「もう出ると、仰られたのですか?」
クリスが、無表情な運転手に問う。
「はい。車の準備をと、主人に言い付かりました。」
その言葉を受けて、クリスは時間を確認した。
4時40分。出るには少し早い時間だった。
「エステラード、時間の確認は・・・・・・」
クリスが言いかけたところで、玄関の扉が開いた。フィラが扉を開け、久良が出てくる。
「要様。」
クリスが頭を下げながら、声を発する。
「クリス。エステラードは間違ってはいないよ。車を準備するよう、私が頼んだのだから。」
久良がそう言うと、クリスは慌てたように首を横に振った。
「いいえ。そうでは御座いません。まだ、出るには少し早い時間に思えましたので。」
クリスは再び頭を下げる。
「ああ。でもリスト社の社長は時間に煩いから。早めに出る事にした。後はよろしく頼む。遅くなると思うから、定刻になったら帰宅して構わないよ。」
久良はさっさと用件を言うと、エステラードがドアを開けた後部座席に乗り込んだ。
「フィラも、早く乗りなさい。」
久良に言われ、フィラはクリスのほうに一礼してから、促されるまま久良の隣りに座す。
クリスの見送りで、車は発進した。
車が発進してから、久良は一言も口をきかず、不機嫌そうな顔で車窓を流れる景色を見ている。
エステラードは命じられるままに車を運び、フィラもまた、黙ったままだった。
景色は殺風景な庭から市街地へ、高層ビルの立ち並ぶオフィス街に変わる。
直線のビル、円形のビル、螺旋を描いたような建築物。通りには近代彫刻が並ぶ。
自然との一体化を目指して設計され、改築されてきた街は、至るところに緑がある。
「造られた街だ。纏まり過ぎていて、整頓し尽されている。」
独り言のように、久良が言った。
フィラは久良のほうを見る。相変わらず右手で頬杖をつきながら、車外を見ている。フィラのほうなど、見てもいない。
「・・・気に入りませんか。」
試しに、そう訊いてみた。
尚も久良は姿勢を崩さず、フィラを見ようともしない。
「いや・・・別に。」
ぶっきらぼうな答えが返って来る。不機嫌さは、目的地に近付くにつれ、増しているようだった。
表情には大して表われていないが、態度があからさまだ。フィラは、久良の屋敷の庭を思い出していた。
順序良く凛冽した木々。淡々としたその空間。
しかしそこには草が生え、仕切られることなく緑は存在していた。
木の形も、不要な枝を切り落としてあるだけの、それぞれがまばらな形だった。
街の切り揃えられた木々とは、明らかに違う。
整頓されて、造られた形を保つ木々・・・・まるで人形。
それに、フィラは自分たちと変わらないものを感じた。
(私の人格も、造られたモノ。)
フィラは街の木々と自分とを重ねあわせるように、思考を巡らせる。
久良が、不意に視線を動かす。
その視線の先には、考えるような顔をしているフィラの姿があった。
久良は溜息を一つつく。
「・・・・・何を考えている。」
自分を見ている久良に気がついて、フィラは顔を上げた。
「私の人格も造られたものである限り、あの木々と変わらないのではないかと思いまして。」
それを聞いた久良は、くつくつと笑った。
「あの木々と、お前が?」
「おかしいでしょうか。」
特に表情もなく、フィラが問い返す。
「ああ。お前は動くしな。」
その応えに、フィラは反論するように言った。
「それは機能面での違いです。私が言いたいのはメンタル面での同一です。」
意外そうな顔をフィラに向けてから、久良は先程まで機嫌が悪そうだった事も忘れたように応えた。
「そうではない。根本的に相違のあるものとの比較は、本来不可能な事だと思うからだ。確かにここに木々は揃えられ、秩序を乱す事を抑制されている。そういった意味で、様々な抑制を抱えている人形と、同じかもしれない。ただしその抑制は半ば無意味なものだ。何故なら木々は伸びる事を止めはしない。命令しても、そちらに動く事は不本意でしかない。しかし人形は違う。命令を受ければ、意のままに動く。反論などもない。・・・私が言ったのは、そういう意味だ。」
「ああ・・・・はい。・・・・・・すみません。」
フィラは久良に謝ると、俯いてしまった。久良はそんなフィラを一瞥してから、再び車外に向き直る。それから、視線だけをフィラに向けて言った。
「別に責めているわけではないよ。私はどうせなら、不本意でも命令通りになってしまう木々になられるくらいだったら、フィラ、お前には人間に近しくなって欲しいと、そう思っただけだ。」
フィラはその言葉に頭を下げる。
「はい。悟られないように致します。」
そして満面の笑みを浮かべて、瞬間、子供のような無邪気さを見せる。
久良は思う。
(・・・本当に・・時折見せる表情が、人間を思わせる。)
色素のハンディがなくなった分、余計にそれは強くなっているのかもしれなかった。
車は大通りを抜け、一本の細い道に入り、そこで停車する。
ナショナルホテル
入り口にはそう書かれていた。
建物の両脇が緩やかな曲線を描いている。階が上がるにつれて、フォルムは徐々に細くなっていく造りだ。
入り口中央には、円と楕円、曲線が相互に関係しあっている、細長いオブジェが置かれている。
久良とフィラが車から降りると、エステラードは屋敷の方角へと戻って行った。
ホテルの入り口には警備員が立ち、そちらに目をやった久良は、再び不機嫌さを露呈させていた。
「サイファン社のカルトだ。通してくれ。」
カルトという名は、久良が養子に入った時につけられたものだった。
冷ややかな一瞥を投げられた警備員は、それに臆する様子も見せず、久良に差し出されたカードを、機械で照合した。
「確かに確認いたしました。」
警備員は恭しく頭を下げてから、扉を開く。
「全く。愛想のない。」
久良の口調は、応対者くらい、人形ではなくして欲しいと言いたげなものだった。
久良らしくない・・・・とフィラは思う。
「ご気分でも、優れないのですか。」
フィラは久良の後に続きながら、控えめに尋ねた。
久良は前を見たまま、表情を変えずに答える。
「・・・・・すまない。八つ当たりだ。実を言うと、リスト社の社長は余り・・・・・気に入らないのでね。」
隠していてもすぐに分かると思ったのだろうか、久良は言った。
「すみません・・・・・。立ち入った事をお伺い致しました。」
フィラがそう言った時には、久良の顔は仕事のものとなり、不機嫌さなど微塵も感じさせていなかった。