問わず語りに身の上話を始めたのは、雀庵の方だった。

 不意に浮かんだ名雲屋への疑惑をそのまま右近にぶつけるのは如何にも唐突であったし、何よりも、遠慮がちにではあるが、物珍しそうに自分とその後ろの文机に並ぶ化粧道具とを見比べている右近の視線に答えてやらねば、落ち着いて話も出来ないと思ったからだ。

 雀庵は化粧の客にいつもそうするように鏡台を相手の前に置き、後ろに回って鏡越しに笑いかける。

 鏡の中の右近が、そんな雀庵を訝(いぶか)しむように小さく眉間に皺を寄せる。

「何の真似にござるか、雀庵殿。それがしに化粧は無用にござるぞ」

「そいつァもう合点承知。ここで紅白粉をはたけば無礼討ちにあうのがオチってなモンでござンしょうが、手前がするのは化粧だけじゃァねえンですよ」

 そう言って手を伸ばし行灯を鏡台の傍らに移すと、灯りに照らされて薄っすらと色づいた右近の白い顔は鏡の中で相変わらず雀庵を睨んでいる。

「化粧師が化粧をしないで何をすると言うのだ?」

 雀庵は睨まれても相変わらずの笑顔で、慣れた手つきで鏡の前に剃刀を並べ、鉄瓶から沸きたての湯を手桶に注ぐ。

「実は、うちが髪結い床でしてね、」

「髪結い床?」

 化粧師よりも馴染みのある髪結いという言葉を聞いて、心なしか身構えていた右近の肩から力が抜ける。

 その肩越しに頷く雀庵、湯気の立ち昇る桶に手ぬぐいを載せた小さな笊を置くと、別の桶を逆さにして蓋をする。

「へえ、店は日本橋の方にあって、手前も跡を継ぐつもりで15の年までそこで髪結い修業に精進しておりやした。今でこそ化粧師の方が名が通っておりやすが、化粧の仕上げに流行りの結い方は欠かせねえンで、今でも髪結いの腕は確かなモンでござンすよ。だんなも何かお好みの結い方がございましたら何なりと申し付けておくんなさい」

 鉄瓶を火鉢に返す手で化粧箱を引き寄せ、鋏と櫛を取り出して見れば、目の前にあるのは浪人者ゆえの伸ばしっぱなしの無造作な総髪と言うには傷みの無い綺麗な髪で。これは、浪人になってまだ間もないか、浪人暮らしが長くても綺麗好きそうな右近の性質から手入れがよく行き届いているかのどちらかだろうが、鏡に映る右近の顔は、髷の結い方次第でお大名の若様と言っても通るくらい凛々しくも品が良い。

 

 これはやはり、何か仔細があるに違いない。



 と、思わず険しくなった自分の眼差しが鏡に映ったことに気づいた雀庵は、それが右近の目に止まらぬよう目を伏せると、手元の手桶を開けて程よく蒸された手ぬぐいを広げながら今度は鏡越しではなく軽く覗き込むように右近へ笑いかける。

「・・・と、その前に、ちょいとやっつけではござンすが、まずはだんなの髭でもあたりましょうかね」

「え?あ、いや、今日は客で参った訳ではござらぬゆえ、まずは一献」

 あくまでも生真面目に答えて徳利を差し出す右近に、もともと笑顔であった雀庵の顔が更にほころぶ。

「ああ、左様でございましたな。では、ちょいとこいつでぬる燗と参りやしょうか」

 

 雀庵が徳利を受け取って手桶に入れたところに、鉄瓶から湯を足す右近。



「うちが髪結い床と申したが、跡継ぎ息子が家業を放り出して化粧師になどなって良いのか?」

「ご心配には及びやせん。店の方は二親(ふたおや)を姉貴と妹が手伝っておりやす」

 右近の後ろから立ち上がって茶を飲み干した湯呑を取りに行く雀庵。

 その背中に話し続ける右近。

「雀庵殿には姉上と妹御がおられるのか、それは隣家と同じにござるな」

「隣家?」

「雀庵殿の長屋の」

「え?!長屋にもおいでになったンですかい??」

 屈んでいた雀庵が驚いたように振り向くと、目が合った右近は微笑むように睨むようにその両眼を細める。

「拝借した提灯と羽織を直ぐにでも返さねば商売に障りが出ぬかと案じられてな、3日ほど通い申した。隣家のお内儀がここを教えて下さらねば今日も待ちぼうけになったやもしれぬ」

