フィラは席を立った。ほぼ同時に久良も席を立つ。
「本日はお招きを戴き、有難う御座います。」
久良は恭しく頭を下げて言った。フィラも付き従って、頭を下げる。
クレソンは秘書の女性と、ボディガートの男性一人を連れいていた。
女性は腰までもあるストレートの長い髪を揺らし、身体にぴたりと合った短いタイトスカートのスーツを身に着けいている。
秘書というより、クレソンの恋人のようでもある。化粧が派手に見えるのは、彫りの深い美人な顔立ちのせいかもしれない。立っているだけでも華やかさのある女性だ。
男性のほうはいかにも、という風情の、無口そうな雰囲気だった。黒いスーツの、短髪の男。
(アンドロイド・・・・・・・)
フィラにはすぐに分かる。男の瞳が明滅するように、室内の光を反射していた。
その二人を後方に連れ、当のクレソンはといえば。群青のスーツを着、肩まであるオールバックの髪を一つにまとめている。およそ会社の重役とは思えない風貌。
視力が悪いのか、アイレンズを装着していた。細面のその顔は若作りで、35という年齢を感じさせない。そのくせ、妙な威圧感があった。
クレソンは、ゆっくりとした歩調で久良の元まで歩んで来た。
「お久しぶりです。この度はお忙しい中お時間を作って戴けたこと、大変恐縮に思っております。」
友好的な笑みを浮かべて、右手を差し出してくる。握手に応じながら、久良も再び仰々しい挨拶を述べた。
「こちらこそ、お招きに預りまして光栄です。」
案内の女性が、硝子テーブルのほうに招く。それぞれが、所定の席についてから、女性は再び口を開いた。
「料理をお運びしても宜しいでしょうか。」
「ああ、すぐに頼む。」
クレソンが応じる。
女性は食前酒を人数分出してから、部屋を出て行った。
「彼は、座らないのですか。」
席は人数分、五脚あった。ついフィラは、立ったままのアンドロイドを見ながら、口をついてしまう。
それに、クレソンが笑った。
「彼はアンドロイドです。物を食べる事もないので、御気になさらずに。」
その答えに、久良は多少表情を変えたが、人が気付く程のものでもない。
クレソンがフィラに視線を向けたまま、久良に問うように言った。
「この方は、新しい秘書ですか?この間の方とは、違うようですが。」
久良の視線は、グラスに注がれていた。そこから顔をあげ、フィラを紹介する。
「ええ、ご紹介が遅れました。今日から私の秘書を勤めて貰う事になった、フィラ・クレニードです。」
久良の言葉に合わせて、フィラが席を立ち、クレソンに深く礼をする。それをクレソンは右手で座るように促しながら、次の言葉を発した。
「今日から?そうですか。」
フィラが席に着くのを待ってから、クレソンは再び口を開く。
「はじめまして。リスト社の取締責任者を勤めております、クレソン・アーフィルです。以後、宜しくお願い致します。」
言いながら、軽く礼をする。相手会社の秘書といえども、決して軽率には扱わない、丁寧な挨拶だった。
「こちらこそ、どうぞ宜しくお願い致します。」
「これは私の秘書のサラ・レイクです。」
クレソンが自らの秘書を紹介すると、サラと呼ばれた女性は笑顔を向けて礼をした。艶やかな笑顔。
「はじめまして。私もまだ勤め始めたばかりで、不慣れな部分も御座いますが、どうぞ宜しくお願い致します。」
サラは特に、久良のほうを向いてそう言った。
まもなく、料理が運ばれてきた。順々に、前菜、メインと運ばれてくる。歓談を交えた食事は、どこか厳かに、ゆっくりと進んだ。
「どうですか。景気のほうは。」
仕事の話を不意に口にしたのは、クレソンのほうだった。
「悪くはありませんが、先の経済界への不安は、まだまだ拭えたものではありません。」
久良が無難に応じる。
「そうですね。つい2年ほど前まで、株価の急落があったくらいですから。世間ではもう2年前の事でも、われわれ会社にとっては、まだまだ油断のならない状況です。」
「仰るとおりです。2年前はわが社も余談の許さない状態でした。何とか脱したものの、後もう少し長くあの状態が続いていたなら、負債額に潰されていたでしょう。」
「前社長であらせられるミスターサイファンの英断と采配には、我々も多く学ぶところがありました。貴社が経営危機となれば、共倒れとなるのは中小企業のみではすみません。全くもって、驚かされました。」
クレソンは微笑を浮かべながら、事も無げに言う。
「そういえば貴社では、あの経済危機の時分に事業を拡大なさいましたね。何か特別な事業を展開したという噂はありませんでしたし、不思議に思っておりました。何故ですか?」
フィラが訊いた。
「ああ、一種の賭けです。長く続いた経済不安も、株価の動きや事業の流れを見て・・・もう少しで終わるのではと思ったのです。好景気と不景気というのは、繰り返すものでもありますから。・・・まぁ、賭けに負けていれば・・・あの時に私の社は確実にこの世から消えていましたが。」
今だから笑って出来る話ですがね・・・と、クレソンは付け加える。
「そうですが。素晴らしい先読みを持っていらっしゃいますね。我が社も見習わなければと思います。」
「フィラ、それは私にもっと先を読めるようになれという事か?」
皮肉めいた言葉に、久良が眉を潜める。
「社長は十分に才能のあるお方です。ただ、まだ少し甘い部分もおありです。だから会長も準備期間を設けられているのだと思いますよ。」
クレソンがフィラのその言葉に、声を立てて笑った。
「いい秘書を雇われましたね。初めの一日で自社のことばかりか、様々な事柄を把握しておられるようだ。正直、ミスターカルトのことですから、またすぐに秘書を替えてしまうかと思っていましたが。その心配は無用のようですね。」
