・・・存在理由・・・
サイファン貿易会社
そう、表に書かれたビルの前で、車は止まった。
今日からフィラが勤める会社だ。
久良と共に出勤したフィラは、社員への紹介を軽く済まされ、そのまま社長室へと直行になった。
日々の業務は追われるようで、久良自身にも自由な時間は殆どない。勿論、それに付き従うフィラも同様だった。
社員に、フィラがアンドロイドだという事は当然のように伏せられていた。だが、誰も疑問を投げてくる者はなかった。それは一重にフィラという人形が精巧だった事もあるが、それが分かるほど、他者に関わる機会が少なかったせいもある。
秘書という肩書き上、外交的な事柄も多岐に渡っていたが、主にはスケジュールの調整と付随する資料の作成、経費清算などで、相手と長く話すことも、必要以上の会話も、もてないのが現状だった。
積極的な幾人かはフィラと会話を持とうとしたが、忙殺されるスケジュールの中では難しいのが現状で、会話はいつも途中で寸断された。
それに加え、社長である久良が傍にいるのが通常である。・・・いや、フィラが久良の傍にいる、というのが本当は正しいのだが。
日常的な会話が始まると間もなく、フィラの携帯が鳴ったりする。それは大概、久良からだった。
その為、”頼りにされている秘書”として、フィラはすぐに社員から一目置かれるようになる。しかしフィラに高慢な態度が生まれるわけでもなく、いつも一歩引いた、謙虚な姿勢は崩れなかった。
それは社員の好感を招きもしたが、ごく少数の間では不評であった事も確かだ。勿論、そこに含まれているのは嫉妬ややっかみという感情だったわけだけれども。しかし好感も嫌悪も、フィラにとってとるに足らないものだった。
フィラに必要なのはただ、久良の力になる事。設定された主人の利に叶い、損害を与えない事にあったから。
フィラの飲み込みの速さは久良が思っていた以上のもので、一月と経たないうちに、彼の右腕として十分な働きをするようになっていた。それは機械ならではの迅速さだと知りつつも、スムーズにこなされる職務の数々に感嘆しないではいられなかった。
あの夜・・・リスト社との会食以来も、フィラとの関係は変わっていない。傷ついた顔を見せたのは嘘かのように、フィラは次の日から久良に対して忠誠の意を崩すこともなかった。フィラがそのことで久良に問う事もない。
(・・・気にしているのは、俺だけか)
そう思った。人形相手に何を、とも思う。けれど、どうしても拭い去れないものがあった。それは人形にも感情があるのではないか、ということだった。
久良は、エステラードに対してもそう思っている。だから、自分が間違った事をしたと感じたときは、エステラードにも謝る。エステラードはいつものように表情を変えず、反論することもなく、諾々とそれを受け入れる。
謝って満足するのは、久良だけだ。エステラ−ドのほうは何も感じてはいない。そう分かっている筈で、これは自己満足の謝罪だと知りつつも、そうしないではいられない。
なのに。
フィラに対しては、謝ってすらいない。脳裏にちらつく表情は傷ついていて、瞳は久良に向き、困惑を表している。
もう今更、あの時のことを謝罪など出来はしない。時間が経ち過ぎているせいもあるし、久良だけが気にしている事だからだ。フィラにとっては取るに足らない事で、あの顔にしたってその時に作られたプログラミングが適切な表情を選んだだけに過ぎない。
(でも・・・・・)
その適切に選ばれたプログラミング・・・それが何故、あの顔だったのか。それはどうしてそう作用したのか。何故。何故。
言葉と場面に総合された、状況に応じた設定。無数にある情報の全てを網羅しプログラムすることは不可能だ。フィラには今までのアンドロイドとは違う独自の機能がある。
感情発露の為の、成長型のプログラム。
説明書にはそう書かれていた。ただ、感情の中に「怒る」「苛つく」というような負の感情はない。その時その時の表情を決定するのは、やはりプログラムそのもの・・・ひいては「フィラ」という人格プログラムが決定する事である。
「どうかなさいましたか、社長。」
久良は不意の言葉に体を震わせた。目の前にはフィラの顔がある。狂いも歪みもないその顔は、心配そうに眉を潜めて久良を見ている。
「いや、何でもない。」
「ここのところ、ずっと昼食もそこそこでしたし、疲れているのではないですか。よろしければ瑣末な事はお引き受けしますが。」
久良を気遣う言葉と態度に嘘は見受けられない。セリフにつけられた抑揚は演技的でもなく、寧ろ誰よりも自然に発せられている。それがまた、逆に不自然さを強調しているようにも思えた。
「大丈夫だ。・・・・・11時までには終わらせよう。」