「そいつァご面倒おかけして申し訳ありやせん」

 頭を下げ、右近と斜めに向き合うように腰を下ろす雀庵。手ぬぐいで軽く内側を拭った湯呑に徳利から酒を注ぎ、右近に差し出す。

「ささ、まずは一献」

「いや、これはそれがしが土産にて、まずは雀庵殿から」

「それもそうでござんすねェ、ではお先に頂きやす」

 右近に促され、湯呑を口元に運ぶ雀庵。

 やんわりと暖められた酒がほのかに甘く香り、口に含めば甘くともキリリとした味が舌先から喉の奥へと沁みていく。

「こいつァうめえや。ささ、稲垣様もどうぞ一献」

 旨そうに呑む雀庵を見て安心したように湯呑を受け取る右近。



「・・・髪結いから何故化粧師に?」

「惚れた女子(おなご)にちょいと紅をさしてみたのが始まりで」

 惚れた女子に、というところで右近が笑った。

 これはもうお決まりのようなもので誰でも皆ここで合点がいったと言うように笑ってくれるから、挨拶代わりの身の上話としてはこれで十分、いつもなら話は終わる。と言うか、雀庵の言い方から艶っぽいものを感じ、誰もが深く聞くのは野暮だと承知したと言うように笑ってくれるのだ。

 別にそう思われても構わないのだが、いつもは。

 それなのに、今日はどうも勝手が違った。

 右近と名雲屋との関わり合いを聞き出すために、その胸の内に立ち入ろうとしている自分から腹を割って話さなければとでも思ったのか、自分でもよく分からない。ただ、右近が他の者たちと同じように笑ったのを見た時、何故か小さく胸が痛んだ。

 

 化粧箱の蓋には、見よう見真似で彫った竹に雀。

 職人の手による提灯の笹竹や羽織の雀とは似ても似つかない不細工な出来だが、化粧を手がけていくことを決めた時に自分で彫ったもの。

 皆が思うように戯れから始まった訳では無い。それは、自分だけが分かっていれば十分なことだと思っていたのに。

 

「・・・今からもう7、8年前の話になりやすが、その年に火事がありましてね。惚れて通っていた娘の家の方がひどくやられちまったと聞いて慌てて駆けつけたンですが・・・焼け出されて、顔も髪も着物も煤だらけで・・・よっぽど恐い目にあったみてえで、手前を見ても口も利けねえ耳も聞こえてねえようで、ただ人形みてえに焼け跡に腰を下ろしてましてね。こいつァいけねえ、何とかしねえとって・・・それで何を思ったか可笑しな話で、急いで焦げて倒れた柱や障子を引っくり返して鏡台と櫛を探し出し、そのコの前に鏡台を置いて、髷の乱れた髪をほどいて櫛で梳かしながら、もしや正気に戻るかもしれねえと普段通りに他愛のねえことを話しかけ・・・一等似合いの形に結い上がって簪を挿し、鏡を覗けば煤だらけの顔だ。そこで井戸へ水を汲みに行ったら朝顔が綺麗に咲いていましてね。何か慰めになりゃしねえかと手桶の水に朝顔を浮かべて置いて、手ぬぐいで顔を拭いてやると血の気のねえ青白い肌に、唇も青いような紫色になっちまってて・・・思わず、紅をさしてやりてえと」