「それは失礼な・・・。私はそんなに飽きっぽく見られているのですか?」
少しふざけた調子を交えて、久良が答えた。
「いえ、そうではありません。本当に有能な者しか求めていらっしゃらないのだと、感じているのです。先日まで秘書を勤められていた方と比べると、雲泥の差です。」
「あれは一週間で首にしました。余りにも仕事覚えが悪かったものですから。」
「成る程。私としては十分なようにお見受けしておりましたが・・・。会社のためを思えばこそ・・・ですか。流石はあの会社を支えて行く方ですね。ミスターサイファンも、さぞご安心しておられる事でしょう。」
「いいえ、私ではまだまだ会社を担うには役不足です。父の力と有能な部下のお陰で、何とかやっていけているようなものです。」
「失礼ですが、質問をしても宜しいですか?」
クレソンの秘書、サラが口を開く。鮮やかな形の良い唇が、女性特有の色を放っている。
「ええ、どうぞ。個人的な事でなければ、お答えしますよ。」
久良はやわらかくそう言い、それにサラは軽く笑う。部屋に香る百合の芳香に対し、その微笑は艶やかすぎる程だった。
「個人的なことではありませんが。貴社の事業について少し・・お伺いしてみたい事があるのです。」
「どうぞ。企業秘密は答えられませんが。」
久良の促しに、サラは話を進める。
「この度、貿易事業としてだけではなく、新事業を担うとお聞きしました。コンピューター・・・・・OA関係で新たな試みをするそうですね。」
「新たな試み・・・という事はありませんが・・・。ご存知の通り、弊社は今までも多くの事業の一つに、当然OA事業も組み込んで来ております。その事業の拡大を検討しているまでです。特別に何かをする予定はありません。」
「そうですか?聞いたところによると、OA事業と一言に言いましても、現在開発途中のサイコハードを手掛けると伺ったのですが。」
クレソンが、サラに代わって質問を返す。それにフィラが応じた。
「サイコハードですか?あれは政府の依頼を受けて、OA事業で定評のあるアルファ社が請け負っているものだったと思いますが。」
「そのアルファ社に、負債の不審と、横領の嫌疑がかけられているのはご存知ですか?」
「それは知っております。先の不況での多額の負債を抱えた事と、幹部数名による会計改竄の疑惑のことですね。」
「そうです。まだ横領の件は疑惑ですが、負債に関しては真実です。それで政府のほうでも負担しきれなくなり、実質上の経営破綻は免れないだろうというのが大よその見解です。政府関連の会社という事で、表立った発表は控えてあるようですが。・・・まぁ、業界ではもう周知の事ですね。」
「それで・・・後請けの会社が弊社だという、噂でも耳にされましたか?」
久良が友好的な笑みで応じる。その表情に、焦りも一切見られない。
「そう、伺ったのですが。間違いですか?」
クレソンは明瞭に問う。直接的な問いに相応しく、その瞳は真っ直ぐ久良に向けられていた。
「サイコハードは一朝一夕に利益の出るものではありません。確かに開発が成功すれば、マイクロが開発された以上の利益が見込めますが。」
久良の態度はあくまで落ち着いている。フィラは、久良に一瞥を与えてから、クレソンのほうに視線を戻した。
「確か、貴社の事業にもOA産業がありましたね。弊社とは違い、メモリやソフトといった細かい分野まで開発を行っていたと記憶しておりますが。」
フィラのこの問いには、サラが答えた。サラの瞳に、フィラが映る。
「はい。その通りです。20世紀に入ってからのコンピューター事業は、21世紀も後半に差し掛かった現在も衰退の兆しはありません。それどころか開発に継ぐ開発はとどまる事はなく、拡充を続けております。」
「しかし、サイコハードが開発されれば、ハードは勿論の事、ディスク、ソフト面での話も変わってくるとは思いませんか?」
サラの視線を受けながら、フィラが真剣な、しかしどこか楽しむような口調でそう言った。
「その通りです。ですからOA事業関連会社は、その開発動向により敏感になっているのです。」
クレソンはまるで、自分の会社は関係のないような素振りだった。言葉からも切迫したものは感じ取れない。
「そうですね。我が社としても、政府から依頼があれば開発に携わる事は検討したくは思いますが・・・。ただ、OA関連の開発事業は行っていませんから、その可能性は極めて低く、かつ、私としても今はまだ、サイコハードには余り大きな関心をはらっていないのです。もし開発が成功したならば、大々的にバックアップさせて戴く位のことは、現実的に考えてはおりますが。」
あくまで久良は、現時点での関わりを全面的に否定した。クレソンは久良の様子からは真意を量りかねているようだ。
「それよりも、貴社のほうがサイコハードが完成すると何かしら変化があるのではないですか?」
フィラが、柔らかく問う。
「いいえ。私どものほうでも、ハード開発には余り力は入れていないのです。そうですね・・・あるとすれば、メモリ関係での互換性によるでしょうか。開発成功の暁には、是非業務提携はお願いしてみたいですね。」
クレソンの顔には、軽い笑みすら浮かんでいる。彼の藍の瞳は揺らぐ事はなく、ただ、この会話を楽しんでいるようでもあった。
「本当に、OA事業は移り変わりが速い分、色々と大変ですね。」
久良はまるで意に介する風もなく、言葉を結んだ。
その話はそこで終わり、後はたわいもない話が2、3続いたのみで、その日の会食は終わりを告げた。
既に外は濃い闇が覆っている時間帯だが、眼下に広がる光の洪水は、まだまだ消えそうになかった。