壁に埋め込まれた時計は、22時10分を回ったところだった。久良は机上のパソコンから、現在のオフィス使用状況を確認する。どの階も防犯機能が作動し、照明が落ちているという表示が出ていた。会社に残っているのは、久良とフィラだけのようだ。
背後の窓に視線を送ると、夜の帷はすっぽりと町を覆っていた。その空に星の影はない。地上の光は未だ眠る事を知らず、煌びやかな程に輝いている。早く郊外の自宅に帰りたい・・・と久良は思った。仕事中にそんな風に思う事は、少ない。やはり疲れているのかもしれない・・・と久良は感じる。
体がだるいと感じ始めたのは、ほんの2、3日前だった。それでも片付けなければならない契約書の類、目を通さなければならない稟議書や訴訟問題の類は日々重なるばかりで、なかなか休息を取れないのが現状だった。どうしても月末月初に集中しがちなその書類を、久良はいつも黙々と片付ける。
体調が優れないと言っても、熱があるわけでも病気なわけでもない。偶に眩暈を覚える程度で、病院に行く必要性すら感じなかった。
だから、自分の体がどれだけ疲れていたのか・・・久良には自覚がなかったとしか言いようがない。
11時を回り、少しした頃。全ての書類の検収を終え、ようやっと帰宅が出来ると思った瞬間だった。
「フィラ、私の仕事は終わった。エステラードに迎えを・・・・・・・」
そう言って立ち上がった瞬間、目の前が傾いだ。視界が揺らぎ、その四方から黒い靄が立ち込めて、中心に収縮していくような映像が見える。急速な吐き気が湧き、立っていられなくなった。机に両手をついて、何とか倒れるのを防ぐ。
「・・・・・要様・・・・・!!」
フィラが駆け寄ってくるのが、声と足音で分かった。手足がやけに冷えていると感じた後、久良の記憶はない。混濁した意識の中、フィラが自分を呼ぶ声が、彼の聞いた最後の音だった。
「・・・いつも、無理をしがちなのです。」
低い声が、運転席から発せられた。夜中で車通りが少なくなったとはいえ、尋常ではないスピードで車は走っている。それでも乗車する人間を気遣うような、滑らかな走りだった。
抑揚のない声音は相変わらずだった。だがその言葉には、心配するようなニュアンスが込められている。フィラにはそう感じられた。
「いつも・・・。倒れたのは、初めてではないのですか?」
「半年程前にも一度。また、社長に就任したての頃にも一度。今回で三度目になります。」
「病院へは。」
「最初の一度だけは行かれました。私が車でお連れしましたので、確かです。」
「検査結果は、ご存知ですか?」
質問以上の事は答えないエステラードには、重ねて問う必要があった。
「異常は見られなかったようです。疲労からくるものだから心配ないと、クリスに話しておりました。」
「そうですか・・・・・。」
疲労・・・自分で全てを背負いこむかのように、久良は仕事をする。
(私では・・・その一端すら、背負う事は出来ないのでしょうか。私の性能では、まだまだ要様のお力になるには・・・足りないのでしょうか。)
フィラは眉根を潜めた。
後部座席で久良は横になり、フィラの膝に頭を乗せていた。意識はなく、白くなった顔と息を継ぐ早さが、久良の体調の悪さを明確に伝えている。
冷えた手足。それなのに額には汗が浮いていた。乱れた前髪がその白くなった顔にヒタリと張り付いている。漆黒の髪は、そのまま久良を闇に飲み込むような、そんな不安を孕ませた。
フィラは久良の汗を拭いながら、早く家に着くことを願った。早くベッドに寝かし、楽な体勢を取らせてあげたかった。いくら広いとはいえ、車内では足を伸ばす事もかなわない。
車窓を流れる景色は、相変わらず光の洪水に飲まれていた。光は変に間延びされ、幾重にも重ねられた白や黄色や赤、緑、青・・・様々な色のネオンが、フィラの心を乱した。
(何故だろう・・・。冷静に対処する事が出来る筈なのに。それなのに・・・何故こんなにも胸中がざわめくのだろう。こんな感情は知らない。・・・知らない・・・・・)
不意に、白い手の女を思い出した。彼女の美しい手。細い指。自分を労わる、やさしい声音。
知らないのは、その記憶だけ。自分の感情が分からないなど、機械にあってはならない。
(何故私は彼女の事を、博士に聞かなかったんだろう・・・)
フィラの製造者・樫木博士になら、全てが分かるに違いない。それなのに、フィラは「聞く」という事すら、失念していたのだ。
(有り得ない・・・。人に近しく、をモットーに作られたにしても、私たちは合理的な事に変わりはないのに。それなのに、聞こうとすらしない・・・それに思い当たらなかったなんて・・・。・・・・・・私は、欠陥品・・・・・?それを認めたくなくて、廃棄されるのが嫌で・・・それで黙っていた・・・?)
