「上出来だ。」
帰りの車の中で、車窓を走る夜景を見ながら、久良が言った。
フィラは久良を見て、それから恥らうように俯いた。
「有難う御座います。とりあえずは、合格ですか?」
「そうだ。以後、この調子で頼む。秘書としての事務業務も、明日から始めて貰う。」
「分かりました。」
二人とも、必要以外は話さず、後はただ外の景色が延々と流れていくのみだった。
突然、久良が、エステラードに車を止めるように指示する。後2キロほども走れば家に着く、というところだった。
都心から少し外れた公園の前。外灯がほの白く灯り、辺りを薄闇にしている。空には細い三日月がかかっていた。
久良は、開いたドアから、急くように車外へ這い出す。
「要様!」
フィラも急いで車から降り、久良の傍に寄った。
久良は芝生の上に両手を着き、肩で荒く息をしている。突然のことに、フィラは動揺を見せた。
「どうなさったのですか!要様・・・!」
心配してくるフィラを、久良は片手で制した。
「心配ない。」
久良の眼光が揺らぐ。しかし言葉は明瞭で、有無を言わせぬ響きを宿している。
「エステラード!」
フィラは車を振り返って、叫んだ。
「これは・・・いつもは・・?いつもこうなのですか?」
その問いに、エステラードは運転席から軽い頷きを返す。
「リスト社の社長との会食等があった後は、いつもご気分を悪くなされます。」
「余計な事を言うな。エステラード。」
久良が咎めるように遮った。
「失礼致しました。」
エステラードは、深く頭を下げる。しかしそこには表情はおろか、言葉の抑揚もない。
フィラは久良の背に手を掛けた。
「大丈夫ですか。」
久良に答えはなかったが、フィラはそのことを気にはしなかった。ただ、具合を悪そうにしている久良が、少しでも楽になるように気を使っている。
久良の背をさすったり、汗を拭う。そんなフィラに、久良は視線を送った。
その、人形に。
精巧に作られた顔。不自然なほどに綺麗な、その容姿。
サラサラと、髪が夜の冷たい風に揺れる。心配そうに自分の顔を覗きこんでくるその瞳は、深いグリーン。
「要様・・・・・・・・」
不安そうに、フィラは久良に声を掛けて来る。その声にも表情にも、嘘は見られない。
少なくとも久良には、そう見えた。
「・・・・本当に・・・・人形なのか・・・・・・」
久良は微かな声を発した。それは、傍にいるフィラにすら聴こえない程の声だった。
「?何ですか?要様?」
傍に人がいることに、久良は少し安心する。その反面、人形とは思えないフィラに疑問を抱いてもいた。
その表情も、その態度も、人形とは思えないもので、久良は混濁した頭でその不可解さを感じていた。
「もう、大丈夫だ。すまない。」
立ち上がる久良を、フィラは支える。久良の息はまだ多少乱れており、早く家に戻り休ませる事が得策だとフィラは考えた。エステラードに道を急がせる。
車内から屋敷に電話をかけたが、時間が時間なだけにクリスは既に帰宅してしまったようだった。あの、広い屋敷に今は誰も居ないのだ。
(淋しくはないのだろうか?)
フィラはそんな事を思う。あの広い家にただ一人。久良の姿をフィラは想う。
(人形のエステラードが居るのみのあの場所で、この方は淋しくはないのだろうか。昼の間はいい。少なくとも、誰かが・・・人間がいる。無機質ではないものが。)
しかし夜は違う。広い家。閑散とした空気に、静寂。闇がそれを引き立てる。
(そんな寂とした空間に、この方はいつも一人でいらっしゃるのだろうか。・・・・・私では・・・人形の私ではエステラードと何も変わりはしない。その空間は、隙間は、埋められない。)
フィラは、自分が家具と変わらなく思えてならなかった。無機質な自分。作られた感情と、作られた表情。
(どんなに人間のように振舞っても、私はそれ以上にはなれない・・・・。)
窓の外に視線を泳がせている久良に、フィラは目線を移す。フィラの翠の瞳が、僅かに伏せられた。
フィラは、久良を部屋の前まで送った。触れた彼の身体は熱く、多少熱があるようだった。
「今、お薬をお持ち致します。」
去ろうとするフィラの腕を、久良が掴む。
「・・・・要様?」
「・・・・・いい、いらない。」
短くそう答える。久良は、寝室の扉を開け、フィラにも入るように促した。
「要様、せめて薬くらい・・・・・」
言い掛けて、フィラは口を噤む。
「・・・・・・・すみません・・・・・・・。」
深く、頭を下げて謝った。
久良の不機嫌そうな瞳が、フィラを捉えている。そのまま久良はベッドに腰を下ろす。フィラは入り口に突っ立ったままで居た。
しばしの沈黙。
寝室に明かりは点いておらず、正面の大窓から入る月明かりが、部屋の光源だった。時折、その細い月の心許ない明かりすら、雲に隠されて部屋は暗闇に染められた。
「・・・・・・・悪い・・・・・・・」
久良が、呟く。
「何がでしょうか?」
フィラは言葉を選びつつ、問い返す。
「・・・・あの男は、苦手なんだ。打算的な男。人当たりの良さそうな面をしておいて、簡単に裏切れる顔だ。現にあいつが社長になってから、潰された企業は2社ある。どれも直接的には関わらないよう、・・・余りにも巧妙に操作されている。・・・・・どうしても、苦手なんだ・・・・あの手のタイプは。」
久良は一旦そこで言葉を切った。それから躊躇うように、次の言葉を重ねる。
「・・・・・父の会社を潰した男に、似ているから・・・・・―――――。」
久良が顔を伏せた。
憎んでも、憎みきれない男に似ているから。余りにも、似ているから・・・・・。
フィラは、久良の傍に寄る。膝を着いて、その顔を覗きこむ。そして恐る恐るその黒髪に触れた。
「お辛いでしょう・・・・・。」
フィラには、それしか言える言葉がなかった。仕事をやめろとも、リスト社との取引を破棄しろとも言えない。そんな、無責任なことは言えるわけがないから。
それからフィラは、久良の向かいに腰を下ろす。顔を見られるのは嫌だろうと考えたからだ。久良は顔を伏せたまま、動かない。
フィラはぼんやりと外に広がる景色に目をやった。
月は、淡い光を放っている。木々は大きな一つの塊になっていた。部屋の中はフィラが考えていた以上に閑散としていた。最低限の家具に、抑えられた装飾。他の部屋には絵画が飾られているのに、久良の部屋にはそれすらない。
”個性”が欠落している。
フィラはそう想った。部屋に対する違和感は、そこにあるようだった。生活観が感じられないわけではない。それなのに無機質な、どこか素気ない印象をこの部屋は与える。それは住人の性格や、趣味といったものを感じさせる物がないから。
淋しくは ないのですか ?
