、命令を』
人間がオレに受けた傷は、深手のはずだ。
肩から流れ出る血は、止まる気配はない。
それでも、戦いを止めようとはしないのか。
青白い顔で、頷きやがった。
「いいだろう」
これ以上長引かせても、意味は無い。
オレは止めを刺すために、再び名雲に爪を向けた。
「やめろ、グーデリアン!!」
王座まで、あと数十m。
その目前で、グーデリアンの腕が再び名雲に向かって襲い掛かる。
これ以上は、死んでしまう。
私がその場に到着するよりも、フィルがその間に体を滑り込ませる方が早かった。
ザクッ
グーデリアンの爪が、フィルの身体を貫き床に叩きつける。
「・・・くそっ」
名雲は自分の身代わりとなったフィルを見下ろし舌打ち。
グーデリアンはグッタリと身を沈めるフィルを、呆然と立ち尽くしていた私目掛けて乱暴に放った。
『コレイジョウ、ジャマヲスルナ』
私にではなく、フィルにそう告げて名雲へとその血塗られた足を向ける。
フィルを慌てて抱き寄せるが、その身体には全く力が入っていなかった。
背中からも、腹部からも。
絶え間なく流れ続ける青い血が、私のローブを染めていく。
「大丈夫か??」
ゆすることも出来ず、声をかけてはみるが無反応。
・・・こんな召喚関係は、間違っている!!
「グーデリアン!
血が、止まらない!!!」
背中を支えていた右手のひらは青い血で濡れ、白いローブも青く染まっていく。
一方的に名雲に従い、自分の命まで厭わないなんて。
血の気の引いたフィルの唇には、色さえない。
『スグニスム』
振り向きもしないグーデリアン。
『オマエハ、バランスヲクズシスギタ』
名雲はその言葉に、水に濡れた髪をかきあげ低く喉の奥で笑う。
先ほどの傷が深いのか、体はグッタリと王座に預けたまま。
「バランスなど、知ったことか。
ただ私は、この国を守りたかっただけだ」
『ソレニ、ワレワレヲマキコンダコトガ、サイダイノハイインダナ』
しばらくの沈黙。
「・・・後悔はしていない。
AOIへの吸収以外の道は、これしかなかった」
名雲は、ゆっくりと目を閉じる。
「そんなこと、あるわけないだろう!!」
我慢できず、名雲を睨む。
腕の中で動かないフィル。
召喚種族がどれほど強い生命力にあふれていても・・・これほどのダメージを回復することは出来ないだろう。
私の腕を伝い、床に血溜まりが広がっていく。
名雲は目を開き、私の方を見た。
「君は、甘いな」
甘い・・・だと!?
「フィルを、自分の召喚獣を、自分の利益のためだけに使う人間に、人の上に立つ資格なんてない!」
激高する私に、全く動じない名雲。
「・・・召喚契約とは、そういうものだ。
君たちの場合、多少異なる点はあるようだが、な」
まるで子どもに言い聞かせるような、穏やかな声。
それが私の神経を逆なでする。
「従う、従わせる、そんな関係だけがすべてじゃない!
そんな上下関係でしか結ばれない関係なんて、おかしいだろう!!
それに、その力だけ必要だから、召喚種族と共に過ごしているわけじゃない!
その存在が、必要だから共にあるんだ!!」
名雲は低く笑う。
「面白いことを言うな」
その時、フィルの指がかすかに動いた。
「フィル!?」
『・・・』
弱弱しく微笑むが、開かれた瞳はどこも見ていなかった。
パリンッ
軽い音と共に、名雲の手首で何度も光り輝いていたものが砕け散る。
ビクッと、フィルの身体が震えた。
『・・・な、ぐもさん』
掠れた思念。
「最期、か。
万策尽きたな」
名雲は床に落ちた光の破片を見下ろす。
その顔は、どこかホッとしているように見えた。
フィルは右手を震わせながら、自分の胸元を掴む。
『グ・・・デリ、アン。
ココで、ボクは、消える』
『・・・ソレデ、イイノカ』
グーデリアンは名雲の座る王座の前から私の横に移動し、フィルを覗き込むように顔を近づけてきた。
鬣の炎が揺れるたびに、肌がひりひりと焼ける感覚。
フィルはかすかに頷いた。
『ハイネル、イクゾ』
フィルを、置いていけ。
そう、金の瞳が私に告げていた。
「・・・一体、どうする気だ?」
フィルを離せずにいる私のローブを、牙の端で引っ掛け乱暴に私を立ち上がらせようとする。
不思議なことに、その炎が私の体を焼くことはなかった。
熱さも、感じなくなっている。
・・・なにか、召喚種族同士でしかわからない方法で助けようとしているのか?
ゆっくりと私はフィルの体から手を離した。
ズルズルと、自分の血で染まった床に沈んでいくフィル。
『オレニコロサレルノト、ドチラガイイ』
王座から動こうとしない名雲に、グーデリアンは一方の選択肢だけ告げる。
名雲にはそれが何を指すかわかるらしい。
「フィル、やれ」
そう一言告げた。
フィルの体が淡い光に包まれる。
そして。
何が起ころうとしているのか目を凝らす私の体は、グーデリアンの口に挟まれた。
「何をする!?」
驚く私を無視し、グーデリアンは城内を駆け抜けその場を後にした。
水に返そう。
あなたの夢だったこの国全てを水に。
誰にも侵略されることの無い水の世界に。
ただ念じればよかった。
消滅する自分を、隠せと。
自分の世界に帰らずに、この世界で死を迎える自分の姿を隠せと呼びかけるだけでよかった。
自分の死のためなら、召喚士の力を借りなくても自分のために力を使うことは出来る。
召喚種族であることに誇りを持つ我々に、唯一与えられた自分のために使う力。
誇り高き召喚種族の死を、人間に見せないための力だった。
突然の豪雨。
今まで降ることの無かった雨を、突然封切ったかのような豪雨が世界を覆った。
何日も、何週間も、何ヶ月も、絶え間なく。
そして。
雲間から日が射す頃、小国NAGUMOはこの世界から消えていた。
その跡さえも人目を避けるように、水の中へと全てを沈ませて。
その消滅と引き換えに、『水』の種族がこの世界のあらゆる場所に戻っていた。
十年以上も『水』と新たな契約が結べなかったこの世界には、大きな恩恵をもたらした。