(・・・・・どうしよう、分からない。・・・分からない・・・)
不安という感情が湧く。それはフィラにはないはずのものだった。感情ではなく、知識として蓄積されているだけのものの筈だった。
(一度、博士に会いに行こう。要様にもお話して、そして、きちんと処分を決めて貰おう。それが要様をこんなになるまで働かせてしまった、私の責任。きっと私にはどこか、欠陥があるんだ。)
外の景色は序所に変わり、街灯だけがポツポツと淡い光を放っていた。そうすると間もなく、久良の屋敷に着く。
大仰な門をくぐり、玄関の目の前に車をつけて貰う。フィラは久良を抱えて外に出た。長身の久良を抱えても、フィラはふらつく事なく歩める。
腕の中でぐったりと身を任せたままの久良に、フィラの心中は再び乱れる。
エステラードに扉を開けてもらい、フィラは久良を寝室に運んだ。
「後は私がやります。エステラードは車を戻して、休んで下さい。」
「分かりました。何かあったら、お呼びください。」
逆らう事を知らない彼は、すぐさま扉を締めて下がった。
フィラはまず、久良の上着を脱がせてから、ベッドに寝かせる。抵抗の力もなく、されるがままの状態は、およそ普段の久良からは想像がつかない。その為、奇妙なアンバランスさを感じた。
横になって少しは楽なのか、息は緩やかなものになる。幾分か、表情も和らいで見えた。熱を測ると、微熱があった。
(眠る・・・とは、どういうものなのだろう。夢とはなんだろう。今、要様は、何を見ているのだろう。)
フィラには絶対に、わかり得ない事。夢など、見ることもない。記憶の整理をするための時間を要することは確かにあって、その為に睡眠に似た行動はとる。けれどもそれはパソコンのデフラグと変わりない行為だ。
人が見る夢のように、見たことのない風景や人や、非現実的な事からは程遠い。ただ、日々の情報をあるがまま、そのままに再現し分類しファイリングする行為だから。
(こんなになるまで、どうして働くのだろう・・・人は。)
倒れる事も、苦しい事も、フィラには分からない。機械が人に近づいたと感じているのは、人間だけだ。少しでもフィラという機械が人間に似たそぶりを見せれば、それで一喜一憂する。
(それでも、こんなにも遠い。・・・こんなにも・・・)
それはどうにもならない隔たり。
(分かっている筈なのに何故、要様は私やエステラードを人間に近しく扱うのだろう。)
疑問が増えるだけだった。それでもそれを久良に問う事は出来ない。久良が望んでいない質問だと、フィラには分かっていたから。だから、質問する事は許可されない。
「何故・・・何故、私は・・・・・・」
窓から差し込む光は、やわらかな月華のみだった。静まり返った屋敷、庭園からも物音ひとつない。風すら吹いていないのか、木々のざわめきすらしない。まるで主人の眠りを妨げないように、屋敷全体が息を潜めているかのようだった。
(明日が休日で良かった。要様には、休息が必要だ。)
フィラは物音を立てないようにしながら、久良の看病を続けた。
「・・・・・・・ずっと、ここに居たのか。」
「熱は下がったようですが、もう少しお休みになっていて下さい。今、朝食をお持ちします。何か食べたいものはありますか?」
フィラが立ち上がりながら言った。傍から離れようとする、その腕を掴む。
「要様?」
「ずっと、ここに・・・?」
「はい。ご迷惑でしたでしょうか?・・・熱もありましたし、何かあってはと思い、勝手とは思いましたが控えさせて戴きました。」
「・・・・・・・いや・・・ありがとう。」
そう返すと、フィラは照れたように微笑した。
「何か、消化の良いものにしましょう。昨晩から殆ど何も食べていらっしゃいませんし。」
「・・雑炊、が食べたい。」
「かしこまりました。今日はクリスが休んでおりますので、私が作る事になりますが、構わないですか?」
「ああ。」
久良はフィラの腕を放す。朝の光に、彼の髪が金色に反射して見えた。素直に綺麗だと思える色だった。
痩身の後姿が扉の向こうに消えるまで、久良は目を離すことが出来なかった。
(何故・・・何故私は・・・・・・機械なのでしょう・・・)
夕べ、耳に入ってきた言葉だった。朦朧とした意識の狭間にそれはするりと入ってきた。まるでひどく大切な言葉のように。聞き漏らしてはいけない、必然の上で聞こえてきた言葉のように。