 水に浮かべた朝顔の赤い花を掬(すく)い上げ、手のひらで捩(よじ)る。

 薄紅に濡れる指先で、そっと青い唇を撫でる。

「紅とも言えねえほど淡いものでございましたが、それがよく映えましてね」

 後ろに回り、小さな肩を抱いて鏡越しに笑いかける。

「ああ、こいつァ綺麗だ、って言ったら」

 鏡の中の自分を虚ろに映していた娘の瞳が、動いた。

 そして、

 笑った。

 笑って、泣いた。

 どこかに消えて行きそうだった心が、戻って来た。

 大丈夫だと言って抱きしめた。



「その時、思ったンですよ。紅って・・・化粧ってスゴイもんだなって」



 見渡せば、同じように煤にまみれて途方に暮れている子どもたちがたくさんいた。

 煤を拭い、髪を梳かし、髷を結い直し、娘たちには朝顔の紅をさした。

 体格の良さを見咎められ、そんなことをしてる暇があったら火事場の後始末を手伝えと怒鳴られても止めなかった。



 重く沈んでいた子どもたちの顔が、次々に明るくなっていく。

 そうだ、大丈夫だ、皆。



 何があっても、何を無くしても、

 どんなに辛いことがあっても、自分で自分を無くしたいと思っても。

 諦めるな。

 だって、まだこんなに綺麗なンだから。



「最初は商売にするつもりはなかったンで。火事に限らず流行り病で親を亡くしちまったり、貧乏暮らしで奉公に出されたり、化粧なんぞしたくても出来ねえ娘たちに紅のひとつでも、と髪結いの仕事の合間に何かと手を出しておりやしたら、その娘たちの主(あるじ)のお内儀などから声がかかるようになりましてね。お代を頂戴して化粧をするなら生半可な仕事をしちゃならねえと、もともと、お袋が髪結いのお客に化粧をすることはあったンで、それからはお袋について修業して・・・気づけば化粧師になっちまってたってところでござンす」



 初心を忘れないように、雀庵と名乗った。

 焼け跡の、あの娘の、そして子どもたちの笑顔を忘れないように。



− 我と来て 遊べや親の 無い雀 −



「・・・我と来て 遊べや親の 無い雀・・・か」

 雀庵の心の声に、独り言のように呟く右近の声が重なる。

「なるほど、それでそれがしもここへ参ろうと思うたのかもしれぬな・・・」



 その声が、雀庵を思い出の中から現実へと引き戻す。

「稲垣様?」

 傍らに端座している右近が少し伏し目がちであるのは、化粧箱の竹に雀の彫り物を眺めているからなのか。

「・・・それがしも7つの時に流行り病で二親(ふたおや)を亡くし、翌年には火事で焼け出され、年の離れた妹はまだ3つになるかならぬかで、どうして生きてゆこうかと思案に暮れた子雀でござった」

 そう言って微笑む右近の顔はあどけなささえ感じられて。

 それは、あの焼け跡の子どもたちにも重なって。

 流行り病で二親を亡くし、火事で焼け出され、年の離れた妹を抱えた7つや8つの子どもが、桜吹雪の刺青を背負(しょ)って生きていくことを決めるには・・・如何ほどのことがあったのか。

「稲垣様・・・もしや背中に桜吹雪を背負(しょ)いなすったのは、どこぞの親分さんにでも引き取られなすったからですかい?」

 それならば流れ流れて名雲屋の裏賭場で壷を振っていてもおかしくはない。

 思い切って尋ねる雀庵に、微笑んだ口元のまま穏やかに首を振る右近。

「いや、それがしを引き取って下さったのは、その頃江戸に参勤交代に参られていたさる西国大名の御家来で稲垣兵衛様と申す。江戸を離れて10年、17の年に稲垣様から正式に養子にとお話があったのだが、ちょうどその頃ご子息が誕生されてな・・・若様お付きとして3年ばかり勤めていたのだが、養子話がまた持ち上がり・・・少々揉めてな。命の恩人とも言える稲垣様にご迷惑になってはと暇乞いを申し出て、その後ゆるゆると流れて15年ぶりに江戸へ戻って参った次第にござる」