どれ程、そう聞こうと思っただろう。そかしフィラに、訊く事はできなかった。目の前で顔を伏せたまま押し黙っている主人に、そんな事は訊けなかった。
置き時計が12時を指す。ふと、久良が顔を上げた。
「もう、もう戻っても構わない。」
それだけを言う。
フィラはその翠の瞳を真っ直ぐに久良に向けた。真っ黒な久良の姿は、夜の闇に、この暗い部屋に、溶け込んでいるようだ。存在感が無い。
埋没するような、そんな方ではないのに。と、フィラは思う。その容姿を見ても、周りの景色に埋もれてしまう事はないだろう。それなのに、今は違う。何がそうさせているのだろうか。人形であるフィラには、久良の感情・・・他人の持つ感情が理解できなかった。明瞭な感情しか分からないフィラに、困惑したような久良の感情が、一体何なのか、理解できる筈もなかった。
「要様・・・・・。此処に私がいると、ご迷惑でしょうか?」
フィラは躊躇しながら問う。それでもその瞳は、迷う事なく久良に注がれていた。
久良はそんなフィラの視線から、目を逸らす。
「そんな事は、ないが・・・・・・」
久良の声は、どこか不可思議に響いた。
フィラのほうに戻された視線も、どこか不明瞭な感情を露呈している。
それでも久良の漆黒の瞳は、惑う事なくフィラを捉えていた。
「人形・・・・・なのだな。嘘ではなく・・・・。」
明確に、しかしどこか呟くように久良は言った。独白にも程近い。その瞳の奥に、何か哀しい、翳りのようなものが帯びたのを、フィラは気付かなかった。
「私が信用出来ませんか?でしたらもう一度、ロイド社に問い合わせて下さっても構いません。認識票をお見せしましょうか。」
「いや、いい。」
雲がかかっていた月が、全ての姿を見せた。月の光が以前以上の明るさを放ち、大窓から部屋に射し込む。
フィラの姿がその光に浮き上がる。大窓を背にしている久良は、その光の影となる。
久良は、光に照らされるフィラから目を逸らさなかった。薄茶色の髪が、月明かりに染められて煌く。翠の瞳はその光に反射する。
何て、自分とは対照的なのだろう・・・・・と久良は思った。
光 と 影
「私は、時々お前が人形には見えなくなる。」
「?理解できません。要様は、私が一体何に見えるのですか。」
「今日・・・・・誰もお前を人形だとは思わなかった。出合った全ての人間が。すぐ傍に、比べられる人形が居たにも関わらず。・・・・・・・私には、お前が人間に見える。」
フィラは月明かりの中、柔らかく微笑んだ。
「有難うございます。博士が聞いたら、とてもお喜びになるでしょう。」
その言葉を聞いた久良は、自嘲するかのように微かに笑った。
「そうだな。お前は、人形なのだな。」
まるで、自分に言い聞かせるような話し方だった。
「はい、それが真実です。」
フィラはやけにはっきりと答えた。
「・・・・・・・・出て行ってくれないか。」
低い声が、重く響いた。
「要様・・・?」
フィラには、久良が何故そんな事を唐突に言って来たのかが、皆目分からなかった。
「出て行って欲しい、と言っているんだ。」
「要様・・・・・?何故・・ですか?体調は・・・・・・」
「いいから、出て行ってくれ。人形に、用はない!」
語気が若干荒くなる。眉宇が顰められ、闇色の瞳が僅かに揺れた。そんな久良を目の前にして、フィラは当惑を隠せない。
「・・・・・・・・すみま・・せん・・・・。」
自分に、どんな落ち度があったのかすら分からないまま、フィラは頭を下げた。それからすぐに言われるまま、部屋を後にした。
ドアの閉音が、静寂に包まれた屋敷に響いた。
「・・・・どうして、あれが、人形、なんだ。」
あんな表情をするのに。
フィラの顔が、久良の脳裏に過ぎる。
(どうして傷ついてみせる。人形のくせに、どうして・・・!・・・・・・・何故、謝るんだ・・・・・・・・悪いのは・・・・・・・)
「そう、人形では・・・・・・」
人形だから。だから、謝るのか。
久良は、初めてこの暗い夜の屋敷に、人形以外のものがいるような、そんな錯覚を起こしていた。
(人形だ・・・。あれは、人形・・・・・・・・)
フィラが去ったドアに視線を向けながら、久良は自分の内にある不可解さを黙殺した。
彼は人形である事が真実。