「本当に、何故・・・何故お前が人形なのだろう・・・・・」
(確かに私は、機械を機械と思いたくないと、そう願っている部分がある。この感情こそが、最も機械と人間を隔てていると知りながら。それでも、それでも私はアンドロイドが造られた以上の感情を持っていると、そう信じたい。そう・・・信じている。)
しかしその上で、機械は機械でしか有り得ない事もまた、久良には分かっていた。だから、人とは違うと意識しながら、人のように扱いたいと、そう思っている。
それが、彼を・・・フィラを見ていると揺らぎそうになる。人そのものに見える瞬間が多くあり過ぎる。
何度思い直しても、それは消える事なく渦を巻いた。
造形美とも言える程の容姿は、少なくとも人との隔たりの一片でもあるだろう。それでも、一月以上経った今も、社員は勿論の事、幹部の固い連中すら、フィラが人間であると疑った様子はない。
ただ、一度だけ、父にフィラを会わせた事がある。その時父は
「いつか会社の人間にも話しなさい。お前のことだ。何か考えがあっての事だろう。損害とならないなら、好きにするといい。」
そう言った。
皺の多く刻まれた顔は老いを助長させて見えたが、その奥に宿る眼光はいまだに衰えを知らない若さを感じさせた。その真実を見極める目は、誰もが持てるものではない。
今まで数々の裏切りにあい、誰も信じられずにいた彼が得た”見極める目”だ。その目を騙す事は、無理なようだった。
久良は父の言葉に、ただ、深く頭を下げた。
「要様。失礼致します。」
フィラが扉を開けて入ってくる。その手には湯気の立つ土鍋がある。
てきぱきと脇机を用意し、その上に鍋を乗せる。蓋をとると、あたたかな湯気がほわりと部屋に拡散した。
小皿に雑炊をより分けると、久良に差し出す。
「野菜もたっぷり入ってます。魚はたらにしてみました。熱いので、お気をつけ下さい。」
ふ、と思わず笑みが漏れた。まるで、子供みたいな扱いだと思う。けれど、苛立ちは感じなかった。病み上がりのせいかもしれない・・・と、そう思う。
「・・・にしても、凄い量だが・・・。これ、私一人で食べるのか。」
「え、あ、そう・・・ですよね。すみません。本当ならこんなミス、しないのですが・・・。すみません。私、少々調子が悪いようなのです。」
「いや、構わない。そうだ。フィラも食べるといい。食べられるのだろう。付き合ってくれ。」
「はい。」
フィラは嬉しそうに、その翠の目を細めた。
「・・・それより、調子が悪いとは、どういう事だ。」
「はい。少々記憶に混乱があるのです。それと、感情プログラムにバグがある可能性があります。申し訳ないのですが後で樫木博士に会いに行きたいのですが。・・・・・私は、欠陥品かも・・しれません・・・。」
フィラは俯いた。長い睫がその身に影をおとす。翠の瞳が濁った気がした。
「・・・そうか。私も行こう。」
「え、いえ。一人で行けます。」
「私はフィラの持ち主だ。勝手に欠陥品と決め付けられ、大事な右腕を失うわけにはいかない。分かってるだろう。私は、疲労で倒れたばかりだ。すぐに新しい秘書が見つかる可能性は少ない。今フィラを手放すわけにはいかない。結果を知る権利くらい、あるだろう?」
「失礼致しました。では、要様の体調が良くなりましたら、ロイド社の研究施設のほうへ参りましょう。無理のないスケジュールが組めるよう、調整させて戴きます。」
「ああ。まぁ、大丈夫だろう。一月の中で一番忙しい時期は過ぎたから。後は取引先とのやりとりや瑣末な日々の業務を片付ければ事は済む。」
「かしこまりました。・・・お忙しいのに私のせいでお手間を取らせてしまうこと、お詫び致します。」
フィラが深く頭を下げた。
「いいから、食べよう。ご飯がふやけてしまう。」
「・・・・・はい。」
穏やかな休日だった。
まるで、これからを示唆するかのように、穏やか過ぎる休日だった。
後日フィラは、樫木に会う事は出来なくなった事を知る。
自分を一番に知る唯一の人物が、手の届かない場所にいってしまった事を。
それは人形殺人が遂に製作者までに及んだ、最初の事件だった。
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