‖ 孤独の蟲 <6> ‖

 ホテルの従業員である女性の案内を受けながら、エレベーターで100階に向かう。
「リスト社のクレソン様はまだご到着なさっておりません。席のほうの用意は御座いますので、ご案内致します。」
 女性は丁寧にそういうと、先に久良とフィラをエレベーターから降ろした。
「では、こちらになります。」
 ホールになっている空間の先に、大掛かりな扉があった。
 女性は、扉の右横・床から突き出ている円筒形のパネルのキーを操作する。
 すると、音もなく扉は開かれる。
 中に入ると、大きな円形のガラステーブルと、金属製の椅子が、一面の大窓の前に置かれていた。
 壁には高価なのであろう絵画が飾られ、巨大な飾り壺には大輪の百合の花が活けてある。その芳香は、広い部屋にやわらかく香っていた。
 決して狭くはないその空間には、他にソファと角テーブルが置かれていた。
 ソファのほうは、3段程の階段がある為にガラステーブル等よりも低い位置に設置されている。
 その横ばいに広い階段には、人が通る部分を除き、観葉植物が並べられていた。
「そちらにお掛けになって、お待ち下さい。」
 久良とフィラは、ソファのほうへ向かった。久良はソファに腰を掛けたが、フィラはその脇に立つ。
 大窓からはビルディングの群れが見えた。
 夜景はさぞかし綺麗だろう、とフィラは思う。
 程なくして先ほどの女性が、飲み物を運んでくる。
「コーヒーでよろしいでしょうか。」
 尋ねる女性に、久良は頷く事で返答とした。
 女性は慣れた手付きでカップにコーヒーを注ぐ。苦味を伴う香りが、鼻腔をくすぐった。
 ミルクと砂糖の入った皿をテーブルの中央に置くと、彼女は礼をし、部屋から出て行った。
 久良が、ブラックのままコーヒーを口に運ぶ。
「飲まないのか。」
 女性は、2人分のコーヒーを淹れていた。久良に促されて、フィラはカップを手に取る。
「座ればいいだろう。」
「いえ。」
 流石にこの席で、久良の向かいに座れば失礼にあたる。
 久良はこれから来る相手をたてて、手前の席に座っているのだ。フィラが向かいに座っても、例え横に座っても、久良より上座に座る事になってしまう。
 それはフィラにとって、絶対にしてはならない事だった。
 久良はフィラのほうを見て、再度言った。少し口調に苛立ちが混じる。
「座れ。私の隣で構わない。」
 強く言われて、フィラは逆らう事が出来ず、命令されるまま久良の隣りに座った。
 カップを口に運んで、一口飲む。淡い苦味が、口の中に広がった。ただそれは、味覚・・・とは違う。コーヒーは苦いもの、という認識だけがフィラにある。それだけのものだった。
「あの、何か御用でしょうか。」
 自分を見ている久良に、フィラは聞いた。
「いや。」
 問われて久良は、フィラから目線を逸らす。
 フィラはカップを再び口に運ぶ。長めに揃えられている横髪が顔にかかり、フィラの横顔を隠した。それをフィラは手でかき上げる。
 久良はその一挙手一投足を観察するように、見ていた。フィラが居心地の悪そうな表情をする。
「あの・・・やはり気に入らないでしょうか。もし不都合がありましたら、直しますので仰って下さい。」
 久良の目を真っ直ぐに見て、フィラは言った。
「・・・・・別に。」
 久良はそう答えたが、今度は視線を逸らさなかった。
 フィラはその暗闇のような久良の瞳を、ただ見返す。不意に、久良が笑った。
「何も・・そんなに不安そうな顔をしなくてもいいだろう。少し、不思議に思っただけだ。」
 それから、大窓に視線を移す。
 ビルが建ち並び、木々が配置されている。人工物と緑の、不釣合いにも見える総合風景。
 暮れかかる空。
 西の空は低く赤く、既に空の高い位置は闇を翳していた。
 室内には、いつの間にかシーリングライトが点いている。サイドライトや他の飾りライトも室内を淡く照らし出していた。
 フィラが、久良に自分の何が不思議なのか・・それを聞いてみようと思い、口を開きかけたその瞬間。
 リリン・・・・・・
 古風な、しかし澄んだ音色がして、扉がゆっくりと開く。
 扉の向こうから、案内の女性に伴われて、リスト社のクレソンが現れた。


 


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