「なんと、育ての親はお大名の御家来ですかい。なるほど道理で渡世人にしては立ち居振舞いだの言葉遣いだのがきちんとなすってらっしゃると思いやした」

 眉目秀麗にして文武両道、清廉潔白な人柄の右近が養子になり、実子にそれほどの器量が無ければ先行きに禍根を残す恐れがあるだろうし、それを律義者の右近が黙って見過ごせる訳が無く、暇乞いをして浪人となるのも頷ける。聞けば納得の身の上話ではあるが、そうすると合点がいかないことがある。

「するってーと・・・その桜吹雪の紋々は・・・??」

 着物を透かして見ているような雀庵の視線につられるように、着物の上から自分の二の腕を眺める右近。

「これは・・・・・・・・・子どもゆえの思いつきと言うか。・・・生き別れた妹が、それがしを忘れないようにと」

「生き別れ?妹さんと一緒に引き取られなすったンじゃあねえんですかい?」

「それがしが引き取られたのは稲垣様がお国許(くにもと)へ帰られる折でな。妹は幼すぎて西国までの長旅には耐えられようはずはなく・・・やむなく、必ず迎えに参るからと身を寄せていた寺に預け置いて行くことになったのだが、独り立ちして迎えに来られるようになるには10年はかかろう。その頃になれば姿かたちが変わっているは必定、そこで幼い妹でもそれがしのことを覚えていられるようにと・・・妹は桜が好きでな、桜吹雪を目印にすれば間違いなかろうと思うて」



 桜・・・15年ほど前に生き別れた兄と妹・・・再会の約束の桜吹雪・・・。



 ちょっと待て。

 その話には聞き覚えがある。



「それで、妹さんにはお会い出来たンですかい?」

「妹を預け置いた寺の和尚に手紙を書いたのだが、代変わりされておってな。どこの誰に引き取られたものやら行方知れず、さて、どうして探し出したものかと思案しておったのだが・・・どうも妹らしい女子(おなご)が吉原に居ると聞き・・・今は身請け金100両を稼いでいるところにござる」



 おりんは飾り職人の娘であって吉原の花魁ではない。

 おりんが覚えている桜吹雪は本物の桜であって、刺青では無い。



 しかし、雀庵にはおりんの待つ生き別れの兄が右近に思えて仕方が無い。



「・・・100両と言えば大金だ。その娘が妹さんかどうかってのは・・・確かめなすったンで?」

「それがしも名雲屋から聞いて半信半疑でおったのだが、昨日名雲屋のかけた座敷で会うてな」



 ああ、

 つながった。



 右近と名雲屋。そして、何故右近が用心棒ばかりでなく裏賭場で壷を振ってまでして、金を稼いでいるのか。



「鈴音(すずね)という花魁で、それがしの桜吹雪を覚えておったゆえ間違いござらぬ」



 自信を持って言い切る右近を真っ直ぐ見据えて、雀庵は首を振った。



 吉原に居る娘たちのことはよく知っている。



「そいつァ人違いだ。名雲屋に騙されちゃァいけねえよ、だんな」



 右近の目の色が、変わった。







 今夜の加賀はひとりで退屈していた。

「今日は雀庵来ねえのかなァ・・・」

「あァ、雀庵さんならお客人がいらして2階に上がったきりですよ」

 つまらなそうな加賀の独り言が耳に入って、お銚子を持って来たついでに答える娘。

「雀庵さんが来たのが珍しくまだ明るいうちだったから・・・もうすぐ一時(2時間)になるわねえ」

「へえ・・・そいつァまた念入りな化粧だな」

「あらやだ違うよ、加賀屋さん。お客人はご浪人様だから化粧の客じゃあないよ」

「ご浪人様ァ??オイオイ大丈夫か?浪人相手に一時も何してンだよ雀庵。どこぞのお内儀にでも惚れられて乗り込んで来た亭主にいきなり無礼討ちとかで斬られてたりしてねえだろうな」

「そんな物騒な感じの方には見えなかったけどねェ」

「人は見かけによらねえよ。よし、ちょっくら様子を見てくるぜ」

 いざという時のために天秤棒を担ぎ、加賀は忍び足で2階の雀庵の部屋へと向かっていった。



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